「すみません乗ります」

 ドアが閉まるギリギリの所で何とか間に合って、というより無理に
止めて貰ってエレベーターに乗った。
 久しぶりに駆け足なんてしたから少々息が荒いけど何とか整える。

「何階?」

 と先に乗っていた男性に聞かれたので。

「1億と44階」
「……。それは中々の長旅だね」

 いい加減な返事をした私の目的階を一発で当て押してからクスっと笑う。
上質なスーツにややくせっ毛の髪を綺麗にまとめ今日も完璧な人。
 綺麗という言葉が似合う男性はテレビの世界以外では見たことが無かった。

 けど、それに見惚れたりするわけじゃなくて視線は敢えて向けない。
 
「倉庫から過去の販売実績情報が入ったファイルをもってこいって。
そんなの既にPC内にデータ化されてるのを使えばいいのに。
新人イビリがあるんですこの会社には」
「なるほど」

 あーあ。と深い溜息をして視線を出入り口から外へ向けた。
ここのエレベーターは外の景色が見える。

 グングンと上がっていく都会のオフィス街。ピカピカした高いビルが
並ぶ景色は最初の数回は興奮したけれど今はもう飽きてしまった。

 なんならちょっとだけ苦痛ですらある。

「挨拶は普通だったのに本当は上司や先輩たちに気に入られてないのかも」

 それとも何か気に障ることでもしただろうか。
記憶に無いけど。無いだけで実は無礼な事をしているとか?

 疑心暗鬼とはこのこと。

「若い子が来ると値踏みしたくなるのだから。その間は我慢かな。
君が使えるかどうか素直なのか反抗的なのか。
同じ空間で働くのだから面接では見せなかった面を見たがる」
「……私、使える人材か不安になってきました」
「いきなり大役はまわってこない。完璧は無理だと皆分かってる。
君は自分の出来る範囲で、ただし確実にやればいいだけ」

 背を向けたままでいたら体に触れるか触れないかギリギリまで
近づいてきていた彼がそっと言う。

 ほんのりと品の良い香水の香りも彼とセットだと何故かセクシー。

 それでも私は振り返らない。視線はあくまで外。
 ただ手はフリーであることをアピールしつつぶらんとさせている。
 
「あん。吐息が頭にかかる」
「君の側に居るから」
「手くらい握ってくれてもいい……ですけど」
「ここは会社だからね。君に拘りすぎて私のペースが乱れるのは避けないと」
「私はだめですね。甘えてる」

 実はエレベーターに彼が一人なのが見えたからチャンスと思った。
だからそんなに急いでないのに慌てて止めて乗った。
 普通は遠慮するものなのに。

 子どもの頃から早く大人になりたい働きたいと願い続けて来た。
けど、社会人になって数ヶ月でもう愚痴り始めている私。

  大人って思ったより辛いものなんだと気づく。

「お先に」
「はい。……社長」

 それからすぐ相手が降りて私一人になった。

 社会人になったってすぐに完璧な大人にはなれないって頭では思いながら
周囲に付いていけるか不安で、置いていかれないかとか。

弱気になった時は何時もそんな妄想をする。
 焦ってもしょうがないでしょって母親は何時もおおらかに笑ってた。

 私もそうでありたい。笑うのはまだちょっと難しいかもだけど。

 こんなネガティブなことを考えておいて家に帰ってしまうとその辺
ケロッと忘れているから質が悪い。


 はあ、とまたため息をする。これは悪い癖になりそう。


私の配属された部署だけでなく他の部署も含め俯瞰でみるとほんとに
大勢の人が働いている。名だたる大手企業だから当然なのか。

「……、あの、お疲れ様でした」
「はいおつかれ」

 定時きっかりに帰るのは良いのかどうか最初物凄く迷ったけど。
誰からも何もないし、でもちょっと早足で出ていく。会社という場所から
家に近づくにつれてあれだけ重かった足がどんどん軽くなっていって。

