夕暮れ時、近くの家々から美味しそうな夕食の香りがもれ始める時間。
私も例外ではなく、慣れはじめたキッチンで絶賛夕食作りの真っ最中である。メニューは予告通り煮込みうどんに決定し、出汁の香りがキッチンいっぱいに広がる。

正直なことを言えば風邪を引いてる時に料理の味なんてほぼ分からないし、出汁どころか塩気すら感じられないことがほとんどだ。
でもやっぱり無いよりある方が美味しく感じるし、味に深みが出る。
うどんがいい具合に出汁に溶け込んだら完成だ。一緒に煮込んだニンジンやタマネギのとろみも合わさってとても美味しそうに仕上がっている。

お昼と同様、お盆に煮込みうどんと風邪薬、水とゼリーを乗せて階段を上がり、お昼ぶりの扉をノックする。返事は無い。

「失礼します……」

扉を静かに閉めてベッドに近づくと笠原くんは苦しそうな呼吸を繰り返しながら眠っていた。お昼に貼った冷えピタは既に効力を失っていて、笠原くんの上がりすぎた体温で温くなっている。
冷えピタを新しい物に交換するとその冷たさに驚いたのか、笠原くんがゆっくりと目を開けた。

「ごめんなさい。起こしちゃいましたね」

ぼーっと天井を見つめていた笠原くんは私が声をかけたことでようやくこちらの存在を認識した。認識したと言ってもぼんやりとこちらを見つめるだけで反応らしい反応はない。

「煮込みうどんを作ってきました。食欲がなければゼリーもあります。薬が飲めないので少しでも食べて貰えませんか?」

お盆を笠原くんが見えるように傾けると、笠原くんはチラリと視線を向けて小さな声で「ゼリー」と答えた。

「分かりました。起き上がれますか?」

「……ん」

ゆっくりと体を起こした笠原くんを支えつつゼリーを渡す。昼間とは違い、あっという間にゼリーを完食した笠原くんに薬と水を手渡し、薬を飲んだことを確認して昼間に置いていったペットボトルを回収する。中身がほとんど無くなっていたから、水分だけはちゃんと摂ってたみたいで一安心。脱水症状になったら怖いからね。

「新しいお水、ここに置いときますね。おやすみなさい。」

「……」

特に返事を求めている訳でも無いから、そのまま静かに部屋を出ようと立ち上がる。

「……なんで、こんなことしてくれんの」

ドアノブに手をかけたところで、掠れた小さな声が聞こえた。声の主はもちろん笠原くんで、掛け布団の隙間からこちらを見つめている。
なんで、なんて特に考えたことがなかったから返答に困ってしまう。でも強いて言うなら

「笠原くんが病人だからですかね。」

「…………あっそ」

自分から聞いたくせに素っ気ない返事をして再び布団を被ってしまった笠原くん。
それ以上追及することも出来ず、小さな疑問を抱えたまま今度こそ笠原くんの部屋を後にした。