ある日、お母さんが起きてみると、
けいの身体中がふくれていることに
気づきました。
もともと、少しぽっちゃりしてましたが、
今の身体はまるで風船のようにパンパン。
とくに、顔はほっぺたがおたふく風邪の
ようにふくらみ、まん丸な顔になってます。
けいは、お菓子が大好きでした。
なかでも、チョコレートが大好物。
お母さんは、けいが甘いものばかり食べているせいで、
こうなったんだと考えました。
それから、けいは我慢して甘いものを食べませんでした。
大好物のチョコレートも家からひとつも、なくなりました。
ずっと、けいは我慢を続けました。
だけど、身体は変わらずふくらんだまま。
ぜんぜん元に戻りません。
これはおかしい、お母さんは思いました。
そして、お父さんに相談をしました。
お父さんは明日、けいを病院に連れていくように言いました。
次の日…
お母さんはけいを連れて病院に向かいました。
でも、けいの住んでいる町には、風邪とかおなか痛とか、
簡単な病気を治してくれる小さな病院しかありません。
お母さんは、けいの手を引っ張って、バス乗り場まで歩きました。
けいは、ふらふらとしんどそうに歩いていました。
それから、一時間くらいバスに乗っていました。
バスに乗っている間、けいは窓から少しだけ顔を出して、外の景色を見ていました。
初めてみる建物がいっぱいでわくわくしました。
窓から冷たい風が入ってきましたが、それを忘れるくらい夢中で外を見てました。
バスを降りると目の前に大きな建物がありました。
「お母さん。あれ、なに?」
「あれは病院っていうのよ」
それは、とっても大きな病院でけいにはまるでお城のように見えました。
病院に入ると、なかには、たくさんのひとでいっぱいでした。
大人も子供も、おじいいちゃんや、おばあちゃんくらいの人たちもいます。
けいや、お母さんのように普通の格好のひとたちにまじって…
まだ昼間なのに、もうパジャマを着て歩いてるひとたちがいました。
けいにはそれが不思議で、じーっと見ました。
それから、上から下までぜんぶ真っ白な服を着て、
ニコニコと笑っているひとたちがいました。
けいには、そのひとたちがお母さんみたいにとても優しそうに見えました。
「あのひと、だれ?」
「あれは、ナースさんって言うの」
そう優しく教えてくれたあと、
お母さんはナースさんのところにいって話はじめました。
しばらくして、お母さんが戻ってきました。
お母さんは、けいをトイレにつれて行きました。
お母さんは紙コップを出して、
「けい、ここにおしっこして」と少し悲しい顔で言いました。
なんで?
とけいは心のなかで、思いながらも素直にそこにおしっこをしました。
紙コップは、赤いおしっこでいっぱいでした。
お母さんは、それを見て驚きました。
なんで?
けいはまたそう思いました。
けいのおしっこは最近、ずっと真っ赤でした。
だから、いつも通りなのに…
お母さんが紙コップをナースさんに渡すと、
「けいくん、こっちにきてっ」
ナースさんがそう言いました。
お母さんは2回、うんうんって優しく頷いて、ついていくように手を振ります。
でも…
けいは、ほんとはいきたくありませんでした。
なんだか、むこうに怖いものが待っている、
そう感じていたのです。
けいは…
さっき、その部屋から女の子の泣き声がするのを聞いていました。
でも、お母さんが悲しい目で見ています。
(ぼく、頑張るよ…)
けいはこそこそと部屋の中をのぞきました。
ナースさんが声をかけてきました。
「じゃ、ここにすわってね。すぐにお母さんのところに戻れるから!」
「…うん」
こくりと頷きました。
「じゃあ、左のうでを見せてくれるかなぁ」
けいは左のうでを前にのばして、見せました。
「少しだけ、目をつぶっててねー」
けいは、ぎゅっと目をつぶりました。
細いうでに、注射器の針が刺さりました。
ピクッ
けいのうでが、一瞬、動きました。
でも、声を出しませんでした。
けいは泣きませんでした。
一生懸命、我慢しました。
注射器のなかは、真っ赤なけいの血液でいっぱいになっていきます。
「はい、よくがんばったねっ」
ナースさんがそう言って注射器の針を抜いたとき、
また、けいのうでがピクッと動きました。
「えらかったなー。じゃ、また名前を呼ぶからそれまでお母さんと待っててね」
ナースさんは頭をさすりながらいいました。
けいは、うなづいてお母さんのところに戻っていきました。
お母さんはほっとした表情で、
「けいはやっぱり男の子だね。泣かなくて、えらい、えらいよ」
と言いながら、おかあさんも同じように
けいの頭をしっかりとなでてくれました。
それから、お母さんのよこにぴったりとくっついて座っていました。
隣のイスを見ると、同じくらいの女の子が
お母さんに絵本を読んでもらっていました。
その姿をぼーっとながめていたとき、
「けいくん、はいってください」
ナースさんの声がしました。
けいはお母さんの後ろに隠れるようにして、
ゆっくりと中に入っていきました。
部屋の中にはメガネをかけ白い服をきた、
白髪まじりのおじさんが座っていました。
「こんにちは」と笑顔で言ってくれました。
けいも、少しだけ頭を下げました。
それから、おじさんとお母さんはたくさん話をしてました。
だけど、けいには難しくて言葉の意味がわかりません。
お母さんはおじさんのことを『先生』と呼んでました。
けいは、幼稚園の先生とは全然、違うなーって思いました。
難しい言葉ばかりで、わからなかったけど
二人とも怖そうな顔でずっと話してました。
そして、最後に先生が言いました。
「これから、入院してください」
にゅういんって?