 下を向いていた視線が上がっていく。

 マンションのオートロックを解除して自分の部屋へ向かう時のエレベーター
は外は見えないけど好き。

 無事安全な空間に到着。
 会社で何があっても帰ってしまえばこっちのもの。


「鍋パ。いや、タコパかなぁ。……うーん。悩む」

 主に金銭的な理由で親とは色々と揉めたけど今は実家を出て暮らしている。
裕福とは決して言えない家で常に崖っぷち人生だったのに、まさかこんな順調に
いくとは思ってなかった。

 諦めかけた短大を卒業出来た上に無理だろうとされた一流会社に就職。
まさか受かってしまうとは思わず何度も通知を確認したくらい。

 ただ家を出るのにいい部屋が見つけられなかったのは唯一の心残り。

「さっきからやたらとパパ言ってるけど。それってパーティの略?」
「はい。学生の頃から続いてる友達と久しぶりに話したいなと思って」
「部屋を貸してはいるけど玄関は一緒なんだし大家の私に一言有るべきでは?」

 お金持ちが1人で住んでいるマンションの使ってない部屋を間借り中。

 高級マンション住まいは夢があるけど部屋代は払うし当然自炊。
水道や電気は細かく分けられないからと免除してもらっているけど、
その代わり家の手伝いやお掃除は必須。

 共有スペースである広いリビングのソファに座って思案していると
やや不安げな顔で反対側の椅子に座るこの部屋の大家さん。
昼間私の愚痴を聞かされた可哀想な社長様であり公表されていないし
する予定もないけど実は叔父という微妙な立場であり。

 ちゃんと交際出来ている事が今でも驚きの彼氏さん。

「まだ企画してる段階なので固まってないんです」
「詳細が決まったら教えてほしい」
「ハラハラしてます?知らない人が来るかもって」
「好きな人間は少ないと思うけど。食事会をするだけなら許可する。
でも君の家ではないのだから騒がしいのは無しだ」
「はい」

 会社でずっとスーツなのだから家ではもっとラフな格好をしたらいいのに。
部屋着も何処か堅苦しい。私はいつ買ったか覚えてないくらい昔から愛用の
 グレーのスウェット。

 一流な会社に着ていく服やカバンに靴に全財産を傾けた結果。
普段着は給料日まで諦めどうせ会社と家の往復だしこれで十分。
 
 ってなっていくうちに今にいたる。要するに無精。

「この週末何処か出かける用事はある?」
「消耗品の買い出しと風呂掃除しようかなって思ってたくらいですけど」
「買い物は一緒に済ませよう。早く終る。それで欲しい本があってね。
少し離れた本屋に行くつもりだったから」
「ネットで買えばすぐなのに」
「時間が無い場合ならともかく。それは風情がない」
「紙の本もいつかは全て電子書籍になるかもだし」
「かもしれないけど。そう言って君をドライブに誘う手は捨てきれない」
「普通に言えば良いのに」

 よいしょ。とソファから立ち上がって台所へ向かう。冷蔵庫には
自分の名前の書かれた飲み物。甘いものは殆ど口にしない大家さん
なので勝手に食べられる事も飲まれることも無いけど、
 隙あらば妹弟に食べられた実家に居た頃の名残でつい書いてしまう。

 最近ハマっているコンビニのやたら甘いカフェラテを手に戻る。

「好きだね」
「ストレス爆発しそうになるとつい甘いものを買い込むんです。
気づけば私の机の中に結構お菓子入ってて」
「褒められた話じゃないな。食べ物に頼りすぎては体にも良くない。
もっと効率的なストレスのはけ口を見つけられるといいね」
「すぐ馴染めるとは思ってないです。早く気持ち切り替えて大人にならきゃ」
「最初から高望みをしないのは悪くない防衛策だと思うよ」
「……はい」

