お母さんに再婚の話をされてから1週間後、夏休み前最後の学校から帰るなりお洒落な服に身を包んだお母さんに腕を引かれてタクシーに乗ること30分。辿り着いた場所は私でも名前を知っている有名な高級ホテル。
蒸し暑い外とは対照的に、空調が管理されたホテル内はとても快適だ。
お母さんは堂々とロビーを抜け、エレベーターに乗って一気に最上階へ。
エレベーターを出てすぐの所に控えていたレストランのウェイターと思わしき男性に名前を言うと、すぐに個室へと通された。
個室は街を一望できるほど大きなガラスが嵌め込まれ、眼下では人工的なネオンが眩しいほどに光り輝いている。

「お待たせしてごめんなさいね。修治さん、悠磨くん」

あまりのスケールの大きさに唖然としていた私は、お母さんの声で現実に戻される。既にガラスにほど近い位置に置かれた席の近くに立っているお母さん。
私の位置からは見えないけど、恐らく向かい側に相手方の男性とその息子さんがいるのだろう。お母さんが手招きをして私を呼ぶ。綺麗に磨かれた大理石の床をなるべく音を立てないように歩いて、お母さんの隣に並ぶ。
恐る恐る視線をあげると、そこには優しそうな男性と、私と同じ制服に身を包んだ男の子が座っていた。

「え……」

思わず驚きの声が漏れてしまう。相手も目を見開いて固まっているし、その顔は何でここにいるんだと言わんばかりの驚き様だ。

「皐月、こちら笠原修治さんと息子の悠磨くん。悠磨くんは高校が一緒だからお顔は知ってるんじゃない?」

「うん……初めまして、中島皐月です。.......笠原くんとはクラスメイトです」

「よろしくね、皐月さん」

座るように促され、簡単な自己紹介をして会釈をすると笠原さんは笑顔で返事を返してくれた。
その笑顔で無意識に緊張していた体から力が抜ける。釣られるように私が笑うと同時に、お母さんがとんでもない事を言い出した。

「クラスメイトなら顔見知りだし問題なさそうね。3日後にお母さんは修治さんと新婚旅行に行っちゃうから、皐月は悠磨くんと一緒に笠原さんの家に住んでね」

これが鍵よ。と言って渡された何の変哲もない銀色の鍵に、抜けた緊張が逆戻りした。

「新婚旅行!?」

「はっ?父さん!聞いてねえぞ!」

「事前に言ったら悠磨は逃げるだろう?」

「1ヶ月くらいで帰ってくるわよ?丁度、貴方達の夏休みが終わる頃かしらね」

「「1ヶ月!?」」

私と笠原くんの声が重なる。
色々と想定外すぎて頭痛を感じ始めた私に、笠原さんは言う。

「皐月さん、いきなりで申し訳ないんだけど息子と2人で頑張ってくれないか?」

「旅行なんてもう何年も行ってないから、どうしても修治さんと行きたいの。お願い、皐月、悠磨くん」

笠原さんに頭を下げられ、更にお母さんの一言で私は口篭る。確かにお母さんは私を産んでからずっと私のために働き詰めで、遠出をしたことは1度も無かった。そんなお母さんの頼みを断れるほど、私は恩知らずな娘には育っていない。

「……分かりました。笠原さん、頭を上げてください」

私の返事を聞いて嬉しそうに笑うお母さんと笠原さん。そんな2人とは裏腹に私を睨みつける笠原くん。
笠原くんにとっては(クラスメイトではあるけど)親しくもない私と1ヶ月も2人っきりなんて迷惑な事この上ないかもしれない。
だけど、私としてはお母さんに久しぶりの旅行を楽しんでほしい。

「えっと……1ヶ月間よろしくね、笠原くん」

「………………………………よろしく」


たっぷり5秒ほどの間を空けて返事をした笠原くんの嫌そうな顔を、私は生涯忘れない。