アンドロイド・ニューワールド

「…卓球部の部活動は、週に二、三日程度だと言いましたね」

「え?」

「だったら、このスペースが空いている日は、またこうして身体を動かしませんか?」

と、私は言いました。

そうすれば、また彼が喜んでくれるかと思ったのです。

「…!え…でも…」

「あなたが嫌なら、無理にとは言いませんが」

「そんな…。俺は嫌じゃないけど、でも良いの?久露花さんは…。放課後の時間が…」

と、緋村さんは言いました。

私の放課後の時間がなくなってしまう、と言いたいのでしょうか。

しかし、その心配は必要ありません。

「私は元々、部活動には入っていませんし、これからも特に入る予定はありませんから。基本的に、放課後の時間は空いています」

と、私は言いました。

「でも…久露花さんほど運動神経が良いなら、何か別の運動部に入った方が…」

と、緋村さんは提案しました。

成程、そんな選択肢もありますね。

幸い私は、どのようなスポーツにおいても、人並みにはこなせるでしょう。

人ではありませんが。

そして部活動に入れば、今より交友関係が広がり、更には学年の域を越えて、先輩や後輩達との交流も広がるでしょう。

対して、こうして放課後の時間を、緋村さんとバドミントンを過ごしていれば。

確かに緋村さんとの交流は深まりますが、仲良くなれる数としては、一人だけ。

『人間交流プログラム』の本懐を考えるなら、私は、より多くの生徒が集まる部活動に入るべきです。

その方が、きっと正しい選択です。

しかし。

「…正しい選択が、常に最善の選択であるとは限らない」

「え?」

「と、研究所の局長が言っていました。そしてこの場合、先程の格言が当て嵌まると、私は判断しました」

「…どういう意味?」

と、緋村さんは言いました。

さぁ、どういう意味なのでしょう。

私にもよく分かりませんが、とにかく今は。

他の部活動に入ることよりも、こちらの方が最善の選択であると、私は判断したのです。

「つまり、これからも、こうしてあなたと放課後を過ごすということです」

「…本当に良いの?」

「はい」

と、私は言いました。

自分でも、何故こんなにきっぱり断言出来るのか、分かりませんでした。

しかし、私は条件反射のように頷いてしまったのです。

不思議な現象です。

「…じゃあ、これからも…宜しく」

と、緋村さんは言いました。

良かった、と思いました。

何故でしょう?

でも、「やっぱりやめようよ」と言われるのではないかと、不安に思っていたのです。

不安?私が?