 ラテを持ってぽすんと座ったのは大家さんのお隣。会社ではすれ違う事も稀で
社長だからそんな気楽に声を聞く事も出来ないもどかしい距離だけど。

 家に帰ればどれだけ距離が近くても許されるしどんな話だって出来る。

 だから家って好き。

「君は年齢の割に驕りが少ない。素直なんだろうね。
だからまだ確りしてると思う。でももう少し服のセンス
というかバリエーションはあったほうが良いかな」

 そう言ってチラリと甘い匂いを漂わせる私を見る。

「社長命令で給料上げてくれたら考えます」
「これから頑張って給料相応の人材になろうね新人君」
「ですよね」

 その使える人材になれる日は何時来るのかと、落ち込んだ事を
思い出してしまってちょっとだけうつむく。

「このままではただ意地悪な上司だな。出かけたついでに見よう」
「見るだけ?」
「君が気に入れば買えばい……、買ってあげるよ」
「やった」

 こちらがじっと見つめると軽いため息と共にそう言って笑った。

「その代わり出資した分は私にもリターンを要求する」
「なんですか?私に与えられるものと言えばこの身一つなんですけど」
「恋人にそこまで言わない。私にも口出しする権利を与えてもらうだけ」
「良いですよ。どうせ普段着を見せる相手なんてそんな居ないし」
「そういう腹づもりだから堕落して居られるんだね。ある意味大物だ」
「散髪屋には2ヶ月おきに行きます」
「そこはサロンと言いなさい」

 冗談ぽくでなく、わりかし真顔で言うので本気なんだろうな。
確かに周囲には美容にお金をかける子が多かったし、女子なのに
お金をかける場所を間違っていると言われたこともあった。

 あの時は何のことかさっぱり分からずに曖昧な返事をしたけど。

「そうそう。よくすれ違うオジサン社員さんはよくニヤニヤしながら
女子社員を見てることがあって。けど、誰でもじゃないんです。
私なんかお子様扱いで、見てるのはプロ級メイクで体も綺麗な人。
やっぱり男の人って自分磨いてる女子のほうが良いんでしょうね…」

 今は少し分かる。身だしなみって大事。信用に関わる。
元から美人ならもっとラッキーだけどそこはどうしようもないので。
そこはもう努力しか無い、と。

 他に比べ格安の部屋代だけど食費やその他生活費で消える給料。
そこそこの化粧品を揃えて定期的な散髪に行くのがやっと。

「中々に情報量が多いんだがまずそのオジサンを詳しく教えてくれるかな。
ああ、明日会社に私宛のメールでいいから。今は聞きたくないから結構」
「私も見られたらいい女って事ですよね」
「まさか嬉しがってる?」
「嫌ですよ?でも、女ですらないお子様扱いよりは」
「呆れた」
「女性におモテになって人生経験も豊富な人には分かりませんよね」
「どんな経験をしていても君との関係の指針にはならない」
「……、私も」

 元々疎かったのもあるけど青春はほぼ家の為に時間を費やしてしまい
初恋こそ経験しながらも甘い異性との経験なんて殆ど無かった。
同級生は殆どが中学生あたりで脱処女していたけど私は成人してから。
 それもつい最近の出来事だった。

「とにかく。週末の予定が大体決まったね」
「楽しみ」
「そろそろ寝たほうがいい。君は毎回慌てて起きて準備してるから」
「車乗せてくれたらもっと心に余裕が生まれるんだけどな」
「この部屋を出たら上司と部下。叔父と姪はその後で、恋人は最後。
そう約束したろ。新人が上司の車に乗ってくるなんてあり得ないよ」
「ちゃんと覚えてます。甘えて良いのはこの部屋の中だけ」
「後は休日」
「はい。私は新人のペーペーなので大人しく寝ます」
「素直なのは良いところ」

 自分の部屋に戻るとベッドに寝転ぶ。借りている空間は6畳ほど。
クローゼットあり。高層階なので窓からは綺麗な夜景が見える。
 けどそれを眺めるのは1日で飽きてずっとカーテン。
 
 アラームを設定して早めの就寝。いつもついゴロゴロして夜ふかし気味。
それで朝困ると分かってるのについ色々考えてしまう。
 たまにしか顔を出さない実家のこと、私のこれからのこと、彼のこと。

 でも今日は強引にでも早く寝なくては。

 元から寝付きが良くてすぐ眠れたけど何かと悩む仕事を始めてからも
すぐに眠れるのは良かった。のかな。



「聞いた?システム部の大田原さん突然異動になったんだって」
「聞いた。それも明らかな閑職」
「何か左遷されるような事してたっけ?」
「若いいい女限定で尻をジロジロ見てたのがバレたんじゃない?」
「あぁ」
「それだわ。これだけ社員が居てもやっぱり見てるのねぇ」

