女傑と多くの人々から謳われた、
レサン王国騎士隊の元騎士、ブランシュ男爵家令嬢、ロゼール・ブランシュ。
父・オーバンの厳命により、彼女がラパン修道院へ来た翌日から、
これまでの騎士隊生活とは全く違う『新しい生活』が、始まった。
ここで、無骨な女子?ロゼールにとって、
修道院のような規則正しい生活は苦手なのではないのか?
と、思う方がいらっしゃるかもしれない。
だがロゼールは騎士隊時代、起床時間、門限が決まった規則正しい生活を、
騎士隊の寮において、また自宅で過ごす際も、己へ課していた。
なので、きっちり予定が決められたスケジュールの生活は、
そう苦ではない、却って楽勝だと高をくくっていた。
しかし……
それは、大きな間違いであった。
騎士隊宿舎の生活と、修道院の生活は、全く勝手が違っていたのだ。
ちなみに、貴族家令嬢としての花嫁修業、行儀見習いの為、
ロゼールのスケジュールは一般のシスターとは少々、違っていた。
また、修道院における、花嫁修業、行儀見習とは、
家事、刺繍を中心とした裁縫、
レサン語の読み書き、詩や物語の作り方、歌い方、
王国貴族の儀礼、作法等の指導である。
家事などは、貴族家において本来は使用人が行うものだが……
貴族令嬢のたしなみの一環として、
習得させられる慣習がレサン王国にはあったのだ。
これらの修養に関し、ロゼールは幼い頃、
母シャンタルから、ひと通り習った気もするが、
騎士になり、鍛錬に明け暮れるようになり、すっかり忘れていた。
さてさて!
具体的には、下記のようなスケジュールである。
また、スケジュール厳守の命令は、
修道院長から、教育係のジスレーヌ・オーブリー経由で、
何度も何度も徹底的に念が押された。
4:00AM――起床
4:30AM――読書『創世神教聖書』等々
6:30AM――ミサ、朝のお祈り……朝のお祈り後に朝食
8:00AM~10:00AMまで午前の仕事……主に農作業を行う。
10:30AM~11:30AM――教育係担当シスターによる、昼食調理を兼ねた料理指導。または交代で家事指導等を受ける。
0:00PM――昼のお祈り後に、昼食
1:00PM――2:30まで午後の仕事……主にお菓子作り、裁縫作業を行う。
または交代で、教育係担当シスターによる、家事指導等を受ける。
3:00PM~4:00PM――教育係担当シスターによる、読み書き、歌唱指導を受ける。
4:30PM――散歩、軽運動に限る。激しい運動は禁止。
5:30PM――晩のお祈り後に、夕食
7:00PM――教育係担当シスターによる、行儀作法、儀礼指導を受ける。
8:30PM――創世神様に一日過ごせた感謝を捧げる寝る前のお祈り、
その後、就寝まで自由時間。
9:30PM――就寝
という「かっちり」した生活である。
繰り返すが……
騎士隊時代の習慣で、ロゼールは規則正しい早起き早寝はそう苦ではない。
しかし、騎士として『武道ひとすじ』のロゼールは、すぐ物足りなくなった。
というか、初日で音を上げ、『脱走』しようかとも思ったくらいだった。
何故ならば、騎士隊時代とは違って、厳しい鍛錬が全くない生活――
散歩と軽い運動だけの生活が、ひどく窮屈な気分になり、すぐに嫌気がさしてしまったのだ。
それから1週間が経った……
運動不足の生活を我慢していたロゼールは、
仕方なく、農作業の際、体操をしたり、出来る限り身体を動かすようにしたが、
ストレスが溜まるばかり。
『あらさがし』の感がある、修道院長の小言がたっぷりと増えた事もあり……
父から勘当される事もやむなしと、
修道院における花嫁修業、行儀見習いをやめ、
最悪の場合、やはりというか、修道院から「脱走する」事も考えていたのである。
1週間で限界だと思われたが、もう1週間我慢し、
更に2週間……
ロゼールは、何とか1か月間、花嫁修業、行儀見習いを勤め上げた。
朝起きると、何とか今日まで、そして明日までと……
くじけそうになる自分に言い聞かせながら、気持ちを紡ぎ、
日々、与えられた課題をクリアすべく必死に励んでいたのである。
こんなロゼールの心の支えが、教育係となった、
騎士隊のOG。
元・子爵夫人ジスレーヌ・オーブリーである。
ジスレーヌは、日々ロゼールを励まし、いろいろな事を教えて行った。
ロゼールが嘆いた『世間一般の常識』だけでなく、
非常識な『裏の事情』もいろいろ教えてくれたのだ。
ちなみに『裏の事情』には、ロゼールが個人的にとても面白い事項もあった。
全てが勉強と割り切ったロゼールはいろいろな事象を学び、実践した。
一旦、本気になって取り組むと、ロゼールの集中力は半端ない。
真摯に、全力で取り組んだ。
こうして……
20歳にしては少し子供っぽかった性格のロゼールが、
どんどん『分別ある大人の女子』へと成長して行った……
そして、意外にも……
『スパルタ教育の鬼』と呼ばれ、小言や嫌味ばかり言っていた修道院長が……
言葉は相変わらずひどく厳しくとも……
時たま、うんちくある言葉で真剣に励ましてくれた事も、
くじけそうなロゼールの、心の支えのひとつとなった。
巷で『スパルタの鬼』と呼ばれるこの修道院長は、
もしかして『厳しすぎて誤解されやすいタイプ』だとも、
ロゼールは思ったのである。
そんなこんなで、ようやく、何とか……
ロゼールは、ラパン修道院の生活にも慣れて来た。
そんなある日『大事件』が起こったのだ。
但し、大事件といっても、ロゼール自身に起こった事件ではない。
ラパン修道院へ、ロゼールと同じ、
新たな花嫁修業、行儀見習い者がやって来る事となったのだ。
新たな花嫁修業、行儀見習い者がやって来る。
……それだけなら大事件になどならない。
だが、この度やって来るのは、王国の有名人たる超が付くカリスマ、
『上級貴族の令嬢』であった。
そう!
……やって来た新たな花嫁修業、行儀見習い者とは、
ロゼールよりはるかに高い身分の貴族令嬢、ベアトリス・ドラーゼ17歳。
古くから代々王家に仕え、王族に準ずる高貴な上級貴族家……
副宰相を務めるフレデリク・ドラーゼ公爵の愛娘である。
そう、皆さんは憶えていらっしゃるだろうか……
この17歳のベアトリス・ドラーゼこそ……
女傑と謳われたロゼールが、自分より遥かに強い『比較対象』として、
両親へ話していた女子なのである。
ベアトリス・ドラーゼは、名家の才媛として、
レサン王国では有名な貴族令嬢であった。
だが、父のドラーゼ公爵と、郊外へ狩猟に赴いた際、
襲撃して来た『巨大な魔物オーガ』数体を、あっさり撃退した事で、
恐るべき『オーガスレイヤー令嬢』だと、とびぬけて有名となった。
何と!