不思議な現象です。

「嫌になったら、言ってね。無理に付き合わせたくはないから…」

「分かりました。こちらこそ宜しくお願いします」

と、私は言いました。
と、こんな風に放課後を過ごし。

拝借していたラケットとシャトルを返却し、スコアボードやピンポン球をもとに戻してから。

「…あ」

と、私は日が暮れかけている外を見て、思いつきました。

「?久露花さん?」

「私としたことが、失念していました。緋村さん、バスの時間は大丈夫ですか?」

「え?うん…。まだあるけど…」

「今日はお疲れでしょう?もし良かったら、ご自宅まで私が運搬を…」

「いやいやいや、それは良い。それは間に合ってる。大丈夫だから、自分で帰るよ」

と、緋村さんは何故か全力拒否しました。

別に、頼ってくれて良かったのですが。

「分かりました。では、また次の機会に」

「…そんな機会はないでしょ…」

と、緋村さんは苦笑いで言いました。
更に翌日からも、私は自然と、緋村さんと話すことが増えました。

まず、朝学校で会ったら。

「おはようございます、緋村さん。今日は土砂降りで、良い天気ですね」

「…?何も降ってはいないみたいだけど、良い天気だね」

と、こんな冗談を言い合ったり。




昼休みには、

「今日は何パンにしましょうか。何か良い案はありませんか?」

「え?そうだな…。チョココロネとかどう?」

「局長が好きそうなパンですね。では、それにしましょう」

「…局長?」

と、こんな会話をしたり。




その日の放課後は、卓球部が体育館を使う日だというので、バドミントンには行けません。

それに、緋村さんは。

「いたた…」

「大丈夫ですか?」

「…うん…」

と、困ったような顔で言いました。

案の定彼は、筋肉痛に苦しんでいるそうです。

これでは、体育館が空いていたとしても、バドミントンどころではありませんね。
「普段使わない筋肉を使うと、こうなるんだなぁ…」

「定期的な運動を推奨します。まずは、百キロのダンベルを片手で持ち上げる練習から始めてみたらどうでしょう?」

「…死ぬでしょ…」

と、緋村さんは力なく言いました。

そうですか。人間の身体は脆弱ですね。

私なら、通常モードでも、百キロのダンベル三つは担げますが。

それにしても。

「筋肉痛の原因の一端は、私にもありますね。良かったらお詫びに、ご自宅まで運搬を、」

「いや、それは結構なんだけど」

「そうですか」

と、私は言いました。

何故ここまで運搬を頑なに拒まれるのか、理由は分かりませんが。

「今日は体育館に行けなくて残念ですね。仕方がないから、別の話題について話ましょう」

「え?うん…。何話すの?」

「そうですね…」

と、私は考えました。

会話の引き出しは、いかなるときでも、いかなる相手でも使えるよう、常に用意しておくべきです。

やはり、会話の引き出しは、汎用性が高い方が好ましいですね。

では。

「なら、深海魚について話しましょうか」

「…」

と、何故か緋村さんは無言でした。

「…何故黙るのですか?」

「いや…。久露花さん…深海魚好きなのかなって…」

「いえ、別に特別深海魚が好きな訳ではありませんが」

「何で敢えてそんな話題…?」

「万人が知っている、汎用性の高い話題だと判断しました」

「…俺、深海魚全然知らないんだけど」

と、緋村さんは言いました。

そうですか。緋村さんは、深海魚についてご存知でない。

「緋村さん、変わってますね」

「…あんまり、君には言われたくない言葉だったな…」

と、緋村さんは呟いていました。

「しかし、心配することはありません。これを機会に、私が深海魚の何たるかを教授しましょう」

「…無駄知識だ…」

「ちなみに今回の情報の出典は、『猿でも分かる!初心者の深海魚』という本です」

と、私は言いました。

やはり、出典は明かしておかなければいけないと思ったので。

「『Neo Sanctus Floralia』の図書室に置いてあった本です」

「うん…。むしろ、上級者の深海魚は何なのかが気になるよ…」

「では、始めても良いですか?」

「どうぞ…」

と、緋村さんは言いました。

許可が出たので。

では、今日は仲良く、深海魚について語り合うとしましょう。

素晴らしい友情ですね。
「まずは深海魚の定義から。深海魚とは、水深200以上の深海に住む魚介類のことを指します」

と、私は説明しました。

「一般的に深海魚と聞けば、人間は『キモい』、つまり気持ち悪いという印象を持ったり、怖がったり、敬遠されがちな生き物ですが、しかしその実態は、そこらの人間よりも素晴らしい機能を有していると評価しています」
 
「…そうなの?」

「はい。まず彼らは、深海という、ある種の暗黒空間に生息しています。陽の光が届きませんからね。そして水深が深くなるにつれて、身体にかかる水圧も高くなります」

「あ、それは聞いたことがある」

と、緋村さんは言いました。

良かったです。予備知識があって。

「彼らは暗い空間と低酸素状態の中、凄まじい水圧に耐えながら生息している訳です。尊敬に値しますね」

「…久露花さん、ちょっと憧れてる…?」

「私の個人的なおすすめは、やはりまずはグソクムシですね。有名どころですが、奴らはダンゴムシの仲間でありながら、ダンゴムシの頂点に立つ生き物と言っても過言ではないでしょう。ダンゴムシを舐めてかかっている者には、是非ともグソクムシと戦わせてみたいものです」

