翌朝、昨日の雑炊を温め直したものとレギュラー化しているゼリーをお盆に乗せて3回目となるダークブラウンの扉の前に立つ。
近寄るな宣告されてるのに無視してばっかりだな〜なんて考えながらコンコン、と控えめにノックをすると扉の向こうから返事が返ってきた。おっとこれは予想外。

「失礼します……って笠原くん、起きて大丈夫なんですか?」

ベッドに寝ているかと思いきや、起き上がってスマホをいじっていた笠原くん。
サッと見た感じ顔色も良くなっているから回復しているのは確かなんだろうけど、昨日の今日でそれは如何なものか。

「……昨日に比べたらマシ」

「まあ、昨日よりはだいぶ顔色も良さそうですけど……熱は?測りましたか?」

「……微熱」

「なるほど」

(あれ、なんだろうこの感じ。もっとギクシャクするかと思ってたけど案外普通……?)

テーブルにお盆を置かせてもらいながら内心首を傾げる。正直なところ、ガン無視を決め込まれるかと思っていた。

「今日もゼリーにしますか?」

この2日間で大活躍中のゼリーを差し出すと、笠原くんは少しの沈黙の後に「……雑炊」と言った。

「!わ、かりました。熱いかもしれないので気をつけてくださいね。」

思わず裏返った声は聞かなかったことにして、差し出したゼリーを机の上に置いて代わりにお盆ごと雑炊の入った器を渡す。
顔が真顔になってしまうのは許して欲しい。味見は何度もしたし、なんなら昨日しっかり食べているけど自分の料理を食べてもらう時はとても緊張する。
気を紛らわそうと水を新しいものと交換したり冷えピタを用意したりしてみたが、やっぱり気になるものは気になる。

(これ、不味いとか言われたらいよいよ立ち直れないな)

笠原くん、美味しいものいっぱい食べてそうだし……と偏見全開の脳内とは裏腹に笠原くんはあっという間に雑炊を完食し、空になった器に手を合わせた。

「お、お粗末さまでした」

食べ盛りの男の子ってすごい。スピードもさることながらそれなりの量があった雑炊の器は米粒ひとつ残っていない。

「綺麗に食べてくれてありがとうございます。」

私がそう言うと、笠原くんは驚いたようにこちらを凝視した。え、そんなに驚かれるようなこと言った?

「あの、何か?」

「いや……」

「……そうですか?あ、これ薬と水です。飲み終わったら冷えピタも交換しましょう」

「……ん」

(………………いや、ぎこちないな!)

前言撤回。笠原くんが分かりやすくぎこちないからこちらとしてもやりにくい。
初日の威勢はどうした。

「ゼリーは置いていくので、食べたくなったら食べてください。後で体を拭く用の蒸しタオルも持ってきますね。」

そう言って立ち去ろうとすると、クイッと引っ張られる感覚がして足を止める。どこかに引っ掛けたのかとそちらを見れば、なんと笠原くんがエプロンの裾を掴んでいた。

「……ごめん」

「へ?」

脈絡のない謝罪にマヌケな声が出てしまう。
しかし笠原くんは私のマヌケな返事をスルーし、意を決したように口を開いた。

「顔合わせの時とか、色々……とにかく、ごめん。」

「あー……」

その言葉を聞いて思い出される顔合わせの時の嫌そうな顔と、この家を出ていく時の冷たい瞳。

「ほんとですよ」

これでも結構傷ついたんですよ。と言うと笠原くんは俯き、ごめん。と3度目の謝罪を口にした。

「笠原くん、知ってますか?ひとりぼっちのご飯って、あんまり美味しくないんです。」

私の言葉に勢いよく顔を上げた笠原くん。
彼の瞳には満面の笑みを浮かべた私が映っている。

「だから早く風邪を治して一緒にご飯を食べてください。そしたら許します」

元々怒ってないけど。なんて心の中で付け足しながら表情を伺うと、笠原くんは目を見開いた後に破顔した。

「ふはっ……なんだそれ。そんなことでいいの」

「そんな事って!私の1週間の孤独な生活を事細かに説明しましょうか!?」

「いや、遠慮しとく」

「賢明な判断だと思います。それから……私からも謝らせてください。ごめんなさい。」

深々と頭を下げると、笠原くんが戸惑っている気配を感じる。

「笠原くんには笠原くんなりの考えがあったかもしれないのに、私の独断で2人を見送ってしまってごめんなさい。軽率でした。」

謝りたかったのは笠原くんだけじゃない。
そもそも笠原くんが家出をするきっかけを作ったのは私が原因で、旅行に行くという2人の背中を押したのも私だ。
だから、ずっと謝りたかったのだ。