護衛の騎士を差し置いて単身戦い、数体をそれぞれ、
『グーパン一発』であっさり倒したらしいのだ。
そんなベアトリスを……
ロゼールは、素直に「凄い人だ!」と感服した。
いくら武芸に秀でたロゼールであっても、さすがに巨大な魔物オーガを、
『グーパン一発』では倒せないからだ。
但し、ロゼールは、ベアトリスに直接会った事はない。
名前とプロフィールしか知らない。
レサン王国の貴族には、『寄り親』と『寄り子』という『主従関係』がある。
この『主従関係』は、分かりやすく言えば、貴族社会の『派閥』である。
『寄り親』とは『派閥のボス』であり、『寄り子』は配下。
ちなみに寄り親は、上級貴族でも上位の限られた者がなる。
前置きが長くなったが、この派閥のボス、寄り親という接点も、
ブランシュ家にはない。
全く別の貴族が、男爵ブランシュ家の『寄り親』だったからだ。
そしてレサン王国の身分制度においては、
『騎士隊の女傑』とはいえ、『男爵家の娘』では、
王族に準ずる『上級貴族の公爵家息女』御付きの護衛になる事は勿論、
ベアトリスの面前に正式に名乗り、まかりでる事も許されていなかった。
巨大な魔物オーガをグーパン一発であっさり倒した……
ベアトリス様って、一体どういうお方なのだろう?
ロゼールは興味津々で、
教育係のジスレーヌとともに、ベアトリスを出迎える事となった。
そんなこんなで……ベアトリスが来る当日。
事前に通達された時間ぴったりに、
『オーガスレイヤー令嬢』ベアトリスは、御付きの若い侍女5人とともに現れた。
乗って来た馬車も、豪奢な大型馬車である。
馬車から降り立ったベアトリスは、ロゼールの予想に反し、
男勝りの『筋骨隆々の女傑』ではなかった。
端麗な顔立ちと、流れるような長い金髪、宝石のように輝く碧眼を持つ、
美貌の貴族令嬢であった。
身長170㎝の筋肉質体躯のロゼールよりほんの少し背も高く、
すらっとして、スタイルも抜群に良い。
そして屈強な護衛の騎士も20名ほど、まるで取り巻きのように
VIPベアトリスの『護衛』として付き従っていた。
ロゼールが知っている顔が何人も居た。
見合いを断ったバスチエ男爵家の次男、エタンも含め、
全員が、『自分に完敗した男子達』ではあったが……
どちらにしろ、
『両親から置き去りにされるよう送られた自分』とはえらい違いだと、
ロゼールは苦笑した。
対して、修道院長以下、ベアトリスの出迎えで居並ぶシスター達。
その中には、ロゼールも、教育係のジスレーヌも居る。
「皆さま、ご機嫌よう! ベアトリス・ドラーゼですわ。出迎えご苦労様」
挨拶をしたベアトリスは、容姿だけでなく、
歌手になれそうなくらい声も美しかった。
まさに!
まぶしいくらいに光輝く、レサン王国のカリスマ貴族令嬢である。
修道院長も、ロゼールの時とは態度が一変。
愛想笑いを浮かべ、へりくだって、深く深くお辞儀をする。
「これはこれはベアトリスお嬢様、当ラパン修道院へようこそいらっしゃいました」
「うふふ。貴女が修道院長ね……父上が将来の為に花嫁修業しろって、何度もしつこく言うものだから、仕方なく来たわ。しばらくお世話になりますからね」
「はい! お嬢様のご教育担当は修道院長の私が直接、誠心誠意、務めさせて頂きます」
「ん? 私の教育担当が貴女なの? 修道院長さん」
「はいっ!」
「うふふ、でもね。ノーサンキュー。私の教育担当は、もう決めてるの。修道院長さん、貴女ではないわ」
「は!? 教育担当は!? わ、わ、私ではない!? で、で、では誰をっ!?」
「彼女!」
と言って、ベアトリスが指さしたのは……
何と何と!
花嫁修業、行儀見習い中の、ロゼールであったのだ。
ドラーゼ公爵家のカリスマ令嬢、『オーガスレイヤー』のベアトリスが、
指名した『教育係』は、全くの想定外!
花嫁修業、行儀見習い者としてラパン修道院へ入ったばかりの見習いシスター、
ロゼール・ブランシュであった。
「え? わ、私!?」
戸惑うロゼールに向かって、ベアトリスは「びしっ!」と指をさす。
「そうよ! ロゼール・ブランシュ! 貴女が私の教育係よ!」
このような場合、レサン王国において、
格上の貴族やその親族に対し、詳しく理由を聞いたり、反論する事は基本許されていない。
身分が低き者は「はい! かしこまりました!」と、
快く従う事が、『美徳』とされていたのである。
しかし、さすがに、ロゼールは尋ねずにいられなかった。
「ベ、ベアトリス様! な、何故!? わ、私に!? きょ、教育係を!?」
「うふふ♡ 面白そうだから!」
「え!? お、面白そうだから!?」
「うふふ、貴女の噂は父上を始め、いろいろな人から聞いていたわ。騎士隊にモノ凄い女傑が居るって!」
「モノ凄いって、そ、そんな事は……ありませんが」
ロゼールがどう答えて良いのか迷い、口ごもると、
ベアトリスは悪戯っぽく笑った。
「うふふ、謙遜しないの。貴女は私の護衛も務める騎士隊の男どもを、馬上槍試合で、ほぼ全員打ち負かしたんですって?」
「は、はい……」
「ロゼール!」
「は、はいっ!」
「貴女って、『私と同じ匂い』がするわよ」
「ベ、ベアトリス様と!? わ、私が!? お、お、同じ!? 匂いっ!?」
ベアトリスは、父ドラーゼ公爵の指示でラパン修道院へ行く事となり、
事前に調査した結果……
かつて騎士隊の男子どもを撫で斬りにした、
ブランシュ男爵家の令嬢で、
元騎士、元女傑のロゼールが在籍していることを知った。
強靭な『オーガスレイヤー』たる公爵家令嬢ベアトリスも、
会った事のない女傑ロゼールに大いに興味を持ったのだ。
そして、自分の教育係に! と決めた次第……
お互いに興味を持ったこの『出会い』が、ふたりの運命を大きく変える事となった。
だがそれは、後々の話……
さてさて!