「…やっぱり憧れてるんだ…」

「次におすすめなのは、ミツクリザメですね。こちらは非常に長い吻を持っているのが特徴で、顎の突き出たスタイリッシュな外見をしています。この特徴的な顎を使って捕食をする訳ですね。その見た目から、ゴブリンシャーク、つまり悪魔のサメとも呼ばれています。実に的確な表現です」

「そうなんだ…。なんか格好良いね…」

「最後のおすすめはラブカですね。何となく可愛らしいネーミングですが、その外見は『ザ・深海魚』とも呼べるほどにグロテ、いえ、インパクトがあります。こちらもサメの一種ですね。口元に6枚の赤いヒダのようなエラがついているのが特徴で、一度見たら忘れられない魅力があります」

「そう…。深海魚好きなんだね、久露花さんは…」

と、緋村さんは言いました。

「本で読んだ知識があるだけで、別段好きという訳ではありませんが」

「でも、何だか生き生きして喋ってるように見えるけど」

「そうですか?」

「うん」

と、緋村さんは頷きました。

そうなんですか。

私、深海魚好きなんですかね?

よく分かりませんが、そういえばあの本を図書室で初めて読んだとき。

これは興味深いと思って、ミツクリザメの写真が載ったページを開いて、久露花局長に見せに行った記憶があります。

悲鳴をあげられましたが。

「緋村さんは、深海魚に興味はありますか?」

「え?うーん…どうだろう?見てみたくはあるけど、見たら後悔しそうな気がする…」

と、緋村さんは言いました。

つまり、まるっきり興味がない訳ではない、ということですね。

楽しんでもらえたなら、幸いです。
では、次の話題について移りましょう。

「緋村さん、何か話題はありませんか?」

「え?」

「先程は、私が深海魚についての話題を提供したので、今度は緋村さんから話題を提供してもらえたら、と思います」

と、私は言いました。

「話題?話題か…何があるかな…」

「…」

「…いきなり言われると、なかなか思いつかない…」

「…そうですか」

と、私は言いました。

どうやら緋村さんは、私ほど話題の引き出しが豊富ではないようです。

「あ、そうだ。この間テレビで、お洒落なラテアートのカフェが特集、」

「では私から。今度は、食虫植物について話し合うことにしましょう」

と、私は提案しました。

「…」

「…何か?」

「…いや…どうぞ、食虫植物…」

と、緋村さんは言いました。

何故か遠い目をしているような気がしますが、きっと気のせいでしょう。
「それではリクエストにお応えして、食虫植物について話しますね」

「…リクエストした覚えはないけど…。はい、どうぞ」

「まず食虫植物の定義から。食虫植物とは、その名の通り、虫を捕食して栄養分にする植物のことです」

と、私は説明しました。

おっと、忘れるところでした。

「そしてこの話の出典は、先程紹介した本のシリーズから、『猿でも分かる!初心者の食虫植物』です」

「…凄い本が出てるんだね…」

と、緋村さんは言いました。

このシリーズは、世界の様々な分野について、それこそ猿でも分かるように。

アンドロイドでも分かるように、一冊でまとめています。

知識を収集する為には、最適なシリーズだと思っています。

「さて話を戻しますが、食虫植物と言えば、昆虫のみを栄養分にしていると思われがちですが、奴らは案外、普通の植物のように、光合成もちゃんとしています」

「へぇ…」

と、緋村さんは言いました。

感嘆符ありがとうございます。

「有名どころで言うなら、ウツボカズラや、ハエトリグサでしょうか。こいつらは、一般家庭でも昆虫除けの為に飼育されていることが多いですね」

「あ、それは聞いたことがある。置いたことはないけど」

「基本的に食虫植物は、口を開けた状態で待機しており、私は人畜無害ですみたいな顔をして昆虫を安心させ、おびき寄せられた獲物が近寄ってきたら最後、最早逃げることは不可能です。獲物達は食虫植物の消化液で溶かされ、美味しく頂かれることになります」

