その時ふと、甘く柔らかい香りが鼻孔をくすぐる。
すると彼女からもらった感情が徐々に落ち着いていった。
同時に、まるで胸の中で浸透するように姿を消し、その感情が自分のものになったことがわかる。
きっと彼女はこの香りが好きで、この香りに救われ支えられていたのだろう。
「良い香りだな」
思わずそう呟くと、彼女もその香りを堪能するように、目を瞑り深呼吸するように一呼吸して言った。
「――金木犀の香りだよ。実はわたしの“桂花”って名前はね、金木犀の別名なんだって」
「ほら、そこにある」と目を開けた彼女が示した方に目を向けると、そこには橙色の点がいくつも施された木があった。彼女曰く、その点々は花らしい。
「金木犀の香りがするとね、“あぁ、秋が来たんだな”って思うんだぁ」
そう言って金木犀を見つめる彼女の真似をするように、俺も同じことをしてみるものの、彼女が言っていることはよくわからなかった。
春夏秋冬というものが現世にあることは知っていたが、そこに想いを馳せたことなど一度もない。
季節に、花に、何かしらの想いを馳せるのは、感情をもつ人間ならではのものなのだろう。
しかし死神の俺でも、彼女の言う“秋が来た”というものは、言葉通りの秋の到来だけを意味するものではないというのは何となくわかった。
――彼女の表情が何かを堪えるように歪みながらも、大切なものを見つめる人間のそれと同じ目をして微笑んでいたから。
「この香り、気に入った」
「それは良かった」
彼女はずっと金木犀のほうを見ていたから、知らないだろう。
嬉しそうに笑う彼女を見ていた俺は、俺自身も気づかぬうちに顔が綻んでいた。
その時芽吹いた“何か”の正体はわかっていなかったが、とても心地が良かったのは確かだった――。