ここは剣と魔法の世界、
レサン王国王都グラン・ベール郊外の原野……
数日前に、魔物オークの群れが出たと報告が入り……
討伐の為、王国騎士隊50名が騎馬で出撃した。
騎士隊が、騎馬で原野へ赴くと……
報告通り、人喰いオークの群れが出現した。
数は約100体。
騎士団長は、麾下の騎士達に突撃命令を下した。
「全員突撃! 奴らを一気に討ち取れ!」
「「「「「おおおおおおおおおっっ!!!」」」」」
鬨の声を上げた騎士達は、馬を走らせる。
ドドドドドドドドド!!!
50の騎馬が全速で疾走する!
しかし!
あっという間に!
ひとりの騎士だけが抜きん出て、騎馬1頭が、オークの群れに突っ込んだ。
馬上の騎士は槍を振るい、オークどもをガンガン討ち取って行く……
「おお、さすがだぞ! 我が隊の無敵、無双のエース、ロゼール!」
騎士隊の隊長は感嘆し、大声で叫んだ。
抜きん出たこの騎士は……女傑、
そして無敵、無双のエースと謳われる、
ロゼール・ブランシュ、この物語の主人公である。
結局、この日、オークは全てが討伐され……
『エース』のロゼールはたったひとりで、
出現したオークの半分50体余を討ち取ったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
騎士隊がオークを討伐してから、1週間後の休日……
と、ある広大な庭園付きの高級レストランを貸し切り……
『貴族同士のお見合い』が行われていた。
家族同士の会食が済み、周囲が気を利かせたのか、
当時者の女子と男子が、ふたりきりで庭園を散策していた。
改めて紹介しよう。
この女子が、オークを50体討伐したこの物語の主人公、
ブランシュ男爵家のひとり娘、
凛とした顔立ちをした栗毛の女子ロゼール、文武両道、才色兼備の20歳である。
そして見合い相手の男子は、いかにも貴族の息子といった、
おぼっちゃま風ボンボン、バスチエ男爵家の次男、エタン23歳。
……実は、ふたりは王国騎士。
更に同じ騎士隊の後輩、先輩である。
で、あれば、この見合いがもしも上手く行けば職場結婚……
という事になるのだが、ふたりにそんな雰囲気は全くない。
互いに3m以上離れて歩き、視線も合わせず、ず~っとそっぽを向いていた。
エタンが視線を合わさないまま、話しかける。
「おい、ロゼール」
対して、ロゼールもそっぽを向いたまま、言葉を戻す。
「なあに、先輩」
「なあに、ではない。何でひと言もしゃべらないんだ?」
「先輩だって同じですよ」
「何だと! 君のお父上から、どうしても、と我が父が頼まれて、やむなく今日のこの場をセッティングしたのだぞ」
「みたいですね」
「ふん! 少しは、分かっているみたいだな! で、あれば! もう少し愛想良くしたらどうなのだ? 見合いに臨む女子の態度とは到底思えんぞ」
「うふふふふ」
「な、何が可笑しい?」
「だって、お互い様……じゃないですか? この状態」
確かにロゼールの言う通りである。
互いに離れて、そっぽを向いているのだから。
しかし!
エタンはとんでもない理屈を振りかざす。
「な、何だと! 何がお互い様だ! 男は度胸、女は愛敬というだろうが!」
対して、ロゼールは苦笑し、首を横へ振る。
「あはは、今時そんな言葉は死語です。流行りませんって。先輩が不機嫌なのは、ちゃんと理由があるからでしょ?」
ロゼールの突っ込みに対し、エタンは言葉が出ず口ごもる。
「う!」
「うふふ、反論出来ないのはよっく分かりますよ! 私と先輩との試合は、練習公式含め、馬上槍試合が私の30勝0敗。剣の試合も私の60勝0敗。格闘試合がこれまた私の80勝0敗。その他もろもろも、私の全勝ですからね」
何と! ロゼールは全ての武技の試合に関し、エタンに圧勝していた。
ロゼールの話は事実に違いない。
相変わらず、エタンは言葉がなく、唸るのみだから。
「むむむむ~!!」
「それと私、騎士隊内で、たくさんの人から聞きましたよ」
「何をだ? 何を聞いた?」
「先輩って、私が居ない時、いつも言っているそうですね。ロゼール・ブランシュは強すぎる。無表情で魔物を倒し、先輩にも同輩にも後輩にも容赦なく勝ちまくる。 男勝りで可愛げが全然ないって」
エタンは、負けた腹いせに職場でロゼールの陰口まで言っていた。
こそこそ陰口を言うなど騎士の風上にもおけない。
普通は恥じ入るものである。
しかし、エタンは何と! 開き直った。
「なに~! 全て事実だろうがあ!」
「じゃあ、先輩。言っている事は認めるのですね?」
「あ、ああ、認める! 確かに言っているよ!」
「そういう陰口は一切やめて、私へ直接、はっきりと言ってください。私ロゼールは、先輩よりも遥かに強い。加えて可愛げがない女子だって」
「ああ、言ってやる! ロゼール! お前は強すぎる。誰にも遠慮なしで勝ちやがって、全く可愛げがない女子だ!」
「うふふ、私は『褒め言葉だ』と、とっておきますよ。でも、そんな女子と結婚するのは、男の誇りが許さない。でしょ? 先輩は」
「ぬおおっ!」
「でもね。私だって、かよわいお前をがっつり守ってやる! と言って貰えるくらい、強い男子を夫君にしたいのですよっ!」
ガンガンやり込められ……
遂に、エタンは支えきれず、『敗走』する。
「う、うるさいっ! だ、黙れ!」
「あははっ! 黙れなんて、反論出来ず、完全に思考停止しましたか?」
「くううっ!!」
「でもそちらへ頼み込んで、このお見合いをセッティングしたくれた父の顔を立て、私も譲歩致しましょう」
「な、何、譲歩だと?」
「はあい! 譲歩でぇす」
「な、何だ! 条件でもあるのか! 言ってみろ!」
「はあい! もしも! もしもですよ! 馬上槍試合か、剣の模擬試合で一回でも私に勝ったら、せめて先輩との『お付き合いだけ』、検討しても構わないですよぉ」
もしも私に一回でも勝ったら、
せめて先輩との『お付き合いだけ』、検討しても構わない……
ロゼールの挑発的な物言い。
「はっきり言って、あんたみたいな、こそこそ陰口を叩くような相手とは絶対に結婚したくないわ!」
というロゼールの『意思表示』である。
それが分かったのか、分からないのか、エタンはぶち切れる。
「くわっ! 上から目線で言いやがって! 馬鹿にするな! これ以上、こんな不毛なイベントをやっていられるか! 茶番は終わりだ! 俺は帰るぞっ!」
「ああ、良かったあ! 父が無理やり、そちらの家へ、お願いしてセッティングしたお見合いなので、私の方からは『終わり』って言えないですからあ!」
「………………」
「じゃあ、これでお開きですねえ! 先輩! さようならあ!!」
「………………」
ロゼールが手をひらひらし、別れの言葉を告げる中……
エタンは返事もせず、背を向け、足早に去っていったのである。
当然、お見合いは成立せず、どころか……
見事にというか、両家は『決裂』したのであった。
見合いが……両家が決裂した日の夜……
中央広場の近く、貴族街区の一画、ブランシュ男爵家において、
当主オーバンの激しい怒声が響いていた。
「ばっかも~んん!! ロゼール!! 何を考えておるっ!!」
父の怒声に対し、答えるのは……
王都騎士隊勤務、男子顔負けの女傑と謳われるオーバンの愛娘、
栗毛の短髪を持つ、りりしい女子ロゼールである。
「うわ! 父上ったら、大きなお声」
そんな、ロゼールの声を飲み込むくらい、がみがみがみと、
ひと通り父オーバンの説教が続く。
オーバンは更に言う。
「ロゼール! どうしてあんな事を言ったのだあ!」
「あんな事とは、何でしょう? 父上」
「とぼけるなっ! 折角の見合いで、ふたりきりにと思い、私達が席を外してから、お前は、エタン殿に対し、ひどい暴言を吐いたというではないか!」
「父上。私は、エタン様に暴言など吐いておりませぬが」
「とぼけるな! では私から言ってやろう! ロゼール!」
「はい、どうぞ」
