アンドロイド・ニューワールド

私にも、ステルス機能はあります。

しかし、彼のステルス機能は、確かに私より優秀なようですね。

「見られ」ていることに気づくのに、しばしの時間がかかりましたから。

「そう言う第2局も、優秀なようですね」

「それはもう。何と言っても、僕の創造主は、僕の敬愛する紺奈(かんな)局長ですから」

と、彼はうっとりとしたように言いました。

私は、彼の名前を知っています。

彼が今口にした、紺奈局長にも、会ったことがあります。

『Neo Sanctus Floralia』第2局所属、Sクラス1110番。

コードネーム、『アロンダイト』。

私と同じ、『新世界アンドロイド』です。

「こんなところで、何をしているんですか?」

と、私は尋ねました。

「あなたが順調に『人間交流プログラム』に取り組んでいるか、観察しに来ました」

と、1110番は言いました。

「それは、紺奈局長の指示ですか?」

「いいえ?僕の興味の問題です」

「…」

と、私は無言で考えました。

『新世界アンドロイド』は、所属する局長の指示や許可がなければ、『Neo Sanctus Floralia』の拠点から出ることは許されていません。

つまり、勝手に人間の世界に来てはいけないのです。

では何故1110番は、今ここにいるのでしょう?

「それは、あなたの敬愛する紺奈局長への背信ですか?」

「とんでもない!僕があの人に逆らうなんて、天地がひっくり返ったとしても、それだけは有り得ません」

と、1110番は言いました。

そうだと思いました。

天地はよくひっくり返りますけどね。

それでは、何故。

『新世界アンドロイド』の中で、誰よりも局長に従順なはずの1110番が。

無断外出の上、更に特殊な任務である『人間交流プログラム』を実行中である私に、接触してきたのでしょう。

理解不能です。

「僕がここに来たのは、端的に言えば、僕の興味本位ですね」

と、1110番は言いました。

興味本位…?

「興味本位、という理由で『Neo Sanctus Floralia』の外に出ることは、許可されていないはずです」

「知ってますよ」

「なら、何故あなたが興味本位で、私の様子を見に来たのですか?」

「先輩として、後輩の様子を見守ろうかなーと思ったもので」

と、1110番は言いました。

先輩として…?

「製造されたのは、私の方があなたより先です。すなわち、私の方が先輩です」

「製造されたのは、確かにあなたの方が先ですね。でも…『人間交流プログラム』に関しては、僕の方が先輩なんですよ。1027番さん」

と、1110番は言いました。
「『人間交流プログラム』の…?」

「はい。とはいえ…僕も、絶賛継続中の身なんですけどね」

と、1011番は言いました。

…そういうことですか。

久露花局長は、『人間交流プログラム』に参加する『新世界アンドロイド』は、私が二人目だと言っていました。

従って、私より先に、このプログラムに取り組んでいる『新世界アンドロイド』がいるということです。

それが誰なのかは、聞いていませんでしたが…。

まさか、自分から告白しに来るとは。

『人間交流プログラム』において、私より先輩。

それはつまり、私より先に『人間交流プログラム』に…このプログラムの、最初の被検体に…なったのは。

この、1110番だったということですね。

そうだったんですか。

それを知ったところで、どうなるとも思えませんが。

「そもそも、この『人間交流プログラム』そのものを企画したのは、うちの紺奈局長ですから」

と、1110番は言いました。

確か、久露花局長もそんなことを言っていましたね。

このプロジェクトを考えたのは、第2局の人間だと。

そして第2局の局長は、1110番の敬愛する紺奈局長です。

成程。あの方が考案したのですね。 

何度か会ったことはありますが、真面目で厳格そうで、局長としての威厳のある方です。

少なくともあの方なら、毎時間チョコレートを食べなければ、禁断症状が出るようなことはないでしょう。

それだけでも、素晴らしいことですね。

1110番が、紺奈局長を尊敬するのも、理解出来ます。

「紺奈局長は、あなたが私に接触することを許可しているのですか?」

「さぁ。聞いてみたことがない」

と、1110番は言いました。

「しかし、私達の身体には、常に現在地を送信する発信機が取り付けられています。今頃、私のところの久露花局長も、あなたのところの紺奈局長も、私達が接触していることを把握していると思いますよ」