「…」

と、緋村さんはごくっ、と無言で唾を飲み込みました。

「ちなみに捕食方法にも種類があって、落とし穴式、粘着式など、各種獲物を捕らえるトラップを兼ね備えています。一般的にはグロテ、いえ、インパクトのある外見をしていると思われている食虫植物ですか、中には、まさに人畜無害、普通の植物とまるで見分けがつかない食虫植物もあります。人間で例えるなら、会社では優しい上司、家に帰ればDV夫、のようなものですね」

「…例え…」

「そして、人間は食虫植物をあくまで、虫を食べる植物だと認識しているようですが、それは誤った認識だと思った方が良いでしょう」

「え…そうなの?」

と、緋村さんは首を傾げました。

「はい。食虫植物の中には、虫だけでなく、ネズミを捕食する食虫植物もいるとか。こうなると、もう食虫ではなく、食哺乳類植物ですね。そして、人間もまた、哺乳類の一種です。ここまで言えば…もうお分かりですね?」

「…」

このときの、緋村さんの顔。

言葉にして例えるなら、「え?マジで?」でしょうか。

「世の中には、まだまだたくさんの未知の植物が生息しています。中には、人間サイズの生き物でも、容易く呑み込んでしまう植物もあるかもしれません。…夢が膨らみますね」

「…」

「まぁ、人間ではない私には関係ないですが。人間である緋村さんは、是非とも気をつけて生活してください」

「…怖っ…」

と、緋村さんは若干青い顔で言いました。

興味深い反応です。

「…しかも、また久露花さん、ちょっと楽しそうだし…」

「そうですか?」

「うん…」

と、緋村さんは頷きました。

自分では無意識なのですが。

そういえば、以前この本を図書室で見つけたとき。

拡大されたウツボカズラの写真が載ったページを、久露花局長に見せたところ。

腰を抜かされましたね。

「緋村さんは、食虫植物に興味はありますか?」

「え?えーと…。見てみたい気はするけど…近寄りたくはないかな…。さっきの話聞いてたら…」

「そうですか」

と、私は言いました。

つまり、興味がない訳ではないということですね。

楽しんでもらえたなら、幸いです。
と、そのときでした。

「見てよ。また、クラスのはみ出し者同士がつるんでる」

「デキてんじゃない?お互い、誰にも相手にしてもらえないからさぁ」

「まぁお似合いだよね〜。電波ちゃんと幽霊君で」

「言えてる〜」

…。

…と、

教室の隅っこの方から、クラスメイトの声が聞こえてきました。

電波ちゃんとは、私の以前のあだ名です。

私のことを話しているのかと思って、クラスメイトの方を振り向くと。

そこには、湯野さんと悪癖お友達一行がいました。

彼女達は、私が振り返るのを見た途端、どっと笑い出し。

そのまま、笑いながら教室を出ていきました。

…何がしたかったのでしょう?

行動の意味が理解不能です。

「…?何だったんでしょう。人間は、時に意味不明な行動を取りますね」

と、私は言いましたが。

「…」

と、緋村さんは無言でした。

私から目を逸らして。

「…?どうかしました?」

「…。…ううん、何でもない…」

と、緋村さんは消え入りそうな声で言いました。

今すぐ湯野さんと悪癖お友達一行を、追いかけて問い質しても良いのですが。

私は別に、彼女達との会話に興味がないので。

やめておくとしましょう。
更に翌日。

その日は、体育の授業がありました。

体操着に着替えて、体育館に向かうと。





何故か、緋村さんは隅っこの方で、相変わらず制服姿のまま、ぽつねんと座っていました。

「…何をやってるんですか?」

と、私は尋ねました。