「はい、どうぞ、ではないわあ! もしも馬上槍試合か、剣の模擬試合で一回でも私に勝ったら、付き合う事を考えてやっても構わない、などと偉そうに、上から目線でぬかしおってぇ!」
「はい、父上のおっしゃる通りに、確かにエタン様にはそう言いました。でも、けして暴言ではありませぬ。私の夫君になる男子なら、最低それくらいのレベルではないと話になりませんので」
「お前という奴はあ! 騎士隊の男をほとんど負かしおってぇ!」
「だあって、エタン様を始め、皆さま、全員、超弱いんですもの。私と馬上槍試合しても一撃、剣の模擬戦だと瞬殺ですよ。全然、話になりませんわ」
「黙れ! お前が見合い相手だと言うと、たいてい先方から断って来る」
「それはそれは、本当に女子を見る目がない殿方達ですこと。私と相思相愛の、『強き想い人』は、一体どこに居るのでしょう?」
「黙れ! へらず口を叩くなっ! 今回は、バスチエ男爵家へお願いにお願いして、ようやくこぎつけた見合いなのだぞ! それをあっさりと! ぶち壊すとはあ! な、何を考えておるのだあ!!」
「仕方ありませんよ、父上、入り婿したウチの次期当主が弱い男子など、父上も嫌でしょう?」
「限度がある! お前が強すぎるのがいけないのだ!」
「でもでも、私より強い女子だっておりますよ。王国最強の貴族令嬢と噂されるドラーゼ公爵家のベアトリス様は、私より3つも年下の若干17歳。なのにグーパン一発でオーガをあっさり倒すとか……私もそこまで強くありませんよ」
「ばかものぉ! ドラーゼ公爵家は上級貴族家、超が付く名家だ! ベアトリス様がいかに強くとも引く手数多、お前のように行き遅れる事などない!」
『行き遅れる』と言われ、ロゼールは不満そうに顔をしかめる。
「行き遅れるって、失礼な! 父上、私だってまだ20歳ですけど……」
「黙れ! 他の男爵家の娘は18歳までに皆、婚約し、20歳までには結婚しておる!」
「いや、他家は他家ですから……」
「うるさいっ! 今度という今度は、もう許さんぞ! ブランシュ男爵家当主としての命令だ! ロゼール! すぐ騎士隊を辞し、花嫁修業、行儀見習いとして、修道院へ入れ! 反論、拒絶は一切許さん」
「な!?」
「もしも反論、拒絶などしたら、お前を勘当した上、国外へ追放する! 世間知らずのお前は野垂れ死にでも何でもすれば良い! 我が家は遠縁の者を養子入れさせ、存続させるからなっ!」
断固とした、有無を言わさないという父の命令……
ロゼールは絶句、冷たい表情の父を強く強くにらみ返した。
父の傍らで、母シャンタルは「おろおろ」しながら立っている。
「遂に、この日が来た」と思いながらも、ロゼールは悔しそうに唇を噛んだ。
血がにじむくらい強くぎゅっと噛んだ。
……実は、「見合いをしろ!」という両親の勧めを、
ロゼールは何度も何度も「のらりくらり」と華麗にスルーしていた。
たまに何とか、見合いにまでこぎつけても、このように破談となっていた。
武道が得意で、正義感あふれるロゼールは、
自分には騎士の仕事がぴったり――天職だと大いに気に入り、
日々一生懸命に励んでいたからだ。
それにロゼールの見合い相手は、同じ男爵もしくは子爵の子息、それも騎士が多かったが……
9割9分殆どの者が、公式、練習を問わず、剣の試合や馬上槍試合で、ロゼールに完敗していた。
加えて、人間を脅かす魔物との戦いにおいて、武功も遥かにロゼールの方が上であった。
それゆえ「自分よりも強い可愛げのない女子を、絶対妻にしたくない」という、つまらない誇りから……
ロゼールの、『結婚話』自体がエタンの時と同様、なかなかまとまらなかった。
しかし!
遂にしびれを切らした父が、『最後通告』ともいえる、強硬手段に出たのである。
ここで補足しておこう。
ブランシュ男爵家には男子の跡継ぎが居ない。
そして、このレサン王国では女性当主を殆ど認めないのだ。
但し、例外はある。
王族か、もしくは伯爵以上の上級貴族で、ごくたまに認められるだけである……
今後、ブランシュ男爵家を、ますます発展させる為には、
娘と折り合う『強き婿養子』を取らねばならないと、
父オーバンは決意していたのだ。
その為には、少しでも早くロゼールが騎士を辞し、花嫁修業をした上、
見合いをしろというのが、父オーバンの口癖であった。
最近はその頻度は多く、ロゼールは一日平均三度も聞いていた。
そして、今回は……
もしもロゼールが父の命令に従わなければ、勘当。
いとこのジャンを養子にして、ブランシュ家の跡を継がせるという、
とんでもない最終通告をして来たのだ。
いろいろな思いがロゼールの頭をよぎった。
武に生きる騎士は自分の天職だと思っている。
生まれ育ったこの家に別れを告げ……
いっそ他国の騎士か、無理ならば冒険者にでもなろうかと思った。
しかし、その場で拙速に『答え』を出す事はやめた。
父の『言いなり』で修道院へ入るのはとても癪だが、
「やけになるのはいかがなものか?」「ゆっくり考えた方が良い」
「冒険者などやめておけ」などという心の内なる声も聞こえたのだ。
ロゼールは3歳からあらゆる武道を修行し、16歳で騎士隊へ入り17年間武道一筋。
そしてメンタル的には、
忠誠、公正、勇気、武芸、慈愛、寛容、礼節、奉仕の騎士道精神8つを厳守し、
ひたすら精進して来たのである。
反面、ロゼールは社会一般、世間の事、常識等を両親任せで何も知らない。
いわゆる、世間にうとい……超が付く『世間知らず』のお嬢様でもある。
他国へ行っても、冒険者になっても、五里霧中の中で混乱し、
悪人に騙される危惧もあった。
大きく息を吐き、脱力したロゼールは大きく息を吐き、
「分かりました、父上、ロゼールは花嫁修業、行儀見習者いとして、修道院へ入ります」
そう伝えると、父オーバンは「ようやくか!」とばかりに 相好を崩した。
「うむ! 宜しい! 良くぞ言った! 我が家の未来の為だ。ロゼール、良く決意してくれた」
と言い、機嫌が一変、にっこりと笑ったのである。
翌日、ロゼールは「急で申し訳ありませんが一身上の都合で……」
というくだりで辞表を出し、騎士隊を退職した。
隊長と副隊長はロゼールの才能をとても惜しんでくれたが……
一般の隊員達には『エタンとの一件』が伝わっていたらしく、女子の騎士以外、
ほとんどが冷ややかであった。
ロゼールは脱力し、苦笑した。
王国の為にと頑張って来たが……
逆に未練だった騎士の職に『踏ん切り』がついたのだ……
1週間後、ロゼールは両親とともに馬車で、
王都から少しだけ郊外にある創世神教会ラパン修道院へ赴いた。
このラパン修道院は貴族令嬢、上級市民女子の花嫁修業、行儀見習いで知られた院である。
修道院は原則、男子禁制。
送って来た両親は修道院の入り口で、ロゼールを降ろし、
置き去りにするように、さっさと去って行った。
到着したロゼールを出迎えたのは当然、全員が女子。
口元をきりりと結び、
『スパルタ教育の鬼』と巷で評判、60代半ば過ぎの修道院長。
そして上は40代から、下は10代のシスター30名、都合31名である。
シスター30名の中には数名の騎士隊のOGが在籍し、
更にその中に、元・子爵夫人ジスレーヌ・オーブリーが居た。
ジスレーヌはロゼールが入隊1年後に体力の限界を訴え、35歳で除隊。
その3年後の38歳で、入り婿の夫が40歳過ぎではやり病で亡くなった。
亡き夫を深く愛していた事、子供が居なかった事もあり、
再婚はしなかった。
また、陰謀渦巻くどろどろした貴族社会に嫌気がさしていたこともあり、
敢えてオーブリー子爵家を断絶させ、財産を処分。
隠棲する形で、結婚前に花嫁修業をした、ラパン修道院へ身を寄せていた。
現在では、修道院に在籍する、他の元女子騎士のシスターとともに、
『シスター兼護衛役』として、張り切って仕事をしている。
実は、ロゼール。
もしも花嫁修業で修道院へ入るのならば……
騎士隊で懇意にしていたOGのジスレーヌ達が在籍する、ラパン修道院でと、
父へ希望を告げてあったのだ。
そして、父は希望を受け入れてくれた……
さてさて!
