「はい、気をつけてね」


 どこから現れたのか。しゃがんだままの湊くんが、ガラスの靴のようにバレッタを差し出している。


「……あ」

 戸惑いながら受け取ろうとすると、横から瀬崎さんの手がバレッタをさらう。思わず手を引っ込めた。


「湊くん、ありがとね。それ沙絢のなの」


 可愛らしく笑顔を浮かべる瀬崎さんは、疑う余地などなくて。
 「そうなの?」と三日月のような目をして湊くんが笑った。

 和やかな2人の空気に割り入る勇気はなく、何も言い出せない。


「それ可愛いね。もしかして、フィル・ルージュ?」

「さすが湊くん! なんでも知ってるのね」
「そのブランド持ってる人、たまに見かけるから」


 親しげに会話が始まって、私は空気のような存在になっている。


「ちなみに、瀬崎さんって誕生日いつ?」


 もわもわと雲みたいなかげりに包まれて、目の前が(かす)む。ぼんやりと輪郭を失っていくように、声も遠退いていく。

 花のように淡く頬を染めた瀬崎さんが、鼻高々と答える様だけが網膜に残る。

 見たくない。聞きたくない。

 一歩下がれば、また逃げられる。虚しくなるだけなら、今のうちに消えた方がいい。


「じゃあ、それは結奈ちゃんのだね」


 ぼんやりと影がうごめく世界に、湊くんの声だけがはっきりと耳へ刺さる。雨雲の間から光が差すみたいに。


「その青い石、アクアマリンだよ。ちなみに、3月の誕生石」

「えっ、え? じゃあ、くれた友達が、間違えて買ったのかもしれない……」


 明らかに動揺する瀬崎さんの手から、湊くんがそっとバレッタを取る。


「これ、オーダーメイドだよ。ネックレスはあっても、フィル・ルージュでバレッタの誕生石ってないよね」

「で、でも、似たようなのは、たくさんあるから。そうとは限らな……」