ここで修道院長が異を唱える。
ロゼールと同じく、これは掟破りの行動である。
「お嬢様っ!!」
「はい、何でしょう、修道院長さん」
「シスター、ロゼールは1か月前、当ラパン修道院へ見習いとして入ったばかり! お嬢様の教育指導が出来るとは到底思えません!」
修道院長はきっぱり言い放つと、ぎろっとロゼールをにらんだ。
「シスター、ロゼール」
「はい」
「はい、ではありません。今すぐ自分から辞退しなさい。未熟者の私では、ベアトリス様の教育係など、到底務まりませんと。そしていつもの仕事へ戻りなさい!」
ここで、ベアトリスが割って入る。
「ちょっ~と、ストップ。ジャストモーメントぉ! うふふ、修道院長さん、貴女、この私の指示をさえぎって、何、勝手に仕切ってるの? これはね、既に決定事項なのよ!」
「いえ! でも!」
「でも、じゃないの、決定なの」
「そんな! いかにお嬢様とはいえ! わ、私は修道院長として! と、到底! う、受け入れられませんっ!」
「はあい! 3度目で~す! ぶっぶ~! 3度目の反抗は私のマイルールで、NG決定よ」
「へ!? 3度目の反抗はNG決定!? どういう事でしょう?」
「ええ、修道院長さん! 貴女、もう退場!」
「た、退場!? って!?」
「分からないの? 文字通りよ。修道院長さん、いえ、『前』修道院長さん。貴女はたった今、修道院長ではなくなりましたあ」
「え!? ど、ど、どういう事でしょう?」
「まだ分からないの、『前』修道院長さん、貴女はたった今、退職決定! さっさと荷物をまとめて、この修道院から出て行ってね」
「いきなり! そんなっ! 横暴なっ! いくら名家ドラーゼ公爵家のお嬢様とはいえ、そのような権限はお持ちではありません! 枢機卿様に! いえ! 教皇様に! いえいえ! ご両名に訴えますわっ!」
「ぶっぶう~! 残念でしたあ!」
「残念!? そ、それは!? ど、どういう事でしょうか!?」
「どういうもこういうも、創世神教会本部が行った調査の結果、貴女の日ごろの勤務態度に問題があるという話が出ていてね」
「え? 私の日ごろの勤務態度?」
「ええ、このラパン修道院へ花嫁修業、行儀見習いに来た何人もの貴族令嬢、富商の息女からの訴えが、親御さんを通じ、枢機卿様へありました」
「え!?」
「修道院長! 貴女には身に覚えがあるでしょう?」
「そ、それは……」
「貴女の厳しいしごきに耐えかね、もう数十人もの女子が、花嫁修業、行儀見習いを完遂せず、途中でリタイアしていますもの」
「う、うぐ!」
「あまりにも厳しすぎるという貴女の悪しき評判があるそうです」
「あまりにも厳しすぎる!? そ、そんな馬鹿な! 私は皆様の為を思って!」
「それが『やりすぎ』だったのですよ。だから、貴女はもう退場。そして最後の確認を、このベアトリスが行うようにと、教皇様、枢機卿様、おふたりからのご指示を頂いております」
「う、うあ!」
「そして、『修道院長の進退を含め、ラパン修道院の改革を全て私に任せる』というご指示も頂いておりまあす!」
「そんなあああ!!?? わああああああんん!!」
いきなり役職を解かれ、ショックのあまり修道院長は脱力、
その場に「ぺたん」と座り込み、号泣してしまった。
だが、誰も後難を怖れ、修道院長を労わる者は居なかった……
ドラーゼ公爵家令嬢ベアトリスはラパン修道院へ、
ただ花嫁修業、行儀見習いに来ただけではなかったのだ。
修道院長の勤務態度に問題があり、『調査』にも来たらしい。
だいぶ『強引な進め方』なのだが、ベアトリスには『大きな権限』も与えられているようだ。
しかし……
泣き崩れる修道院長を見て、さすがにロゼールは哀れになり、同情した。
初めて出会った時こそ、「ひどく口うるさく厳しい人だな」と思ったが、
その後、言葉は厳しくても、
修道院長へは「くじけそうになる自分を支えてくれた」という感謝の念がある。
確かに、厳しすぎるがゆえに、修道院長は煙たがられている感はある。
しかし、「けして悪い人ではない」と、ロゼールは思うのだ。
レサン王国の騎士道には、8つの徳目がある。
忠誠、公正、勇気、武芸、慈愛、寛容、礼節、奉仕の8つである。
ロゼールは、その徳目を厳格に守り、騎士として精進を続けて来た。
目の前で泣き崩れる修道院長を見て……
ロゼールの心の中の、慈愛―『弱者に対する思いやり』が、
そして、寛容―『分け隔てなく与える愛情』が発動したのである。
ロゼールは、ぱっと、ベアトリスの下へ移動し、ひざまずいた。
「ベアトリス様!」
「うふ、なあに、ロゼール、かしこまって」
「そのご決定、しばしお待ち頂けませんか!」
「え? ちょっと、ロゼール! 待って!」
教育係のジスレーヌが、修道院長の二の舞になると、慌てて制止するが……
ロゼールは再度、
「ベアトリス様! 修道院長様の件、ご再考をお願い致します!」
と、ベアトリスへ向かい、頭を深く下げ、きっぱりと言い放っていたのである。
ロゼールは再度、
「ベアトリス様! 修道院長様の件、ご再考をお願い致します!」
と、ベアトリスへ向かい、ひざまずいたまま、頭を深く下げ、きっぱりと言い放っていた。
びっくりしていたのは、教育係のジスレーヌだけではない。
かばって貰った当の修道院長も驚愕。
花嫁修業、行儀見習いの女子達の為に、良かれと思って厳しくして来た。
しかし、数多の女子達から、自分へ苦情が出ていた……事実が発覚した。
しまったと思い、後悔もした。
そして、ロゼールへも厳しくシビアに叱責するのが日常だったのに……
自分を憎んでいると思ったロゼールがまさか、かばってくれるとは……
全くといって良いほど思っていなかった。
なので、目をぱちくりしていたのだ。
そんなロゼールを、まっすぐ射るように「びしっ!」と見つめ、
ベアトリスは、シニカルな笑いを浮かべながら数回頷く。
「ふ~ん……ロゼール、修道院長同様、貴女も私に逆らうの?」
ベアトリスの問いかけに対し、ロゼールは小さく首を横に振る。
「いいえ!」
「では、私の決定に従いなさい。修道院長は失職させます」
「ですが、ご再考をお願い致します」
「へえ、私がこれだけ言っても……まだ逆らうの?」
「ご再考をお願い致します」