騎士隊でいつも先輩、同輩、後輩とやりとりしているように、ロゼールは名乗った。
「皆さん、ロゼール・ブランシュです。宜しく頼む!」
瞬間、ジスレーヌが「くすり」と笑う
すると案の定、
早速、スパルタ教育の鬼、修道院長の『教育的指導』が入った。
ぱんぱんぱんぱん!
と、手が激しく打ち鳴らされ、修道院長は凄い目で、ロゼールをにらんだのだ。
「ロゼール殿、全てが、なっていません!」
「え? 全てが? なっていないとは? 一体どういう事です?」
「全てです!」
「ええっと……」
ロゼールが困惑すると、修道院長は速射砲のように早口でまくし立てる。
「貴女の淑女としての態度、言葉遣い、姿勢がですっ! バツ、ダメ、ボツ、全くの不合格ですよっ!」
激しい口撃に圧倒されるロゼール。
修道院長は、どこぞの魔物より強敵である
「あう!」
「あう! ではありませんっ! ロゼール殿の御父上、ブランシュ男爵閣下からは、貴女を一人前の淑女にするよう重々頼まれておりますから!」
その後、ロゼールは散々説教された上、淑女としての心得を1時間たっぷり指南された。
修道院長曰はく、これでも淑女になる為の基礎中の基礎という事だ。
そして、ロゼールは修道院在籍中は、『シスター、ロゼール』と呼ばれる事となった。
そんなこんなで、ようやく修道院長から解放されたロゼール。
与えられた個室で、気分転換にストレッチをする。
10分ほど経ち、とんとんとん!と、扉がノックされた。
「は、はい! ど、どちらさまでしょうか? シ、シスター、ロ、ロゼールは在室しておりますです!」
噛みまくり、語尾もおかしい。
しかし、何とか言葉を返したロゼール。
すると、
「くくくくく」
と含み笑いが。
この笑い方は昔、散々聞かされた。
「せ、先輩! い、いえ! シスター、ジスレーヌ! ど、どうぞ! 扉は開いております! カ、カギはかかっておりませんっ!」
そう!
先ほど、修道院長からは、騎士隊OGのジスレーヌ、
つまりシスター、ジスレーヌが『教育係』としてつけられたのだ。
「失礼しますよ、シスター、ロゼール」
ジズレーヌが入って来ると、ロゼールは安堵し、既視感を覚える。
騎士隊入隊時にも、ロゼールの教育係を担当したのが、
当時ベテラン騎士のジスレーヌだったからだ。
昔取った杵柄、素早い身のこなしで、ジスレーヌが「するり」と室内へ入った。
パタンと扉が閉まる。
と同時に、真面目な表情だったジスレーヌの顔がいっぺんにほころんだ。
「くくくくく! ロゼったら、シスター、ロゼールは在室しておりますです! って何、その言い方?」
「は、はあ……修道院長の粘着説教で、メンタルがやられました」
「メンタルがやられた? くくくくく。緊張MAXで、それも噛みまくりじゃない! 騎士隊史上、最強の女傑も形無しね!」
ジスレーヌは、騎士隊所属時と同じく、ロゼールを愛称で呼んだ。
そう、ロゼールの愛称は『ロゼ』なのだ。
「はあ~、先輩の顔を見て何か安堵したというか、ホッとして、思い切り脱力しました。地獄に天使って感じですよ、先輩……」
「くくくくく、地獄に天使って、面白い子……ここは天国をお創りになった創世神様の修道院なのよ」
「……………」
「まあねえ、ロゼの気持ちは、よっく分かるわ。初めてこの修道院へ、花嫁修業、行儀見習いに来た、若い頃の私も、ロゼと全く一緒だったもの」
「はあ……でしょうね」
「……まあ、修道院長から『事情』は聞いたわ。苦労して貴女に持ち込んだ見合いをぶち壊されたお父様が、遂に痺れを切らしたってわけね」
「そうなんですよぉ……見合いを断られ続ける世間知らずのお前は、騎士を速攻でやめ、このラパン修道院へ、花嫁修業、行儀見習いに行けって言われました。行かなきゃ勘当して、家を放り出すって」
「家を放り出すか……」
「はい、もしも反論、拒絶などしたら、お前を勘当し、国外追放する! 世間知らずのお前は野垂れ死にでも何でもすれば良い! 我が家は遠縁の者を養子入れさせ、存続させる! って怒鳴られました」
「でも、ロゼは家を出て他国の騎士とか、冒険者になろうとか思わなかった?」
「迷いましたけど、やめました。父の言う通り、私、武道一筋で、とんでもなく世間知らずなので。いいように使われるか、とんでもない男に引っかかって騙されるのがオチですから……それもいかがなモノかと……」
「そうなの。まあ、仕方ないわ、見合い結婚して家を継ぐと決めたのなら、
今更、じたばたしてもどうにもならない。いろいろ勉強しながら、武道以外のスキルも習得しなさい。そして、ここの暮らしに少しでも早く慣れて、ストレスを溜めない事が肝要ね」
「はあ、わっかりました」
「幸い、私が『教育係』だからさ、あまり息が詰まらないようにしてあげるわ」
「お願い致します、先輩! 本当に頼りにします!」
笑顔のジスレーヌを見て、またまたロゼールは大きく息を吐いたのである。
女傑と多くの人々から謳われた、
レサン王国騎士隊の元騎士、ブランシュ男爵家令嬢、ロゼール・ブランシュ。
父・オーバンの厳命により、彼女がラパン修道院へ来た翌日から、
これまでの騎士隊生活とは全く違う『新しい生活』が、始まった。
ここで、無骨な女子?ロゼールにとって、
修道院のような規則正しい生活は苦手なのではないのか?