と、私は言いました。

『新世界アンドロイド』同士の接触。

『Neo Sanctus Floralia』ではよくあることですが、外の世界では、ほとんど有り得ないことです。

『新世界アンドロイド』同士が、もし市街地でぶつかり合うようなことになれば…。

最早、取り返しが付きません。

…とはいえ。

そんなことは、決して有り得ません。

私が紺奈局長を侮辱するようなことを言わなければ、彼はそれだけで大人しいでしょう。

人間同士は、よく争いますが。

私達『新世界アンドロイド』は、争うことはありません。

原則的に。

例えばこの1110番の場合、紺奈局長を非常に敬愛しているので。

もし紺奈局長を侮辱するようなことを言えば、『新世界アンドロイド』同士での争いも勃発しかねません。

実際、そんな事件が『Neo Sanctus Floralia』内で起きたそうです。

私はその場に居合わせていないので、詳細のほどは不明ですが。

紺奈局長への文句を口走ったAランクの『新世界アンドロイド』がいたそうで。

それを聞きつけた1110番が、その『新世界アンドロイド』を半壊させたとか。

本人曰く、「単なる甘噛み」だったそうですが。

向こうは全治半日の大怪我だったのですから、気の毒です。

しかも、紺奈局長が止めるまで、誰の制止も聞き入れなかったそうです。

あのとき紺奈局長が駆けつけなければ、今頃どうなっていたことやら…。

…と、そんな昔話はどうでも良いですね。

そのAランクの『新世界アンドロイド』には気の毒ですが、あれはもう過ぎ去ったことです。

今は、今の話をしましょう。
「構わないと思いますよ?紺奈局長からは、『他のアンドロイドが『人間交流プログラムを』を受けている』と知らされただけで、会いに行っちゃいけない、とまでは言われてませんから」

と、1110番は答えました。

笑顔で。

そう、笑顔で、です。

これは、とても珍しいことです。

成程、会いに行って良いとも言われてないが、会いに行ってはいけないとも言われてない。

「だから、興味本位で会いに来たと?」

「はい。ついでに言うと、二人目が誰なのかを確認したかっていうのもありますね」

と、1110番は言いました。

それも、興味本位の発想なのでしょう。

とても珍しい行為です。

この1110番の、最も特徴的な点と言えるでしょう。

そして今会って、会話して、確信しました。

以前より、この特徴的な点が、強調されています。

つまり、1110番の個性が強くなった、と言えるでしょう。

成程、何故紺奈局長が、『人間交流プログラム』を立案し。

いの一番の被験者を、1110番に選んだのか、その理由が分かりました。

元々彼が、『新世界アンドロイド』の中でも、非常に「人間的な」個体だったからです。

その特徴をもっと伸ばす為に、わざと1110番を選んだのですね。

そして、1110番を最初の凡例として、他の『新世界アンドロイド』に…つまり私に…適用してみた。

今は、私がどのように変わるか、観察中という訳です。

「でも、意外でしたね」

と、1110番は言いました。

「何がですか?」

「『瑠璃華さん』が、『人間交流プログラム』の被験者に選ばれたことが、ですよ」

と、1110番は答えました。

…何でしょう。

さっきの、紅茶店での私と奏さんとのやり取りを、こっそりステルス状態で聞いていたのですから。

私の、人間としての名前。久露花瑠璃華という名前を、1110番が知っているのは、不思議なことではないのですが。

何故か1110番に、その名前で呼ばれると…。

謎の不快感を感じます。

別に私は、1110番が憎い訳ではないのですが。不思議です。

そもそも私には心がないので、例え相手が人であろうと、人でなかろうと、憎しみなど感じません。

「何故私が『人間交流プログラム』の被験者だと、意外に感じるのですか?」

と、私は聞きました。

「だって、あなたにはとてもじゃないけど、人間的な部分なんて欠片ほども持ってなかったでしょう?」

と、1110番は言いました。

…何故でしょう。

言われているのは事実なのに、胸の中に不快感があります。

フレンチトーストで、胸やけを起こしたのでしょうか?

