笠原くんが家出してから早1週間。この広すぎる家での1人暮らしにも慣れてきた。自分の適応力に感心すらしてしまう。
あと、独り言が増えた気がする。嘘か本当かは分からないけど人間は1日に話す量がある程度決まっているらしい。もちろん個人差はあるし、他人と比べようがないから確かめようがないんだけど。
そんな事を考えながらぼんやりとテレビを眺めていると、軽快なインターホンの音が部屋中に響いた。突然のことに部屋に備え付けられているモニターの存在すら忘れ、勢いのままに扉を開けた。
するとそこには、クラスメイトの三谷くんがぐったりとした笠原くんを背負って立っていた。

「三谷くん、笠原くん!?」

「……俺が言うことじゃないけど、もう少し警戒したほうがいいと思うよ?」

そう言って苦笑いを浮かべた三谷くんは肩に掛けていた笠原くんのエナメルバッグを差し出した。エナメルバッグを受け取りながら、はっとして三谷くんを中に招き入れる。
三谷くんは「お邪魔します。」と断ってから家に上がると真っ直ぐ階段に向かった。笠原くんは意識が無いのか、三谷くんが階段を上っている間もぐったりとしていて動かない。
受け取ったエナメルバッグをソファの片隅に置き、冷えピタを買っておけばよかったと後悔しながら冷凍庫から氷を取り出して袋に詰め、適当なタオルで包めば簡易的な氷嚢の出来上がりだ。
汗を拭き取るためのタオルと氷嚢を持ってリビングを出ると、丁度三谷くんが階段から降りてきた。三谷くんにタオルと氷嚢を託し、「買い物行ってくる!」とだけ言い残して財布を手に家を飛び出した。

炎天下で全力疾走し、顔を真っ赤にして帰宅した私を見て三谷くんが目を丸くするのは、15分後のことである。

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「落ち着いた?」

「な、なんとか……」

氷を浮かべた麦茶を一口飲めば冷やされた麦茶が喉を通り、内側から体温を下げてくれる。三谷くんにも麦茶を出し、ダイニングテーブルに向かい合う形で座った。

「ごめんね。笠原くんを運んでもらっただけじゃなく、留守番まで任せちゃって……」

「ああ、いいよいいよ。悠磨のやつ、3日くらい前から調子悪そうでさ。帰れって言っても頑なに拒否するし」

話によると、1週間前から笠原くんは学校の近くで一人暮らしをしている三谷くんの家に転がり込んでいたらしい。事情を聞いてもあまり詳しいことは教えてくれず、再婚して私と兄妹になったということを三谷くんが知ったのはつい最近だったという。

「…………本当にごめんね」

私がいなければ笠原くんは家出なんてしなかっただろうし、三谷くんに迷惑をかけることも無かった。そう考えると申し訳なさで頭がいっぱいになる。

「中島さんは悪くないよ。変な意地張ってるあいつが悪い」

「……ありがとう三谷くん。でも、知ったかぶりをするつもりはないけど、笠原くんの気持ちも分かるから」

親の再婚、新しい兄妹、2人きりの生活……私もすべてを受け入れられているかと聞かれたら、ノーだ。頭では理解していても心は中々追いつかない。
三谷くんは「そっか」とだけ言って席を立った。

「頑固だけどさ、根は良い奴だから見捨てないでやってよ」

「多分見捨てられるのは私のほうだと思うんだけど……」

見捨てられる云々の前に、そこまで仲良くなれてないけどね。

苦笑いでそう言えば、三谷くんは少し考えるような素振りを見せたあと、何事もなかったかのようにいつもの笑顔を浮かべた。

「なんとかなるよ、俺が保証する」

「おお、心強い」

「でしょ?あ、せっかくだから連絡先交換しない?悠磨のこともそうだけど、何か力になれるかもしれないし」

「三谷くん……!あなたが神か……!」

「迷える子羊よ、ぜひご入信を」

茶番にノってくれるとは思ってなかったから、思わず吹き出してしまう。三谷くんも私につられたのか、くすくすと笑った。

連絡先を交換したあと、三谷くんは「悠磨はお粥より雑炊が好きだよ」と言い残して帰っていった。三谷くんのアドバイスをもとにニンジン、ダイコン、ネギ、卵などなど、雑炊に必要な材料を用意する。たくさんの食材を買い込んでおいて本当によかった。

「雑炊、作るの久しぶりだけど大丈夫かな」

なにせ私は自他共に認める健康優良児で風邪なんて滅多に引かないし、予防接種を受けていればインフルエンザにかかることもほぼない。たっくんにはよく「体力おばけ」なんて呼ばれていた。アレルギーとも無縁の体質だから、健康体に産んでくれたお母さんにはとても感謝してる。