と、思う方がいらっしゃるかもしれない。
だがロゼールは騎士隊時代、起床時間、門限が決まった規則正しい生活を、
騎士隊の寮において、また自宅で過ごす際も、己へ課していた。
なので、きっちり予定が決められたスケジュールの生活は、
そう苦ではない、却って楽勝だと高をくくっていた。
しかし……
それは、大きな間違いであった。
騎士隊宿舎の生活と、修道院の生活は、全く勝手が違っていたのだ。
ちなみに、貴族家令嬢としての花嫁修業、行儀見習いの為、
ロゼールのスケジュールは一般のシスターとは少々、違っていた。
また、修道院における、花嫁修業、行儀見習とは、
家事、刺繍を中心とした裁縫、
レサン語の読み書き、詩や物語の作り方、歌い方、
王国貴族の儀礼、作法等の指導である。
家事などは、貴族家において本来は使用人が行うものだが……
貴族令嬢のたしなみの一環として、
習得させられる慣習がレサン王国にはあったのだ。
これらの修養に関し、ロゼールは幼い頃、
母シャンタルから、ひと通り習った気もするが、
騎士になり、鍛錬に明け暮れるようになり、すっかり忘れていた。
さてさて!
具体的には、下記のようなスケジュールである。
また、スケジュール厳守の命令は、
修道院長から、教育係のジスレーヌ・オーブリー経由で、
何度も何度も徹底的に念が押された。
4:00AM――起床
4:30AM――読書『創世神教聖書』等々
6:30AM――ミサ、朝のお祈り……朝のお祈り後に朝食
8:00AM~10:00AMまで午前の仕事……主に農作業を行う。
10:30AM~11:30AM――教育係担当シスターによる、昼食調理を兼ねた料理指導。または交代で家事指導等を受ける。
0:00PM――昼のお祈り後に、昼食
1:00PM――2:30まで午後の仕事……主にお菓子作り、裁縫作業を行う。
または交代で、教育係担当シスターによる、家事指導等を受ける。
3:00PM~4:00PM――教育係担当シスターによる、読み書き、歌唱指導を受ける。
4:30PM――散歩、軽運動に限る。激しい運動は禁止。
5:30PM――晩のお祈り後に、夕食
7:00PM――教育係担当シスターによる、行儀作法、儀礼指導を受ける。
8:30PM――創世神様に一日過ごせた感謝を捧げる寝る前のお祈り、
その後、就寝まで自由時間。
9:30PM――就寝
という「かっちり」した生活である。
繰り返すが……
騎士隊時代の習慣で、ロゼールは規則正しい早起き早寝はそう苦ではない。
しかし、騎士として『武道ひとすじ』のロゼールは、すぐ物足りなくなった。
というか、初日で音を上げ、『脱走』しようかとも思ったくらいだった。
何故ならば、騎士隊時代とは違って、厳しい鍛錬が全くない生活――
散歩と軽い運動だけの生活が、ひどく窮屈な気分になり、すぐに嫌気がさしてしまったのだ。
それから1週間が経った……
運動不足の生活を我慢していたロゼールは、
仕方なく、農作業の際、体操をしたり、出来る限り身体を動かすようにしたが、
ストレスが溜まるばかり。
『あらさがし』の感がある、修道院長の小言がたっぷりと増えた事もあり……
父から勘当される事もやむなしと、
修道院における花嫁修業、行儀見習いをやめ、
最悪の場合、やはりというか、修道院から「脱走する」事も考えていたのである。
1週間で限界だと思われたが、もう1週間我慢し、
更に2週間……
ロゼールは、何とか1か月間、花嫁修業、行儀見習いを勤め上げた。
朝起きると、何とか今日まで、そして明日までと……
くじけそうになる自分に言い聞かせながら、気持ちを紡ぎ、
日々、与えられた課題をクリアすべく必死に励んでいたのである。
こんなロゼールの心の支えが、教育係となった、
騎士隊のOG。
元・子爵夫人ジスレーヌ・オーブリーである。
ジスレーヌは、日々ロゼールを励まし、いろいろな事を教えて行った。
ロゼールが嘆いた『世間一般の常識』だけでなく、
非常識な『裏の事情』もいろいろ教えてくれたのだ。
ちなみに『裏の事情』には、ロゼールが個人的にとても面白い事項もあった。
全てが勉強と割り切ったロゼールはいろいろな事象を学び、実践した。
一旦、本気になって取り組むと、ロゼールの集中力は半端ない。
真摯に、全力で取り組んだ。
こうして……
20歳にしては少し子供っぽかった性格のロゼールが、
どんどん『分別ある大人の女子』へと成長して行った……
そして、意外にも……
『スパルタ教育の鬼』と呼ばれ、小言や嫌味ばかり言っていた修道院長が……
言葉は相変わらずひどく厳しくとも……
時たま、うんちくある言葉で真剣に励ましてくれた事も、
くじけそうなロゼールの、心の支えのひとつとなった。
巷で『スパルタの鬼』と呼ばれるこの修道院長は、
もしかして『厳しすぎて誤解されやすいタイプ』だとも、
ロゼールは思ったのである。
そんなこんなで、ようやく、何とか……
ロゼールは、ラパン修道院の生活にも慣れて来た。
そんなある日『大事件』が起こったのだ。
但し、大事件といっても、ロゼール自身に起こった事件ではない。
ラパン修道院へ、ロゼールと同じ、
新たな花嫁修業、行儀見習い者がやって来る事となったのだ。
新たな花嫁修業、行儀見習い者がやって来る。
……それだけなら大事件になどならない。
だが、この度やって来るのは、王国の有名人たる超が付くカリスマ、
『上級貴族の令嬢』であった。
そう!
……やって来た新たな花嫁修業、行儀見習い者とは、
ロゼールよりはるかに高い身分の貴族令嬢、ベアトリス・ドラーゼ17歳。
古くから代々王家に仕え、王族に準ずる高貴な上級貴族家……
副宰相を務めるフレデリク・ドラーゼ公爵の愛娘である。
そう、皆さんは憶えていらっしゃるだろうか……
この17歳のベアトリス・ドラーゼこそ……
女傑と謳われたロゼールが、自分より遥かに強い『比較対象』として、
両親へ話していた女子なのである。
ベアトリス・ドラーゼは、名家の才媛として、
レサン王国では有名な貴族令嬢であった。
だが、父のドラーゼ公爵と、郊外へ狩猟に赴いた際、
襲撃して来た『巨大な魔物オーガ』数体を、あっさり撃退した事で、
恐るべき『オーガスレイヤー令嬢』だと、とびぬけて有名となった。
何と!
護衛の騎士を差し置いて単身戦い、数体をそれぞれ、
『グーパン一発』であっさり倒したらしいのだ。
そんなベアトリスを……
ロゼールは、素直に「凄い人だ!」と感服した。
いくら武芸に秀でたロゼールであっても、さすがに巨大な魔物オーガを、
『グーパン一発』では倒せないからだ。
但し、ロゼールは、ベアトリスに直接会った事はない。
名前とプロフィールしか知らない。
レサン王国の貴族には、『寄り親』と『寄り子』という『主従関係』がある。
この『主従関係』は、分かりやすく言えば、貴族社会の『派閥』である。
『寄り親』とは『派閥のボス』であり、『寄り子』は配下。
ちなみに寄り親は、上級貴族でも上位の限られた者がなる。
前置きが長くなったが、この派閥のボス、寄り親という接点も、
ブランシュ家にはない。
全く別の貴族が、男爵ブランシュ家の『寄り親』だったからだ。
そしてレサン王国の身分制度においては、
『騎士隊の女傑』とはいえ、『男爵家の娘』では、
王族に準ずる『上級貴族の公爵家息女』御付きの護衛になる事は勿論、
ベアトリスの面前に正式に名乗り、まかりでる事も許されていなかった。
巨大な魔物オーガをグーパン一発であっさり倒した……
ベアトリス様って、一体どういうお方なのだろう?
