コーヒーを入れるといい香りが部屋中に広がった。まだ飲めなかった小さい頃からこの香りは好きだったと思い出す。お父さんが毎朝飲んでいるコーヒーが羨ましくて、ねだって入れてもらったのに結局一口しか飲めなかったあの頃。笑いながら残りを飲んでくれたお父さんの顔が頭に浮かんだ。
「あ、牛乳ないのか、そっか」
懐かしい思い出に浸りながら、ふと気づいて呟いた。苦いのがあまり好きではないので、いつもは牛乳で割って飲んでいるのである。まあ、ないものは仕方がない。今日はブラックで飲むことにした。
コーヒーとクッキーをテーブルに運び、床に座る。雨の音だけが聞こえてくる部屋では空気が澱んでいるような気がして、反射的にテレビをつけた。適当にチャンネルを変えていくと、バラエティー番組をやっていたのでそれを見ることにする。ちょうど地元の近くの街が取り上げられていた。
「いただきます」
クッキーとはいえ朝ごはん代わりなので、ちゃんと手を合わせる。こういったことは親に結構厳しく言われて育った。今となってはそのありがたみがよく分かる。行儀はよいに越したことはない。
まずはコーヒーを飲もうとカップに手をかける。冷たい牛乳で割っているいつもとは違い、今日はかなりホットである。このまま口に含めば舌をやけどしかねない。フーフーと息を吐いて、なんとか飲めるくらいの温度まで冷ました。そして一口。口の中に広がった香りが鼻を抜けていく。最初に熱さを感じた舌は、徐々に苦味を察知していった。
「にっが……」
つい声に出していた。でも不味くはない。むしろ美味しいと思った。苦いが美味しいなんてこれまで信じられなかったが、今この瞬間理解した気がする。お父さんもこんな気持ちだったのだろうか。なんだか大人になったように感じた。
次にクッキーを食べようと盛り付けたお皿に手を伸ばした。コーヒーの香りの中にバターの香りが混ざる。一口サイズのクッキーを口に放り込むと、甘さが舌を包んだ。そして、さっきのコーヒーの苦味と混ざりあっていく。苦さと甘さがちょうどいい塩梅で、コーヒーとクッキーの相性のよさに驚く。これは牛乳とクッキーの組み合わせを超えるかもしれない。