第六章 宇宙からきた子
天気……春雨がしとしとと絶え間なく降り続いている。雨水はまるで不思議な染料のように草を青緑色に染め、花を色とりどりに美しく染めていく。
校長に音感がないと決めつけられたパント―は、李先生の懇切丁寧な指導のもとで、日ごとに音感がよくなっていった。著しい進歩に周囲の先生たちが目を見張っていた。校長でさえ、それまでの見方を変えるようになっていた。校長は時間があるときにはよく、パント―の授業を見学に来るようになった。見学するたびに、パントーに対する校長の評価はうなぎ登りにあがっていって、パント―の音感にうなるように感じ入っていた。
「まさか、ここまでよくなるとは思ってもいなかったよ」
校長は苦笑いしながら李先生に話しかけていた。
「音感ゼロの猫がこれほど見事なキータッチを習得できるようになるとは想像だにできなかったよ。リズム感もとてもいい。研究に役立つ貴重なことを発見した……」
校長の表情は夢うつつの境をさまよっているように見えた。
李先生はにこにこ笑いながら校長を見ていた。ぼくも、くつくつ笑いながら校長を見ていた。
「この子猫には音感は元々なかったが、優れたところが一つだけあった。それは、ひたむきさだ」
遠くを見つめるような目で、校長がそう言った。
パント―は何をするときも、ひたむきなことは、ぼくは、とっくに気がついていたから、校長の言葉も、ぼくには、それほど新鮮には響かなかった。パント―のひたむきさが、いつかは花を咲かせることがあるかもしれないと、ぼくはこれまでずっと思っていた。
「このことは何を意味するだろうか」
校長は興奮冷めやらぬ表情で話を続けた。
「人であれ、猫であれ、何かを成し遂げようと思ったら、ひたむきさが大切だということだよ」
校長は恍惚とした表情で熱弁を振るっていた。
李先生の学生の中で、パント―は、もしかしたら音楽の才能がいちばん劣っていて、ピアノを習得するための先天的な素質がいちばんなかったかもしれない。しかしパントーは、ほかのどの猫よりも、ひたむきに学ぶことが好きだったから、上達するのがいちばん早かったのだ。ぼくはそう思った。
リンゴの形をした音楽室の外にある芝生に寝そべって、パント―が弾くピアノの音に耳を傾けながら、まどろんでいるひとときが、今のぼくにとって、一日のうちでいちばん満たされる時間だ。
「笑い猫、お前は今、うっとりとして喜びに浸っているんだろう」
老いらくさんが、ぼくの心の中を読んで話しかけてきた。
「お前は本当に素晴らしい父親だよ。サンパオもアーヤーもパント―も、みんな将来性があって前途有望じゃないか。わしはそのことを認めないわけにはいかない。本当にすごいよ」
老いらくさんが、べたほめしてくれた。ぼくはそれを聞いて顔から火の出るような恥ずかしい思いをした。
「そんなにほめないでくださいよ」
ぼくの顔は赤くなっていた。
「ぼくには、ただ子供たちの適性を見る目があっただけですよ。子供たちに備わっていた潜在的な能力や長所に気がついたので、そこを見ただけですよ。子供たちの希望や興味を尊重して、それに添うように導いただけです。そのことがいちばん大切だと思ったからです」
ぼくは謙虚に、そう答えた。
「適性を見る目があること自体、お前は本当にたいしたもんだよ」
老いらくさんがまた持ち上げてくれた。
「自分たちにどのような潜在的な能力があるかないかは、自分ではなかなか分からないことも多いし、周囲から指摘されてやっと分かることも多い。サンパオとアーヤーとパント―の潜在的な能力は、父親のお前がうまく発見して引き出したから、みんな将来性がある有能な子猫になったんだよ」
老いらくさんが、とことん、おだててくれた。
パント―の場合は、持って生まれた先天的な能力が、アーヤーやサンパオの場合と違って、ひどく劣っていたが、それでも、ひたむきに努力したから、極めて短期間のうちに、一定のレベルまで持って来ることができたので、ぼくにとっては、格別な思いとなった。