「私は言ったはずよ。3度目の反抗は私のマイルールで、NG決定だって……私の決定を4度も否定した貴女を、更に厳罰の『追放』にするわ」
「追放……ですか?」
「ええ、追放。……ロゼール、貴女がこの修道院へ来た経緯を私は知っている」
「そうですか」
「このトラブルで貴女は実家から勘当される。私にも逆らったから、この国にも居られなくなるわ。つまり完全に国外追放よ!」
「構いません! 元々、1か月前、ここへ来た時にすぐ脱走して、遠くへ旅に出るつもりでしたから」
「あははは! 来てすぐ修道院を脱走して遠くへ旅立つの? 貴女、やっぱり面白いわね」
「けして面白くはありませんが……私、旅に出て、他国へ行くつもりでしたから」
「あはははは、それが何故、思い留まったの?」
「はい、武道ひとすじ、全く世間知らずの私は、まずシスター、ジスレーヌ……騎士隊OGのジスレーヌ・オーブリー先輩に慰められ、様々な事項のご教授を頂きました。そして、修道院長様には、くじけそうになる度、厳しくも温かく𠮟咤激励されたのです」
「成る程。それで思い留まり、1か月間、修道院で、花嫁修業、行儀見習いが出来たって事ね」
「はいっ! 私がくじけず、あきらめずにやって来れたのは、シスター、ジスレーヌと修道院長様のお陰なのです」
「そうなの?」
「はい! 修道院長様は、誤解されやすい方なのだと私は思います。あまりにも私達の教育に熱心なあまり、つい言葉がきつくなり、やりすぎてしまうのです」
「うふふ、私達の教育に熱心なあまり、つい言葉がきつくなり、やりすぎてしまう……か。……確かにそうかもね」
「もしも今回の件で反省なされば、修道院長様は、充分やり直せると私は思います。どうか、ベアトリス様! 今一度再考され、修道院長様へチャンスをお与えください!」
「うふふ、ロゼール。貴女の言いたい事は良~く分かったわ」
「はい! というわけで。私ロゼール・ブランシュは、修道院長様には大きな恩義があります。騎士隊を除隊しましたが、私は今でも騎士です。忠誠、公正、勇気、武芸、慈愛、寛容、礼節、奉仕の8つの徳目は私の心の礎《いしづえ》です」
「成る程。ロゼールの礼節―目上を敬い、目下を侮らない謙虚さ、勇気―いかなる場合でも強者へ立ち向かう胆力……が、今、発動したという事ね」
「はい! そうとって頂いて構いません。ですから、ベアトリス様が、もしも修道院長様を失職させるというのでしたら、修道院長様の大恩に報い、私は反対致します。そして反対が通らぬ場合、ベアトリス様のご命令通り、追放され、遠くの他国へ旅に出ようと思います!」
はきはきと言い放ったロゼール。
対して、ベアトリスはシニカルに笑ったままだ。
表情を全く変えない。
「うふふ、抜きん出た女傑の貴女が、遠くの他国へ旅に出るなんて、我が王国の貴重な人材の流出……それは困るわ、ロゼール」
「ベアトリス様にそこまでお褒め頂き、誠に恐縮ですが……では、旅に出さないと申されるのなら、私を牢獄に幽閉でもするおつもりですか? ご命令とあらば従いますが……」
「あはは、何よ、その潔さ。ふふふ、負けたわ」
「負けた……とは?」
「『前』修道院長殿!」
「は、はい!? ベアトリスお嬢様!!」
「『前』を取ってあげる! 貴女の失職は、ロゼールの心意気に免じて、取り消しよ!」
「え?」
「まさに、情けは人の為ならずね。すんでのところでロゼールがかばってくれたのよ、感謝しなさい」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
「うふふ、私へではなく、修道院長殿、貴女がお礼を言うのはロゼールよ。……今後はもう少し相手を労わって、物言いをなさる事ね」
「は、はい! そ、それはもう!」
修道院長は、すぐロゼールに向き直り……深く頭を下げた。
「ロゼール殿! いえ、シスター・ロゼール、本当にありがとうございます! 貴女と創世神様に多大な感謝を致します。充分に反省しますから、今後とも宜しくお願い致します」
対して、ロゼールもうやうやしく礼をした。
「こちらこそ! 宜しくお願い致します。修道院長様!」
ふたりの様子を満足そうに眺めていたベアトリス。
「うんうん! よしよし! それと修道院長殿、こういう落としどころはどうかしら?」
「お、落としどころ?」
「ええ、修道院長殿のおっしゃる事も一理ある。確かに、経験不足のロゼールに私の教育係をやって貰うのは負担が大きすぎるわね」
「と、申しますと?」
「私も旧知のオーブリー元子爵夫人、シスター・ジスレーヌに教育係としてついて貰い、花嫁修業、行儀見習いの教授をして頂くわ。ロゼールと一緒に仲良く修行するのよ。で、あれば全てが丸く収まるでしょ?」
何と!
ベアトリスは、ロゼールとともに、花嫁修業をする提案をして来たのである。
翌日から……
強靭な女傑とうたわれた元騎士ロゼール・ブランシュと、
恐るべき『オーガスレイヤー』と噂された公爵家令嬢ベアトリス・ドラーゼ。
奇妙な組み合わせといえるふたりの『花嫁修業』『行儀見習い』が始まった。
ロゼールとベアトリスは、いがみ合う事もなく一緒に自然に修業していた。
元々ロゼールは騎士隊では、少し爵位が上の相手でもフレンドリーに接していた。
だが、さすがに王族に準ずる、上級貴族公爵令嬢ベアトリスに対して、そうはいかない。
自然と感情を表に出さず淡々となる。
そういう作法を身につけていた。
さてさて!
教育係のシスター、ジズレーヌこと、
元・子爵夫人ジスレーヌ・オーブリーからいろいろと手ほどきを受け……
初日、2日目こそ、従来の「かっちりした予定」を、
何とかこなしたロゼールとベアトリスであったが……
3日目になって、ベアトリスは「ぶーぶー」不満を漏らし始めた。
規則正しい生活に慣れたロゼールでさえ、思い悩んで『脱走』しようとしたのに……
自由奔放に生きて来たベアトリスに、そんな堅い生活は我慢が出来るわけがなかったのだ。
朝食後、午前8時過ぎ……
修道院専用の農場で草むしりをするロゼールとベアトリス。
ベアトリスが草むしりをしながら話しかける。
「ねえ、ロゼ」
同じく、草むしりをしながらロゼールが応える。
「あの、その愛称は、いかがなものかと……私はベアトリス様から、ロゼールと呼んで頂きたいのですが」
