普段とてもお人好しで、嫌なことがあっても中々文句を言えない性格の理央だけど、今は彼女の言葉からとても強い力を感じた。その力に魅了され、彩響はしばらくなにも言えず、ただ友達の顔を見ていた。


(…いや、それでも友達として、ここでただ拍手して祝ってあげるわけにはいかない。)


彩響自身もシングルマザーの下で育ったものだから、その辛さは誰よりよく知っている。望んでもなかったのに母の人生のパートナーに選ばれ、なにかある度に大人と同じく母の気持ちを理解するように強調され…。そんな自分の幼い頃を考えると、気楽に「生命は大事だから産みなよ」とかはさすがに言えない。言いづらいけど、彩響は勇気をだして口を開けた。


「本当に大丈夫?シングルマザーの人生って、思った通りにいかないことばかりだよ。私、知っているからこそ喜んであなたの考えに賛成できるとは言えないわ。」

「そうだね…。あなたが言いたいことは分かるよ。でも、やっぱり諦めたくない。私ってほら、いつも物事をそこまで深く考えようとしない人だけど…。今回だけは強く思うの。どうしてもこの子を手放したくない。まだ母性愛とか、そういう感情がなんなのか、よく分からないけど…とりあえずは頑張りたい。」


理央はそう言って、にっこり笑った。それを見る彩響も一緒に笑うしかなかった。状況は深刻だけど、それでも応援するしかない。彩響は友達の手をぎゅっと握った。不安な気持ちを完全に消すことはできないけど、少しでも力になってあげたいと思った。

「あなたがそこまで言うなら、応援するよ。私も力になる。そして心配しないで、あなたにはもう母性愛が十分あると思うよ。ほら、だって、こんなにも守りたいと思ってるから。大丈夫、きっと上手くいくよ、なにもかも。」

彩響の言葉に理央が笑った。ぎゅっと握っていた手の震えもいつか止まっていた。




幸い、彼氏さんはお腹の子をおろすようには言わず、二人は急いで入籍した。そして理央は仕事を辞めた。女性社員のことを厄介だと思っている会社としては、妊婦さんへの配慮なんかあるわけがなかったからだ。

妊娠したことを知らせたとき、上司は「あ、そう。じゃあ退職の手続きは早めにしなよ」と一言言って、それ以上はなにも言わなかった。理央は「この会社はやっぱり、女を人として扱ってないわ」と言ってそのまま退職した。


亜沙美を産んでから4年。旦那さんとの結婚生活が大満足のようには見えないが、理央は母としても妻としてもうまくやっていってると思う。亜沙美ちゃんはとても可愛いし、愛されて育った顔をしているから。その姿を見ると、彩響はどうしても羨ましく思ってしまうのだった。

(私も理央のようなお母さんだったら、もう少しマシな性格していたかもね…。)


「どうしたの、急にそんな話して。又お母さんとうまくいってないの?」

心を読まれ、彩響は一瞬ビクッとする。


「…まだっていうか、いつもうまくいってないよ。」

「まあ、そう言わずに。お母さんもきっとあなたのこと考えていろいろきついこと言って来るんだと思うよ。私も亜沙美が言うこと聞かないときとか、ついきつい言い方しちゃうから。でも本心ではきっとあなたのこと一番大切に思っているはずだから。あなたもママになってみたら分かるよ。」

「まあ…そういうことでしょね…。」

彩響は適当に返事をして、遠いところへ視線を逸らした。このモヤモヤした気持ちは、やはり誰にも分かってもらえない。そう思いながら、彩響は手に持っていたパクジュースを飲み込んだ。



理央と亜沙美ちゃんと出会って、数日後。
昼くらいに出勤すると、オフィスの雰囲気がなんだか騒がしいのを感じた。何事かと思い扉を開けると、こっちへ視線が集まる。


「おー主任!待ってました!!」