 そんな話を聞いたのは私が朝会社に来て本人を遠巻きに見ながら
社長に件のオジサンの詳細メールを送った2日後だった。
実際女性に触れた訳でも、私になにかしたわけでもない。

 ただそういう人間が居るという把握だけなのかと思ったらまさか
そんなさっさと異動させるまでは考えなかったから驚く。

 そしてやっぱり社長なんだなと。当たり前な事だけど。


「パーティ?」
「3人だけなんですけど。高校からの友達と会おうってなって。
最初は部屋でって思ったんですけど他二人は実家で気を使うし。
うちは6畳で大家さんが神経質なタイプだから中々」
「ああわかる。妹は大学生でアパート暮らしなんだけど。
角部屋で1階の人でかけたからって友達と部屋で飲み会して。
気づいたら近隣から苦情が出てて警察呼ばれたって」
「警察」

 周りが先輩ばかりで最初お昼休みは1人弁当だったけど、見かねたのか
前の席で2年先輩の女子社員が声をかけてくれてからは彼女と一緒に
テラスに行ってランチする。
 この春に異動してきたばかりでまだ友人が少ないらしい。
 
 お弁当を作る時間が無かったので大きなおにぎりを2個。
 気にせず食べていたらおかずを分けてくれた。

「相当騒いだんだろうね。酒が入ってたとはいえほんと馬鹿」
「流石にそこまで元気には行けないけど何処かいい場所ないですかね。
レンタルスペースっていうのを見たんですけどそこそこ値段するし」
「一昔前はラブホとかあったけどね。今はどうなんだろ」
「ラブホか。あ。一時期クラスで流行ってました。女子会プランがあるって」
「カラオケ行って散々歌って騒いでから家に行ってしんみり飲むのは?」
「それもいいですね」

 3人共にそれほど財政が裕福ではないから出来るだけ節約したい。
相談してまとめた案を幾つか送っておいた。
 
「私もまだ1回だけだけど。この会社の交流会とか凄いよー。
会場は豪華ホテルだし綺麗だし食事も酒も美味しいし」
「楽しみです」
「そこで男女共に優良株を探すのよ。他の会社からもゲストで来てるし」
「なるほど」
「受付嬢ちゃんと大学が一緒で仲良くて。彼女から聞いた話なんだけど。
そのゲストで来る各会社の秘書チームが毎回うちの社長口説こうとするんだけど
まだ誰一人として持ち帰られたことないから誰が落とすか密かに注目されてる」
「秘書チームですか。強そう」

 想像力が貧弱な私でも安々と想像できるとにかく美女のチーム。
 社長は女性からの視線や態度に気づいているんだろうな、どうせ。

「もちろん見た目だけじゃない。一流大学卒か超お嬢様学校卒。
海外勢も居るとか。ミスキャンパスなんて自慢にもならない面々」
「……みすきゃんぱす」
「あの社長をゲット出来る女となればそれくらいじゃないとね」

 実は私が社長の相手なんですよと言ってもきっと信じない。

「所で男性で優良株ってどういう人ですか?」
「交流会にくる企業は外資系有りだから外国人も居る。同じ会場に居る
と言うだけで私達の隣に来るという意味ではないけどね」
「ですよね」

 パーティで外国から来た容姿のいいエリートに見初められる。
そんな簡単なシンデレラストーリーはありません。
 2人で若干諦めの入った苦笑いをした。

 
 社長と交際している私はシンデレラなのだろうか?と顧みる。
 もしそうならこの恋はハッピーエンド確定なのに。

「丘崎さん?さっそく夢見てたでしょ。そんな顔してた」
「あ。はは。……見てました」


 或いは全てが上手く行っている夢を見ているだけとか?

