『どうしたの、何かあった?』
「先輩、今電話、大丈夫ですか」
『今電話できるよ。どうしたの?』


彼は普通の声だった。本当に大丈夫といった声だった。自分が心配していることが的外れな気がする。それほどいつもと変わらない安心するような声だった。


「先輩、これから神谷…あの事件の加害者の弟に会うんですよね?それも先輩から神谷に話しかけたって。何でですか」


焦る私とは違って、先輩は冷静だった。


『俺が誘ったよ。彼も俺に話があるみたいだから。雅から聞いたんだ。事件のことを聞こうとする人がいるって。莉子ちゃんから聞いた話も一致した。あの時の加害者の弟が俺を探そうとしているんだって。だから俺から名乗り出たんだ』

「なんでそんなことをするんですか」

『何でって、莉子ちゃんを守りたかったから。彼が莉子ちゃんに近づいた時から危ないと思っていたから』


それを聞いて、どうしようもなく胸が震えた。
先輩は自分を助けようとして、そんな行動を取った。


「先輩。何故先輩は、私にそこまでしてくれるんですか?」


最初からおかしいと思ってたんだ。自分とは程遠い存在。学校で人気者の先輩。その人が自分を気にかけてくれている。支えようとしてくれている。助けようとしてくれている。


そのおかげで久々にゆっくりと夜空を見ることが出来た。その光景が綺麗だと思えた。


そんなこと思えたのは先輩がいてくれたから。
だけど、なぜそこまでしてくれるのだろうか。


『それは直接莉子ちゃんに会って話したいと思う。今日の夜会いに行く。彼との話が終わったらすぐに』


行かないでほしい、とも何も言えなかった。
覚悟をしていた声だった。



「…昔、事件が起きた現場で話をするって神谷が言ってました」

そう聞くと、先輩は言い淀む。

『…莉子ちゃんは危ないから、絶対来たら駄目だよ』


思っていることはすぐに見抜かれる。

彼はここまで自分のために動こうとしてくれている。なのに、何もできないもどかしさがあった。


窓の外を見ると、真っ暗だ。外の世界が見えないほど暗闇に包まれている。

あの事件が起きた現場。

隣町の駅の裏口を出た路地裏。



『また話した後、莉子ちゃん家に行くから』

「先輩…待って、先輩」




電波が悪くなる。電車が走る音が聞こえる。


「今、どこにいるんですか」

『これから電車に乗るから一回切るね』



このままだと、電話が繋がらなくなる。
先輩と叫ぶ声。その声はもう届かなくなる。

彼は一方的に電話を切るつもりだ。彼の声が届かなくなった瞬間、きっと目の前が真っ暗になる。

私は最後に叫んだ。もう、これしか方法はない。




「…先輩、私、今からそっちに行きます。夜道を走って、先輩のところに行きます」



電話の相手が戸惑う声が聞こえたが、本当に電波の悪さで切れてしまった。でもきっと、最後の声は聞こえていたはず。



携帯を手に持ち、普段着の服の上に厚めの上着を被る。
そして部屋から出て勢いよく階段を降りた。リビングの部屋には電気がついて、そこには母がいる。もう仕事が終わって帰っていた。母に心配をかけたくなかった。すぐに、戻ります。心の中で言い、気づかれないように静かに玄関に向かった。


「…莉子?どこに行くの?」


玄関を開ける音が予想以上に響き、リビングにいる母は駆けつけてきた。


「どこに行くの?外に出るの?」
 
「これから出かけてくる。すぐに戻るよ」

「でもあなた、出かけることが出来ないでしょ。過呼吸になったならどうするの」



母はやはり止めてきた。きっと心配すると思ってたけどやはりそうだ。夜の道を歩けない娘がこの時間に真っ暗な街へ出かけようとしているのだから。



「お母さん、どうしても出かけなきゃいけないところがあるの。大事な人のところへ行きたいの。私、今なら夜道を走っていけるような気がする」


母は頷かなかった。ただ、娘を心配していた。
ただ一方的に反対をすることもできなかった。それほど私の決意は固かった。



「これ、莉子に渡したいものがあるの」


母はリビングに戻っていき、しばらく探し物をする。戻ってきた母が手にとっていたもの。それは、キーホルダー型のライトだった。


「これ、どうしたの」

「今日仕事の帰りに買ってきたの。ほら、もしも夜遅くなったときに帰ることがあったら、ライトがあったら明るいし安心かと思って。これがあるからって歩けるかは分からないけど。持つだけでも、安心でしょ?」

これ、キーホルダーにもなるのよ、と説明を足してくれる。

「ほら、お母さんからのお守り。プレゼント」
と、手に持たせてくれた。


ピンク色でドット柄のデザイン。可愛いライトだった。どんな思いでこのライトを選んで買ってくれたのだろう。

母が考えてくれて買ってきてくれたことがすごく嬉しくて、泣きそうになるのを我慢した。それを大事に手に持つ。


「ありがとう、お母さん」


私が笑みを浮かべても、母はまだ心配そうな顔をしていた。そんな母にライトを見せて手を振った。ドアが完全に閉まるまで母は見送ってくれた。

そして玄関を出た。

目の前には未知の世界が広がっていた。