ロゼールは興味津々で、
教育係のジスレーヌとともに、ベアトリスを出迎える事となった。
そんなこんなで……ベアトリスが来る当日。
事前に通達された時間ぴったりに、
『オーガスレイヤー令嬢』ベアトリスは、御付きの若い侍女5人とともに現れた。
乗って来た馬車も、豪奢な大型馬車である。
馬車から降り立ったベアトリスは、ロゼールの予想に反し、
男勝りの『筋骨隆々の女傑』ではなかった。
端麗な顔立ちと、流れるような長い金髪、宝石のように輝く碧眼を持つ、
美貌の貴族令嬢であった。
身長170㎝の筋肉質体躯のロゼールよりほんの少し背も高く、
すらっとして、スタイルも抜群に良い。
そして屈強な護衛の騎士も20名ほど、まるで取り巻きのように
VIPベアトリスの『護衛』として付き従っていた。
ロゼールが知っている顔が何人も居た。
見合いを断ったバスチエ男爵家の次男、エタンも含め、
全員が、『自分に完敗した男子達』ではあったが……
どちらにしろ、
『両親から置き去りにされるよう送られた自分』とはえらい違いだと、
ロゼールは苦笑した。
対して、修道院長以下、ベアトリスの出迎えで居並ぶシスター達。
その中には、ロゼールも、教育係のジスレーヌも居る。
「皆さま、ご機嫌よう! ベアトリス・ドラーゼですわ。出迎えご苦労様」
挨拶をしたベアトリスは、容姿だけでなく、
歌手になれそうなくらい声も美しかった。
まさに!
まぶしいくらいに光輝く、レサン王国のカリスマ貴族令嬢である。
修道院長も、ロゼールの時とは態度が一変。
愛想笑いを浮かべ、へりくだって、深く深くお辞儀をする。
「これはこれはベアトリスお嬢様、当ラパン修道院へようこそいらっしゃいました」
「うふふ。貴女が修道院長ね……父上が将来の為に花嫁修業しろって、何度もしつこく言うものだから、仕方なく来たわ。しばらくお世話になりますからね」
「はい! お嬢様のご教育担当は修道院長の私が直接、誠心誠意、務めさせて頂きます」
「ん? 私の教育担当が貴女なの? 修道院長さん」
「はいっ!」
「うふふ、でもね。ノーサンキュー。私の教育担当は、もう決めてるの。修道院長さん、貴女ではないわ」
「は!? 教育担当は!? わ、わ、私ではない!? で、で、では誰をっ!?」
「彼女!」
と言って、ベアトリスが指さしたのは……
何と何と!
花嫁修業、行儀見習い中の、ロゼールであったのだ。
ドラーゼ公爵家のカリスマ令嬢、『オーガスレイヤー』のベアトリスが、
指名した『教育係』は、全くの想定外!
花嫁修業、行儀見習い者としてラパン修道院へ入ったばかりの見習いシスター、
ロゼール・ブランシュであった。
「え? わ、私!?」
戸惑うロゼールに向かって、ベアトリスは「びしっ!」と指をさす。
「そうよ! ロゼール・ブランシュ! 貴女が私の教育係よ!」
このような場合、レサン王国において、
格上の貴族やその親族に対し、詳しく理由を聞いたり、反論する事は基本許されていない。
身分が低き者は「はい! かしこまりました!」と、
快く従う事が、『美徳』とされていたのである。
しかし、さすがに、ロゼールは尋ねずにいられなかった。
「ベ、ベアトリス様! な、何故!? わ、私に!? きょ、教育係を!?」
「うふふ♡ 面白そうだから!」
「え!? お、面白そうだから!?」
「うふふ、貴女の噂は父上を始め、いろいろな人から聞いていたわ。騎士隊にモノ凄い女傑が居るって!」
「モノ凄いって、そ、そんな事は……ありませんが」
ロゼールがどう答えて良いのか迷い、口ごもると、
ベアトリスは悪戯っぽく笑った。
「うふふ、謙遜しないの。貴女は私の護衛も務める騎士隊の男どもを、馬上槍試合で、ほぼ全員打ち負かしたんですって?」
「は、はい……」
「ロゼール!」
「は、はいっ!」
「貴女って、『私と同じ匂い』がするわよ」
「ベ、ベアトリス様と!? わ、私が!? お、お、同じ!? 匂いっ!?」
ベアトリスは、父ドラーゼ公爵の指示でラパン修道院へ行く事となり、
事前に調査した結果……
かつて騎士隊の男子どもを撫で斬りにした、
ブランシュ男爵家の令嬢で、
元騎士、元女傑のロゼールが在籍していることを知った。
強靭な『オーガスレイヤー』たる公爵家令嬢ベアトリスも、
会った事のない女傑ロゼールに大いに興味を持ったのだ。
そして、自分の教育係に! と決めた次第……
お互いに興味を持ったこの『出会い』が、ふたりの運命を大きく変える事となった。
だがそれは、後々の話……
さてさて!
ここで修道院長が異を唱える。
ロゼールと同じく、これは掟破りの行動である。
「お嬢様っ!!」
「はい、何でしょう、修道院長さん」
「シスター、ロゼールは1か月前、当ラパン修道院へ見習いとして入ったばかり! お嬢様の教育指導が出来るとは到底思えません!」
修道院長はきっぱり言い放つと、ぎろっとロゼールをにらんだ。
「シスター、ロゼール」
「はい」
「はい、ではありません。今すぐ自分から辞退しなさい。未熟者の私では、ベアトリス様の教育係など、到底務まりませんと。そしていつもの仕事へ戻りなさい!」
ここで、ベアトリスが割って入る。
「ちょっ~と、ストップ。ジャストモーメントぉ! うふふ、修道院長さん、貴女、この私の指示をさえぎって、何、勝手に仕切ってるの? これはね、既に決定事項なのよ!」
「いえ! でも!」
「でも、じゃないの、決定なの」
「そんな! いかにお嬢様とはいえ! わ、私は修道院長として! と、到底! う、受け入れられませんっ!」
「はあい! 3度目で~す! ぶっぶ~! 3度目の反抗は私のマイルールで、NG決定よ」
「へ!? 3度目の反抗はNG決定!? どういう事でしょう?」
「ええ、修道院長さん! 貴女、もう退場!」
「た、退場!? って!?」
「分からないの? 文字通りよ。修道院長さん、いえ、『前』修道院長さん。貴女はたった今、修道院長ではなくなりましたあ」
「え!? ど、ど、どういう事でしょう?」
「まだ分からないの、『前』修道院長さん、貴女はたった今、退職決定! さっさと荷物をまとめて、この修道院から出て行ってね」
「いきなり! そんなっ! 横暴なっ! いくら名家ドラーゼ公爵家のお嬢様とはいえ、そのような権限はお持ちではありません! 枢機卿様に! いえ! 教皇様に! いえいえ! ご両名に訴えますわっ!」
「ぶっぶう~! 残念でしたあ!」
「残念!? そ、それは!? ど、どういう事でしょうか!?」
「どういうもこういうも、創世神教会本部が行った調査の結果、貴女の日ごろの勤務態度に問題があるという話が出ていてね」
「え? 私の日ごろの勤務態度?」
「ええ、このラパン修道院へ花嫁修業、行儀見習いに来た何人もの貴族令嬢、富商の息女からの訴えが、親御さんを通じ、枢機卿様へありました」
「え!?」
「修道院長! 貴女には身に覚えがあるでしょう?」
「そ、それは……」
「貴女の厳しいしごきに耐えかね、もう数十人もの女子が、花嫁修業、行儀見習いを完遂せず、途中でリタイアしていますもの」
「う、うぐ!」
「あまりにも厳しすぎるという貴女の悪しき評判があるそうです」
「あまりにも厳しすぎる!? そ、そんな馬鹿な! 私は皆様の為を思って!」
「それが『やりすぎ』だったのですよ。だから、貴女はもう退場。そして最後の確認を、このベアトリスが行うようにと、教皇様、枢機卿様、おふたりからのご指示を頂いております」
「う、うあ!」
「そして、『修道院長の進退を含め、ラパン修道院の改革を全て私に任せる』というご指示も頂いておりまあす!」
「そんなあああ!!?? わああああああんん!!」
いきなり役職を解かれ、ショックのあまり修道院長は脱力、