『新世界アンドロイド』に、胸やけを起こす機能はついてないはずなのですが。

不思議です。

「それは、一人目のあなたが最も『人間的』な『新世界アンドロイド』だったからでは?」

と、私は言いました。

「はい?」

「ですから、一人目は元々『人間的』な『新世界アンドロイド』を被験者にし、確かに『人間交流プログラム』に効果があることを確認し…」

「あぁ成程。なら今度は逆に、最も『人間的』ではないアンドロイドを被験者にして、どのような結果になるかを観察してみよう。ってことですね?」

「そういうことですね」

と、私は答えました。

私には、久露花局長が何を考えているのか、紺奈局長が何を考えているのかも分かりません。

読心術など使えませんから。

しかしこの場合、そのような推測をすることが可能でしょう。
すると。

「だとしたら、やはり紺奈局長は優秀ですね」

と、1110番は言いました。

笑顔で。

これは凄いことです。

基本的に、『新世界アンドロイド』には喜怒哀楽、つまり人間の感情がありません。

その為、感情が顔に出る、表情が変わるということも滅多にありません。

とはいえさすがの私も、表情が全くない訳ではありません。

以前久露花局長に「うっかり3ヶ月分注文しちゃった!ヘレナちゃんにもあげる〜」だとか言われ、ダース単位でチョコレートの箱をもらったときには。

現場を見ていた朝比奈副局長によると、私もうんざりしたような顔を見せていたそうです。

それは当然ですね。

しかし中には、私よりもっと表情が乏しく、全く人間的な部分を持っていない『新世界アンドロイド』もいます。

どちらかと言うと、私も表情に乏しい部類に入ります。

だからこそ私も、その人間の感情を理解する為に、『人間交流プログラム』に参加しているのです。

勿論、『新世界アンドロイド』によってそれぞれ個体差はあります。

そして1110番『アロンダイト』は、『新世界アンドロイド』の中でも、最も「人間的」な感情を持っている個体でした。

だからこそ紺奈局長は『人間交流プログラム』の最初の被験者を、1110番に選んだのでしょう。

何せ1110番は、『Neo Sanctus Floralia』にいたときから、笑うことが出来ましたが。

基本的には、局長や副局長の命令を聞き、その命令を忠実にこなす以外に、自分の意見を口にすることはないのが、『新世界アンドロイド』です。

それなのに1110番は、割と稼働初期の段階から、表情が豊かで、感情表現を示していました。

とはいえ、その相手は主に紺奈局長相手だけであり。

他の人物に対しては、ほぼ全く感情を示さなかったのですが…。

そういう意味では、1110番は、とても偏った特徴を持っていたと言えます。

だからこそ紺奈局長は、自分に対して以外にも感情を広げるように、と。

『人間交流プログラム』を立案し、1110番に受けさせたのでしょうね。

そして、その効果は絶大なものだったと推測出来ます。

1110番の言う通り、紺奈局長は優秀です。

何故なら今、1110番は。

紺奈局長以外の人物、つまり私に対して…笑顔を見せているのですから。

これは、1110番の成長と言えるでしょう。

『人間交流プログラム』には、確かな効果があるのだと実証されました。

「そうですね。今のあなたの様子を見るに、紺奈局長の考案した『人間交流プログラム』は、『新世界アンドロイド』にとって有効だったと考えられます」

「『新世界アンドロイド』…ですか。確か第4局では、そう呼んでるんでしたね」

と、1110番は言いました。

そういえば、そうでしたね。

我々アンドロイドに対しては、様々な呼称があり、統一されていません。

所属する局によって様々です。

私が自分を『新世界アンドロイド』と自称しているのは、第4局がそういう方針だから。

第2局では、確か…。

「『人型聖宝具』でしたか」

「そうですね。局長がそう呼んでるので」

「そうですか」

と、私は答えました。

