私は夢見病を患っている。

 夢見病という名が世間に広まり始めたのはここ数週間のことだが、私は2年前からこの病と闘っていて、中には更に前から闘病生活を送っている患者も多くいるという。

 正直、今もまだ自分が夢見病だという事実を受け入れられずにいる。



 だから、まだ一度も、夢見病、という単語を自分の口から発したことがない。

 それは同時に、親友の星絆にも言えていないことを意味する。

 昨日の星絆からの遊びの誘いだって、本当は遊園地や水族館や動物園で、青春の一ページを刻みたいという気持ちでいっぱいだった。

 星絆だってきっと私と同じ考えだっただろう。


 だが、いつ症状が出るか分からない恐怖から、その選択肢はすぐに押し殺した。


 これまで、病気が原因の大きな壁に何度直面したことだろうか。


 それに、病気がもたらしたものはそれだけではない。

 加えて、父には金銭面で迷惑をかけ、自由も奪った。

 こんな状態だから、私の存在意義なんてないし、お荷物というレベルを疾うに超えている。


 いっそのこと、死を選びたいくらいだけど、このまま死を迎えては病気のお思惑通りになるようでまたそれも酷な気がする。

 病気で人生を狂わされた人間がそのまま死を迎える、なんて、ダサくて自分ですら笑えてくる。

 だから、どうせ死ぬなら私が生きる意味を無理にでも見出してからにしよう。

 そして、それを生きる理由にしてみよう、と決めた。