「ぶうぶう! いいじゃない! 私が貴女をロゼって愛称で呼んでも! あと、必要以上の敬語もナシにしてね!」
ぶうたれるベアトリスを見て、ロゼールは無表情のまま、大きく息を吐く。
「ふう……ご命令であれば致し方ありません……かしこまり……いえ、分かりました。……何でしょう? ベアトリス様」
作法に基づき、いんぎんに言うロゼール。
対して、ベアトリスのいらいらがつのる。
彼女は身分の差を超えて、同じ匂いを持つ?ロゼールと仲良くしたいらしい。
「もう! ベアトリスって! 何言ってるの、ロゼは! ダメじゃない! 私をそんな呼び方しちゃ!」
「と、申されましても」
「いい? 私の事はベアトリスではなく! 愛称のベアーテで呼びなさい!」
「いえ、それはご命令といえど、出来ません。拒否させて頂きます。そのフレンドリーな、お呼びの仕方はちょっと……」
「ちょっと? 何故よ!」
「私はベアトリス様を親しくお呼び出来る、お身内ではありませんから」
「あ~! ひっど~い! 私の身内じゃないって、ロゼったら! すっごく冷たい言い方あ!」
「まぎれもない事実ですから。私は男爵の娘で身分も低いですし」
「構わないわよ! 私は気にしないから」
「いえ、私が気に致します。王族に準ずる血筋の、高貴な公爵家令嬢のベアトリス様と私は、単に師を同じくする『花嫁修業仲間』に過ぎません」
「何それ! 超つっめた~い!」
「それより……あのベアトリス様……何か、私へおっしゃりたい事がおありなのでは? 本題に戻りませんか?」
「ぶ~! ……もう! 仕方がない。ロゼも初日に脱走を考えたこの修道院の暮らしの事よ!」
「ええっと、まだ、たった2日経っただけですよ」
「いやっ! 起床時間が朝の4時なんて早すぎる! 草むしりなんて、すぐ飽きる! 食事の量が少なすぎる! 家事なんて、ウチの使用人がやるのに覚える必要がなさすぎる! 武道の鍛錬が出来なさすぎる! もうこれ以上、耐えられないっ! 今のスケジュールと方法で花嫁修業はお断りよ!」
「ふうう……根気と、忍耐力が著しく欠けていますね、ベアトリス様は」
「あ~! そんな事言えるの、ロゼは!」
「はい? 何の事でしょうか?」
「とぼけないで! ロゼ! 貴女はね、いきなり初日で嫌になり脱走しようとしていたから、2日間我慢してぶーぶー言う、私の事は責められないでしょ!」
「ええっと……それはもう、きっちりと封印した『黒歴史』です。それよりここの生活に耐えられないですか? ご自宅へお帰りになりますか?」
「いやよ! 絶対に帰らないわ! 父上に大見え張って出て来たんだも~ん! 教皇様や枢機卿様にも、『私に全て任せて』って言って来たんだも~ん!」
「ええっと……ベアトリス様と高貴な方々とのやりとりは、私に知る由もなく、関係もなく、知りたくもありませんが」
「もう! 何よ、それ! 本当にロゼはつっめた~い! ここでの暮らし、どうにかしてよぉ!」
淡々とした物言いのロゼールに、ベアトリスは地団太を踏んだ。
ロゼールは苦笑し、肩をすくめると、
「はあ……仕方がないですね。ベアトリス様、私にひとつ考えがあります。以前から検討してはいましたが」
「考え? 何? ロゼは以前から検討していたの?」
「はい、ダメもとで修道院長殿へ『改革』をかけあいましょう」
「修道院長へ『改革』をかけあう? ……多分ダメじゃない? あの人頭が固そうだから」
「確かに」
「それにロゼは、私が権力や権限で押し通すのが嫌いでしょ?」
「いえ、嫌いとかではなく、持てる者はそれを正しく、筋を通して使うのが責務かと存じます」
「何それ? ノブレスオブリージユって事?」
「はい、そうとって頂ければ……で、話を戻しますと、修道院長殿へ、ベアトリス様から、改革のご提案を致しましょう」
「ふうん……ロゼは、そういうのかかわりたくないんでしょ?」
「はい、基本的には。しかし先ほど、ここでの暮らし、どうにかしてよぉ! というベアトリス様の願いをお聞きし、私が受けた修道院長への恩を鑑みて、改革案を提案するのはやぶさかではありません」
「ふううん……で、どう言うの?」
「……逆にベアトリス様が、高貴な方々にどのようにご報告されるかです」
「私が?」
「ええ、このままでは、数多の女子がリタイアした件に関し、単に修道院長殿が猛反省され、悔い改めたという事実でしかありませんよ」
「まあ、確かにね。そう報告するしかないわ」
「でも、それでは、修道院長殿のプラスポイントにはなりません。彼女が大いに反省した上で、良き改革案を示し、ベアトリス様が大いに気に入り、しばらくは、このラパン修道院において、修業したいと身をもって感じた。そうご報告でおっしゃって頂ければ、修道院長殿は高貴な方々に対し、おぼえめでたくもなるでしょう。そして、花嫁修業志願の女子達もこぞって当院へ来るでしょう」
「すらすら」としゃべるロゼールの言葉をじっと聞いていたベアトリス。
「うふふ、ロゼール」
「はい」
「凄い『武辺者』だとは思っていたけれど、貴女、相当な『切れ者』ね。……分かった。改革案を練って、ともに修道院長の下へ行きましょう」
ロゼールの話を聞いたベアトリスは、笑顔で満足そうに頷いていたのである。
思い立ったが吉日だが、「決めるまでは熟考」する。
でも!
「決断したら、即行動」がロゼールのモットーである。
ロゼールは、ベアトリスを伴い、いきなり修道院長へ会うのは避けた。
失職されかけた修道院長が、ベアトリスから「大事な相談がある」と告げられたら、
どう反応するのか?
ロゼールは「修道院長が大いに緊張し怖がる」と予想し、確信したのである。
今回の件を、上手く円滑に運ぶ為には……
趣旨を事前に伝え、修道院長に良く理解して貰った上で、3人での話し合いに臨んだ方がベスト……
そうベアトリスを説得したのだ。
了解したベアトリスに対し……
ロゼールは『まず自分が単独で修道院長へ会う事』……
つまり『ワンクッション案』を提示し、こちらも了解して貰った。
と、いうわけで……
その日の午後9時過ぎ……夜のお祈りが終わった後、就寝までの自由時間。
今、ロゼールはひとり、修道院長室の前に居た。
とんとんとん!
