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ボクの愛が、神さまにも届いたのだろうか。
だから、こんな奇跡をくれたのだろうか。
あぁ、マリア。
ボクの、マリア。
やっと、会えた。
――同じ名前の、優木まりあの身体となって。
まさかと思った。
信じられなかった。
でも……信じたかった。
マリアのことを忘れた日はなかった。
会いたかった。
会えないのがつらかった。
その想いが、ボクを生かしてくれた。
まさか、と思って生まれた既視感を、放り捨てる愚行などできるわけがなかった。
『神さまにも、勝てちゃうんでしょう?』
『それまで、アタシが、あなたの想いも、傷も、愛してあげる』
健気な言葉。
無邪気な笑顔。
真っ直ぐな愛。
そのひとつひとつが、心臓の奥の奥、大事に鍵をかけてしまっていたヒミツを、やさしくノックした。
なつかしい心音が、よみがえる。
熱の高まるほうへ、鍵を開けて走って迎えに行った。
ボクの心は、ずっと、ずっと昔から、マリアのものだった。
「会えた……願いが、叶った……っ」
抱きしめる腕をぎゅっと強めた。
どれだけ強めても消えてしまいそうで。
夢じゃない。
これは現実なんだ。
この温もりに安心したかった。
「アタシも、だよ」
「マリア……」
「もしも……もしもね? 願いが叶うなら、もう一度だけお兄ちゃんに会いたかった」
嗚咽混じりに震えて裏返る声。
そこにしみこんでいるのは、感動や喜び以上に、なぜか罪悪感のようなものを感じる。
会えてうれしいのに、少し、怖くなった。
「ごめんね、お兄ちゃん」
「……え?」
……きっと、ボクはまた、気づくのが遅かった。
「伝えたいことが、あったの」
「……なに?」
「アタシね、大きな嘘をついた」
「嘘……?」
腕をゆるめれば、マリアはほほえんでいた。
見覚えのある表情だった。
あれは……そう。
『さよなら』
そう告げていなくなったときと、似ている。
やさしくておだやかなのに。
どこか冷たく静やかな、色のないカオ。
「うそ……って、どんな……」
冷気がふっと横切った。
「アタシが、死んだ、っていう嘘」
……え?
「う、そ……? じゃあマリアは生きて……」
「ううん、今はもう、死んじゃった」
「今、は……?」
ドクドクと血の巡りが鈍くなっていく。
「“あたし”が……優木まりあが、1週間学校を休んだときがあったでしょ? あのとき、アタシは本物の天使になれたと思ったの」
あのとき。
ひさしぶりに会った彼女は、いつもと様子がちがった。
みんな、噂していた。
――まるで、別人みたいだと。
「で、でも、じゃあ……あれは……? 昔、転院先で、って……!」
「アタシが、お母さんに頼んだの。死んだことにしてくれ、って」
ごめん、ごめん、と。
喉が枯れるまで謝り続けた母さんの涙声が、脳裏をよぎった。
あの『ごめん』は、まさか……。
「ど……どうして、そんな、嘘を……」
「アタシがいたら、また、苦しめてしまうと思って」
「そんなこと……!」
「うん、わかってる。愛してくれてたから傷をつくったこと。でもね、アタシも愛しているから……」
「っ、」
「だからこそ、解放してあげたかったの」
『いっしょう、まもってやる!』
あの日、交わした約束は。
ボクが守らなきゃいけなかったのに。
マリアだけが、ずっと、背負ってくれていた。
ずるいよ、マリア。
最期の瞬間まで、ヒトのために生きていたんだね。
「約束、破っちゃってごめんね。ずっと守ってくれてありがとう」
「ちがう……ちがうよ……! ボクはマリアに……!」
否定しようとすれば、人差し指で制される。
ほろりと不透明な雫が伝った。
「アタシ、幸せだったよ」
幸せ『だった』……。
わかっていたことだ。
