「…唯、行ったよ。」
教卓の中で頭を打って痛がる私を、美琴が冷ややかな目で見下ろしてる。
そういうお顔も美しいね、美琴ちゃん。
「唯と喧嘩でもしたの?」
大人しく席に座ると、美琴が小さい子供を宥めるお母さんみたいに私を諭す。
「し、てないよ」
うん。喧嘩はしてない。
「じゃあなんで逃げてるの。唯、落ち込んでるよ。」
「えー?またまた〜!唯くん落ち込むなんてほとんど見たことないよ〜」
唯くんが落ち込んだといえば、おじさんが来た文化祭の時ぐらい。
それでも次の日にはケロッとしてたけど。
「優花。」
美琴がヘラヘラする私を牽制するようにピシャリと名前を呼んだ。
「唯の気持ち、伝わってるんでしょ。」
「…」
それは
…嫌というほど、伝わってる。
だってあんな、
『優花が好き。俺と付き合って』
あんな真っ直ぐ言われたら、
疑いようがない。
「じゃあなんで逃げるの。優花も同じ気持ちなんじゃないの?」
美琴が、俯く私の頭をそっと撫でる。
その手がすごく優しくて、
その優しさに押し出されるように本音がポロッと出た。
「…こわいんだもん。」
「こわい?」
「だって」
心の隅っこでうずくまってる私が少し顔をあげる。
「私、いつも元気なわけじゃない。」
初めて空気に触れる私の本音は、情けなくプルプル震えてる。
「いつもヘラヘラしてるわけじゃない。
私の、いつもの羽根村優花じゃないとこ見られて、
唯くんに嫌われちゃうかもって思ったら
…こわい。」
嫌われちゃうくらいなら
今まで通り『うざったい女』として
唯くんの後ろ姿を近くで見ていたい。
それだけなのにどうして
どうして近づいてくるの
わたし唯くんの彼女になれるほど素敵な女の子じゃないのに
「そんなの、知ってるよ?」
「え」
「唯も私も、優花が『優花じゃないとき』があることくらい知ってる。」
美琴がいつものポーカーフェイスで当たり前のように言うから、
私がなんとか絞り出した本音がひどく間抜けに浮かぶ。
「美琴、それどういう…」
「上履き隠されたり、呼び出されて嫌なこと言われても平気なフリして隠れて泣いてたり。」
え
「私と唯くっつけるために裏工作したかと思ったら傷ついて落ち込んでたり。」
えぇ…
「私が落ち込んだ時は、気遣っていつも以上に明るく元気づけようとしてくれてたよね。」
…
バレすぎじゃない?
えっ、待って、じゃあ
「2人とも知ってて知らないフリしてくれてたってこと…?」
「だって優花、言ったら余計に気遣って無理しそうだから。」
「う…」
た、たしかに。
「…強がりだよね。優花は。」
美琴がフッと女神の微笑みを浮かべる。
「そんな弱くて強い優花が、私も唯も大好きなんだよ。」
…う、
「そんなこと言われたら…っ、泣くでしょぉ〜…」
涙がブワッと溢れて、私は子供みたいに美琴に抱きついた。
「よしよし。」
美琴が泣きじゃくる私を優しく撫でてくれる。
聖母?マリア?
「…怖いのもわかる。
私も、好きな人に自分のダメなとこ見られたら嫌われるかもって思うことある。
でも、人生何が起こるか分からないよ。
いつでも気持ちを伝えられるわけじゃない。
明日、会えなくなっちゃうかもしれない。
今日、死んじゃうかもしれない。
怖い気持ちに負けて逃げてていいの?
それでホントに後悔しない?」
「…」
いつでも好きな人に会えない、美琴の言葉。
なんて重いんだろう。
「唯、大好きな人に会えなくて落ち込んでる。」
「…うそ。」
そんな唯くん、想像つかない。
「嘘だと思うなら見てきたら?
優花の大好きな人を元気にしてあげられるのは、優花だよ。」
やけにキレイな聖母マリアは、鼻水タラタラ女にティッシュを渡しながら穏やかに微笑んだ。
…とはいえ。
くのいちをなかなかやめられないザ・チキンこと羽根村優花は、
唯くんのクラスの後ろの扉からそーっと覗く。
唯くんの席は……いた。
自分の席に座ってる。
…
…
…
静止画?
ボーッとしてるなぁ…唯くん。
まぁいつもボーッとしてる感じだけど。
…ん?
なんか違和感。
…ハッ!
唯くんの机にあるのは、いちごミルクのパック。
…封があいてない…だと…?
唯くんは大好物のいちごミルクがあると、
即開けて一瞬で飲み干してしまうという性質がある。
それもダイ⚪︎ン並の吸引力で。
つまり、目の前にいちごミルクが封を開けずに置いてあるということは、ありえない…!!
んん?
委員長が何か話しかけた。
顔の前で手を振ってる。
反応がないのを確認してるみたい。
…あれは、猫耳カチューシャ!?
委員長、それはさすがにダメだよ!
そんなことしたらメガネ叩き割られ…
ない!?
叩き割られない…だと…!?
委員長がどこから持ってきたのかめちゃくちゃ立派な一眼でいろんな角度からバシャバシャ撮ってるのに、微動だにしないなんて…
唯くん…なんてこと…
思わず隠れるのを忘れて唯くんに釘付けになってると、後ろからきた子と軽くぶつかってしまった。
「おっとごめんよ〜!」
…
視線。
「…あ。」
瞳孔が開いた唯くんの目が、バッチリ私を捉えてる。
マイクソデカボイスよ。
TPOって知ってるか?