ロゼールは軽くノックをし、
「夜分、失礼致します、修道院長、シスター、ロゼールです。ご相談があるのですが……宜しければ、お時間を頂けないでしょうか?」
と、扉ごしに声をかけた。
対して、
「はい、シスター、ロゼール。どうぞ! 扉にカギはかかっていません。入ってください」
と、弾むような声が戻って来た。
「失礼致します」
ロゼールは扉のノブを回し、修道院長室へ入った。
片側に実用的で地味なベッドが置かれ、
もう片側には書籍がいっぱい並べられた書棚。
質素な応接セット。
応接セットの脇には移動可能なワゴン台があり、台座にはお茶のポットとカップも数個ある。
そして正面には重厚な机が置かれ、
事務仕事をしていたらしい修道院長が、机と対となる椅子に座っていた。
……何度、この部屋で叱責され、叱咤激励もされただろう。
ロゼールはそう思うと感慨深い。
その時の修道院長は、いつも険しい表情で、口を「きりり」と真一文字に結んでいた。
速射砲のように、ロゼールへ厳しい言葉をたくさんたくさん浴びせていた。
しかし、絶体絶命の土壇場で、ずっと自分が𠮟責してロゼールが、
追放も恐れず身体を張り、懸命にかばってくれた……
修道院長は、かばってくれたロゼールに深く感謝するとともに、完全に変わった。
著しく言動が穏やかになり、全員に対し、極めて優しく振舞うようになったのだ……
……入室したロゼールの姿を認め、すっくと立ちあがった修道院長は、
柔らかな笑みを浮かべ、穏やかな表情である。
「どうしました、シスター、ロゼール。ご相談とは、何か悩み事ですか? であれば相談に乗りますよ」
人間は変わって行く……
そして、いついかなる時でも、いかなる環境でも、リスタート出来る。
ロゼールはそう信じている。
自分みたいな若輩者が言うのはおこがましい。
だが、60代半ばを過ぎた修道院長ほどのベテランでも、やり直せる。
そう思うのだ。
修道院長に応接のソファを勧められ、ふたりは着席し、向かい合う。
ほんの少し雑談をした後、ロゼールは本題へ入った。
「……修道院長様、実は先ほどベアトリス様とお話ししまして……」
ロゼールがそう言うと、やはり修道院長の表情は曇った。
ベアトリスの指摘と彼女の存在がトラウマとなっているのかもしれない。
「このまま、ベアトリス様がお父上のドラーゼ公爵閣下、教皇様、枢機卿様へ現状を報告されると、修道院長様にとって、何もプラス面がないと思いまして……」
「どういう事でしょうか? シスター、ロゼール。ベアトリス様が現状を報告されると、何も私のプラス面がないとは……私は、己の犯した重き行いを心の底から悔いて、大いに反省しておりますが」
「それでは全然、不十分です」
「ぜ、全然、ふ、不十分ですか……」
「はい! ベアトリス様は、現在私と花嫁修業中です。ベアトリス様と修道院長様、おふたりで改革を行い、結果、ベアトリス様が身を持ってご体感され、大いに満足し、御三方へご報告をされれば、修道院長様の覚えがめでたくなります」
「ベアトリス様と私ふたり!? そ、それは……でもシスター、ロゼール、貴女は?」
「私は表へ出ない裏方で構いません。そんな事より、その結果、新たな花嫁修業希望の女子達が数多、参るでしょう となれば、評判が評判を呼び、ラパン修道院は栄え、修道院長殿の手腕も高く評価され、失策は払しょくされます。
「失策が……払しょくされる。犯したミスが消えるという事ですか」
「いえ、消えるどころか、大幅なプラスになります。となれば、ひいては在籍するシスター達も含め、皆が幸せになる事が出来ます」
「……シスター、ロゼール」
「はい」
「……また、私の為にわざわざベトリス様へ話して頂いたのですね?」
「いえ、それもありますが、ベアトリス様がこの2日で、既に『限界』に来ていましたから」
「げ、限界?」
「はい! ……いやっ! 起床時間が朝の4時なんて早すぎる! 草むしりなんて、すぐ飽きる! 食事の量が少なすぎる! 家事なんて、ウチの使用人がやるのに覚える必要がなさすぎる! 武道の鍛錬が出来なさすぎる! もうこれ以上、耐えられないっ! 今のスケジュールと方法で花嫁修業はお断りよ! 以上、原文ままという感じです」
「そ、そうだったんですか」
「ええ、たった2日で? 根気と、忍耐力が著しく欠けていますね、ベアトリス様はと、私が申し上げましたら、ロゼール、貴女はね、いきなり初日で嫌になり脱走しようとしていたから、2日間我慢してぶーぶー言う、私の事は責められないでしょ!……と、きっぱり反論されました」
「うふふ、成る程」
「それで、私が修道院長様へ前振りに伺い、教育係を担当して頂いているシスター、ジスレーヌ他のシスター達にもしっかりと聞き取りをした上で、現状のスケジュールや内容に関して精査し、改めてベアトリス様、修道院長様と、3人でご相談をしたいと思います」
「……話は良く分かりました。では、シスター達への聞き取りは、修道院長として、私も一緒に行いましょう」
「じゃあ、それも臨機応変でお願い致します」
「臨機応変ですか?」
「はい、今まで厳しくおやりになっていたので、修道院長様が一緒だと言いにくい事があるやもしれません。状況を見て、臨機応変で私と一緒に聞き取りを致しましょう」
「な、成る程」
「ベアトリス様と私だけの作業では、修道院長様が丸投げし、ノータッチという感も生まれてしまう。……という懸念もありますから」
「もろもろ了解しました、シスター、ロゼール。もしも聞き取りの際、シスターの誰かに尋ねられたら、許可に関しては、私から得ていると返してください」
「ありがとうございます。助かります」
「いえ、こちらこそ、ご尽力に感謝致します。皆さんが元気よくのびのびと花嫁修業が出来るよう、私もどう改革したらベストなのか、一生懸命に考えます」
修道院長は晴れやかな表情で言い、更に
「本当に本当にありがとうございます、シスター、ロゼール。創世神様と貴女へ感謝致します」
と、深く頭を下げたのである。
庭園、農場付きの広大な敷地、3階建ての巨大な本館を有するラパン修道院は、
修道院長など役職が上の者以外にも、シスター、職員全員に個室が与えられていた。
花嫁修業、行儀見習いに来る女子も同様である。
という事で、修道院長との打合せを終え……
花嫁修業中の見習いシスター、ロゼールは与えられた『自室』へ戻る廊下を歩いていた。
騎士として鍛錬を積んだロゼールは、体力、運動神経だけでなく、
五感も研ぎ澄まされていた。
……自分の部屋に他人の気配があるのを感じ、怪訝そうな表情をする。
誰だろうか?
大体、予想はつくのだが……
ロゼールは軽く息を吐き、扉のノブをがちゃりと回し、引っ張り、開けた。
やはりというか……
中には、ベアトリスがカップで飲み物を飲んでいた。
ロゼールを見て、「待ち人来たり!」という雰囲気で、嬉しそうに微笑む。
「うふふ、おっつう!」
お疲れ様と、ベアトリスからフレンドリーに言われても……
困惑したロゼールは渋い表情である。
「ベアトリス様! おっつうじゃないです。なぜ居るのですか? ここは私の部屋ですよ。それに紅茶も勝手に飲んでいませんか?」
「まあまあ、そう固い事を言わないの。お礼に私が紅茶を淹れてあげるから」
「……ベアトリス様がお礼? 直々に? ……後が怖いから遠慮します」
「はあ? ロゼったら、何、言ってるの? ここでは身分に関係なく、自分の事は自分でやる! でしょ。使用人なんか居ないんだから」
「だからこそ……です。紅茶を淹れるのは自分でやりますよ」
「いいから、ロゼ! 貴女の紅茶を貰った、ささやかなお礼なんだから!」
「はあ……そこまでおっしゃるのなら」
……意外にも? ベアトリスは紅茶を淹れる手際が良かった。
魔導ポットの熱いお湯でカップを温めてから、新しい茶葉をポットへ、
流れるような動作で、適温の紅茶を淹れた。
「へえ、お上手ですね」
ロゼールが褒めると、ベアトリスは満更でもないという表情になる。
「うふふ、教育係のシスター、ジスレーヌから丁寧に教えて貰ったから……私、結構、覚えは早いのよ」
「はあ、羨ましい限りです」
「ロゼだって、家事全般、そこそこいい線行ってるじゃない。充分、合格点だと思うわよ」
