「そう、スルメイカ、すごい気に入ってくれたよ!そして見て、連絡先ゲットした!今後私と二人きりでご飯食べたいんだって!」

「すげー!ハリウッド女優の個人連絡先なんて、めったに手に入るもんじゃないのに!」


林渡くんはまるでショーに出てきたアシカのように拍手する。まるで自分のことのように、いやそれ以上に喜んでくれる姿を見て、彩響は今までツンツンしていた自分のことを恥ずかしいと思った。だから、ここは改めて感謝をしなきゃーと思った。そう、大人らしく。


「林渡くん、今回は本当にありがとう。おかげさまでうまくいきそうだよ。最初正直疑ってたけど、本当に君の言うとおりだね。」

「言っただろ、俺、彩響ちゃんの役に立つ仕事してみせるって。それに、今回は俺じゃなくて、彩響ちゃんが頑張った結果でしょう。」

「いや、でも…。私だけじゃ絶対ムリだったよ。」

「そんなことないよ。彩響ちゃんがどうにかしたいと強く思ったからこう繋がったんだよ。しかも、きっとあの女優との会話もスムーズにできたから、好感度も上がったんでしょう。いきなりスルメイカとか出されても困るだけでしょう?だから、これは全部彩響ちゃんの手柄。やっぱり彩響ちゃんて、すごいよ!」

(あ…。)

何気ない林渡くんのその言葉に、何故か心のどこかでなにかが折れる音がした。ただ褒めるだけ、それだけなのに。どうしてこうも悲しい気分になるのだろうか。

ー『彩響、本当あんたって、使えない子ね。あなたには失望してばかりだわ。』

それは数年前、いや、つい最近までもずっと聞いていた言葉。ずっとそう言われてきたから、ずっとそんなふうに扱われてきたから、本当に自分はただの役立たずだと思っていた。だから、こんなに素直な「すごい」という褒め言葉に、どんな反応をすればいいのか分からなくなった。

「…彩響ちゃん?どうしたの?」

一瞬ぼうっとしている彩響を見て、林渡くんが心配そうに聞く。彩響はすぐ首を横に振った。

「いや、なんでもないよ。」

「今日はなんかお祝いする?俺、なんか作るよ。なに食べたい?好きなものなんでも言って。」

「いや、今日くらいなんか奢るよ。出前とかどう?」

「なに言ってるの、こういう日だからこそ俺に作らせてよ。あ、ちらし寿司とかどう?丁度材料揃ってるんだよね。」


林渡くんはとても嬉しそうな顔で、すぐエプロンを身につけた。鼻歌まで歌う彼を止めることもできず、彩響はそのまま食卓に座った。そしてふと、食卓の上に置いてある大量の教材が目に入った。おそらく全部学校で使われる本だろう。彩響はその中の一つを取り、軽くページをめくった。


(へえ…地理とか学ぶのか。料理って奥深いわ…。)


毎日こんな大量の本で勉強して、実習して、家では仕事で又料理して。それでもずっと楽しそうで、目がキラキラしていてー。まあ、たまに生意気なことは言うけど、正直うらやましいと思った。こんなにもイキイキしていて、こんなにも熱情に溢れていてー。

(そういえば、私ってなんでこの仕事を選んだんだっけ?)

入社した当時は、林渡くんのように瞳を輝かせて仕事に励んでいたんだろうか?当時の自分は、「熱情」を持って毎日会社へ出勤していたんだろうか?

ーいや、違う。


当時の自分は、離婚した母の下でずっと貧乏生活をしていた。アルバイトに追われながら、なんとか必死に大学を卒業して、行ける中で最も給料が高い職場を選んだ。そして一緒に入社した同期が次々と辞表を出す中、毎月の給料だけを考えて必死に耐えた。他の職場に移るには又時間とお金がかかる。だからなんとかこの職場で生き残って、給料を上げるしかない。そう思って足掻いた結果、今は唯一の女社員として、それなりの肩書もついたが…。

(決して熱情を持って今の仕事をやってます、とは言えないんだろうな…。)

さっき自分を褒めてくれたその言葉に、なぜこうも苦い気分になるのか。その答えはもう胸の中で出ていた。実はその褒め言葉を言われたかった相手が別にいたのだ。いい年して、未だにこんなことを考える自分自身が情けなくて仕方ないけど、それはどうしようもない事実だった。彩響は林渡くんの横顔を見ながら、小さいため息をついた。


ー思い出した。あえてそう考えないようにしていたけど、事実は事実なのだ。

私がこの会社に入ったのも、私がこうして必死に仕事ーいや、正確には「お金」しか知らない人間になったのは、全部…

ー母のためだった。