 なんて、ね。



 お米を一杯食べると眠いけど昼からもたるまずに動かないと。
私は今まだどういう人材なのか見られているのだから。
 例えエースにはなれなくても使えない烙印は押されたくない。






「印刷物ばっかり回される……絶対要らないよ電子化してるもの」

 私の思いとは裏腹に任されるのは簡単な作業とか何かの準備の手伝い。
まさかのお掃除とか。よくて今みたいな会議で使う冊子の印刷。
 それも何百頁とあるからだんだん憂鬱になってくる。

 次々と出てくる紙を眺めながらこのまま逃げ出してしまいたい気分。

 だけどここで負けるものかと言われた通りの部数を印刷しまとめて
 指定された階層のそれも幾つかある中でも一番歩く会議室へ運ぶ。

 本日は幹部役員だけなく社長も出席する大きな会議。
 
「おい飲み物の手配はまだか?もう社長が来るから急いで」
「私は印刷を」
「言われたことしかできない訳じゃないよな?ちゃんと場を読んで」
「はいっ」

 部屋に入ろうとしたらベテラン社員さんに印刷物を掻っ攫われて
ぽいっと追い出された。飲み物っていうと会議用に小さいペットボトルの
お茶がストックされていたはず。
 それはさっきまで居た印刷してた場所よりも更に遠い倉庫ときた。

 誰も教えてくれなかったけど見て覚えろって事かな?

 落ち込むのは後でいい。

 今は先に考えて行動しないと余計に沼に嵌る。
 気合を入れて汗だくになりながらお茶の入った箱を運んで歩いていると。

 わあああああ!

「え。なに?なに?」

 会議室の方から悲鳴が聞こえた?

そう思ったらさっき居た会場からバタバタと人が出てきて去っていく。
 ぽつんと残る私は恐る恐る部屋を見る。

「ええ、はい。至急お願いします」

 そこには嘔吐して倒れている女性と何処かへ電話している社長。

 と、他僅かな社員。

「……え」

 私はどうしたらいいのでしょうか。と、聞くわけにはいかないので。
 その辺に箱を置いてそっと立ち去ることにした。

「居たのか」
「あの」

 ドスンと置いた所で社長に気づかれ視線がパチっと合う。

「あのお茶を用意したのは君?」
「え?」

 指差した方向を見ると確かに私が今はこんできたお茶。

「どうなんだ?」
「違います!私は今これをはこんできたんです!そうですよね!」
「え?あ、ああ。そう、そうだな」

 何だか疑われたような厳しい言い方で聞くから焦ってテンパって。
上司なのに先輩なのにベテラン社員に食って掛かるような言い方をして。
 ハッと我に返って「失礼します」とその場から走り去る。

 入れ替わりに救急隊員が入ってきて倒れた彼女を運んでいった。
 
 混乱する職場。

 皆が興奮気味でいろんな話が行き交って、落ち着くのに時間がかかった。
倒れていた女性がお茶を飲んで苦しそうに倒れた時に咄嗟に社長が吐かせて
処置をしたそうで。通報も冷静にしていた。

 
「……お疲れ様でした」
「おつかれ」


 ああ、気分がどんよりして何時もなら軽い家に帰る足が重たい。
 こんなに重いのはあんなテンパった自分を見せたせい?

「帰るのはまだ早い。警察に呼ばれたんだ。君もね」

 会社の玄関くらいまでトボトボと歩いて来た所で社長に呼び止められた。

「私が犯人だと?」
「君ではないが確実に存在はするだろう。協力するべきじゃないか?」
「……」
「行こう」

 呼んでいるのは警察で疚しいこともないし断る意味もない。
社長の車で警察署まで向かってそこから別個で話をした。

 テレビで見るような取調室に行くかと思ったら普通の部屋。
私は倒れた後に入ってきたからそれほど話すことはないはずが、
 形式ですから。と言われて結構な時間がかかった。

 その場に居たということで社長は私よりもだいぶ長い。



 
  もう外は暗いし最初は警察署の中で待とうと思ったけど、
特殊な場所だという先入観からか何となく居心地が悪くて。
 じっと入り口で出てくるのを待っていた。

「お疲れ様です。時間掛かりましたね。疑われてるんですか?」
「犯人が出るまではそうだろう。君はもう疑われてはいないだろうけど」
「社長がそんな事するはずないのに。意味ないし」
「残念だけど社内にはそんな事をした人間が居る」
「どうするんですか」
「もちろん警察に任せて私達は通常業務で行くしか無い。彼女の意識は
まだ戻っていないそうだけど、それでも生きていてくれてよかった」
「……」