「いえ、ベアトリス様。どうせ習得するのなら、全てを極めたいと思っていますから」
「全てを極めたい? はあ~……ロゼは完璧主義なのね」
「ええ……そんなもんです」
「まあ、良いわ。それで、修道院長との打合せは上手く行ったの?」
「ええ、何とか、折り合いは付きそうですよ」
「そう……でも、こういう答えは曖昧なのよね~。万全ですとか、バッチリですとかきっぱりと言い切らないんだ」
「はあ、慎み深いのは美徳だと思っていますから」
「それ、慎み深いとは、違うと思うけど……まあ、良いわ。報告して頂戴」
「いえ、話すと長くなりますから……それに、そろそろ就寝時間ですし」
「簡単で構わないから」
「分かりました……では、お話しします」
そろそろ当番のシスターが就寝時間を告げに来る。
夜更かししていると、叱られてしまう。
ロゼールは、かいつまんで、修道院長とのやりとりを報告したのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
……ロゼールの報告が終わった。
まもなく就寝時間である。
「へえ! お礼まで丁寧に言ってくれたの? 凄いじゃない!」
「いえ、あの方なら、誠意を持って、話せば分かってくださると、私は確信していましたので」
「うふふ、成る程。それで、シスターと職員へ聞き取りをして、それをとりまとめて、私とロゼで精査。意見の出元は、クレームやトラブルを避ける為、無記名という形で修道院長へ提出。検討して貰うというわけね」
「はい、検討し、決定していくにあたっては、公開性をアピールして、ベアトリス様、修道院長様、私以外にも、数名シスターを入れ、場の全員で意見交換する会議形式で行くべきかと思います」
「ふううん……ロゼの考えはごもっともだと思うけど、それだと『船頭多くして船山に上る』状態になり、いろいろな意見が飛び交った挙句、紛糾するんじゃない?」
「はい、その可能性はゼロではありません。なので、進行と、とりまとめをベアトリス様にお願いしたいと思います」
「え~!? 私が? めんどくさい!」
「そういう事をおっしゃらないでください。ベアトリス様が大きな権限をお持ちになり、この修道院へいらした事は、全員が知っています。改革をするにあたり、かじ取りをして頂くのは責務です」
きっぱりと正論をロゼールに言われ……
「う~……分かったわよ。やれば良いんでしょ!」
「はい! お願い致します」
と、にっこり笑顔のロゼール。
「ロゼ、貴女って本当に押しが強いわね」
ベアトリスが言葉を戻すと、ロゼールは、
「はい、強い女子を煙たがる騎士隊の男子達とやり合って来ましたから!」
と、きっぱり言い切った。
「うふふ、そうよね。分かるわ……私もよ」
ベアトリスが同意し、ふたりが笑顔で頷き合った時。
扉の向こうから……
「就寝時間ですよ~!」
という当番のシスターの声が聞こえて来た。
その声を聞き、悪戯っぽく笑ったベアトリス。
「じゃあね! ロゼ、お休み!」
と言い、扉を開け、するりと出て行ったのである。
修道院長と打合せをした翌朝……
ロゼールはいつものように午前4時前に起床。
支度をし、4時30分前に礼拝所へと入った。
この時間は朝のお祈りをした後……
聖書に記された、創世神を称える『詩』を、各自が無言で読むのである。
しばらくすると……眠そうな目をしてベアトリスが入って来て、
当然というように、ロゼールの隣へ座った。
ベアトリスは座ってから、万歳をするように両手を突き上げ、大きなあくびをする。
苦笑したロゼールだが、ここは元気よく挨拶する。
「おはようございます! ベアトリス様」
対して、ベアトリスも柔らかく微笑む。
「おはよう! ロゼ 超、眠いわあ」
ベアトリスの声は大きく良く通る。
ロゼールは相手を怒らせないよう、やんわりと制止する。
「ベアトリス様。お静かに。今はお祈りと読書の時間、挨拶以外の私語は基本、禁止ですよ」
「わ、分かったわよ、もう! ロゼったら!」
と、その瞬間。
ロゼールの言う通り、シスター、ジスレーヌこと、
ふたりの教育担当ジスレーヌ・オーブリーがビシッと言う。
「ベアトリス様! 私語は禁止ですよ」
「やっば~! ロゼ、農場で話そ!」
ベアトリスは「ぺろっ」と舌を出し、聖書の詩へと視線を向けたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
お祈りと読書の後は朝食である。
食事中も基本は私語は禁止だ。
ロゼールとベアトリスは食堂で、並んで食事を摂っていた。
修道院の食事は量が決まっている。
肉類は殆どなし。
野菜、卵、乳製品、魚などの献立が多く、日によっては卵がなかったり、食事の回数も減る。
ロゼールは騎士時代、厳しい訓練をこなすが、食欲も旺盛である。
「肉が食べたい~」と渇望し、「お代わりしたい~」と熱望もする。
育ち盛りのベアトリスも、食事が不満足らしい。
しかめっつらで、アイコンタクトを送って来る。
身分の差を超えて、ふたりの心の距離はまた少し近くなった?
という出来事であった。
という事で食事が終わり……
ふたりは農作業の為、修道院付属の農場へ……
他のシスター達とは少し離れた場所で、農作業をするロゼールとベアトリス。
農作業中も私語は禁止なのだが……
他の場所だと目立ちすぎるし、すぐ注意……教育的指導が入ってしまうのだ。
「さあって! やっと相談出来るわね、それでロゼ」
「はい、ベアトリス様」
「昨夜貴女から聞いた、私が取りまとめるという事に関して、段取りは具体的にどうなるの?」
「はい、目的はあくまでも修道院の改革であり、花嫁修業、行儀見習いを行う女子達が、厳しいながらも楽しく修業出来る事が肝要です」
「うん、その通りね。今回出た苦情に対し、修道院長が対応した形にすれば、基本的に問題ないと思うわ」
「ですね」
「ええ。改革したら、創世神教会の教義に基づいた、本来の修道院の生活とは少しかけ離れるけれど、私達嫁入り修行者は正式なシスターではなく、『お客様』だからね」
「はい! その辺りを修道院長様もご理解頂きました。そして、改革を前提にして、全シスターへ聞き取りをする事となりました」
「全シスターへ? うふふ、それは大変ね」
「ええ、結構手間がかかると思います。それと、修道院長の了解を得た、改革の聞き取りだと、シスター達には伝えて良いと言われました」
「へえ! ばっちりね」
「はい、なので、シスター達への聞き取りは基本、私が行います。修道院長にも手伝って頂けそうなのでベアトリス様は、私の報告をお待ちになって、その報告をとりまとめてください」
しかしベアトリスは、首を横へ振った。
「嫌よ、そんなの」
「お嫌ですか?」
「ええ! 私も、ロゼと一緒にシスター達へ聞き取りをするわよ」
「……分かりました。では一緒に作業して頂けますか?」
「了解! その後は?」
「はい、聞き取った内容を集計、精査し、修道院長様と相談し、とりまとめたものをベアトリス様へご提出するつもりでしたが……」
「じゃあ、私、ロゼ、修道院長、あとシスター達から代表を2,3名入れて相談し、会議をする形で、改革の最終案を決めれば良いわ」
「了解です。ありがとうございます、ベアトリス様。とても良いアイディアです」
ロゼールから褒められ、ベアトリスは嬉しそうである。
「うふふ、そう?」
「はい! シスター達から代表者に入って貰い、打合せが出来れば、後々、現場との行き違いがなくなると思います」
「うんうん! それで最後に私から、教皇様、枢機卿様へ最終報告をあげて、改革案の了承を得ればOKと。……修道院長主導という事にしてね」
「はい、ベアトリス様。それで完璧です」
「じゃあ、ロゼ。後で、ふたり一緒に修道院長の下へ行きましょう」
「はい!」
と、ふたりの打合せがまとまった瞬間。
「ぎゃ~っ!!!」
「ば、化け物が攻めて来たわよおっ!!」
「た、た、助けてぇっっ!!」
「創世神様ああ!!」
ラパン修道院に、シスター達のつんざくような悲鳴が響き渡ったのである。
ふたりの『打合せ』がまとまった瞬間。
「ぎゃ~っ!!!」
「ば、化け物が攻めて来たわよおっ!!」
「た、た、助けてぇっっ!!」
「創世神様ああ!!」
ラパン修道院に、シスター達のつんざくような悲鳴が響き渡った。
これは!