「なんだそれ……変な意地張ってた俺が馬鹿みてえじゃん……」

「え?」

ぼふん、という音ともに手で顔を覆った笠原くんがベッドに倒れる。ちらりと見えた耳がほんのり赤くなっているのは熱のせいではないはず。

「笠原くん?」

「……俺さ、再婚のことを知ったのが顔合わせの1週間前だったんだ。」

「え……」

顔を隠したまま話を始めた笠原くん。しかも再婚を知らされた時期が私と同じくらいだということに驚きを隠せない。

「おかしいだろ?急すぎるって父さんを問い詰めたら「忙しそうだったから」とか言われてさ。」

「んんん?」

ちょっと待て。私はこの話を知ってるぞ

「しかも相手には娘がいて俺と同い年。父さんは妹ができるぞ〜なんて呑気な事言ってるし」

「……はい。」

「で、終業式の後に拉致されて連れていかれたレストランに」

「私がいた、と。」

「そういうこと」

この場で頭を抱えなかったことをどうか褒めて欲しい。なんだあの両親は。似たもの同士か!偶然とかそういう次元じゃないぞこれは!

「あの、笠原くん」

「ん?なに?」

おずおずと手を挙げながら口を開くと、笠原くんは開き直ったのかベッドから起き上がってこちらの話を聞く体勢に入った。

「今の、私の家でも全く同じことをされました。」

「は!?まじで?」

「まじです。ある日突然再婚の話をされた所とか、兄妹ができる話のくだりまで全く一緒です。そのあとの流れも笠原くんが体験した通りです。」

「まじかよ……あの2人……」

「ある意味、似たもの同士で相性がいいのかもしれないですね……」

2人そろって遠い目をしてしまう。破天荒な親に振り回された者同士、意外と話が合うかもしれない。

「俺の父さんっていつもそうなんだよ。仕事は完璧なのに家に帰ってくるとどっか抜けてるっていうか、天然っていうか」

「分かります。私のお母さんも外ではすごくかっこいいんです!なのに家ではなんとなくフワフワしてる感じで。大切なことを伝えなかったり忘れてたり!」

「それすげー分かる!世間話みたいに大事な話ぶっ込んでくるんだよ!」

「そうなんですよね!今その話するの?っていうタイミングで話し始めますよね!」

「そうなんだよ!この間なんて……」

「え!笠原くんのお父さんが?ある意味すごい……いやいや、私のお母さんも……」

「まじ?中島の母さん、すげーしっかりしてそうなのにな。」

話題はいつの間にやら自分の親の"抜けている”部分の暴露大会へ。この話題のおかげで笠原くんも私もお互いの親に抱いていた印象が良い意味で崩れ落ちた気がする。

「こんな話した後で信憑性薄いかもしれないけどさ。俺の父さん、良い人だから。」

真剣な声色の笠原くん。でも、彼の表情は柔らかい。

「仕事も出来るし、色んな面で頼りになる人なんだ。まあ、家だとちょっと怪しい面はあるけど……」

途中で照れくさくなったのか視線を逸らす笠原くん。でも気持ちは十分伝わった。

「ふふふ、私の母も素敵な人ですよ。優しくて、仕事も家事も両立してて。母としてもそうですけど、1人の女性として尊敬できる人です。だから笠原くんが良ければですけど、いつかお母さんって呼んであげてください。きっと泣いて喜びますから。」

「分かった。こっちも中島さえ良ければ父さんって呼んでやってくれ。多分、気持ち悪いくらい緩みきった顔が見れる」

「あははっ!すごい興味が湧きました。帰ってきたら呼んでみます。」

「俺も。泣かせたいわけじゃないけどな。」

「楽しみですね。プチドッキリみたいでワクワクします。」

「だな」

2人で両親の反応を想像しながらクスクスと笑う。小さな楽しみができた。

「なあ、話は変わるんだけど」

「?なんでしょう」

「その敬語、やめないか?」

同い年だろ。と言われてしまえば黙るしかない。気まずさからなんとなくタメ口で話すことが躊躇われたから敬語で話していただけで、同い年でクラスメイトな上に今や家族の人物に敬語を使うのもおかしな話だ。

「ん、分かった。それを言うならお互いの呼び名もおかしいよね。私も笠原になった訳だし」

「あ、そうか。……下の名前か?やっぱり」

「そうなっちゃうよね。悠磨、くん?」

「なんで疑問形なんだよ。しかも君付け」

「さすがに呼び捨てはハードル高いって……あ、私の下の名前は」

「皐月だろ?」

突然下の名前で呼ばれ、驚いて笠原くんを凝視してしまう。そんな私の反応に笠原くんはドッキリが成功した子どものようにニヤリと笑った。

「びっくりした。まさか知ってるなんて思わなかったから。」

「食事会の時に名乗ってただろ?それに、去年も同じクラスだったから覚えてた。」

得意げに笑う笠原くんに思わず拍手してしまう。悠磨くんのような有名人は別として、私だったら2年連続で同じクラスになったとしても仲が良くなければ下の名前なんて覚えないし分からない。

「流石だね。じゃあとりあえず家にいる時は下の名前で呼び合うことにしよう」

「分かった。改めてよろしくな、皐月。」

「こちらこそよろしくね。悠磨くん。」