「パント―のためにコンサートを開きたいと思っています」
ぼくは老いらくさんに提案した。
「それはいい考えだ。パント―の優れた才能は広く知ってもらうだけの価値がある。どこでコンサートを開くつもりか」
老いらくさんが聞いた。
「もちろん翠湖公園です。パント―を知っている友だちをみんな招待して、パント―の音楽的な才能をみんなに見てもらいます」
ぼくは晴れ晴れしい顔をして、老いらくさんに、そう答えた。すると老いらくさんが、くすくす笑った。
「お前の親心には思わず、ほろっとくるよ」
老いらくさんは、そう言ってから、
「でも笑い猫、パント―が学んだのはピアノだろ。お前はピアノをどこから持ってくるんだ」
と聞いた。
「あっ、そうか。それは確かに大きな問題だ。どうして、そのことに思いが至らなかったのだろう」
膨らみかけていたぼくの胸が、急に縮こまっていくように感じた。
このとき、パント―がこの日の授業を終えて、音楽室から出てきた。口には干し魚を二切れ、くわえていた。李先生が、ほうびとしてくれたものだ。パント―は授業を受けるたびに上手になっていくので、毎日、ほうびをもらっている。
パント―はいつもと同じように、一切れ、ぼくにくれた。それから晴れやかな顔をしながら、うちへ走って帰っていった。
ぼくは干し魚を半分にして、老いらくさんにも、分けてあげた。
「笑い猫、お前は今、もどかしい思いをしているのではないのか」
老いらくさんが、ぼくの気持ちに思いをはせていた。
「どうして、そう思うのですか」
ぼくは聞き返した。
「学んだことを実際に役立たせるためには、どうしたらいいかという、その問題で頭を痛めているんじゃないかと思ったんだ」
さすがに老いらくさん。ぼくの心の中が、ずばっと読まれていた。
「パント―はピアノを学んだが、お前たちの家にはピアノがない。そのために学んでも意味がなかったと思っているのではないのか」
気に障るようなことを老いらくさんが言った。
「パント―にピアノを学ばせたことを後悔しているんじゃないのか」
老いらくさんが、口撃を続けた。
「後悔なんか、全然していないよ」
ぼくは、ぶぜんとして言葉を返した。
「ピアノを学ぶことは、パント―が自分で決めたことだし、パント―の気持ちを、ぼくは尊重していたからね。ピアノの練習を通して、楽しさと自信を見出してくれたから、それを何よりも嬉しく思っているよ」
虚心坦懐な胸のうちを、ぼくは淡々と話した。
「ではこれからも学ばせ続けるつもりなんだな」
老いらくさんが確かめるように聞いた。
「もちろんですよ」
ぼくは揺るぎない声でそう答えた。
「パント―は妻猫が生んだ子供ですよ。妻猫が自分の子供に中途半端でやめることを許すわけがないでしょ」
ぼくは、きりっとした口調で言った。
ぼくがどうしてこんなことを言っているのか、老いらくさんなら、きっと分かるはずだ。妻猫が成し遂げた華々しいことを見て知っているからだ。翠湖公園を、たむろしていた、すべての猫が、天をつくばかりにそびえている白い塔のてっぺんに登りたいと思っていた。しかし、妻猫以外には、だれも登ることができなかった。妻猫には、ほかの猫にはない強い信念と、ひたむきな習得心あったので、訓練を途中でやめないで黙々と続けていった。そして、ついに高度な技を習得して、高い塔のてっぺんに登ることができた。ぼくは妻猫を誇らしく思っている。
ぼくと老いらくさんが、パントーが学んでいるペット曲芸学校から翠湖公園に帰ってきたときは、もう午後になっていた。小雨がまた、しとしとと降り始めていた。
パント―は、うちにはいなかった。
(この雨の中を、どこへ行ったのだろう)
ぼくはうちを出て、湖畔に沿って、ぐるっと、ひと回りして探しに行った。湖畔にはいなかった。湖畔の外に広がっているイチョウ林の中に探しに行くと、ようやく、パント―の姿を見つけることができた。