ただごとではないっ!
ロゼールの、そしてベアトリスの表情が「きりっ!」と引き締まる。
「ベアトリス様! 邪悪な気配が! この農場に!」
「うんっ! ロゼ! 感じるわっ! とてつもなく、おぞましい気配を感じるわね!」
魔物と戦い慣れたロゼールは、最初こそ驚いたものの、
落ち着いている。
既に彼女のモードは、花嫁修業中の『見習いシスターモード』から、
『歴戦の騎士』へ、つまり『女傑モード』へと切り替わっていた。
「ベトリス様。まず、農園に居るシスター達を、誘導して、修道院内へ避難させましょう」
「分かった。誘導して、院の正門を固く閉ざす。救援が来るまで持久戦って事ね」
「はい、ベアトリス様! さすがです! まずは奴らを倒しながら、道を切り開きましょう! 倉庫に害獣撃退用のメイスがいくつかあったはずです。それで私はベアトリス様をお守りします!」
ロゼールはそう言うと、倉庫へ向かって脱兎の如く駆け出した。
騎士隊で鍛えに鍛えたとんでもないダッシュ力である。
しかし、何と何と!
信じられない事に!!
ベアトリスが「ぴたっ!」とついて来るのだ。
鍛え抜かれたロゼールの体力に引けを全く取っていない……
ベアトリスは『上級貴族のお嬢様』
なのに、信じられない脚力である。
更に驚くことに、息も切らしてはいない。
彼女は不敵な笑みを浮かべているのだ。
「ふっ、何言ってるの、ロゼ」
さすがのロゼールも驚いた。
「ベ、ベアトリス様!?」
「当然! 私も戦うわ」
「でも……」
「反論無用! ……ロゼ、貴女と一緒よ」
「私と同じ?」
「戦うどころか、訓練もろくに出来ない生活にストレスMAX。この非常時なのに、貴女の顔は『にこにこ』しているんだもの……これで思い切り、暴れられるとね」
ベアトリスは、ロゼールの気持ち、本質をしっかりと見抜いていた。
騎士隊の仲間よりも、否! 両親よりも!
「成る程、……分かりますか」
「あはは! 分からいでか! 言ったでしょ、ロゼ。貴女には私と同じ匂いを感じるって……私もストレスMAXなのよ」
お互いに強いシンパシーを感じ、顔を見合わせニッと笑ったロゼールとベアトリス。
倉庫の扉を開けると中へ飛び込んだ。
一角に、害獣撃退用のメイスが10振りほど置かれていた。
ふたりはそれぞれ、メイスを手に取った。
ここで補足しておこう。
ポピュラーな武器なのでご存じかもしれないが……
メイスとは、棍棒の先端や各所へ金属製の『加工』をして、重量を増し、
更に加工品の形状も工夫して、破壊力を増すようにした武器である。
加工品は、鋼鉄の塊であったり、更にスパイクというとげ的な形状のものもある。
また先端、全体を含めて、メイスの形状は多種多様だ。
メイスは剣や斧のように刃で斬るという攻撃ではない。
ハンマーのように、打撃で相手にダメージを与える武器である。
メイスは、古代からあった武器であるのだが……
金属製の鎧が普及すると、需要が一気に増えた。
その凄まじい打撃力が、金属鎧に対し、刃を弾く剣よりも、
敵に深いダメージを与える事が可能だからだ。
また攻撃で刃のように、あからさまに血を見せない?事から、
『聖職者』が使うという武器でもあったらしい。
という事で、この修道院には、狼、猪、熊などの害獣に対する撃退用、護身用としてメイスが置かれていたのだ。
倉庫に置かれていたものは、女子向けで若干、小型だが……
それでも結構な重さのメイスを、ロゼールだけでなく、
ベアトリスも、「ぶん!」と、軽々と素振りをする。
ロゼールが少し驚いた。
「成る程……ベアトリス様のお噂は本当だったのですね?」
「噂? オーガを倒した事? ……半分はね」
「半分? 噂がですか?」
「ええ、グーパン一発は大げさだけど」
「え? 大げさ?」
「うん! でもね! オーガ数体じゃなく、倍以上を倒したわ! 実は『10体』を殴殺したのよ、私、うふふ♡」
「ええええ!? オーガ10体を素手で!?」
「うん!」
何という事でしょう!
『オーガスレイヤー』の称号は本物であった。
それも10体を拳で殺したというのだ。
そこへ教育担当のジスレーヌと、同じく元騎士のシスター4人が飛び込んで来た。
「ここでしたか! ベアトリス様。そしてロゼも……」
頷いたジスレーヌ。
どうやらベアトリスの安否を心配し、探していたらしい。
「非常事態です! おびただしい数のオークの襲撃です! さあ、ベアトリス様! お守り致します! 院内へ避難しますよ! ロゼも協力して!」
ジスレーヌの物言いを聞き、ベアトリスが不快そうに、
眉間にしわを寄せる。
「どういう事? ジスレーヌ……シスター達を見捨てるの?」
対して、ジスレーヌはきっぱりと。
「優先順位です。少なくともオークは100体以上居ります! まずは何を差し置いても、ベアトリス様の安全が第一ですから」
しかし、ベアトリスはきっぱりと言い放つ。
「ダメよ! 却下! ここに居る7人で戦って、シスター達全員を守るの。修道院内へ誘導するわ! 丁度、武器もあるしね!」
「えええ!? で、でも!」
「ジスレーヌ!」
「は、はい!」
「時間がないわ! 反論無用!」
「は、はい!」
青ざめるジスレーヌへ、ぴしゃりと言ったベアトリスは、ロゼールへ向き直る。
「ロゼ!」
「はい!」
「貴女が、私達の指揮を執って頂戴! 遠慮しないで! 頼むわよっ!」
ベアトリスは、やはり気高さを、
そして心身ともに、底知れぬ強さを持った女子である。
更に更に!
自分を本当に良く理解してくれている!
『女傑』が『女傑』に惚れた!!
ロゼールの心が、気合で「ごうごう!」と激しく燃えて来る!!
「はいっ! 了解致しましたっ!」
背筋をピンと伸ばし、直立不動となったロゼールは、
「びしっ!」と敬礼していたのである。