 帰りの車内。あまりいい空気にならないのは当然。
 警察で散々話してげっそりしたというのもあるけど。

「昼間は声を荒げて悪かった。君が関わると動揺する」
「私が会社の不満を言ってたから仕返ししたって思ったんですか」
「例え不満の多い子でもそんな事をするとは思ってない。
それに何だか奇妙な犯人だ。とても考えて行動しているとは思えない。
突発的な行動のように思う」
「やっぱり私を疑ってます?」

 彼の言っていた新しいストレスのはけ口とか思ってるとか。
チラっと運転する彼を見ると真面目な表情で正面を向いている。
 運転中だからそれはそうなんだけど。

「特定の1人を狙うならリスクのある会議の場である必要はない。
もっと狙いやすくて安全な場所や方法はある。
ただの愉快犯で誰でも良かったなら君が持ってきた大量のお茶に
適当に仕込んだほうが効果的だ」
「そもそも彼女は何処でお茶を手に入れたかですよね。
あのサイズはうちの自販機じゃ無い」
「それなんだ。私が引っかかったのは」
「え?」
「彼女が座っていた場所は君が座るはずだった席なんだ」
「うそ。あの会議に参加予定だったんですか私!」

 これも聞いてないですけど。流石にそれを読み取るのは無理だ。
たぶん、部署の上司か先輩かが忘れたか黙ってたんだろうけど。
 やっぱり私は嫌われてるのかも。

「君は向上心があるようだから見て勉強するのも良いだろうと思って。
だから”もし予め置いてあった場合”君が狙われた可能性を考えた」
「私そんなサスペンスで殺されるような濃い人生おくってませんし。
流石にそれは考えすぎじゃないですか?」
「犯人が分からない間は警戒して損は無いよ」
「もしかしてそれって週末のお出かけはなしって意味ですか?
犯人が見つかるまでは私の楽しみを全部我慢しろってそんな」
「今週末は私と一緒だから互いに警戒しあえる」
「はい」

 大企業の社長ならどんな因縁を持たれていても不思議ではないけど、
新人の私は無い。考えすぎ。それであんな真剣になってしまうのだから。
 周囲からは完璧な男と言われている人でも笑っちゃうような所はある。

 のかも。

「ん?なにか可笑しい?」
「確かに一緒ですけど。集中しちゃうと周り見えないかもなって」
「そういう時は事前にきちんと戸締まりしたらいい」
「はぁい」

 話をしてみてやっと私の体が軽くなった。
例え事件が起ころうとも楽しみがないと平日を乗り越えられません。

  翌日は上司から同じような説明を聞いて通常業務に。

 倒れた彼女は意識を回復したもののショックで話が出来る状態では
ないそうで。復帰するのはまだもう少し先になるという。

だけど、犯人は確実に社内に居るわけで。

 聞けば致死量ではない農薬が入っていたとか。命を奪うことを目的として
いなくても、私が飲んでいた可能性もあると言われると確かにちょっと怖い。

「やっぱここは王道の怨恨かしらねぇ」
「え?先輩?なんですか急に」
「倒れた彼女のこと。表向きは朗らかな顔してたけど。
裏じゃ結構新人イビリとかするタイプだったって話し」
「違う部署なのによく……あ、前の?」
「ふふ。まあね。私って情報通だから」
「人脈凄いですもんね。カフェの人とか掃除してくれてる方とか…
あ、私新人ですけど。私は関係ないです。違いますから」
「分かってるって。でも既にあちこちで犯人探し始まってる」

 毒を入れたのは誰か?あいつ?それとも彼女?
表向きは通常業務。だけどコソコソと話しているみたい。
事件に関係のない人たちは犯人当てゲームに興じている。
 平和なような怖いような。

「早く週末にならないかなぁ」
「デート?」
「え?!い、いえ。……気づかれしてばっかりで。休日しか救いが」
「分かる。私も夜発散したくて最近ジム通い出した」
「ジム」
「ストレス発散とかダイエットにもいいから。
何より間近で汗にまみれたマッチョ男子見れるし」
「まっちょは…ちょっと…こわいかなぁ」
「あれの良さが分からない?まだ青いわね」
「ですね……あはは」

