今、自分はどんな顔をしているのだろう。

 冗談めかしたように笑いながら言ったつもりではあったものの、口角が引きつっているのが自分でもわかった。
 我ながらあほらしくて、ひどく滑稽で、きっと嘲笑くらいにはなっているかもしれない。

 人によっては重いだとかメンヘラだとか言うのだろう。わたしがこれを吸っている理由は一種の自傷行為に近かった。

 元カレは、わたしが煙草を吸うのを嫌がった。
 わたしの体は、生活をする上ではほとんど支障はないけれど、だからといって強いわけでもなかった。
 一般よりは弱い部類に入るのだと思う。
 それを憂いたのだろう、わたしがやってみたいと言ったことを彼が真っ向から否定したのは初めてだった。

 “あなたは吸ってるのに”と文句を零せば、あの人は“自分はもう癖づいてしまったから”と言い訳じみたことを言って、“周りに流されて吸い始めたけど、煙草なんて良いことない”とお説教をくらった。

 わたしはただ、同じ味を知ってみたかった。

 同じ仕草をして、同じ言葉を言ってみたかった。
 それはまるで、子どもの憧れを含んだ好奇心のようでいて、同じ感覚を共有できるようになってみたいという欲の塊だった。

 けれど別れてしまった今、煙草を吸うという行為を止める存在はもういない。

 ただでさえ彼との記憶が敷き詰められたこの部屋に、こんな余計な置き土産を彼はした。
 それが故意にやったわけではないというのが尚の事憎らしく感じた。

 それはわたしを、意識しているのは自分だけだという考えにさせるから。

 そして、彼にとってわたしは、大事にする必要のない存在へと成り下がってしまったと痛感させられるから。

 別れてから取りに来る気配が一向にない。最初こそ取りに来るかもと淡い期待をしたものだ。

 どこを見てもなにをしても、彼との記憶が引き出されて、芋づる式に彼の些細な言葉や仕草まで思い起こし、そして溢れんばかりの“好き”が痛みに変わって、恨みに堕ちていく。

 自分のせいなのはわかっていても、それでもここまで大きな感情を抱かせたことを責めたかった。


――“好きにさせたのは、あなたなのに”と。