呼び名など、大した問題ではありません。

「それよりも、1110番。あなたは…」

「あ、ちょっと待ってください。その前に、さっきの話の続きをさせてくださいよ」

「…さっきの話?」

「うちの紺奈局長が、優秀だって話」

と、1110番は目をキラキラとさせて答えました。

目に、ラメでも散りばめているのでしょうか。

いくら『新世界アンドロイド』と言えど、眼球を傷つける行為は、やめた方が賢明なのではないかと思いますけどね。
「そうですね。あの方は優秀だと、私も認めています」

「ありがとうございます」

と、1110番は言いました。

何故、あなたが礼を言うのですか?

理解不能です。

「でもあの方が優秀だと証明されたのは、僕の『人間交流プログラム』の結果だけじゃないんですよ」

「…どういう意味ですか?」

「気づいてると思いますけど、僕、先程あなたが人間と会話しているのを、盗み聞きしていました」

「…えぇ、知ってます」

と、私は答えました。

別に、何か疚しい話をしていた訳ではありませんが…。

「プライバシーを侵害されたようで、不快です。盗み聞きは遠慮願いたいですね」

「あぁ、はい済みません」

と、1110番は言いました。

謝罪の仕方が軽いですね。

これは製造番号年長者として、正しい謝罪の仕方を伝授しなければならないか、と思いましたが。

「でも、そこですよ。そういう点。物凄い進歩じゃないですか?」

と、1110番は言いました。

その言葉に驚いたお陰で、私は1110番に謝罪の仕方を伝授する、という考えが吹き飛んでしまいました。

「…そういう点とは、どういう点ですか?」

「以前の自分を思い出してみると良いですよ、瑠璃華さん」

と、1110番は言いました。

やはり1110番に人間の名で呼ばれると、不快感に襲われます。

「以前なら、自分が誰と話しているところを、誰に聞かれようと、少しも不快感は抱かなかったでしょう?」

と、1110番は言いました。

そして私は、そのとき初めて気づきました。

確かに、その通りです。

「はい。第三者に会話の内容を知られ、不快に思ったのは、今回が初めてですね」

「ほら。あなたにも、人間的な感情が芽生え始めている。盗み聞きなんてされたくない、って。凄くないですか?」

「はい。凄いことですね」

と、私は答えました。

1110番に指摘されるまで、全く気づきませんでした。

「やはり、僕の局長が考えたプログラムは完璧ですね。素晴らしいです。およそ、人間的とはかけ離れた1027番を、『瑠璃華さん』にしたんだから」

と、1110番は言いました。

うっとりとした様子です。

また局長自慢ですか。会うと必ずそれですね。

慣れてますから、特に何も思いませんが。

それよりも、私がさっきから気になっていることは。

「名前を」

「はい?」

「あなたの名前を教えてください。1110番でもなく、『アロンダイト』でもない、今のあなたの、人間としての名前を」

と、私は言いました。

私だけが「瑠璃華さん」と呼ばれるのは、何故だか不快です。

「えぇ、はい。そうですね。良いですよ、同じ『人間交流プログラム』の被験者同士、交友を深めに来たんですからね」

と、1110番は言いました。

そして。

「僕の人間としての名前は、紺奈碧衣(かんな あおい)と言います」

と。

1110番改め、紺奈碧衣は言いました。
…そんな名前だったんですね。

そういえば、彼の目は綺麗な碧色です。

「あなたも、紺奈局長と同じ苗字をもらったんですね」

「それは勿論!夢だったんですよ。紺奈局長と同じ名前で呼んでもらえるなんて」

と、碧衣さんは言いました。

それは良かったですね。

それで、もう一つ言いたいことがあるのですが。

「あなたの『人間交流プログラム』の実験結果が優秀なのは、人間の感情を理解出来ているからではなく、あなた自身が紺奈局長に喜んでもらいたくて、そのように振る舞っているだけなのでは?」

