第二章 ペット曲芸学校

天気……明るい太陽が、さんさんと輝き、気温が急に、ぐんと上がった。うららかな日の光をいっぱい浴びていると、季節が急に冬から春へと移り変わったように感じられる。

 昨日、老いらくさんと別れて、うちに帰ったあと、パント―に
「お前を明日、ペット曲芸学校に連れていくよ」
と話した。パント―は興味を感じたのか、そわそわしていた。そして今朝、まだ夜が明けないうちに、もう起き出した。
 朝食をすませると、ぼくとパント―はうちを出た。はるか遠いところに、翠湖公園のアーチ橋が見えていた。橋の上で、老いらくさんが、跳んだり、はねたりしているのが見えた。パント―の目をひくために、そうしているみたいだった。
「老いらくさんも、連れて行こうよ」
パント―が、老いらくさんに気がついてそう言ったので、ぼくは、にんまりした。老いらくさんが道案内をしてくれることになっていたからだ。パント―も、アーヤーもサンパオも妻猫も、老いらくさんがネズミであることは、まだ知らないでいる。得体がしれない不思議な動物だとしか思っていない。
「老いらくさん、ぼくたちを早く、曲芸学校に連れていってください」
そう叫びながら、ぼくとパント―はアーチ橋をめざして、一目散にかけていった。
ぼくたちに気がつくと、老いらくさんは橋の上で跳んだり、はねたりするのをやめて、ぼくたちの前に、転がるようになめらかに、やってきた。
「本当におかしな老いらくさん」
パント―は老いらくさんのそばまでかけていった。
「老いらくさんが、ぼくと、お父さんをペット曲芸学校に連れて行ってくれるの」
パント―が、ぼくに聞いた。
「もちろんだよ。ねぇ老いらくさん」
老いらくさんがうなずいた。
翠湖公園を出ると、老いらくさんは東のほうへ向かっていった。ぼくとパントーも後に続いた。東の空から顔を出したばかりの太陽が、ぼくたちを照らしていたので、ぼくたちの影が長く伸びていた。
「お父さん、ほら見て。ぼくは少しも太っていないよ」
パント―は後ろを振り返って、うれしそうにしていた。
(それはお前の影だよ)
と、教えてやりたかったが、パント―が、今まで見たことがないほど、自分の姿に自信を持っていたので、何も答えないで自信を持たせ続けることにした。
細身の影を本当の姿だとパント―に思い込ませたまま、ぼくとパント―と老いらくさんは東へ東へと歩いて行った。そしてやがて町の郊外まで来たとき、目の前に、お城のように大きくて立派な建物が見えてきた。
「あそこがペット曲芸学校だよ」
老いらくさんが教えてくれた。
学校の周りは高い壁に囲まれていて、壁の色は普段よく見かける白壁ではなくて緑壁だった。壁一面に、うっそうとした樹木が描かれていたからだ。『森林壁』とでも言えるような特異な壁だった。
「このような壁を見たことがあるかい」
老いらくさんが聞いた。
「ありません」
ぼくは建物の立派さに目を見張っていた。
「入り口はどこかなぁ。どこから中に入っていけばいいの」
パント―が困惑したような顔をしていた。ぼくもパント―も目であちこち、入り口らしきところを探していたが、皆目、見当もつかなかった。 
「老いらくさんは、知っていますか」
ぼくが聞くと
「いや、わしも知らないよ」
と、そっけない返事が返ってきた。
「壁を乗り越えて入っていこうか」
老いらくさんが、突拍子もない提案をした。
「だめですよ、そんな行儀の悪いことは。だめ、だめ」
ぼくはまゆをひそめた。
「パント―が学校に行くようになったら、必ず、正門から堂々と入らなければならないって、強く言っています。学校の規則を守ることは、勉強することよりも、もっと大切だから」
ぼくはそう言って、壁越えが良くない理由を、老いらくさんに丁重に説明した。
老いらくさんも分かってくれた。
しばらくしてから前方の『森林壁』の上に、金属製の彫刻があるのに、ぼくは気がついた。よく見ると、大きな孔雀が尾羽を広げた立派な彫像が立っていた。遠くから見ると、森林にいる孔雀が羽を広げているかのように思えた。
その孔雀のほうに向かって、ぼくたちは歩いて行った。すると孔雀のすぐ近くまで来たとき、孔雀の羽が二つに分かれて、二枚の扇型をした大きな門となって、ゆっくり開いていった。そこが正門だった。
孔雀門から、なかに入っていくと、正面に大きなゾウの彫刻があって、ゾウの背中にはきれいな建物が建っていた。
「いらっしゃい」
ゾウのおなかの下から、中年の男の人が出てきた。
猫のような雰囲気を感じさせる人だった。その人に親近感を覚えたので、ぼくはパント―を連れて、その人の近くに歩み寄っていった。
「あれっ、人はどこにいるのだろう。飼い主が見当たらないなぁ」
男の人は、ぼくたちの周りに目をきょろきょろやっていた。
「お前たちは自分たちだけでやってきたのか」
男の人は、ぼくたちを見ながら、つぶやくように言った。
ぼくは、こっくり、うなずいた。
「ええっ、お前、わしの話が分かるのか」
ぼくはまた、うなずいた。男の人は、おったまげて目を白黒させていた。
「面白い。おしゃべりしようか」
男の人は夢でも見ているような表情でそう言いながら、しゃがみこんだ。
「わしは猫の研究を専門にしている動物学者だ。この学校の校長でもある。お前たちは、どうしてここにやってきたのか」
校長は親しげな顔をしながら、ぼくとパント―をじっと見ていた。