「…」
「は、ハロー…」
ついヘラヘラする私。
ガタンッ!
唯くんが瞳孔を開いたまま猫耳を投げ捨てて荒々しく立ち上がった。
それと同時にザ・チキンは廊下へ逃げる。
「優花!!」
その声に胸がギュゥッと高鳴るのを感じながら、私は廊下を全速力で走り始めた。
私、やっぱり、ダメだ
自分がこんなに怖がりだったなんて知らなかった
大好きだから
大好きすぎて
こわい
きっともっと唯くんのこと知ったら
もっともっと大好きになっちゃう
もしそうなったら
もしそうなって失うようなことがあったら
きっと立ち直れない
生けていけない
唯くんなしで生きていけなくなる…!!
階段を駆け降りて特別教室棟の方に行こうとした時だった。
「優花!!」
「!」
私は唯くんに捕まった。
ダンッ!と音を立てて壁に手をつかれて、唯くんと壁の間に挟まれる。
「ハァ、ハァ、ハァ…」
2人の荒い呼吸音が、人気のない廊下に響き渡ってる。
超近距離の唯くんがやけに艶っぽい顔で、懸命に息を整える。
3日ぶりの唯くんはやっぱりかっこよすぎて、直視できない。
「ど、いて、」
私は呼吸が乱れる中、必死で声を発した。
「…なんで逃げるのか、教えてくれたらどく。」
「…」
「……好きじゃないなら、ちゃんとフッて」
らしくない言葉
思わず見てしまった唯くんの顔は
全然無表情なんかじゃなくて
「嫌ならもうしないから…ちゃんと言って…?」
すごく切なくて、弱々しくて、泣き出しそうだった。
「そんなわけ…ないじゃん…」
目が離せない
「好きじゃないわけ、ないじゃん…」
私の言葉に唯くんが瞳を揺らした。
そして、はー…と安堵のため息をつきながら私の肩に顔をうずめる。
「…じゃあなんで逃げるの」
切羽詰まった声。
唯くんが、追い詰められてる
私のせいで
『優花の大好きな人、元気にしてあげられるのは優花しかいないんだよ』
…言わなきゃ
元気に、してあげなくちゃ
私は顔を手で覆ってから深呼吸して、
心の内を打ち明けはじめた。
「…こわ、くて」
「こわい?」
「こうやって、唯くんに見られるのが、こわくて、逃げてた」
「…どういうこと」
唯くんは私を見るのをやめてくれない。
「私、こんな近距離に耐えられるほど可愛くない。いつも明るいわけじゃないし、弱っちぃし。
私のもっとダメなとこ見たらきっと唯くん、幻滅するもん。」
手の隙間から涙が滲み出ていく。
「嫌われるくらいなら今までの関係で良い…
後ろからで良いから、ずっと唯くんのこと近くで見てたい。」
「…」
唯くんがそっと私の手をどけて、無表情のままぐちゃぐちゃの顔を見る。
「あ…ッ、やだ…!」
「…」
唯くんに見られれば見られるほど、どうしていいかわからなくなって恥ずかしさで涙が出てくる。
「…可愛い。」
不意打ちの言葉に顔がボッ!と音を立てて熱くなった。
「可愛いわけないじゃん…涙と鼻水でグチャグチャだよ」
「可愛いよ。全部可愛い。」
「う、だめ、ホント、見ないで…」
言ってる間も鼻水が落ちていかないか心配で必死に鼻をすすってるし、顔の温度はどんどん上昇するばかり。
「見たい。」
「…ッ」
唯くんの飾り気ひとつない真っ直ぐな言葉に、またさらに顔の温度が上昇する。
「そっちばっかずるいじゃん。」
え?
ず、るい?
「俺だって気弱になってるダサいとことか、キレてわけわかんなくなってるとことか…見られたくなかった。」
唯くんが優しく私の目にたまる涙をぬぐって、頬に手を添える。
「でも、優花のこと見たい。
俺のために泣いたり笑ったり、恥ずかしがったり怖がったりしてる優花は可愛い。
全部、可愛い。
…全部見せて。」
「〜〜〜!!」
私は恥ずかしすぎて、唯くんに掴まれてる手をなんとか動かして腕ごと顔を覆う。
「…しつこい。」
「いま、茹だってるので…ッ、真ダコが茹で上がってるので…!」
唯くんが、
よいしょ、と簡単にその腕をどける。
「…あっか。」
「だから、言ったじゃん…!」
CGみたいに整った顔の唯くんが、意地悪く笑う。
「そういう顔。もっと見たい」
それがあまりにもキレイだから、私は映画の中に入っちゃったのかと思って一瞬固まった。
唯くんはその隙を狙って少し触れるだけの、
キスをした。
「〜〜〜〜〜!!」
耐えきれずにまたしても手で顔を覆う私。
…を、またしても簡単に取っ払って見つめる唯くん。
だからお顔が!お顔がかっこよすぎるから!
私、このままだと召されてしまうよ!天に!
「…羽根村優花は、俺の彼女。いい?」
唯くんが小首を傾げて流し目で言った。
…全人類に問いたい。
これに抗える人がいるのですか?と。
「……はい。」
唯くんがまた意地悪く笑って私の顔を両手で包む。
「…いい子。」
唯くんはゆっくり目を伏せると
さっきより長くて、さっきより熱いキスをした。