「え?そうですよ?」

「…」

と、私は思わず返す言葉を見つけられませんでした。

あまりにも、当たり前のように認めたので。

やっぱりそうだったんですね。

あなたのことだから、そうだと思いました。

「紺奈局長が考えた『人間交流プログラム』を、僕が見事に成果を出してご覧に入れる…。そうすれば、紺奈局長は喜ぶでしょう?そんな素晴らしい研究を考案した局長が、評価されるでしょう?」

「そうですね」

「だから僕は頑張るんです。より人間らしく、人間の振りをする。それが局長の喜びに繋がるなら、僕は何でもやりますよ」

と、碧衣さんは言いました。

局長の為に、全人類を殺してこいと言われたら、喜んでやりそうですね。

もとからそうですが。

「しかし、あなたがそのように考えていることは、紺奈局長も知っているのでは?」

と、私は尋ねました。

あなたの野心?魂胆?を、紺奈局長が見抜けないはずがありません。

私でも気づくくらいなのですから。

「知ってるでしょうね。でも、知ってても良いです」

「良いんですか」

「えぇ、良いんです。結果的に、局長が喜んで、そして認めてもらえるなら」

と、碧衣さんは言いました。

確かに、人格としては、あなたは歪んでいる部類に入るのかもしれませんが。

『人間交流プログラム』の効果は、しっかり現れてますね。

だってそんなあなたの考え方は、とても「人間的」ですから。

「そして、同じく『人間交流プログラム』に取り組むあなた。瑠璃華さんにも、僕は頑張って欲しいんですよ」

と、碧衣さんは言いました。

「何故ですか?」

「あなたが『人間交流プログラム』で結果を出せば、今より更に、この実験を考案した紺奈局長の評価が上がることになるでしょう?」

と、碧衣さんは言いました。

成程、理解しました。

あなたの行動原理は、いつもそれですね。

そして。

「ではあなたは、私に叱咤激励する為に、わざわざステルス機能で姿を隠してまで、盗み聞きしたってことですね」

「はい!」

と、碧衣さんは全く悪びれることなく、当然のような笑顔で言いました。

そう、笑顔で。

「同じプログラムを遂行する者同士、お互い頑張りましょうね。あなたに何の成果も出なかったら、紺奈局長の名誉に関わるので」

「…分かりました。努力しますよ」

と、私は答えました。

最早脅迫ですね。

無理です出来ません、なんて答えたら、この場で大乱闘が起きそうです。

それに。

いくら個体差があれど、同じ『新世界アンドロイド』として。

碧衣さんに出来ることが、私に出来ない理由はありません。

逆もまた然り、です。
「さて、それでは」

と、碧衣さんは言いました。

「言いたいことは言ったので、僕は自分の住処に戻りますね」

「そうですか」

「さっきも言った通り、僕はあなたの研究成果に期待しているので。何か困ったことや分からないことがあったら、聞いてくれて良いですよ」

「分かりました。聞きます」

と、私は答えました。

これは本音です。

久露花局長や、朝比奈副局長でも、分からないことはあるはずです。

そんなとき、同じ『新世界アンドロイド』同士、同じプログラムを受けている者同士、共感出来ることはあるでしょう。

そのときは、碧衣さんに頼ることにしましょう。

紺奈局長さえ絡まなければ、1110番はまともですからね。

え?まるで普段の碧衣さんが、まともではないと言いたいようだ、って?

