電話を切って寝ている林渡くんの前で待つこと約20分。自動ドアが開き、急いで雛田さんが中へ走って来た。彩響が立ち上がると、それに気づいた雛田さんが声を出した。


「峯野さん、林渡は…!」

「ついさっき眠りに落ちました。」

「そうですか…。私、入院の手続きしてきます。峯野さん、もう少しだけここで待ってくれますか?」

「あ、はい。」



入院の手続きが済んだ後、林渡くんは無事入院室へ運ばれた。看護師たちがドタバタ動き、一斉に何か処置をした後、彩響はやっと病室へ入ることができた。家で辛そうにしているときよりは大分顔色が良くなったことを確認して、やっと胸を撫で下ろす。音を立てないよう気をつけて病室を出ると、誰かが声をかけた。


「峯野さん。」

振り向くと雛田さんがこっちへ来るのが見えた。彩響のすぐ前まで来た彼が丁重に頭を下げ、感謝の気持ちを伝えた。


「今日は本当にありがとうございました。」

「いいえ、一旦落ち着いたようで良かったです。雛田さんこそ、夜遅いのに来てくださってありがとうございます。」

「そんな、家族だから当たり前です。」

「ええ…そうですね。」


(「家族」、か…。)


一瞬自分の「家族」のことを思い出してしまい、胸の奥がずきずき痛む。いや、でもここでこんな気持ちを言ってもなんの意味もない。大人らしく、表情管理をする彩響に、突然雛田さんが提案した。

「あの、峯野さん。お時間よろしいですか?もしよかったら、少しお話をしませんか?」

「お話、ですか?」

「そうです。以前から峯野さんとは色々と話してみたいと思ってました。」


正直に言えば、彩響もこの人と話をしてみたいと思っていた。いや、正確には、「仲良しで過ごしている家族を持っている誰か」と。なのでこの提案を断る理由もなく、彩響は頷いた。


「はい、実は私も雛田さんと話をしてみたいと思っていました。」



もう深夜の2時を過ぎ、病院はもう静かな雰囲気に包まれていた。彩響は暗いロビーのベンチに座り、ふと足を見下ろした。そして自分が靴を不揃いで履いていることを知り、呆れて笑ってしまった。全く、どれだけ慌てていたことか。でも流石に40度1分は怖かった…。


「峯野さん、こちらどうぞ。」


雛田さんがペットボトルのお茶を渡す。ありがたく受け取ると、雛田さんも彩響の隣に座った。


「峯野さんも相当驚いたんでしょうね。本当にお疲れ様でした。それにしても、林渡のやつ、色々やり過ぎて疲労が溜まっていたらしいですね…。くれぐれも無理はしないよう、何回か注意してましたけど。いい意味でも悪い意味でもあいつは物事に必死になるクセがありまして。」


振り返ってみると、林渡くんは学校に通って、家政夫の仕事もして、以前は学校のイベントスタッフまでやっていた。彩響が遅く帰ってくる日も大体部屋に電気がついていて、何か本を読んだり夜食を作ってくれたりしていたことを思い出す。あれだけ色々やっていると、いくら若くても流石に身が持たないよね…。


「普段いつもなにかしら熱心にやっていることは知っていました。でも、調子が悪いなら素直に言ってくれれば良かったのに。」

「いや…。それが、私からそう言う度に林渡が言うんですよ。『彩響ちゃんはもっと大変なのに文句言わずに頑張っている』って。だから自分ももっと頑張りたいと。」

「いや、私は別に…。」


照れ臭くなり、彩響は返事を誤魔化した。雛田さんはそんな彩響を微笑ましく見守っていた。その顔を見ていると、ふと以前林渡くんと揉めたことを思い出す。彩響は恐る恐る質問した。


「あの…私、林渡くんにお兄さんと会ったことを伝えました。それで、何か林渡くんに責められたりしていませんか?」

「そうですね…余計なことを言ったとは言いましたが、すごく怒ったりはしませんでした。私が心配している気持ちは分かってくれているはずなので。」


なにもなかったように笑うその顔が羨ましい。血の繋がった兄弟だから、家族だから、きっと心を許せるのだろう。やっぱり、家族と言うのはこんなものなんだ。お互い支え合って、なんでも話して、悲しいときはお互い慰めて…。


「…私も、雛田さんみたいな兄弟がいたら良かったのに。…羨ましいですね。私は一人っ子だし、母子家庭で育ったので、こう…心を許せる家族がいなくて。」

「お母さんとは?うまくいってないんですか?」

「まあ…母とは昔から衝突してばかりです。ーでも、今日雛田さんを見て思いました。やっぱり、辛い時お互い助け合うのって、家族だけですよね。私ももう少し、母に優しくしなきゃ…と思いました。この世で唯一の、血の繋がった家族ですから。」


母のことを考えると、未だに胸の奥底が重い石にでも強く押しつぶされるように痛くなる。それでもやはり娘として、100%は無理でも、ある程度は母が望むことを叶えてあげるしかないと思う。