テレビを点けると、死亡事故や殺人事件など物騒なニュースが画面に映し出された。


 僕はそれを横目に、エプロンに袖を通す。


 ──よし。今日は彼女の好きなオムライスを作ろう!


 愛情たっぷりのふわとろオムライスが完成した頃、タイミング良く彼女が帰ってきた。


「やった、オムライスだ! 圭くんのオムライス大好き」

 笑顔で小さくガッツポーズをする彼女を見て、オムライスにして良かったと思う。

 仕事で多忙な日々を送る彼女だが、今まで一度も疲れた顔を見せたことがない。

 とても頑張り屋だ。


「いただきまーす。……うん、おいしい!」

「本当にオムライス好きだよね、あやちゃん」

 ニコニコ顔の彼女につられ、僕もつい表情が緩んでしまう。


「子供の頃から好きだったの?」

「そうね。オムレツとかも好きだけど」

「卵料理が好きなのかな」

「そうかも。でも、圭くんの手料理なら全部好きだよ」

 唇の端についたケチャップを舌先で舐めながら、彼女は嬉しいことを言ってくれる。


 僕の彼女は美人で賢く、そして優しい。

 月並みな表現だが、自慢の彼女だ。


『……では、続いてのニュースです。きょう未明、東京都内で殺人事件が発生しました』


 女性アナウンサーの低い声がテレビから流れてきた瞬間、和やかな空気が打ち砕かれたような気がした。


 東京都内。倉庫。刺殺。被害者は裁判官の男性。
 

 それらの言葉が脳内に突き刺さる。


 ──これって、まさか……。


「夢と同じだ」

「え?」

 空になった皿の上にスプーンを置いた彼女が、僕の声にきょとんとした顔をする。


 僕は昨夜、奇妙な夢を見た。


 月明かりが照らす薄暗い倉庫で、怪しい取引をしている二人の人物。

 恰幅のいい背広姿の男性が、手にしていたアタッシュケースを相手に渡す。

 それには札束がぎっしりと詰まっていた。

 相手から茶色い小包を受け取り、ニヤリとほくそ笑む男性。

 しかし次の瞬間、左胸にナイフが深く突き刺さり……。


「これって正夢じゃないかな」

 僕は興奮気味に夢の内容を彼女に話し終えると、額に手を当てて椅子の背もたれに寄りかかった。

 早く彼女の意見が聞きたい。


「夢の中で殺された人は、裁判官と同一人物だった?」

「うん。断言はできないけど、恐らく間違いないと思う」

「犯人の顔は見たの?」

 彼女は指先で眼鏡を押し上げ、核心を突いた質問をする。

 僕は焦らすように一拍置いてから、おもむろに口を開いた。


「……はっきりとは見ていない。でも、声は聞いたよ」

 僕の言葉に、彼女はピタリと動きを止めた。

 眼鏡の奥の綺麗な瞳をじっとこちらに向け、少しだけ首を傾げる。

 これは考えているときの彼女のクセだ。


「そう。どんな感じの声だったの?」

「女の声だった」

「……女?」

 彼女がふいに怪訝な表情を見せる。

 室温が3℃くらい下がったかのように、すっかり場の空気は冷え込んでいた。

 扉も窓も開いていないのに、どこからか隙間風を感じる。


「もし正夢だとしたら、僕は犯人を知って──」

「ねぇ、圭くん。私さっきからずっと疑問に思ってることがあるんだけど」

 探偵気取りの僕が言い終わらないうちから、彼女が口早に言葉を被せてくる。

 いつになく語気が荒いのは、気のせいだろうか?


「正夢かどうかは私には分からない。問題は、どうしてあなたがそんな夢を見たのかってことよ」

「……さぁ。どうしてだろう」

 僕は神妙な面持ちで、小さく肩をすくめて見せる。

 コップに残っていたジャスミンティーを飲み干すと、彼女はふぅと息をついた。

 そして、少し前屈みになって目を細める。


「本当に夢だったの?」

「と言うと?」

 僕は「待て」をする犬のようにじっと動かず、彼女の次の言葉を静かに促す。

 その瞬間、彼女の眼光が鋭くなった。


「実際にその場にいたんでしょ、圭介。正夢でも何でもなく、ね」

 いつもより低く、冷たい声で言い放つ。

 それは、殺人現場で聞いた声と同じだった。


「……見張り役でもしてたのかしら?」

「あぁ、驚いたよ。まさか君があの男の取引相手だったとはな」

「取引? 私はただ自分の仕事をしただけ。組織から命じられてね」

 彼女はマニキュアを塗った指先をひらひらさせながら、涼しい顔で事も無げに言う。


「……あやめ。君は何者なんだ?」

「そもそも、私たちが出会ったのは私のボスの紹介よ。何者かはだいたい察しがつくでしょう?」

「佐渡あやめ、24歳。営業職。僕が知ってる君のデータはこれだけだ」

 僕は一字一句はっきりと、自分に言い聞かせるように言った。

 もしかしたら、彼女の好物はオムライスではないのかもしれない。


「それで十分じゃない? 橘圭介、26歳。自称フリーライター。私だって、あなたのことはこれくらいしか知らないわ」

「名前と年齢も“自称”かもしれないよ」

「それはもう調査済み。お互いにね?」

 彼女が形のいい唇を歪めるようにして笑う。

 そう、互いに名前と年齢だけは偽っていない。

 嘘の中に少しだけ、本当のことを織り交ぜる。

 それが、社会の裏側で生きる僕たちの流儀だった。


「……あやめ。実は、君が食べたオムライスに毒を盛った」

 僕はやや眉尻を下げて、低い声音を作る。

 すると、彼女は顔色を変えずに即座に言い返した。


「相変わらず、嘘が下手ね。あなた、嘘をつくとき唇の右側を少し上げるクセがあるわ」

「さすがの観察眼だ。はぁ。僕にも人を殺す才能があったらな」

「もしあったとしても、私はあなたに殺されない。──だって、あなたは私を愛しているから。図星でしょう?」

 僕の皮肉を物ともせず、彼女は自信たっぷりに断言する。

 悔しいが、彼女の方が一枚上手だと認めざるを得ない。


「あぁ、愛してるよ。……もし、いつか君に殺される日が来たとしても」


 僕の言葉を否定するでも肯定するでもなく、彼女はテーブルに頬杖をついて悪戯っぽく微笑んでいた。


 僕の彼女は美人で賢く、そして強い。

 月並みな表現だが、自慢の彼女だ。



【僕の彼女・完】