「…え……?」
このときは、二階堂さんの言葉の意味がまだよくわからなかった。
しかし、その3日後。
打ち合わせのために、生徒会室へ行ったとき――。
二階堂さんがわたしのそばを通り過ぎて、後ろにいた千隼くんのもとへ一直線に歩み寄った。
…そして。
「慧流座の緒方。キミに勝負を挑みたい」
…なんと、いきなり勝負を申し込んできた!
好戦的ではない二階堂さんらしからぬ行動に、わたしはただただ驚くばかり。
千隼くんも、「なにを寝ぼけたことを」と言いたそうな顔つきだ。
「…は?勝負?なにをかけて、亜麗朱なんかと今さら――」
「かけるのは……。『楡野さん』だ」
その言葉に、わたしは驚いて二階堂さんに目を向ける。
な…なぜか、わたしの名前が呼ばれた気がしたけど…。
「…咲姫だと?なんのために」
「キミは、楡野さんの用心棒をするように頼まれているそうだね」
「だったら、なんだ?」
「その役目、僕に譲ってほしい」
「…なんだと?」
一瞬にして、千隼くんの表情が変わった。
それに、場の空気もピリついて、殺伐とした雰囲気に変わる。
「僕が勝ったら、楡野さん――いや、『咲姫』は僕が責任を持って守るよ」
「なにを言い出すかと思えば…。そんなこと、やるだけ無駄だ」
どうやら、千隼くんはハナから二階堂さんの勝負を受け入れる気はなさそう。
わたしだって、千隼くんと二階堂さんが勝負だなんて…。
そんなの、いやだよ。
しかし、二階堂さんは食い下がる。
「逃げる気か、緒方?」
その言葉に、ピタリと立ち止まる千隼くん。
「あの慧流座の総長のくせに、こわいのか?僕に負けることが」
二階堂さんは、…明らかに千隼くんを煽っているようで。
そんな言い方をされたら、いくら千隼くんだって――。
「いい度胸だな。お前、俺に勝てるとでも思ってんのか?」
…受け入れてしまうに決まっている。
慧流座派と亜麗朱派が入り交じる、皇蘭中学。
一歩踏み間違えれば抗争にだってなりかねないが、これまではとくに大きな争いはなく、平凡な学校生活が送られてきた。
しかし、亜麗朱総長から慧流座総長への勝負が言い渡され、突如大きな嵐がやってくることになるのだった。
「…俺、ちょっと頭冷やしてくるから。咲姫、しばらくここから外すな」
そう言って、千隼くんは生徒会室から出て行った。
ドアが閉まったのを確認すると、わたしは二階堂さんに詰め寄った。
「さっきの…どういうことですか!?」
わたしをかけて、2人が勝負…!?
…そんなの、意味がわからないよ。
それに、二階堂さんが提示した勝負の日は……明日。
二階堂さんはようやく今日、ベッドから起きられるくらいに回復したばかり。
まだまだ体調は万全じゃないというのに、勝負を挑むだなんて…無謀すぎる!
「なにも、驚くことはないよ。キミを僕の手で守りたい。そのために、緒方が邪魔だっただけだ」
「でも、千隼くんと勝負だなんてっ…」
「僕が、『咲姫を譲ってほしい』と言ったところで、あいつが素直に応じるわけないだろ?」
…そんなこと、聞かなくたって答えはわかりきっている。
「キミを守り抜くためには、“強さ”が必要。だから、強いほうがキミを守る。簡単なことだ」
二階堂さんは、続ける。
わたしを1日でも早く、千隼くんのもとから奪いたかったと。
「どうして…、そこまでしてっ…」
「決まってるじゃないか。咲姫に、惚れ込んでいるからだよ」
二階堂さんは、わたしに目を向ける。
亜麗朱の総長で、皇蘭中学の生徒会長で、勉強もできてスポーツ万能な二階堂さんが――。
わたしに惚れ込んでいるわけがない。
そう思いたかったのに、わたしを捉える真剣な瞳を見たら、これはただの冗談なんかじゃないと思わせられる。
わたしのことを名字ではなく、『咲姫』と呼ぶ二階堂さん。
それはもう、パンフレットのモデルとして必要だったただの先輩後輩という関係ではなくなってしまっていた。
「でも…二階堂さん。やっぱりこんな体で、勝負するなんて無茶です…!」
「そうでもないよ。咲姫が看病してくれたおかげで、格段に回復が早かった。今までの僕なら、まだ寝込んでいる頃だろう」
二階堂さんが倒れてから、わたしはお世話をしに、頻繁に二階堂さんの部屋へ出入りしていた。
パンフレットの撮影もあったし、早くよくなってもらいたくて。
もちろん、二階堂さんの希望のため、お世話をしていることは、亜麗朱のメンバーや千隼くんには内緒で。
食堂で、特別に消化のいいものを作ってもらって、部屋に届けたり。
他には、動けない二階堂さんの代わりに、必要なものを買ってきたり。
その間、二階堂さんはずっと横になったままで過ごせたから、いつもより早く回復することができたと。
体も軽くなったから、問題ない。
二階堂さんはそう言うけれど、わたしはなにか理由をつけてでも、2人の勝負をやめさせたかった。
「…それに!パンフレットの撮影まで、あと4日しかないんですよ…!もしケガしたり、顔にアザでも残ったりしたら――」
「咲姫は、僕が緒方に負けるとでも思っているのかい?」
その二階堂さんの言葉に、思わず口ごもる。
二階堂さんが、負ける姿なんて想像がつかない。
…だけど、千隼くんが負ける姿だって、同じく想像がつかない。
――いや。
想像もしたくない。
だからこそ、こんな勝負…してほしくないんだ。
その日、千隼くんは部屋に帰ってこなかった。
何度も電話やメッセージを送ったけど、返信はなし。
門限の時間も過ぎたしおかしいなと思いながら、わたしは女子寮の大浴場に1人でぽつんと浸かっていた。
千隼くんに気を遣わせちゃいけないと思って、部屋のシャワー室ではなく、なるべく大浴場を利用するようにしている。
そうしたら、大浴場にきて温泉に入ってほっこりすることが、毎日の習慣になっていた。
上がって部屋に戻ったら、千隼くん…帰ってきてるかな。
そんなことを考えていたら、ゆっくりなんて浸かっていられなくて、わたしはいつもよりも短めに温泉から上がった。
そして、脱衣所へ向かおうと、何気なくドアを開けたのだが――。
「…キャーーーーーーー!!!!」
ドアを開けて、すぐ目に飛び込んできたものに、わたしは絶叫した。
だって、ここは女子寮の女湯。
この学校で女の子はわたしだけだから、女湯を利用する人は他にいない。
それなのに、ドアを開けてすぐ目の前に立っていたのは、裸姿の赤髪の男の人。
――そう。
それは、カオルくんだった…!
とっさにタオルで体を隠したけど、絶対に見られたっ…。
もしかして、…覗き!?
よくわかんないけど、こっちにこないで〜…!!
わたしは、大浴場にあるイスやら桶を、とりあえず手の届くものをつかんでは、カオルくんに投げつけた。
しかし、それをいとも簡単に弾くと、ゆっくりとわたしのもとへ歩み寄ってくる。
カオルくんって、ここへ転校してきて出会った男の子の中では全然ガツガツしてなくて、女の子に興味がないのかと思っていたのに…。
まさか、こんな大胆なことをしてくる人だとは、想像もしていなかった…!
カオルくんの裸を見るわけにはいかないから、顔を背けてただひたすら物を投げていると――。
「もうそれくらいで十分だろ?」
…その手を、カオルくんがつかまえた。