お互いの謝罪会(?)から早2日、悠磨くんもすっかり回復し、雑炊と薬から解放されたことを心の底から喜んでいる。

「固形物の飯が恋しい」

「雑炊と煮込みうどんだけっていうのも飽きるよね。食べ応えもないし」

台所で洗い物をしながら何気なく言うと、ダイニングテーブルで突っ伏していた悠磨くんが慌てたように立ち上がってこちらに身を乗り出してきた。

「違うからな!皐月の飯が不味かった訳じゃなくて!最近雑炊とか煮込みうどんしか食べてないから別の物が食べたくなっただけで……って」

「…………ふふふ」

「…………頼むから忘れてくれ」

「雑炊、美味しかった?」

「……美味かった」

「煮込みうどんは?」

「くそっ……美味かったよ!」

顔を真っ赤にした悠磨くんが小さな声で「後で覚えてろよ……」と毒づく。
全然怖くないけど、これ以上いじめたら流石に可哀想だからやめておこう。うん。

「ごめんごめん。お詫びと言ってはなんだけど、夕ご飯に何かリクエストがあれば聞くよ」

今度は違う意味で机に突っ伏してしまった悠磨くんの正面の席に着く。
お昼は雑炊と煮込みうどんの残りを2人で片付けたから、悠磨くんにとっては本当に久しぶりの食事らしい食事になる。
私の言葉に悠磨くんが目を輝かせる。

「なんでもいいのか?」

「もちろん。腕によりをかけて作らせてもらうよ」

「じゃあ、ハンバーグ」

「病み上がりなのにガッツリいくね。ソースは?」

「デミグラスソース。ずっと肉が食いたかったんだよ」

「気持ちは分かる。了解、楽しみにしてて」

「おう」

デミグラスソースなら付け合わせはオーソドックスにジャガイモとかインゲンがいいかな。彩りを考えるならニンジンも欲しい。
お肉はあるから、あとは野菜だな〜なんて考えているとインターホンの音が鳴り響いた。
私が出ようと席を立つ前に悠磨くんが席を立ってリビングの壁に備えつけられたモニターを確認し、出迎えに行ってくれた。
玄関の方で話し声が聞こえるあたり、宅配便とかではなさそう。私は友達にこの家の住所を教えていないから、必然的に悠磨くん目当ての来客ということになる。

(もしそうなら、私はいない方がいいよね)

悠磨くんには申し訳ないけどお茶の準備も任せてしまおう。
テーブルをサッと拭いてから廊下に続く扉のドアノブに手をかけると、タイミングよく廊下側に扉が引かれ、ドアノブに触れるはずだった手が空を切る。

「おわっ」

「っ悪い、近くにいると思わなくて」

「いやこちらこそ。お客さんでしょ?私は部屋に戻ってるから……」

「そんな気を遣わなくて大丈夫だよ、中島さん」

「三谷くん!」

悠磨くんの背後からひょっこり顔を覗かせたのは数日前にお世話になった三谷くんだった。ニコニコと笑いながらこちらに小さく手を振っている三谷くんに道を開けてリビングに入ってもらう。

「皐月、これアキから」

そう言いながら悠磨くんが紙袋を差し出した。アキというのは三谷くんの渾名だろうかと考えながら紙袋を受け取って中を覗くと、綺麗なピンク色の桃が2つ並んで入っていた。甘い香りがふわりと鼻をかすめる。

「桃だ!こんな良い物貰っちゃってもいいの?」

「もちろん。実家が送られてきたんだけど俺一人暮らしで食べきれないからお裾分け。中島さんはアレルギーとか大丈夫?」

「大丈夫!ありがとう三谷くん!」

お礼を言ってキッチンに戻り、桃を傷つけないように1つ取り出して丁寧に冷蔵庫に仕舞う。もう1つはキッチンの日の当たらない場所に置いておいた。

「2人は何か飲む?ひと通り買い揃えてあるんだけど……」

「わり、手伝う」

「気にしないで。私がやりたくてやってるだけだから」

「ふふ……2人とも仲直り出来たみたいだね」

えっ?と三谷くんの方を見れば温かい眼差しを向けられていることに気がついた。それは悠磨くんも同じなようでバツが悪そうに顔を逸らしている。

「あはは……その節は大変お世話になりました……」

「俺は構わないけどね。でも次また俺の信者の皐月ちゃんをいじめたら呪いかけるからね」

ね?と同意を求められて反射的に頷いてしまう。この間のふざけて言った内容をまだ憶えていたとは。

「おい待て。信者ってなんだよ」

すかさず食いついてきた悠磨くん。あの時は熱でダウンして寝てたからこのおふざけの内容を知らなくて当然だ。

「実は悠磨くんを送り届けてくれた日に三谷教に入信しまして」

「俺が幸福になるようにお祈りする宗教だよ。悠磨も入る?」

「皐月やめとけ。そんな邪教」

「えー」

「えー」

「ガキかよ。」

声を揃えた私たちに対して、悠磨くんは呆れたように笑って言った。
それでも負けじと勧誘し続ける三谷くんの肩に悠磨くんのパンチがお見舞いされた所で三谷教への勧誘は呆気なく終了した。

「そう言えば、2人は何か約束してたんじゃないの?」

麦茶とコーラをキッチンから悠磨くんに手渡したところでハッとして尋ねる。
悠磨くんは最初から三谷くんが来ることを知っていたようだし、三谷くんがわざわざ桃を届けてくれただけなら家に上がらずに帰っていても不思議ではない。

「アキが宿題手伝ってくれってうるせえから呼んだ。桃はその手土産だってさ。」

「いいだろー別にー。3人でやった方が早いし楽しそうじゃん」

「うん?3人?」

「そうだよ?悠磨と俺、と皐月ちゃん」

三谷くんはご丁寧に手で1人1人を示しながら言った。まさか私が頭数に含まれてるなんて思わないから面食らってしまう。

「2人と勉強するの、色々な意味でプレッシャーがすごいんだけど」

悠磨くんは言わずもがなテストでは毎回10位以内の高成績を叩き出しているし、三谷くんも悠磨くんに負けず劣らずの成績だったと記憶している。かたや私は赤点こそないものの、ほぼすべての教科が平均点。順位も大体中間の位置をキープし続けている。

「まあまあ。2人の先生がいると思えば心強くない?」

「俺とアキがいれば宿題なんて楽勝だぞ?」

「うっわぁ……その誘い文句はずるい」

魅力的なお誘いに私の心がグラグラと揺れる。引っ越しやらなんやらを理由にサボっていた宿題はまだ1ページも進んでいない。夏休みはまだまだ始まったばかりとはいえ、自分1人でスムーズに宿題が進むとは思えない。
数秒の熟考の後、脳内の天秤が傾いたのは……

「……お、お手柔らかにお願いします」

「おう。任せろ」

「優しく教えるから大丈夫だよ」

(そこもだけど、そうじゃないんだよね……)

アニメであれば青筋を浮かべていたであろう場面も、現実となるとそうはいかない。逃げられないと悟った私は大人しく宿題を取りに部屋に戻った。