第十一章 微笑みは不思議な力
天気……ここ数日、晴天が続いていて、昼間は初夏のように汗ばむ陽気だ。子ど
もたちは夏服に衣替えして登校している。男の子は半そでのTシャツに半ズボン、女の子は白い半そでのブラウスにチェックのミニスカートをはいている。
パントーがトレーニングを始めてから二週間がたった。その間、周囲の景色には大きな変化が生じていた。翠湖のほとりでは、柳の新緑がさわさわと揺れて、しなやかな枝が水面に風情豊かに垂れるようになった。ぼくが大好きなヒヤシンスの花は、二週間前に咲き始めたが、今はもう盛りを過ぎていた。
自然の変化もさることながら、パント―の変化も大きくて、目を見張るほどになった。ぐうたらで、のんびり屋のパント―が、毎朝、せかせかと外に出ていくようになったからだ。老いらくさんがびっくりして、ぼくのところに聞きに来た。
「お前のうちのパント―は毎日、梅園に行って、一日中、そこにいるが、お前、知っているか」
「えっ、そうなんですか。知らなかった」
ぼくは、わざと、とぼけた答え方をした。
「どうして知っているんですか」
ぼくは、老いらくさんに、逆に聞き返した。
「不思議に思って、パント―のあとをつけていったんだ。梅園でパント―が何をしているか、お前は知っているか」
「知らない。何かびっくりするようなことでもしているのですか」
ぼくは気が気でないふりをした。
「梅園に古い井戸があるのを知っているか」
「はい、知っています。パント―がそこで何をしているんですか。はやく言ってください」
ぼくは気が立っているふりをした。
「パント―は一日中、井戸の周りにいて、中をのぞきこんだり、外を走ったりしている」
老いらくさんが、心中、穏やかでない顔をしていた。
「いつもは能天気のパント―が真剣そのものの顔をしているので、何か大きな悩みを抱えていて、はやまったことをするんじゃないかと思って、気になって仕方がないんじゃ」
パントーの姿が老いらくさんには、そのように映っていたのかと思うと、おかしくなった。
「心配してくれてありがとうございます。でも大丈夫ですよ。パント―が真剣な顔をして井戸の中をのぞいているのは、水に映った自分の顔を見るためですよ。飛び込むためじゃありません」
ぼくは、そう答えて、がはがはと笑った。
「何、自分の顔を水に映して眺めているんだって」
老いらくさんが理解に苦しむような顔をしていた。
「あの太った顔を毎日見て、どこが面白いんだ。パント―はいつからナルシシストになったのだ」
老いらくさんが、あきれたような顔をしていた。
「パント―はナルシシストじゃありません。井戸の水を鏡にして、毎日、口の形を整えたり、耳を動かすトレーニングをしているんです」
ぼくが説明すると、老いらくさんが、あっけにとられていた。
「どうしてそんなことをしているんだ」
老いらくさんが目を丸くしていた。
「パント―は、ぼくのように笑える猫になりたいと思っているんです」
老いらくさんはまだ納得がいかないような顔をしていた。
「宇宙からきた子を地球人の子にしてあげたいというのが、パント―の願いだから、そのためには笑いを用いるのがいちばんだと考えているんです」
老いらくさんはまだ合点がいかないような顔をしていた。
「宇宙からきた子……、地球人の子…何だ、そりゃあ。わしには、さっぱり分からん」
いくら知恵が回る、老いらくさんでも、意味がよく分からなくて、開いた口が塞がらないでいた。
ぼくは老いらくさんに宇宙からきた子のことを話して聞かせた。
「その子にとって、ぼくの笑顔以外のものは、すべて空気と同じなんです。まったく興味を示さない。ぼくの笑顔だけがあの子を閉じこもった世界から外に連れ出すことができるのです。信じられますか」
「そうか。そういうことも、ないことはないだろう」
老いらくさんがあっさりそう言ったので、ぼくは意外に思った。