その場に「ぺたん」と座り込み、号泣してしまった。
だが、誰も後難を怖れ、修道院長を労わる者は居なかった……
ドラーゼ公爵家令嬢ベアトリスはラパン修道院へ、
ただ花嫁修業、行儀見習いに来ただけではなかったのだ。
修道院長の勤務態度に問題があり、『調査』にも来たらしい。
だいぶ『強引な進め方』なのだが、ベアトリスには『大きな権限』も与えられているようだ。
しかし……
泣き崩れる修道院長を見て、さすがにロゼールは哀れになり、同情した。
初めて出会った時こそ、「ひどく口うるさく厳しい人だな」と思ったが、
その後、言葉は厳しくても、
修道院長へは「くじけそうになる自分を支えてくれた」という感謝の念がある。
確かに、厳しすぎるがゆえに、修道院長は煙たがられている感はある。
しかし、「けして悪い人ではない」と、ロゼールは思うのだ。
レサン王国の騎士道には、8つの徳目がある。
忠誠、公正、勇気、武芸、慈愛、寛容、礼節、奉仕の8つである。
ロゼールは、その徳目を厳格に守り、騎士として精進を続けて来た。
目の前で泣き崩れる修道院長を見て……
ロゼールの心の中の、慈愛―『弱者に対する思いやり』が、
そして、寛容―『分け隔てなく与える愛情』が発動したのである。
ロゼールは、ぱっと、ベアトリスの下へ移動し、ひざまずいた。
「ベアトリス様!」
「うふ、なあに、ロゼール、かしこまって」
「そのご決定、しばしお待ち頂けませんか!」
「え? ちょっと、ロゼール! 待って!」
教育係のジスレーヌが、修道院長の二の舞になると、慌てて制止するが……
ロゼールは再度、
「ベアトリス様! 修道院長様の件、ご再考をお願い致します!」
と、ベアトリスへ向かい、頭を深く下げ、きっぱりと言い放っていたのである。
ロゼールは再度、
「ベアトリス様! 修道院長様の件、ご再考をお願い致します!」
と、ベアトリスへ向かい、ひざまずいたまま、頭を深く下げ、きっぱりと言い放っていた。
びっくりしていたのは、教育係のジスレーヌだけではない。
かばって貰った当の修道院長も驚愕。
花嫁修業、行儀見習いの女子達の為に、良かれと思って厳しくして来た。
しかし、数多の女子達から、自分へ苦情が出ていた……事実が発覚した。
しまったと思い、後悔もした。
そして、ロゼールへも厳しくシビアに叱責するのが日常だったのに……
自分を憎んでいると思ったロゼールがまさか、かばってくれるとは……
全くといって良いほど思っていなかった。
なので、目をぱちくりしていたのだ。
そんなロゼールを、まっすぐ射るように「びしっ!」と見つめ、
ベアトリスは、シニカルな笑いを浮かべながら数回頷く。
「ふ~ん……ロゼール、修道院長同様、貴女も私に逆らうの?」
ベアトリスの問いかけに対し、ロゼールは小さく首を横に振る。
「いいえ!」
「では、私の決定に従いなさい。修道院長は失職させます」
「ですが、ご再考をお願い致します」
「へえ、私がこれだけ言っても……まだ逆らうの?」
「ご再考をお願い致します」
「私は言ったはずよ。3度目の反抗は私のマイルールで、NG決定だって……私の決定を4度も否定した貴女を、更に厳罰の『追放』にするわ」
「追放……ですか?」
「ええ、追放。……ロゼール、貴女がこの修道院へ来た経緯を私は知っている」
「そうですか」
「このトラブルで貴女は実家から勘当される。私にも逆らったから、この国にも居られなくなるわ。つまり完全に国外追放よ!」
「構いません! 元々、1か月前、ここへ来た時にすぐ脱走して、遠くへ旅に出るつもりでしたから」
「あははは! 来てすぐ修道院を脱走して遠くへ旅立つの? 貴女、やっぱり面白いわね」
「けして面白くはありませんが……私、旅に出て、他国へ行くつもりでしたから」
「あはははは、それが何故、思い留まったの?」
「はい、武道ひとすじ、全く世間知らずの私は、まずシスター、ジスレーヌ……騎士隊OGのジスレーヌ・オーブリー先輩に慰められ、様々な事項のご教授を頂きました。そして、修道院長様には、くじけそうになる度、厳しくも温かく𠮟咤激励されたのです」
「成る程。それで思い留まり、1か月間、修道院で、花嫁修業、行儀見習いが出来たって事ね」
「はいっ! 私がくじけず、あきらめずにやって来れたのは、シスター、ジスレーヌと修道院長様のお陰なのです」
「そうなの?」
「はい! 修道院長様は、誤解されやすい方なのだと私は思います。あまりにも私達の教育に熱心なあまり、つい言葉がきつくなり、やりすぎてしまうのです」
「うふふ、私達の教育に熱心なあまり、つい言葉がきつくなり、やりすぎてしまう……か。……確かにそうかもね」
「もしも今回の件で反省なされば、修道院長様は、充分やり直せると私は思います。どうか、ベアトリス様! 今一度再考され、修道院長様へチャンスをお与えください!」
「うふふ、ロゼール。貴女の言いたい事は良~く分かったわ」
「はい! というわけで。私ロゼール・ブランシュは、修道院長様には大きな恩義があります。騎士隊を除隊しましたが、私は今でも騎士です。忠誠、公正、勇気、武芸、慈愛、寛容、礼節、奉仕の8つの徳目は私の心の礎《いしづえ》です」
「成る程。ロゼールの礼節―目上を敬い、目下を侮らない謙虚さ、勇気―いかなる場合でも強者へ立ち向かう胆力……が、今、発動したという事ね」
「はい! そうとって頂いて構いません。ですから、ベアトリス様が、もしも修道院長様を失職させるというのでしたら、修道院長様の大恩に報い、私は反対致します。そして反対が通らぬ場合、ベアトリス様のご命令通り、追放され、遠くの他国へ旅に出ようと思います!」
はきはきと言い放ったロゼール。
対して、ベアトリスはシニカルに笑ったままだ。
表情を全く変えない。
「うふふ、抜きん出た女傑の貴女が、遠くの他国へ旅に出るなんて、我が王国の貴重な人材の流出……それは困るわ、ロゼール」
「ベアトリス様にそこまでお褒め頂き、誠に恐縮ですが……では、旅に出さないと申されるのなら、私を牢獄に幽閉でもするおつもりですか? ご命令とあらば従いますが……」
「あはは、何よ、その潔さ。ふふふ、負けたわ」
「負けた……とは?」
「『前』修道院長殿!」
「は、はい!? ベアトリスお嬢様!!」
「『前』を取ってあげる! 貴女の失職は、ロゼールの心意気に免じて、取り消しよ!」
「え?」
「まさに、情けは人の為ならずね。すんでのところでロゼールがかばってくれたのよ、感謝しなさい」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
「うふふ、私へではなく、修道院長殿、貴女がお礼を言うのはロゼールよ。……今後はもう少し相手を労わって、物言いをなさる事ね」
「は、はい! そ、それはもう!」
修道院長は、すぐロゼールに向き直り……深く頭を下げた。
「ロゼール殿! いえ、シスター・ロゼール、本当にありがとうございます! 貴女と創世神様に多大な感謝を致します。充分に反省しますから、今後とも宜しくお願い致します」
対して、ロゼールもうやうやしく礼をした。
「こちらこそ! 宜しくお願い致します。修道院長様!」
ふたりの様子を満足そうに眺めていたベアトリス。
「うんうん! よしよし! それと修道院長殿、こういう落としどころはどうかしら?」
「お、落としどころ?」
「ええ、修道院長殿のおっしゃる事も一理ある。確かに、経験不足のロゼールに私の教育係をやって貰うのは負担が大きすぎるわね」
「と、申しますと?」
「私も旧知のオーブリー元子爵夫人、シスター・ジスレーヌに教育係としてついて貰い、花嫁修業、行儀見習いの教授をして頂くわ。ロゼールと一緒に仲良く修行するのよ。で、あれば全てが丸く収まるでしょ?」
何と!