なのに。
過去形ではっきりと言われると、心臓がずしんと重たくなる。
「お兄ちゃんも、幸せになってね」
別れの言葉のようだった。
……あぁ、そうか、そうだよな。
これは、奇跡だ。
奇跡は、一生ものじゃないから、奇跡と呼ぶんだ。
「家族仲良く、愛してね」
「……うん、愛すよ、ずっと」
せめて、ボクだけは。
昔と変わらず、一生を信じ続けるよ。
だから、さよならは言わない。
今はまだ神さまに惨敗中だけれど、いつか、また。
何度でも、会いに行く。
待っていて、いとしの天使。
夏が、来た。
ごきげんな太陽。
暑く火照る空。
もくもくと踊るひこうき雲。
衣替えをして、制服は半袖になり。
いじらしく蝉が啼き出せば。
――もう、泣き声は、聴こえない。
「ねえねえ」
「ツインテールの、あの子さ」
「今日、すごくかわいいね!」
午前8時15分。
いつもの登校時間。
正門が陽気ににぎわっているのは、いつものこと。
「あっ! まりあちゃーん! おはよーう!」
「姫〜! 夏服かわいいね〜!」
「おいっ、おまえはまた……!」
門をとおると、例の騎士さまたちが一斉にアタシに気づいた。
風紀を取り締まるかのごとく、びしっと整列して礼をとる光景は、出会ったときとはまるで正反対。
自由奔放な昔もすてきだったけれど、今の真面目さもかっこいい。
「朝っぱらから騒がしいわね」
背後から美声が届き、振り返ると。
「お姫さま!」
「だからその呼び方やめなさい」
大きめにカールされたポニーテールが、ツンと風を切った。
「お姫さまおはよう!」
「……断固としてその呼び方なのね」
「うん! えへへ」
「……まったくもう」
仕方ないと言わんばかりの呆れ顔。
そんなところにまで気品を感じてしまうのだから、彼女は本当に、前世はお姫さまだったのかもしれない。
「……おはよう、まりあ」
「……っ!? え……!? い、今、名前……!」
前世を妄想していたら、感動的な言葉が聞こえたんだけど、気のせい!? 幻聴!?
興奮気味にワンモアと頼みこんでも、「なんのこと?」と、ニヤリとしてとぼけられてしまう。
うぅ……もっとちゃんと聞けばよかった!
「ほら、あなたの王子さまが来たわよ」
さらりと話題を変えられ、門の前へ意識をいざなわれる。
魔法の粉をふりかけるような、壮大なエンジン音。
かぼちゃの馬車の先を越すような、深い青色のバイク。
いかついヘルメットを脱ぐと。
まさしく異国の王子さまのような素顔が、陽を浴びる。
「……エイちゃん……」
エイちゃんの横には、ウノくんやお兄ちゃんもいる。
神亀のお出ましだ。
正門から校舎にかけての、短くて広い一本道に、だんだんと熱気あるどよめきが波打っていく。
なんだろう……なんだか、ふしぎな気分。
ここでエイちゃんと会うのが、ひさしぶりだからかな。
思い出す。
アタシとしてはじめて出会った、あの始まりの日を。
ここ最近、エイちゃんは学校をサボりがちだった。
アタシの登校時間には、必ずといっていいほど会えず、すれちがってばかり。
途中から来る日もあれば、放課を待たずに帰ってしまう日もあった。ウノくんやお兄ちゃんを引き連れていくときもあった。
声をかけようにも、かけられなかった。
すべて、わざと、だったのだろうか。
……でも、拒絶されていたころとは、ちがうような気がした。
だから、アタシは、声をかけなかった。
「衛さま! 衛さまだ……!」
「麗しい……! かっこいい……!」
「鈴夏センパイと羽乃くんもいるよ! 朝イチに見れるなんてラッキー!」
「……でも、なんか……いつにもまして傷だらけじゃない……?」
「最近はいつもそうじゃん!」
「あの傷が逆にワイルドで最高」
1ヶ月ぶりくらいだろうか。
彼と真正面から向かい合うのは。
その端正な顔には、王子さまとは思えない傷が目立っていた。