 こうして無事?に待ちに待った週末を迎える。



 会社に行く日はギリギリなのに楽しい予定がある日は早起き。
 スムーズな買い物の為に予め必要な物のメモをとっておいた。

「高級車にトイレットペーパーとかあるの面白い」
「そう?」

 生物等は無いしこれがメインではないからさっさと車に乗せて
買い出しは終了。やっぱり2人で作業して車があると段違い。
 後は少し遠出して本屋に行って彼が必要とする本を買う。

 あと、私の服も見て買ってくれる。

「そうだ。場所決まったんです」
「何パになったの」
「ラブホのパーティルームで語り合いながらの闇鍋会」
「元気な女性たちだ」
「男も居ますけどまあ女みたいなもんです」
「……トランスジェンダーとか?」
「いえ。心も体も男です。けど幼稚園からずっと一緒なので」
「……」
「これがまた料理が上手なので期待し…あ。闇鍋か。何用意しようかな」
「私は少しだけ複雑な気持ちになったよ」
「ただのパーティです」
「でないと困るんだよ」


 全く知らない土地に到着。店の駐車場に車をとめて
想像より規模の大きな書店へ入る。私はそれほど本を読まないので
速攻で雑誌の棚へ移動して。
 社長は店員に本の場所を確認してから真っ直ぐに向かった。

「朝の忙しい時間でも出来る簡単清楚系アレンジ……覚えられるかな」

 グルメ雑誌はお腹が空くのでファッション紙。
 新社会人向けのメイクやヘアアレンジについ目が行く。

 スケベなオジサンに見られるのはもうどうでもいい。
ミスキャンパスも来る交流会はまだ先の話しだけど。

 少しくらいは私も大人な女性らしさを得たいから。

「そこの君。記憶力に自信が無いなら買いなさい。
間違っても写真を撮ろうとしないように」
「う」

 けど、面倒なのに見つかってしまった。渋々スマホをカバンに戻し。
 バツが悪いので雑誌を買うことにした。もちろん自腹で。

 互いに本を得て店を出る。
 お次に同じ通り沿いにあるレディスのセレクトショップへ。

 何時もは値段重視の店にしか行かないから入るだけで結構な緊張。
仄かに爽やかな香りがして白い壁に木目調の床。
 店員さんもおしゃれで何しに来たか一瞬忘れるけど、私の服選びだ。

「あまり女性のファッションは詳しくないから知人に聞いた店なんだ。
ここなら君くらいの年齢層でも間違いないそうだよ」
「確認したいんですけど。本当に買ってくれる?」
「買うよ」
「そう。じゃあ遠慮なく選ぼう」
「私が許可したものに関しては。ね」
「社長……、いえ。創真さん?私達ってセンスが全くと言っていいほど
合わないじゃないですか?」
「さあそれはどうだったかな」

 爽やかにニコッと笑って言うけど。絶対分かってる。
分かってて意地悪く言ってる。

 でも負けない。意地でも買ってもらうからっ。

 自分の趣味よりも買ってくれる人の趣味に合わせるしか無い。
こんな静かで大人なお店で買う買わないで揉めたら恥ずかしいし。その時は
どうせ私が子どもぽく一方的にカッカしてしまうのも分かってる。

 悩んだ5分後。シンプル清楚な白メインのワンピースを発見。

「じゃん」
「それがいい?」
「これならお呼ばれにも着て行けますからね」

 私の目にはなんてこと無いワンピ、お値段なんと8万円也。

「……まあ、良いとしようか」
「あれ。気に入らない?貴方の趣味ってこういう清楚な感じでしょ?
で、手をこうしてオ~ホホホっ~て笑ってそうな」
「何時の時代のセンス?」
「私としてはこっちの黒のレースのワンピがいいな」
「スカート丈が短いね」
「大人っぽいでしょ」
「君ちょっとガニ股だから足が出ると格好が悪いかも」
「……」

 結局買ってくれる気がないんじゃないですか。
セレブの癖に意地悪。どうせガニ股で会社でも歩いてますよ。
 私はムスっとして服を戻す。