けいには、もちろん意味がわかりません。
でも、お母さんが悲しそうな顔をしてたので、きっとこれはいやなことなんだ…
そう思ったとたん、ずっと我慢していた涙があふれはじめました。
「けいは、男の子でしょ? 泣かないの」
お母さんが優しい声で言いました。
お母さんもきっと泣きたいんだ。
ぼくも、がまんしなくちゃいけない…
けいは頑張って、少しずつ涙を止めました。
それから…
ふたりで病院の中にあるお店にいきました。
そこはコンビニみたいに何でもそろっていました。
お母さんは、はみがきとか、パジャマとか、スリッパとか、
下着とか、タオルとか…いろんなものを買っていました。
ぜんぶ家にあるのに、なんでそんなにたくさん買っているのか、
けいには不思議でした。
買い物が終わって、やっと家に帰れると思ったら…
お母さんはまた、さっきの部屋に戻りました。
今度は、先生でなくナースさんが待っていました。
ナースさんは、ふたりを別の部屋に連れて行きました。
「じゃ、ここですからね」
見ると、四つの小さなベッドが並んでいました。
けいとお母さんはいちばん奥にある、窓ぎわのベッドに連れて行かれます。
他のベッドでは、けいと同じくらいの子供たちが横になって、静かに寝ていました。
お母さんはけいをベッドの上に持ち上げました。
それから、服を脱がせて、さっき買ったパジャマに着替えさせます。
パジャマを着ているときにお母さんは言いました。
「これから、少しだけここがけいのお家よ。お母さん、毎日、会いに来るから、けいも少しだけ我慢しようね」
ぼくは今日、一緒に家に帰れない。
家にはお父さん、お母さんがいる。
それが当たり前だと思ってたのに。
はじめて、一人だけになる…
とってもとっても、悲しい言葉でした。
でも、けいは今度は泣きませんでした。
だって、周りには子供たちがいます。
それに、お母さんの顔を見ていたら…
今度は自分が泣いたらダメ、お母さんを悲しませたらダメだって思ったからです。
「うん、ぼく、ここでがんばるよ」
お母さんの目を見ると涙でいっぱいでした。
しばらくすると、他の子供たちのところに、お母さんやお父さんがやってきました。
お昼寝の時間が終わって、面会の時間になったようです。
みんな、さっきまでと違ってとっても楽しそうで、笑い声が部屋にいっぱいでした。
けいはさっき見た女の子のことを思い出しました。
「お母さん」
「なあに?」
「ぼく、絵本が読みたい…」
お母さんは笑顔で、わかったといって、
お店に行って絵本を買ってきてくれました。
そして、けいの横に座って絵本をやさしい口調でゆっくりと読んでくれました。
お母さんの匂いをすぐ横に感じながら、
幸せそうにお母さんの声を聞いてました。
絵本を読み終わったときには、もう窓の外が暗くなってました。
他の子供たちのお父さん、お母さんはもう帰ってしまい、いません。
でも…
お母さんは時間ぎりぎりまでけいの横にいました。
ナースさんがやってきて、
「面会の時間は終わりですよ」
と、お母さんに言いました。
いよいよ帰る時間がやってきました。
お母さんは何度もけいのほうを振り返りながら、
ゆっくりと部屋を出ていきました。
けいは、出ていった場所をぼんやり見ていました。
「あっ」
けいは、窓のところに急いでいきました。
真っ暗な窓から、チラチラと雪が見えます。
少しよじ登って見ていると、お母さんが病院から出てくる姿を見つけました。
お母さんは少し歩いて、こっちを振り返りました。
けいに気づいて、手を振ってくれました。
お母さんは雪が降る中で、ずっと手を振ってくれました。
とっても寒そうでした。
それにこのままじゃ、バスに乗り遅れちゃう…
そう思って、けいはベッドに戻りました。
でも、やっぱり気になってしまい、窓の下からこっそりと覗いてみました。
まだお母さんは立ったまま、こっちを見てました。
けいは窓の下から右手だけを出して、左右に小さく振りました。
お母さんは、それに気づき優しく笑いました。
それから後ろを向いて、バス乗り場に歩き始めました。
けいはまた窓によじ登って、その姿を見てました。
お母さんの身体が雪にまじって…
だんだん消えていくような感じでした。
お母さんが、いないくなってしまう。
そう思ったら、涙が出てきました。
でも、明日も来るって約束したんだよね。
雪の中に消えていったお母さんの姿を思い出しながら、
けいはそう言い聞かせました。
ベッドに入って布団にもぐり込んで、
周りに聞こえないようひっそりと泣いたあと…
けいは布団から出て、さっき読んでもらった絵本を手に取りました。
明日は、ぼくがお母さんに読んであげよう。
ぼくが読んでお母さんを喜ばせてあげよう。
けいは、涙声で絵本を読みはじめました。