「お前は魅力あふれる素晴らしい猫だし、その魅力の九十九パーセントは笑えることにある。誰もがそう思っている。お前の笑いに心を惹かれないものは、人だって、動物だって、エイリアンだっていないだろう」
老いらくさんにほめられて、ぼくは何だか、きまりがわるくなった。
「でも笑い猫、お前の笑顔と、パント―が井戸のふちで口や耳を動かしたり、井戸の周りを走ることと、どう関係があるのだ。わしには、さっぱり分からん」
老いらくさんは理解に苦しんでいるようだった。
「ぼくの笑顔は心の中から自然とわいてきたものなんです。パント―にも、そのことは、はっきりと話しています。しかし笑っているような表情を作るためには、それなりにトレーニングもしなければならないのです。頬のぜい肉を減らしたり、口や耳を動かすトレーニングを行って初めて、生き生きとした笑顔が作れるようになるんです」
ぼくの説明に老いらくさんは、静かに聞き入っていた。
パント―は、とても不器用な子猫だが、真面目で、ひたむきなところがあるので、ここ数日、トレーニングの効果が目に見えて現れてきた。耳が少し動くようにもなってきた。口も左右に、わずかに広がるようになってきた。頬の筋肉も幾分、引き締まってきた。
昨日の夕方、パント―が梅園でのトレーニングを終えて帰ってきたとき、これまで見たことがないような、嬉しそうな顔をしていた。
「お父さん、お母さん、ぼく笑えるようになったよ」
「えっ、本当に」
妻猫がびっくりしていた。
「本当だよ」
パントーの声が、ゴムまりのように弾んでいた。
「じゃあ、さっそく、父さんと母さんに笑ってみせてよ」
妻猫は矢も楯もたまらないような顔をしていた。
パント―はぼくと妻猫を、前に座らせてから、感謝の念を深くこめたようなまなざしで、じっと見つめていた。するとそのとき、パント―の目が三日月のように細くなって、口元が両側に広がり、笑っているような表情が顔に本当に浮かんでいた。
「本当だ。確かに笑っている」
妻猫の声がうわずっていた。
「うちのパント―が笑えるようになったんだ」
妻猫は興奮のあまり、声が震えていた。
パント―は笑い方を本当に習得していた。無理に作りだしたような、不自然な笑い方ではなくて、心の底から自然とわきでてきたような生き生きとした笑顔を浮かべていた。
昨日まではパント―の頬の筋肉は硬いところがまだ残っていた。口の開け方も不十分だったから、上手に笑えないでいた。ところが今日は、昨日までとは全然違っていた。
(どうして急にこんなに、きらきらと輝くような美しい笑顔が作れるようになったのだろう)
ぼくは不思議に思っていた。パントーが、ぼくの心を察してくれた。
「今までは練習するときに、水に映った自分の顔に向かって笑っていたんだ。でも今日は水に映った顔をあの子だと思って笑ったんだ。そうしたら、急に自然な笑顔が出せるようになったんだ」
パント―が笑い方のコツを覚えたことを楽しそうに話した。
「その通りだよ、パント―。それこそ、自分の心の中から自然と、わき出てきた笑顔だよ」
ぼくは、そう答えた。
パント―は午後、イチョウ林に行くことにした。ぼくと妻猫もいっしょについていくことにした。ぼくと妻猫は、イチョウの木から少し離れたところに隠れて、パント―がパオパオの前で笑って見せたり、、その笑いがパオパオを惹きつけるかどうか、こっそり観察することにした。
午後の二時半、パオパオがいつもの通り、イチョウ林に入ってきた。いつも回っているイチョウの木の下まで、歩いてくると、両手を挙げて、くるくると回り始めた。一回、二回、三回……パオパオは自分の世界に閉じこもったまま、大きな目をきらきらさせながら回っていた。しかし視線はうつろで定まらず、焦点がぼやけていた。
パント―がパオパオの足元に走って行って、パオパオといっしょに回り始めた。
