「……だったら、聞きたくない……かな」

 背を向けて逃げようとした。嫌な予感しかしなかった。身体中の血管が収縮して、息を苦しめているみたい。

 けれど、その行動は湊くんの手によって(はば)まれる。
 しっかりと掴まれた手のひらは冷んやりしていて、夏の空気との温度差ばかりを考えた。他ごとを詰め込まないと、立っていられない気がして。


「あの人のことが好きなんだ。前に見たと思うけど」

「スケッチブックの……女の人?」

「……そうだよ」


 繋がったままの指先。強まる力から切なさが溢れていく。
 同じ場所に立っているのに、湊くんがとても遠くに感じる。果てしない空の向こうで、知らない誰かの物語を聞いているみたい。


「……どうして、それを私に?」

「彼女は未来で出会う人なんだ。結奈ちゃんの隣にも、僕じゃない別の人がいる」

「そんなこと……」


 言わないで。まだ訪れていない未来から、光を奪わないで。


「これから素敵な出会いがあるよ。結奈ちゃんには、幸せになってほしいから」


 そよ吹く風が私の髪をさらって、湯上がりの石鹸の香りが漂う。
 きっと、湊くんは私の気持ちを知っている。だから釘を刺した。この恋に未来などないのだと。


「ずっと、僕の友達でいてくれる?」

「……うん。もちろん、だよ」


 小さな光が空へ浮かんでいく。ひとつ、ふたつ、それはいくつもの数になって舞い上がる。

 漆黒の川を泳ぐように、その(ともしび)は消えていって。美しい光景のはずが、残酷な絵に見えた。


 わずかな期間だけ輝いて死んでしまう蛍は、どこか恋に似ている。