※ ※ ※

週末の日曜日、母は仕事が休みの日でも朝早くに起きて庭のガーデニングを整えていた。

それが彼女の趣味で平日も朝早くに植木鉢に水をあげるが、休みの日は特に時間をかけて面倒を見ている。季節に沿った花や、果物や野菜の家庭菜園などもしていて、そこまで広くない家の庭でも色鮮やかな景色が広がっている。


庭は元々、母が一人で管理をしていて、父と私は朝早くからよく働いている彼女の姿を見ていた。あまりガーデニングに興味がないところも私は父に似ていた。


鉢植えの知識も全くないため、私は母の動きを観察するだけ。暑い日も寒い日も季節に格好を合わせて動いているのを見ると大変そうだが、本人はすごく楽しそうだった。


父がいなくなってからもその趣味は続いていた。

どんなに悲しい出来事が起きたとしても休む事はなかった。


そうだ、父がいなくなった次の日も朝も。

何も起こらなかったかのように。


毎日の仕事として向き合うかのように、その作業を怠ることはなかった。




庭に立つ母の後ろ姿を、リビングの中から見た。久々の姿だった。

普段の朝ご飯は2人で一緒に食べることがなく時間もわざとずらしているため、学校に行く前に母と顔を合わせることがない。

今は肌寒い時期のため、リビングの窓は閉まっている。だからリビングに降りてきた私のことを、母は庭に必死で気付いてないようだった。


私は緊張していた。窓を開けても、母が後ろを振り返ることはしなかった。


「お母さん」


確実に声が届いている声量で話しかける。母は作業を続けながら少し間を置いて、こっちに振り返った。久々に話しかけたというのに「ああ、起きてたの」と当たり障りのない反応だった。

その普通の反応に呆気にとられ、緊張が解けた私は言った。


「お母さんに話があるの。話せる?」


忙しなく動いていた母の動きはその一言でやっと止まった。何年ぶりに向き合って娘が話しかけるというのに、驚いた様子もなくしっかりとこっちを見て立っていた。

両手には汚れた軍手をつけている。リズミカルに手を叩き土を払い除ける。


「話があるなら、時間作るよ」


返事も普通だった。とくに何も考えてないような返事。だけど母の中で考えた精一杯の返事なのかもしれない。


数年ぶりに成立した会話だった。
明らかに作業途中だった庭を残し、母はリビングに帰ってきた。汚れた軍手を取り外し、上着も一枚脱ぎ、暖かい部屋に入ってくる。


私はリビングに置いてあるダイニングテーブルの椅子に座り、母が向かいに座るのを待っていた。

しばらくして母は自分と私の2人分のお茶を注いで持ってきて席に座る。


数年前まで家族3人揃ってご飯を食べていた机。

父が座っていた席は定着していて、私と母はその席を避けて座った。


私から話があるといって呼び出したのにいざ向かい合うと、最初の言葉が出なかった。

考えている私よりも先に喋り始めたのは母だった。


「学校は?どう?勉強もついていけてる?」


また当たり障りのない会話。特に拡がりそうにもない話題。「まぁ、ぼちぼち」と答えるだけで精一杯だった。話せる内容のネタが見つからない。


「そう。部活とかは入ってるの?」


母が何気なく聞いたであろう部活の質問も私にとっては無縁のものだった。


「入ってないよ。いつも早く帰ってる」
「そう。通学に時間が掛かるからね」


今の学校に入ると決めたときも、母はそれを心配していた。前にも一度、母とこうして向き合ったのは高校受験についての話し合いをしたときだった。

特に進路は決まっていない中、とにかく地元の高校に受験するのは避けたいと母に伝えた。

父の事件を知っている人達と関わりたくなかった。

夜道が歩けないことを考慮し、通勤時間が長すぎるのも避け、自分の成績と照らし合わせて選んだ高校が今の学校だった。

その時も母は私の意見に肯定も否定もせず、「自分の行きたい高校に行って、したいようにしなさい」
との一言だった。彼女なりに色々考えた結果の言葉であった。


「帰りはいつも遅くなるの?」

「早く帰るようにはしてるから大丈夫だよ」


母はまた、「そう」と短い返事をして、コップに注いだお茶を飲んだ。


だんだんと母との会話に慣れてきた。今までは難しいと思っていたことも向かい合ってみると案外簡単なこともあるものだ。

だけど、どう話を切り出そうか悩んでいた。そんな私よりも先に、母が口を開いた。


「莉子」

名前を呼ばれて、どきっとした。

「あなたに話さないといけないわね、お父さんのこと」


母はそう切り出した。落ち着いた口調だった。彼女の目には力があった。真面目な顔で私を見る。


緊張で、頬が引っ張られるような感覚があった。


「話そうと思ってたんでしょう。あの日のことについて。お母さんもね、ゆっくりと話さないといけないと思ってたの。やっと来たのね、この日が」


私は目を伏せて、ゆっくりと頷いた。母には何でもお見通しだった。