イチョウ林の中は、春の息吹が、みなぎっていて、生き生きとした生命力にあふれていた。みずみずしい若葉が枝から新しく出ていて、きれいな模様を施した小さな扇のような形をしていた。若葉は春雨にしとしとと濡れながら、かすかに揺れ動いていた。
イチョウ林の中には、かさを差した二十歳ぐらいの女の人が一人と、三歳か四歳ぐらいの男の子が一人いた。男の子は女の人から少し離れたところにいて、かさは差してなかった。パント―は男の子のそばにいて、瞳を凝らしながら、男の子の動きをじっと見ていた。
男の子は、おでこが大きくて、まつ毛は長く、目はぱっちりしていて、かわいい子だった。でも視線は定まらないで、どこを見ているのか分からないような感じだった。夢と、うつつのはざまを、ふらふらと、さまよっているようにさえ思えた。男の子は両手を上に挙げて、イチョウの木の周りを、くるくると何度も回っていた。髪の毛も服も、雨に、ぐっしょり濡れていた。しかし少しも気にする様子はないように見えた。男の子の様子を、女の人は、じっと見ていた。女の人は、まだ若かったので、その子のお母さんというよりは、ベビーシッターのお姉さんのように見えた。
「雨が降っているから、早く、うちへ帰ろうよ」
ベビーシッターのお姉さんは男の子に、何度も呼びかけていた。しかしベビーシッターの声は、男の子の耳には少しも聞こえていないようだった。男の子はまったく反応しないで、両手を挙げたまま、イチョウの木の周りを、くるくる回っているだけだった。男の子の目には、ベビーシッターの姿は空気と同じように見えていたようだ。
ベビーシッターは途方に暮れていた。
「あの子、人間、それともロボット」
パント―が、不思議そうな顔をして、ぼくに聞いた。
「人間だよ、もちろん」
ぼくは苦笑した。
「じゃあ、どうして、普通の子と違っているように見えるの」
パント―が首をかしげていた。
ぼくにもよく分からない。確かに、あの子は、普通の子とは、どこか違っている。地球人の子供には思えない。
(もしかしたら宇宙人の子供ではないだろうか)
ぼくは、真面目にそう思った。
天気……春雨がしとしとと絶え間なく降り続いている。雨水はまるで不思議な染料のように草を青緑色に染め、花を色とりどりに美しく染めていく。
校長に音感がないと決めつけられたパント―は、李先生の懇切丁寧な指導のもとで、日ごとに音感がよくなっていった。著しい進歩に周囲の先生たちが目を見張っていた。校長でさえ、それまでの見方を変えるようになっていた。校長は時間があるときにはよく、パント―の授業を見学に来るようになった。見学するたびに、パントーに対する校長の評価はうなぎ登りにあがっていって、パント―の音感にうなるように感じ入っていた。
「まさか、ここまでよくなるとは思ってもいなかったよ」
校長は苦笑いしながら李先生に話しかけていた。
「音感ゼロの猫がこれほど見事なキータッチを習得できるようになるとは想像だにできなかったよ。リズム感もとてもいい。研究に役立つ貴重なことを発見した……」
校長の表情は夢うつつの境をさまよっているように見えた。
李先生はにこにこ笑いながら校長を見ていた。ぼくも、くつくつ笑いながら校長を見ていた。
「この子猫には音感は元々なかったが、優れたところが一つだけあった。それは、ひたむきさだ」
遠くを見つめるような目で、校長がそう言った。
パント―は何をするときも、ひたむきなことは、ぼくは、とっくに気がついていたから、校長の言葉も、ぼくには、それほど新鮮には響かなかった。パント―のひたむきさが、いつかは花を咲かせることがあるかもしれないと、ぼくはこれまでずっと思っていた。
「このことは何を意味するだろうか」
校長は興奮冷めやらぬ表情で話を続けた。
「人であれ、猫であれ、何かを成し遂げようと思ったら、ひたむきさが大切だということだよ」
校長は恍惚とした表情で熱弁を振るっていた。
李先生の学生の中で、パント―は、もしかしたら音楽の才能がいちばん劣っていて、ピアノを習得するための先天的な素質がいちばんなかったかもしれない。しかしパントーは、ほかのどの猫よりも、ひたむきに学ぶことが好きだったから、上達するのがいちばん早かったのだ。ぼくはそう思った。