「お米は昨日の残りを解凍するとして……」

水を入れた鍋に火にかけ、まずは野菜だ。と並べた野菜たちをそれぞれ食べやすい大きさに切っていく。我が家ではシイタケとかエノキも入れてたけど、キノコ類は好き嫌いが分かれるから今回は除外。
野菜を切り終え、解凍されたお米を1度冷水で洗ってぬめりを取る。こうするとお米を煮た際にベチャベチャになりすぎないので絶対にやったほうがいい。お母さん直伝だ。
鍋の水が沸騰したら野菜が柔らかくなるまで煮る。煮えたらお米を加えて更にぐつぐつ煮詰め、ダシやお醤油で味をつけて最後に溶き卵を回し入れたら完成だ。

「……うん、我ながら上出来かも」

完成した雑炊を小皿によそって、火傷しないように注意しながら一口味見。ダシの香りとお醤油のほのかなしょっぱさが良い感じだ。
出来たての雑炊と買ってきた風邪薬と天然水、雑炊が食べられなかった時のためのゼリーをお盆に乗せて階段を上がり、自分の部屋と正反対に位置するダークブラウンの扉の前に立つ。用がない限り来るな。なんて言われたけど今回は例外として許してほしい。一応看病という大事な用事があるし。

「失礼しまーす……」

と、小声で呟いてから部屋に足を踏み入れると、モノクロで統一された部屋が私を出迎えた。間取りはほぼ同じなのに、インテリアやカーテンの色だけでまったく違う印象を受けるから不思議だ。
そんなモノクロの部屋に置かれたベッドには、私が作った氷嚢を額に乗せた笠原くんが苦しそうに眠っていた。正直このまま寝かせてあげたいのは山々なのだが、少しでも胃になにか入れてもらわなければ薬が飲めない。

「笠原くん、笠原くん。すみません、少しだけ起きてもらえますか」

なるべく体に響かないように、笠原くんの肩をトントンと叩きながら声をかける。
しばらくそれを続けていると、笠原くんはゆっくりと目を開けて私をぼんやりと見つめた。

「……なに」

小さく発せられた声は掠れ、随分と疲弊しているように感じた。熱に浮かされた今の笠原くんは相手が私だと認識できているかも怪しいところだ。

「ごめんなさい、起こしちゃって。食欲はありますか?雑炊を作ったんですが……」

そう言いながら笠原くんに見えるようにお盆を持ち上げる。笠原くんはしばらくお盆を見つめたあと、フイと視線を逸らした。

「…………食いたくねぇ」

「なら、ゼリーはどうですか?一口でいいんです。薬を飲むために、食べて貰えませんか?」

ゼリーのフタを回し開けて差し出すと、笠原くんは渋々といった様子で上体を起こした。
熱でフラフラと揺れる笠原くんの体を右手で支えながら左手でゼリーを差し出す。それを受け取った笠原くんはゆっくりとした動作でゼリーを口まで運び、少しずつ飲んでいく。

一口でいいと言ったけど、笠原くんはゼリーをすべて飲み干してくれた。ぺったんこになったゼリーのパックを受け取り、代わりに水と薬を手渡す。
薬と一緒にペットボトルの半分ほど水を飲んだ笠原くんは再びベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。
水をベッド脇に置かれたテーブルに残し、音を立てないように笠原くんの部屋を出る。
結局雑炊は食べてもらえなかったけど、薬は飲ませることに成功したのでミッションコンプリートと言っていいだろう。

「夕飯はうどんにしようかな……」

雑炊よりは食べやすいだろうし、いいかもしれない。笠原くんが食べやすいように煮込んで、具材も柔らかくして……

「って。私は主婦か」

自分の思考に思わずツッコミむ。
笠原くんに拒絶されている状況に変わりはないのに、拒絶されている相手のために料理をこうして考えているのだから呑気なものだ。
まぁ、そんなことを理由に目の前の病人を放置するほど、人間捨ててないけどね。

「いただきます。」

まだ湯気をあげる雑炊に手を合わせ、蓮華で掬って一口。
味見の時と同様の優しい出汁の香りが口いっぱいに広がる。

「……うん、美味しい。」

食べてもらうことは叶わなかった雑炊。
でも、笠原くんから本気の拒絶は感じなかった。心身ともに弱りきっているからかもしれない。それでも、誰かの為に作った料理はこんなにも美味しく感じるのだ。

「いつか、食べてくれるといいなぁ」