即席の絆創膏で埋まった頬。
痕の目立つ額。
緑に変色した顎。
半袖のシャツの下から覗く腕にも、似たような傷が数え切れないほど刻まれていた。
「そういえばさ」
「あのうわさ、ほんとなのかな?」
「衛さまが神亀やめるってやつ……?」
「えっ、まじ!?」
「……だからあんなに傷を……?」
「でも鈴夏センパイと羽乃くんと一緒にいるじゃん!」
「ただ単に仲良しなだけじゃない?」
会わずにいた間に、日々は劇的に変わっていく。
びっくりした。
心配もした。
けれど。
青く透けた双眼は、今までで一番、純度の高い輝きを放っていた。
その輝きが、アタシを捕まえて離さない。
アタシのことも、きらきらさせてくれる。
ひとつ、まばたきをした瞬間。
その瞳はアタシでいっぱいになる。
「エイ、ちゃ」
「まりあ」
「っ!」
「……はよ」
ドキッと、した。
「え! えっ!?」
「今、衛さま……悪女にあいさつ……した?」
「嘘でしょ!? まじ!?」
「うおおおお! 俺らの姫、ついに報われたか!?」
「まりあちゃん! バンザーイ!」
「あんたたちうるさいわよ、あいさつ程度で。……でも、ま、よかったんじゃない?」
テンションが上がったり、下がったり。
思い思いのリアクションが沸き起こる。
当の本人は、夏といえども依然とクール。
みんなの注目をかっさらったまま、颯爽と通り過ぎていった。
校舎に入っていくうしろ姿は、どこかたくましく、誇らしげに見えた。
「衛のヤツ、変わっただろ」
「変わったというか、帰ってきた、のほうが合ってるかもね〜」
アタシを挟んで、右からウノくん、左からお兄ちゃんが、あのうしろ姿を自慢げに見やる。
青色を食べきった銀色のメッシュが、晴れやかに流れる。
「今までずっとあきらめてきたけど、最近すげえやる気出してさ」
「汚い仕事をやるだけやって、潔く足洗う宣言しても、さらなる地獄見せられて。……それでも、生き抜いた。ほんと、かっこいいよ、あいつは」
「そうそう! あいつ、もうすぐ借金返……ぃんくぐ!?」
「はーい、お口チャック。それは衛にナイショって言われてただろ?」
「あ、やべ」
お兄ちゃんの手で塞がれた口を、すぐさま自分の手でも覆い隠す。
今さらだったけれど、運よくアタシには聞こえていなかった。
ぼんやりと目で追っていた。
大きな背中が校舎の奥へと消えてしまうまで。
「なあんか言いたいことある顔してるな、マリア」
その視界を覗き込んできたお兄ちゃんに、図星を突かれ、思わず微苦笑して肩をすくめた。
「……バレてた?」
「そりゃわかるよ」
「え? おまえら、いつの間に仲良くなったんだ?」
「前世から〜」
「は?」
素っ頓狂なウノくんを横目に、ふたりして笑い合う。
背中にやさしい圧がかかる。
お兄ちゃんが、押してくれたんだ。
いとしいな。
離れがたいな。
……でも、もう痛くないよ。
「いってらっしゃい」
「? よ、よくわかんねえけど……が、がんばれ?」
「うん! いってきます!」
元気よく走り出した。
鼓動のリズムに乗って、硬い地面を踏みしめる。
息は上がるけれど、苦しいわけじゃない。
楽しくて、気持ちがいい。
アタシは、今、自由だ。
「待って、エイちゃん!」
「……?」
階段に行き着く手前。
人の流れの引いた廊下の角。
そばに留まってくれた、淡い影へ。
いちにのさんで、飛びこんだ。
「おはよう!」
「……え?」
「あいさつ! ちゃんと、返したくて」
ぽかんと間の抜けた反応をされた。
エイちゃんのそんな表情、見たことない。かわいいね。
……って、そうじゃないよね、うん、わかってる。
言いたかったこと、実はこれだけなんだよね……。あいさつだけしに来るって、やっぱり変だったかな?
でも、今日はどうしても言いたくて!