リンゴの形をした音楽室の外にある芝生に寝そべって、パント―が弾くピアノの音に耳を傾けながら、まどろんでいるひとときが、今のぼくにとって、一日のうちでいちばん満たされる時間だ。
「笑い猫、お前は今、うっとりとして喜びに浸っているんだろう」
老いらくさんが、ぼくの心の中を読んで話しかけてきた。
「お前は本当に素晴らしい父親だよ。サンパオもアーヤーもパント―も、みんな将来性があって前途有望じゃないか。わしはそのことを認めないわけにはいかない。本当にすごいよ」
老いらくさんが、べたほめしてくれた。ぼくはそれを聞いて顔から火の出るような恥ずかしい思いをした。
「そんなにほめないでくださいよ」
ぼくの顔は赤くなっていた。
「ぼくには、ただ子供たちの適性を見る目があっただけですよ。子供たちに備わっていた潜在的な能力や長所に気がついたので、そこを見ただけですよ。子供たちの希望や興味を尊重して、それに添うように導いただけです。そのことがいちばん大切だと思ったからです」
ぼくは謙虚に、そう答えた。
「適性を見る目があること自体、お前は本当にたいしたもんだよ」
老いらくさんがまた持ち上げてくれた。
「自分たちにどのような潜在的な能力があるかないかは、自分ではなかなか分からないことも多いし、周囲から指摘されてやっと分かることも多い。サンパオとアーヤーとパント―の潜在的な能力は、父親のお前がうまく発見して引き出したから、みんな将来性がある有能な子猫になったんだよ」
老いらくさんが、とことん、おだててくれた。
パント―の場合は、持って生まれた先天的な能力が、アーヤーやサンパオの場合と違って、ひどく劣っていたが、それでも、ひたむきに努力したから、極めて短期間のうちに、一定のレベルまで持って来ることができたので、ぼくにとっては、格別な思いとなった。
「パント―のためにコンサートを開きたいと思っています」
ぼくは老いらくさんに提案した。
「それはいい考えだ。パント―の優れた才能は広く知ってもらうだけの価値がある。どこでコンサートを開くつもりか」
老いらくさんが聞いた。
「もちろん翠湖公園です。パント―を知っている友だちをみんな招待して、パント―の音楽的な才能をみんなに見てもらいます」
ぼくは晴れ晴れしい顔をして、老いらくさんに、そう答えた。すると老いらくさんが、くすくす笑った。
「お前の親心には思わず、ほろっとくるよ」
老いらくさんは、そう言ってから、
「でも笑い猫、パント―が学んだのはピアノだろ。お前はピアノをどこから持ってくるんだ」
と聞いた。
「あっ、そうか。それは確かに大きな問題だ。どうして、そのことに思いが至らなかったのだろう」
膨らみかけていたぼくの胸が、急に縮こまっていくように感じた。
このとき、パント―がこの日の授業を終えて、音楽室から出てきた。口には干し魚を二切れ、くわえていた。李先生が、ほうびとしてくれたものだ。パント―は授業を受けるたびに上手になっていくので、毎日、ほうびをもらっている。
パント―はいつもと同じように、一切れ、ぼくにくれた。それから晴れやかな顔をしながら、うちへ走って帰っていった。
ぼくは干し魚を半分にして、老いらくさんにも、分けてあげた。
「笑い猫、お前は今、もどかしい思いをしているのではないのか」
老いらくさんが、ぼくの気持ちに思いをはせていた。
「どうして、そう思うのですか」
ぼくは聞き返した。
「学んだことを実際に役立たせるためには、どうしたらいいかという、その問題で頭を痛めているんじゃないかと思ったんだ」
さすがに老いらくさん。ぼくの心の中が、ずばっと読まれていた。
「パント―はピアノを学んだが、お前たちの家にはピアノがない。そのために学んでも意味がなかったと思っているのではないのか」
気に障るようなことを老いらくさんが言った。