ベアトリスは、ロゼールとともに、花嫁修業をする提案をして来たのである。
翌日から……
強靭な女傑とうたわれた元騎士ロゼール・ブランシュと、
恐るべき『オーガスレイヤー』と噂された公爵家令嬢ベアトリス・ドラーゼ。
奇妙な組み合わせといえるふたりの『花嫁修業』『行儀見習い』が始まった。
ロゼールとベアトリスは、いがみ合う事もなく一緒に自然に修業していた。
元々ロゼールは騎士隊では、少し爵位が上の相手でもフレンドリーに接していた。
だが、さすがに王族に準ずる、上級貴族公爵令嬢ベアトリスに対して、そうはいかない。
自然と感情を表に出さず淡々となる。
そういう作法を身につけていた。
さてさて!
教育係のシスター、ジズレーヌこと、
元・子爵夫人ジスレーヌ・オーブリーからいろいろと手ほどきを受け……
初日、2日目こそ、従来の「かっちりした予定」を、
何とかこなしたロゼールとベアトリスであったが……
3日目になって、ベアトリスは「ぶーぶー」不満を漏らし始めた。
規則正しい生活に慣れたロゼールでさえ、思い悩んで『脱走』しようとしたのに……
自由奔放に生きて来たベアトリスに、そんな堅い生活は我慢が出来るわけがなかったのだ。
朝食後、午前8時過ぎ……
修道院専用の農場で草むしりをするロゼールとベアトリス。
ベアトリスが草むしりをしながら話しかける。
「ねえ、ロゼ」
同じく、草むしりをしながらロゼールが応える。
「あの、その愛称は、いかがなものかと……私はベアトリス様から、ロゼールと呼んで頂きたいのですが」
「ぶうぶう! いいじゃない! 私が貴女をロゼって愛称で呼んでも! あと、必要以上の敬語もナシにしてね!」
ぶうたれるベアトリスを見て、ロゼールは無表情のまま、大きく息を吐く。
「ふう……ご命令であれば致し方ありません……かしこまり……いえ、分かりました。……何でしょう? ベアトリス様」
作法に基づき、いんぎんに言うロゼール。
対して、ベアトリスのいらいらがつのる。
彼女は身分の差を超えて、同じ匂いを持つ?ロゼールと仲良くしたいらしい。
「もう! ベアトリスって! 何言ってるの、ロゼは! ダメじゃない! 私をそんな呼び方しちゃ!」
「と、申されましても」
「いい? 私の事はベアトリスではなく! 愛称のベアーテで呼びなさい!」
「いえ、それはご命令といえど、出来ません。拒否させて頂きます。そのフレンドリーな、お呼びの仕方はちょっと……」
「ちょっと? 何故よ!」
「私はベアトリス様を親しくお呼び出来る、お身内ではありませんから」
「あ~! ひっど~い! 私の身内じゃないって、ロゼったら! すっごく冷たい言い方あ!」
「まぎれもない事実ですから。私は男爵の娘で身分も低いですし」
「構わないわよ! 私は気にしないから」
「いえ、私が気に致します。王族に準ずる血筋の、高貴な公爵家令嬢のベアトリス様と私は、単に師を同じくする『花嫁修業仲間』に過ぎません」
「何それ! 超つっめた~い!」
「それより……あのベアトリス様……何か、私へおっしゃりたい事がおありなのでは? 本題に戻りませんか?」
「ぶ~! ……もう! 仕方がない。ロゼも初日に脱走を考えたこの修道院の暮らしの事よ!」
「ええっと、まだ、たった2日経っただけですよ」
「いやっ! 起床時間が朝の4時なんて早すぎる! 草むしりなんて、すぐ飽きる! 食事の量が少なすぎる! 家事なんて、ウチの使用人がやるのに覚える必要がなさすぎる! 武道の鍛錬が出来なさすぎる! もうこれ以上、耐えられないっ! 今のスケジュールと方法で花嫁修業はお断りよ!」
「ふうう……根気と、忍耐力が著しく欠けていますね、ベアトリス様は」
「あ~! そんな事言えるの、ロゼは!」
「はい? 何の事でしょうか?」
「とぼけないで! ロゼ! 貴女はね、いきなり初日で嫌になり脱走しようとしていたから、2日間我慢してぶーぶー言う、私の事は責められないでしょ!」
「ええっと……それはもう、きっちりと封印した『黒歴史』です。それよりここの生活に耐えられないですか? ご自宅へお帰りになりますか?」
「いやよ! 絶対に帰らないわ! 父上に大見え張って出て来たんだも~ん! 教皇様や枢機卿様にも、『私に全て任せて』って言って来たんだも~ん!」
「ええっと……ベアトリス様と高貴な方々とのやりとりは、私に知る由もなく、関係もなく、知りたくもありませんが」
「もう! 何よ、それ! 本当にロゼはつっめた~い! ここでの暮らし、どうにかしてよぉ!」
淡々とした物言いのロゼールに、ベアトリスは地団太を踏んだ。
ロゼールは苦笑し、肩をすくめると、
「はあ……仕方がないですね。ベアトリス様、私にひとつ考えがあります。以前から検討してはいましたが」
「考え? 何? ロゼは以前から検討していたの?」
「はい、ダメもとで修道院長殿へ『改革』をかけあいましょう」
「修道院長へ『改革』をかけあう? ……多分ダメじゃない? あの人頭が固そうだから」
「確かに」
「それにロゼは、私が権力や権限で押し通すのが嫌いでしょ?」
「いえ、嫌いとかではなく、持てる者はそれを正しく、筋を通して使うのが責務かと存じます」
「何それ? ノブレスオブリージユって事?」
「はい、そうとって頂ければ……で、話を戻しますと、修道院長殿へ、ベアトリス様から、改革のご提案を致しましょう」
「ふうん……ロゼは、そういうのかかわりたくないんでしょ?」
「はい、基本的には。しかし先ほど、ここでの暮らし、どうにかしてよぉ! というベアトリス様の願いをお聞きし、私が受けた修道院長への恩を鑑みて、改革案を提案するのはやぶさかではありません」
「ふううん……で、どう言うの?」
「……逆にベアトリス様が、高貴な方々にどのようにご報告されるかです」
「私が?」
「ええ、このままでは、数多の女子がリタイアした件に関し、単に修道院長殿が猛反省され、悔い改めたという事実でしかありませんよ」
「まあ、確かにね。そう報告するしかないわ」
「でも、それでは、修道院長殿のプラスポイントにはなりません。彼女が大いに反省した上で、良き改革案を示し、ベアトリス様が大いに気に入り、しばらくは、このラパン修道院において、修業したいと身をもって感じた。そうご報告でおっしゃって頂ければ、修道院長殿は高貴な方々に対し、おぼえめでたくもなるでしょう。そして、花嫁修業志願の女子達もこぞって当院へ来るでしょう」
「すらすら」としゃべるロゼールの言葉をじっと聞いていたベアトリス。
「うふふ、ロゼール」
「はい」
「凄い『武辺者』だとは思っていたけれど、貴女、相当な『切れ者』ね。……分かった。改革案を練って、ともに修道院長の下へ行きましょう」
ロゼールの話を聞いたベアトリスは、笑顔で満足そうに頷いていたのである。
思い立ったが吉日だが、「決めるまでは熟考」する。
でも!