「あー、えっと……えっとね……」
「教室」
「……へ?」
「行かねえのか」
「い、行く!」
同じ階にある、隣りあった教室まで、ふたりきり。
そんなことはじめてで。
うれしくてつい、先に階段をのぼった。
二段目でくるりと体を向け、ゆるりと笑ってみせる。
「行こ、エイちゃん!」
自然と声がはずむ。
プリーツスカートがひるがえる。
もう一弾、上へ、上へ。
「オレ……」
「ん?」
エイちゃんのつま先が、一段目に乗せられた。
「オレ、おまえのこと、」
静かに見つめ合う3秒間。
近くて、遠いふたり。
差しこむひだまりは、アタシの足元を焼いていく。
「お、れ…………っ……」
「……」
「……いや、」
「……」
「……やっぱ、なんでもねえ」
「……、うん」
それで、いいんだよ。
アタシのほうから視線を逸らした。
軽やかに階段を駆け上がっていく。
ドキドキと、殻を打ち破ろうとする心臓に、朝独特ののどかな空気をめいっぱい送りこんだ。
身体が生まれ変わるように澄んでいく。
そして、それぞれの扉へと、アタシたちは真っ直ぐ突き進んでいった。
○
うつろに瞼を開けていく。
そこは、真っ暗な闇の中だった。
何も見えないはずなのに。
なぜだろう。
どこか見覚えのある景色なような……。
おぼろげに辺りを見渡せば。
ぽつんと、ひとりの女の子がうずくまっていた。
立ち上がろうとして、やっぱりやめて、肩を震わせている。
泣いてるのだろうか。
……ううん。泣き声は、しない。
誰なんだろう。
どうしてここにいるんだろう。
この気持ちは、何なんだろう。
――聞かずとも、今ならよくわかるよ。
「まりあ」
「っ!」
「優木、まりあちゃん」
遅くなっちゃったね。
ごめんね。
ずっと、逢いたかったよ。
「あ……は、なむろ、マリア……っ」
その沈んだ肩に、うしろから腕を回した。
ぎゅうっと、やさしく包み込む。
「大丈夫」
「……っ」
「きらいじゃないよ。大好きよ」
「……ほんとう?」
「彼も、アタシも、あなたのことが好き。大好き」
ねえ、もうひとりの「あたし」。
あなたも、もう、わかっているんでしょう?
ここは、地獄なんかじゃないって。
「怖がらないで。どんなあなたも、アタシの愛するあなただから」
「……マ、リア……っ」
「愛に生きるあなたを、心からいとおしく思うわ」
震えが、止まった。
温度が高まっていく手を、固くつかみ合わせ、一緒に立ち上がる。
その瞬間。
純白の閃光が、一面に降り注いだ。
まるで桜吹雪のように、おぼろげに、甘やかに。
アタシの世界ごと、まっさらに散っていく。
「まりあちゃん。夢のような時間を、ありがとう」
長いようで短い日々だった。
楽しいことばかりじゃなかった。
それでも、救いはそこにあった。
あなたが、願いを叶えてくれたの。
だから。
次は、あなたを叶える番。
「アタシからは、アタシのハートをあげる。どうか大事にしてね」
「っ……まって……、あたし……まだ何も……!」
光がまばゆくなっていく。
狭まっていくあなたの瞳の中で、アタシは人生で一番幸せに笑っていた。
「またね」
天使の羽のような口づけを最後に、世界は朝を迎えた。
○
――目が、醒めた。
天に恵まれた、夏の朝。
目覚まし時計の反響する、ピンクの部屋。
クセがコンプレックスの、赤茶色の髪。
前よりふくらみの帯びた、赤い頬。
ドキ、ドキ、ドキ……と。
心臓は、正常に、うららかに、さえずる。
おもむろに扉が押し開かれた。
「あら。目が覚めたのね」
「よく眠れたかい?」
お母さんとお父さんが部屋を訪れた。目覚ましが鳴りっぱなしで、心配になって来たのだろう。
じわりと目のふちに熱がたまる。
「どうかしたの?」
「具合でも悪いのか?」
かぶりを振った。
眠りすぎた重たい眼をこすり、まあるくほころばせる。
……あぁ、ここは。
「元気ならよかったわ」
「おはよう、まりあ」
乾いた唇の表面には、かすかに温もりが孕んでいた。