最初は彼が何を言っているのか、よく分からなかった。でも、すぐそれがどういう意味なのか気づいた。
(親が違う?ってことはー)
「もしかして、両親の再婚で兄弟になった…とか?」
「そう、兄貴は継母が連れてきた子供。だから正確に言えば、俺と兄貴は赤の他人だよ。」
その言葉に、彩響は頭でも打ったかのようにぼうっとしていた。そんな、雛田さんが弟思いなのは血縁関係があるからだと、そう思っていた。だからそんな二人を見て、やはり自分も母に対する態度を改めないといけないと、そう思っていたのに。
動揺する彩響に気づいたのか、林渡くんがこっちの様子を探る。
「本当の兄弟だと思ったの?」
「ええ、まあ…。すごく仲良く見えたから。」
「別に、血縁関係じゃなくてもいくらでも仲良くはできるよ。」
「それはそうだけど…なんというか、その…。」
ーいい?彩響。私はあなたの母よ。そして唯一の家族。だから私の言うことさえ聞けばいい。すべてあなたを心配して言ってるんだから。
母の言葉が今でもはっきり記憶に残っている。「家族」という言葉にどれだけ強く縛られてきたのか、改めて気づく。家族だから、母だから、娘だからーこれは運命だと、自分自身を慰めて生きてきた30年が呆気なく感じた。
「俺だって、彩響ちゃんと同じように考えた時期もあったよ。継母が俺を嫌うのは、仕方ないと思っていた。でも、兄貴は違った。」
ー「林渡、こんなところにいたの?探したよ。」
父が再婚して1年。切ない気持ちを抑えられず、庭の隅に隠れ一人泣いていたときだった。自分を呼ぶ声に顔を上げると、そこには継母が連れてきた「にいさん」が立っていた。9歳も年上で、とても格好いい、頼りになる人。9歳の林渡は、そのまま兄さんをギュッと抱きしめた。
「ちあきにいさん…。」
「寒いでしょう、お家に早く帰って温まろう。君の好きなお菓子も買ってきたよ。」
「い、いやだ…帰りたくない。」
家には継母がいる。その人が自分を見る冷たい視線が、とても嫌だった。でも、それをはっきり言えず、林渡はシクシク泣くことしかできなかった。ちあきにいさんはそんな林渡をギュッと抱きしめ、にっこり笑った。
「そうか、帰りたくないか。じゃあどこか行こうか?」
「どこへ?」
「公園でお散歩しよ。」
「……」
「大丈夫、無理やりお家に帰ろうとは言わないから。」
にいさんの言葉に、林渡は手を握って歩き出す。ちあきにいさんは優しくほほえみ、自分の首に巻いていたマフラーを外して弟の首に巻いてくれた。まだぬくもりが残っているそのマフラーがとてもうれしく思えた。
「…ごめんね、林渡。」
「…?」
「なにもかも。君だって、まだまだママに甘えたい歳なのに。ーでも、その代わり、私が君の本当の兄になってあげる。」
「ほんとうの…あに?」
「そう、これからはもっと強い味方になってあげるよ。辛いときも、悲しいときも。…お母さんに見せつけてやれるくらい、お互いを思い合う、そういう兄弟になろう。」
そういうちあき兄貴の顔はどこか切なくて、でもとても暖かく感じた。林渡はマフラーをギュッと握り、とても久しぶりに大きな笑顔を見せた。
「うん、そうなる。ほんとうのきょうだいになる!」
「兄貴は俺と初めて会った瞬間から、本気で俺を大事に思ってくれた。産みの母でも、父でもない、赤の他人である兄貴だけが、本当の意味で「家族」になってくれたんだ。血ではなく、『心』で。」
ー大事なのは心です。心さえ通じ合っていれば、家族になれるし、逆に家族だから何をやっても良い訳じゃない。
やっとさっき雛田さんが言っていた言葉の意味が分かった。そうか、あの人は本当に自分の「心」で林渡くんを弟として迎えたんだ。
「俺が認める家族は兄貴だけ。血の繋がりがあるか、産んでくれたとか、そういうのは関係ない。だから彩響ちゃん。あんたをこんなに苦しめている人を、無理して理解しようとか、恩返ししなきゃいけないとか、そう考えるのはやめて。もう、自分のために生きても良い頃でしょう?」
自分のために生きる。とても素敵で、いや、むしろ当たり前な言葉だけどー人間誰しもそんなスタンスで生きられる訳ではない、そう思ってこの30年生きてきた。母の連絡に一々心臓がバクバクして、母の機嫌を探るのが娘である自分の役目だと思っていた。だから、今そんなことを言われても方法が分からない。
「…まだ、母との関係をどうすればいいのか、分からない。でもー」
それでも、今日話を聞いて少しは思った。ずっと悩んでばかりだったけど、自分ももしかしたら変わることができるかも知れない。そう、少しは、少しはー
「ー少しは、母に関する自分の心に、正直になれると思う。」
「あの、保護者様。いつお帰りになりますか?面会の時間ではないので、速やかにお帰りください。」
扉が開き、看護師さんが彩響を見て聞く。それを聞いた彩響は慌てて椅子からぱっと立ち上がった。時計の針はもう4時を過ぎていて、改めて結構長い時間ここにいたのを実感した。彩響は扉の方へ向かいながら言った。
「すみません、すぐ出ます。ーじゃあ、林渡くん。今日は色々と大変だったから、ゆっくり休んで。」
「あ、ちょっと…」