大学を卒業するまでは、男の知人と一緒に歩くだけで暴言を吐いていた母は、25を超えた瞬間から結婚相手を早く探せと急かし始めた。今まで碌な恋愛経験すらなかったのに、いきなり結婚相手を探せるはずがない。

その状態で積極的にアタックしてきた元彼とは結婚を約束し、マンションも買って同棲も始めたけど…結局うまくいかず、別れてしまった。破婚した後、母は更に厳しく、更に酷く責めた。クソな男と別れただけなのに、まるで人生の敗者にでもなったように。


「元彼が駄目な人間だって、知ってもそんなこと言ったの?」


林渡くんの質問に、彩響は首を横に振った。


「一応別れた理由は説明したよ。でも、母はたとえクソな相手でも、結婚しないよりはマシだと思っているから。」

「はあ…。」


林渡くんがため息をつき、辛そうに何回か両手で顔を覆う。そのまま顔を隠して、林渡くんが話を続けた。


「自分は結婚失敗しておいて、娘には誰でもいいから結婚しろって言う?」

「失敗したからこそもっと執着したのかもね。」

「そんなの、これっぽっちも娘の為になってないじゃない。自分ができなかったことを、ただ代理満足したかっただけ。」


林渡くんが言う通り、母は代理満足したいのかもしれない。いつも「あなたのためよ」と言っておきながら、結局は母本人が望むのを押してくるだけ。それは気づいていたけど、やはり抵抗できなかった。なぜならー

「代理満足だと知っていても、やはり積極的には抵抗できなかった。これだけ悪口言っておいて今更だけど、母はいつだって酷かったわけじゃない。今まで育ててくれたし、貧乏家庭なのに大学まで進学させてくれたし、たまには私の好物を作ってくれたり、優しいときもあった。」

母の暴力に耐えられず、もう家から逃げ出そうとした瞬間も何回もあった。

でも、その度に聖なる産みの母を捨てることは許されないことだという背徳感や、もし自分が母の期待に応えられるような「いい娘」だったら、母がここまで酷くなることはなかったかもーという罪悪感が足を引っ張った。だからできるだけ、自分ができる範囲で母の期待に添えられる道を探した。それが「お金」だった。


「私もあなたと同じく、母に愛されたくて、必死でお金を稼いだよ。やっぱりお金を渡すと母の態度が変わるものだから。母が私に酷いことをしてきたのは事実だけどーほら、なんだかんだ言って、結局血の繋がった家族だけがお互い助けてくれるでしょう?あなたも残念なことにお母さんとはうまくいってないけど…心強いお兄さんがいるから、きっと大丈夫。」

ここまで言って、彩響は深く深呼吸をする。そうだ、きっと母も辛かったはずだ。だから、娘である自分が母を理解してあげるべきなのだ。娘として、家族として、同じ女として。
自分じゃないと、誰が母を理解してあげるんだ?

「…だから、私も母のこと、理解しようと努力しようと思う。だって、私にとっては唯一の家族だから。」

どれだけ悩んでも、考えても、やっぱり答えは一つだ。あの人の娘として生まれた以上、こうなるしかないのだ。

薄暗い病室の中、沈黙が流れる。雰囲気に流され結構長い話をしてしまったなーと思い、ふと恥ずかしくなる。それでも、少しスッキリした気分にもなった。今までずっと、胸の奥にずっと隠しておいた話を、ここまで言えるとは自分でも思わなかった。

しばらくして、林渡くんが身を起こしベッドの上に座った。そしてこっちを見て、首を横に振った。それがなにを意味するのか、分かるまでには少し時間がかかった。

「違うよ、彩響ちゃん。あんたの考えは間違ってる。」

とても悲しそうな目。似たようなことで悩んでいたからか、その視線がとても馴染み深いと思った。ーでも、なにが間違っているというのだろう?疑問を抱いたまま、彩響は続く言葉を待った。林渡くんは淡々と話を続けた。


「彩響ちゃんはもう十分努力したよ。これ以上、母親のために頑張らないで。その人が彩響ちゃんにやったのは、愛情表現でもなんでもないよ。自意識過剰なばばあが自分の汚い性格で弱い娘を虐めた、ただの虐待にすぎないよ。」


(虐待、ね…。)


たとえ虐待だったとしても、今更どうしようもないだろう。幼い頃に戻って自分を守ることもできないし、今更母にあれこれ言ってもしょうがない。結局、「家族」という言葉から逃れられないのだ。


「虐待かもね。でも、家族だから。あなたとお兄さんみたいに、お互いを思い合えるのは家族だけでー」

「だから、その『家族』という言葉がそんなに大事なの?血縁関係とか、兄弟とか、親子とか、もうそんなのどうでもいいんだよ。人間は自分のことを最優先に考えるべき。」

「そんなことないよ。だってほら、あなた達兄弟はー」

「兄弟じゃないよ。だって、兄貴と俺、親が違うから。」

「…え?」