(猫好きな人のようだと思っていたら、猫研究の専門家だったのか。猫を研究する時間が長くなるにつれて、姿かたちまで猫のようになってきたのかなぁ)
ぼくは、ふっと、そう思った。
ぼくはパント―にこの人は校長で、猫研究の専門家でもあることを話しながら、パント―を校長の前に、押し出すようにした。
「おー、分かったぞ。お前はこの子を、うちの学校に入学させたいんだな」
校長が、ぼくの気持ちを、うまく察してくれた。ぼくはまた、こっくり、うなずいた。
「しかし、学校に入学させるためには、学費を払わなければならないのだぞ。お前たちに飼い主はいないようだが、誰が学費を払うのか」
校長はそう言いながら、立ち上がった。
「せっかく、ここまで来たのだから、しばらく遊んでいきなさい。遊び疲れたらおとなしく、うちへ帰っていきなさい」
校長がそう言って、立ち去ろうとした。ぼくはすぐに、校長の退路を断って、校長の前に、立ちはだかった。そしてそのあと、ぼくのトレードマークの、にっこりした微笑みを浮かべた。
「ええっ、お前は笑えるのか」
校長が、きつねにつままれたような顔をしていた。
「わしは長年、猫の研究をしているが、笑うことができる猫なんて、これまで見たことがないぞ」
校長が、またまた、おったまげていた。ぼくの微笑みが校長の猫研究への新たな興味を、ぐぐぐっと高ぶらせようだった。
校長は、あごに手を当てて、しばらく考えてから
「まぁ、いいか。お前の、うっとりするような微笑みに免じて、お前の願いを聞き入れることにするよ」
学費免除で、パント―の入学を、校長が認めてくれたことが分かったので、ぼくはうれしかった。
 校長は、ぼくとパント―を教室棟に連れていくための準備を始めた。教室棟はゾウの彫刻の上に建っている、あの建物のようだ。でも、階段が見当たらない。(どうやって上に登っていけばいいのだろう)
ぼくとパント―は顔を見合わせていた。
しばらくしてから、校長が、ぼくとパント―をゾウの鼻の近くに連れて行った。
すると何と、ゾウの鼻の中に階段が隠されていた。まったく思ってもいなかった。
ぼくとパントーは、ゾウの鼻づたいに背中まで階段を登っていって、それから教室棟の中に入っていった。初めに校長室に案内された。
部屋の壁には、犬や猫が、この学校で磨いたテクニックをふるっている写真が、たくさん貼られていた。壁の一つの面には犬の写真ばかりが貼られていた。コリー犬が跳び上がってフリスビーを上手にキャッチしている写真や、セント-バーナード犬が金属製のロープの上を歩いている写真や、チャウ-チャウ犬が自転車をこいでいる写真や、スピッツ犬が二本足で立って、ダンスのスピンのように、くるくる回っている写真などがたくさん貼られていた。壁の別の面には猫の写真がたくさん貼られていた。算数の計算をしている猫や、ピアノを弾いている猫や、ハードル跳びをしている猫や、輪くぐりをしている猫の写真が貼られていた。
 どれも華やかで、まばゆいほどで、見ていると、目が、ちかちかするほどだった。
「お前は子供に何を学ばせたいのか」
校長が聞いた。どの演技も、ため息が出るほど美しくて、思わず心を奪われていたぼくは、ぼうーっとした表情のまま校長を見るのが、せいいっぱいだった。 
「まず親や飼い主の希望を聞いて、それから学生の簡単な適性検査をしている」
校長はそう言うと、パント―を抱いて体重計に載せてから、出てきた数字を見て、渋い顔をした。
「重すぎる、重すぎる」
校長が、つぶやいた。パント―には人の話が分からないのが幸いだった。分かっていたら、ひどく傷ついていただろう。
 校長はそのあと毛糸玉を、パント―に投げた。パント―はすぐには反応しないで、しばらくしてから、ようやく爪を出してつかんだ。校長はそれを見て
「反応が遅い」
という結論を下した。
校長は次に別のテストをした。本物そっくりのネズミのおもちゃをパント―の前に投げた。鳴き声も本物のネズミそっくりだった。ネズミを見たら、猫は本能的にすぐに飛びかかる習性があるので、今度はさすがにパント―の反応も素早かった。ところが、ネズミを追いかけて、飛びかかって、かむという一連の動作を見ていると、どこかとてもぎこちなかった。校長はそれを見て
「動作が不器用」
という結論を下した。
入門テストはまだ続いた。
校長は携帯電話を出して音楽を流した。校長は、まなこをじっと凝らしながら、パント―がどんな反応をするか、見ていた。ところがパント―は何も反応しなかった。校長はそれを見て
「音感がない」
という結論を下した。 
「見ての通りだよ」
どうにも救いようがないという顔を校長があからさまにした。
「お前の子供はこんな具合だから、何を学ばせたらよいのか、わしにもお手上げだよ。お前は子供に何を学ばせたいのだ」
校長が、苦笑いしていた。
パント―の代わりに、ぼくが決めてやることもできるが、そのようにするのはあまり気が進まない。まずパント―に何が好きかを聞いてみよう。興味があることが意欲がいちばん、かきたてられる活力源だからだ。「好きこそものの上手なれ」というではないか。
パント―に学ばせたいことを、ぼくだけの考えでは決められないことを、ぼくは笑みを浮かべながら、気持ちで校長に伝えた。校長はぼくの心の中を察してくれたようだった。
「一晩よく考えてから、明日また子供を連れてここへ来なさい。そのときに何を
学ばせるか伝えなさい」
ぼくは、にっこり、うなずいた。