「ただいま」

 玄関に並べられた靴を見て、今日は母がいることに気付く。今日から日勤だと言っていたことを思い出した。
 リビングのドアを少し開けて顔を出す。「おかえりー」とキッチンに立つ母が返事をした。

 薄暗い階段の電気をつけて、自分の部屋へ上がる。象の足取りのように、のっそりと重い。

 なんだか今日は、どっしりと疲れた。なんて思いながら、通学鞄を開いた手を止める。


「……ない」

 顔から血の気が引いていく。バレッタの入った花柄のポーチがない。ひっくり返して全てを探したけど、どこにも見当たらなかった。


「どうしよう……どうしよう。とりあえず、落ち着かなきゃ」


 ぶつぶつと念仏を唱えるように、右往左往と部屋を歩く。
 1日の行動を脳内再生してみるけど、心当たりはない。いつ紛失したのか分からない。
 このまま見つからなかったら……考えただけで生きていけない。

 上がる時よりも重くなった足でリビングへ向かうと、母が出来上がった夕食を並べていた。
 お姉ちゃんは友達と食事のようで、ハンバーグとスープが3人分。


「結奈、ちょっと顔色悪いんじゃない? 大丈夫?」


 皿を置いた母が、すぐに私の顔を覗き込んだ。両手で頬を包んで額同士を当てる。いつも人の異変に気付くのが早い。


「熱はなさそうだけど」

「失くしちゃった。大事なバレッタなのに、失くしちゃった」


 今にも泣き出しそうな震える声で、私は顔を両手で覆う。
 優しく肩をさする母が、「そっかそっか」と頷くように。