…気のせいですよ。

「じゃ、連絡待ってますね。さようなら」

「はい、さようなら」

と、私は答えました。

すると同時に、碧衣さんは消えました。

また、ステルス機能で姿を消したのです。

…そういえば。

『人間交流プログラム』を受けている間は、常時通常モードで稼働すること、と局長に言われましたが。

つまり、ステルス機能といった、通常人間には使えない特殊機能は、使わないことになってるはずですが。

思いっきり使ってましたね。

紺奈局長も知っているはずですが、後で怒られないのでしょうか?

…それにしても。

まさか、先に『人間交流プログラム』を受けている『新世界アンドロイド』が、あの1110番だったとは。

…寄りにもよって、ですね。

どうせなら別の『新世界アンドロイド』が良かったと思うのは、これは私に人間の感情が芽生えているのか。

それとも、単に1110番の異常な紺奈局長好きが、面倒臭いと思っているだけでしょうか?
――――――1110番、『アロンダイト』改め。



紺奈碧衣さんに会った、その五日後。

中間試験の結果が、私達の手元に返ってきました。








「瑠璃華さん、瑠璃華さん」

と、奏さんは私に言いました。

片手で車椅子を動かし、片手に解答用紙の束を持って。

「どうしたんですか?」

と、私は尋ねました。

随分と、興奮した様子に見えます。

何か面白いものでも見えたのでしょうか。

「凄いよ、これ」

と、奏さんは解答用紙の束を、私に差し出しました。

良いのでしょうか。私が見ても。

先程、ホームルームのときに、解答用紙の束を返されたときは。

クラスメイト達は、こそこそと点数を隠すように持ち帰っていたので。

何か疚しいものでもあるのだろうか、と思っていたのですが。

奏さんは、普通に見せに来ましたね。

きっと彼には、何も疚しいものはないのでしょう。

「手応えあったから、良いだろうとは思ってたけど。本当に、今までで一番良い点数だったよ」

と、奏さんは言いました。

とても嬉しそうな様子です。

良かったですね。

私は、奏さんに渡された解答用紙を、ぺらぺらと捲ってみました。

成程、どれも90点を越えているか、一番低い点数でも80点台後半です。

…。

「…奏さんは、これで満足なのですか?」

「え?」

「あんなに勉強会を頑張ったのに、こんな点数とは…。期末試験のときは、もっと徹底的に対策しないといけませんね」

と、私は言いました。

私としても、奏さんの成績向上の為に、かなり力を入れたつもりでしたが。

まだまだ、あの程度では足りなかったようです。

「…え、えっと…?自分では、結構良かったと思うんだけど…」

と、奏さんは困惑したように言いました。

「そうなんですか。志が低いですね」

「それは…まぁ、全教科100点も夢じゃない瑠璃華さんに比べたら、これでもまだまだかもしれないけど…」

と、奏さんは言いました。

声のトーンが下がっていますね。落ち込んでいるようです。

何だか私が悲しませたみたいで、嫌ですね。

「でも、90点でそんなに喜ぶということは、以前はきっと、二桁にも満たない点数だったのでしょう?」

「は?」

「それを思えば、とても進歩したと思います。確かに、まだ満点の一割にも満たない点数ですが、それでも着実に、前に進んでいます」

と、私は言いました。

どうでしょう。これが励ましというものです。

碧衣さんのように、上手く出来たでしょうか?

出来なかったことを責めるより、出来たことを褒める。

教育の基本ですね。

「大丈夫です。ゆっくり点数を上げていきましょう。そうですね…次の目標は、200点くらいで…」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って瑠璃華さん。何か勘違いしてる。君は何か、根本的なことを勘違いしてるよ」

「…?私が?何を勘違いしているのですか?」

と、私は尋ねました。

すると。

「…瑠璃華さん。うちの学校の試験は、全部『百点満点』で計算してるから。決して、『千点満点』じゃないから」

と、奏さんは真顔で言いました。

「…」

と、私は無言で、奏さんの顔を見つめました。

そのときの衝撃は、まさに言葉では言い表せないほどでした。