「決断したら、即行動」がロゼールのモットーである。
ロゼールは、ベアトリスを伴い、いきなり修道院長へ会うのは避けた。
失職されかけた修道院長が、ベアトリスから「大事な相談がある」と告げられたら、
どう反応するのか?
ロゼールは「修道院長が大いに緊張し怖がる」と予想し、確信したのである。
今回の件を、上手く円滑に運ぶ為には……
趣旨を事前に伝え、修道院長に良く理解して貰った上で、3人での話し合いに臨んだ方がベスト……
そうベアトリスを説得したのだ。
了解したベアトリスに対し……
ロゼールは『まず自分が単独で修道院長へ会う事』……
つまり『ワンクッション案』を提示し、こちらも了解して貰った。
と、いうわけで……
その日の午後9時過ぎ……夜のお祈りが終わった後、就寝までの自由時間。
今、ロゼールはひとり、修道院長室の前に居た。
とんとんとん!
ロゼールは軽くノックをし、
「夜分、失礼致します、修道院長、シスター、ロゼールです。ご相談があるのですが……宜しければ、お時間を頂けないでしょうか?」
と、扉ごしに声をかけた。
対して、
「はい、シスター、ロゼール。どうぞ! 扉にカギはかかっていません。入ってください」
と、弾むような声が戻って来た。
「失礼致します」
ロゼールは扉のノブを回し、修道院長室へ入った。
片側に実用的で地味なベッドが置かれ、
もう片側には書籍がいっぱい並べられた書棚。
質素な応接セット。
応接セットの脇には移動可能なワゴン台があり、台座にはお茶のポットとカップも数個ある。
そして正面には重厚な机が置かれ、
事務仕事をしていたらしい修道院長が、机と対となる椅子に座っていた。
……何度、この部屋で叱責され、叱咤激励もされただろう。
ロゼールはそう思うと感慨深い。
その時の修道院長は、いつも険しい表情で、口を「きりり」と真一文字に結んでいた。
速射砲のように、ロゼールへ厳しい言葉をたくさんたくさん浴びせていた。
しかし、絶体絶命の土壇場で、ずっと自分が𠮟責してロゼールが、
追放も恐れず身体を張り、懸命にかばってくれた……
修道院長は、かばってくれたロゼールに深く感謝するとともに、完全に変わった。
著しく言動が穏やかになり、全員に対し、極めて優しく振舞うようになったのだ……
……入室したロゼールの姿を認め、すっくと立ちあがった修道院長は、
柔らかな笑みを浮かべ、穏やかな表情である。
「どうしました、シスター、ロゼール。ご相談とは、何か悩み事ですか? であれば相談に乗りますよ」
人間は変わって行く……
そして、いついかなる時でも、いかなる環境でも、リスタート出来る。
ロゼールはそう信じている。
自分みたいな若輩者が言うのはおこがましい。
だが、60代半ばを過ぎた修道院長ほどのベテランでも、やり直せる。
そう思うのだ。
修道院長に応接のソファを勧められ、ふたりは着席し、向かい合う。
ほんの少し雑談をした後、ロゼールは本題へ入った。
「……修道院長様、実は先ほどベアトリス様とお話ししまして……」
ロゼールがそう言うと、やはり修道院長の表情は曇った。
ベアトリスの指摘と彼女の存在がトラウマとなっているのかもしれない。
「このまま、ベアトリス様がお父上のドラーゼ公爵閣下、教皇様、枢機卿様へ現状を報告されると、修道院長様にとって、何もプラス面がないと思いまして……」
「どういう事でしょうか? シスター、ロゼール。ベアトリス様が現状を報告されると、何も私のプラス面がないとは……私は、己の犯した重き行いを心の底から悔いて、大いに反省しておりますが」
「それでは全然、不十分です」
「ぜ、全然、ふ、不十分ですか……」
「はい! ベアトリス様は、現在私と花嫁修業中です。ベアトリス様と修道院長様、おふたりで改革を行い、結果、ベアトリス様が身を持ってご体感され、大いに満足し、御三方へご報告をされれば、修道院長様の覚えがめでたくなります」
「ベアトリス様と私ふたり!? そ、それは……でもシスター、ロゼール、貴女は?」
「私は表へ出ない裏方で構いません。そんな事より、その結果、新たな花嫁修業希望の女子達が数多、参るでしょう となれば、評判が評判を呼び、ラパン修道院は栄え、修道院長殿の手腕も高く評価され、失策は払しょくされます。
「失策が……払しょくされる。犯したミスが消えるという事ですか」
「いえ、消えるどころか、大幅なプラスになります。となれば、ひいては在籍するシスター達も含め、皆が幸せになる事が出来ます」
「……シスター、ロゼール」
「はい」
「……また、私の為にわざわざベトリス様へ話して頂いたのですね?」
「いえ、それもありますが、ベアトリス様がこの2日で、既に『限界』に来ていましたから」
「げ、限界?」
「はい! ……いやっ! 起床時間が朝の4時なんて早すぎる! 草むしりなんて、すぐ飽きる! 食事の量が少なすぎる! 家事なんて、ウチの使用人がやるのに覚える必要がなさすぎる! 武道の鍛錬が出来なさすぎる! もうこれ以上、耐えられないっ! 今のスケジュールと方法で花嫁修業はお断りよ! 以上、原文ままという感じです」
「そ、そうだったんですか」
「ええ、たった2日で? 根気と、忍耐力が著しく欠けていますね、ベアトリス様はと、私が申し上げましたら、ロゼール、貴女はね、いきなり初日で嫌になり脱走しようとしていたから、2日間我慢してぶーぶー言う、私の事は責められないでしょ!……と、きっぱり反論されました」
「うふふ、成る程」
「それで、私が修道院長様へ前振りに伺い、教育係を担当して頂いているシスター、ジスレーヌ他のシスター達にもしっかりと聞き取りをした上で、現状のスケジュールや内容に関して精査し、改めてベアトリス様、修道院長様と、3人でご相談をしたいと思います」
「……話は良く分かりました。では、シスター達への聞き取りは、修道院長として、私も一緒に行いましょう」
「じゃあ、それも臨機応変でお願い致します」
「臨機応変ですか?」
「はい、今まで厳しくおやりになっていたので、修道院長様が一緒だと言いにくい事があるやもしれません。状況を見て、臨機応変で私と一緒に聞き取りを致しましょう」
「な、成る程」
「ベアトリス様と私だけの作業では、修道院長様が丸投げし、ノータッチという感も生まれてしまう。……という懸念もありますから」
「もろもろ了解しました、シスター、ロゼール。もしも聞き取りの際、シスターの誰かに尋ねられたら、許可に関しては、私から得ていると返してください」
「ありがとうございます。助かります」
「いえ、こちらこそ、ご尽力に感謝致します。皆さんが元気よくのびのびと花嫁修業が出来るよう、私もどう改革したらベストなのか、一生懸命に考えます」
修道院長は晴れやかな表情で言い、更に
「本当に本当にありがとうございます、シスター、ロゼール。創世神様と貴女へ感謝致します」
と、深く頭を下げたのである。