「パント―にピアノを学ばせたことを後悔しているんじゃないのか」
老いらくさんが、口撃を続けた。
「後悔なんか、全然していないよ」
ぼくは、ぶぜんとして言葉を返した。
「ピアノを学ぶことは、パント―が自分で決めたことだし、パント―の気持ちを、ぼくは尊重していたからね。ピアノの練習を通して、楽しさと自信を見出してくれたから、それを何よりも嬉しく思っているよ」
虚心坦懐な胸のうちを、ぼくは淡々と話した。
「ではこれからも学ばせ続けるつもりなんだな」
老いらくさんが確かめるように聞いた。
「もちろんですよ」
ぼくは揺るぎない声でそう答えた。
「パント―は妻猫が生んだ子供ですよ。妻猫が自分の子供に中途半端でやめることを許すわけがないでしょ」
ぼくは、きりっとした口調で言った。
ぼくがどうしてこんなことを言っているのか、老いらくさんなら、きっと分かるはずだ。妻猫が成し遂げた華々しいことを見て知っているからだ。翠湖公園を、たむろしていた、すべての猫が、天をつくばかりにそびえている白い塔のてっぺんに登りたいと思っていた。しかし、妻猫以外には、だれも登ることができなかった。妻猫には、ほかの猫にはない強い信念と、ひたむきな習得心あったので、訓練を途中でやめないで黙々と続けていった。そして、ついに高度な技を習得して、高い塔のてっぺんに登ることができた。ぼくは妻猫を誇らしく思っている。
ぼくと老いらくさんが、パントーが学んでいるペット曲芸学校から翠湖公園に帰ってきたときは、もう午後になっていた。小雨がまた、しとしとと降り始めていた。
パント―は、うちにはいなかった。
(この雨の中を、どこへ行ったのだろう)
ぼくはうちを出て、湖畔に沿って、ぐるっと、ひと回りして探しに行った。湖畔にはいなかった。湖畔の外に広がっているイチョウ林の中に探しに行くと、ようやく、パント―の姿を見つけることができた。
イチョウ林の中は、春の息吹が、みなぎっていて、生き生きとした生命力にあふれていた。みずみずしい若葉が枝から新しく出ていて、きれいな模様を施した小さな扇のような形をしていた。若葉は春雨にしとしとと濡れながら、かすかに揺れ動いていた。
イチョウ林の中には、かさを差した二十歳ぐらいの女の人が一人と、三歳か四歳ぐらいの男の子が一人いた。男の子は女の人から少し離れたところにいて、かさは差してなかった。パント―は男の子のそばにいて、瞳を凝らしながら、男の子の動きをじっと見ていた。
男の子は、おでこが大きくて、まつ毛は長く、目はぱっちりしていて、かわいい子だった。でも視線は定まらないで、どこを見ているのか分からないような感じだった。夢と、うつつのはざまを、ふらふらと、さまよっているようにさえ思えた。男の子は両手を上に挙げて、イチョウの木の周りを、くるくると何度も回っていた。髪の毛も服も、雨に、ぐっしょり濡れていた。しかし少しも気にする様子はないように見えた。男の子の様子を、女の人は、じっと見ていた。女の人は、まだ若かったので、その子のお母さんというよりは、ベビーシッターのお姉さんのように見えた。
「雨が降っているから、早く、うちへ帰ろうよ」
ベビーシッターのお姉さんは男の子に、何度も呼びかけていた。しかしベビーシッターの声は、男の子の耳には少しも聞こえていないようだった。男の子はまったく反応しないで、両手を挙げたまま、イチョウの木の周りを、くるくる回っているだけだった。男の子の目には、ベビーシッターの姿は空気と同じように見えていたようだ。
ベビーシッターは途方に暮れていた。
「あの子、人間、それともロボット」
パント―が、不思議そうな顔をして、ぼくに聞いた。
「人間だよ、もちろん」
ぼくは苦笑した。
「じゃあ、どうして、普通の子と違っているように見えるの」
パント―が首をかしげていた。
ぼくにもよく分からない。確かに、あの子は、普通の子とは、どこか違っている。地球人の子供には思えない。
(もしかしたら宇宙人の子供ではないだろうか)
ぼくは、真面目にそう思った。