しかしパオパオにはパント―の姿がまるっきり見えないのか、まったく空気にしていた。
「パント―ったら、いっしょについて回らなくていいよ。はやくパオパオに笑顔を見せてあげなさいよ」
妻猫がパント―に、気をもんでいた。ぼくがパント―のところに走っていこうとすると
「行かないほうがいい。パント―に自分で徐々に気づかせるのよ」
と言って、妻猫に制止された。
情に、ほだされない妻猫の理性的な愛に、ぼくはいつも感心せざるを得ない。妻猫は子どものことを命のように愛しているが、常軌を逸した愛でもなければ、べたべたした愛でもなくて、いつも理性的に愛している。
ぼくと妻猫はパント―がすることに対しては、本当に辛抱強く待たなければならない。時間をかけてやっと気がつくことが多いからだ。アーヤーや、サンパオに比べたら、パント―は、確かにとても、とろい。性格だから仕方がない。
パントーはパオパオといっしょに何回、イチョウの木の周りを回ったか知らないが、しばらくしてからパント―はようやく回るのをやめた。パオパオから三、四メートル離れたところまで走っていくと、そこにきちんと行儀よく座って、パオパオに静かに微笑みかけた。
「パント―の笑顔は何て、きれいなんでしょう。まるで満開のボタンのようだわ」
妻猫が感動していた。ぼくもパントーの笑顔を見て、まるで天使の微笑みを見ているように思えた。
パオパオがそれからまもなく歩くのをやめて、パント―をじっと見ていた。パオパオの目は、もう、うつろではなかった。
パオパオは。パントーのほうに、ゆっくりと近づいてきた。パント―の前まで来ると、パオパオは地面に腰を下ろして、パント―の顔を間近で、まじまじと見つめていた。
パント―は目を三日月にした。口を品よく開けて、パオパオに、微笑みかけていた。それを見てパオパオも笑った。くっくっくっ……という笑い声も出ていた。
そのとき、パオパオのベビーシッターが少し離れたところから近づいてくるのが見えた。
「あら、パオパオ、どうしたの。地面に腰を下ろして、何をしているの」
ベビーシッターは、けげんそうな顔をして、パオパオに声をかけた。
ベビーシッターが近づいてくるのを見て、バントーは、そそくさと逃げるようにして、パオパオの近くから去っていった。
パント―がいなくなったのに気がつくと、パオパオの笑顔が消えた。パオパオは、ベビーシッターに抱かれると、顔の表情が一変して、わあわあと激しい声で泣き出した。パオパオは本当に不可解な子どもだ。
(宇宙人の子どもはみんな、こうなんだろうか)
ぼくはそう思った。
それからまもなく、ぼくと妻猫は体の向きを変えて、パント―のあとを追っていった。ぼくと妻猫がイチョウ林から出ても、胸を引き裂くようなパオパオの泣き声がまだ聞こえていた。
天気……ここ数日、晴天が続いていて、昼間は初夏のように汗ばむ陽気だ。子ど
もたちは夏服に衣替えして登校している。男の子は半そでのTシャツに半ズボン、女の子は白い半そでのブラウスにチェックのミニスカートをはいている。
パントーがトレーニングを始めてから二週間がたった。その間、周囲の景色には大きな変化が生じていた。翠湖のほとりでは、柳の新緑がさわさわと揺れて、しなやかな枝が水面に風情豊かに垂れるようになった。ぼくが大好きなヒヤシンスの花は、二週間前に咲き始めたが、今はもう盛りを過ぎていた。
自然の変化もさることながら、パント―の変化も大きくて、目を見張るほどになった。ぐうたらで、のんびり屋のパント―が、毎朝、せかせかと外に出ていくようになったからだ。老いらくさんがびっくりして、ぼくのところに聞きに来た。
「お前のうちのパント―は毎日、梅園に行って、一日中、そこにいるが、お前、知っているか」
「えっ、そうなんですか。知らなかった」
ぼくは、わざと、とぼけた答え方をした。
「どうして知っているんですか」
ぼくは、老いらくさんに、逆に聞き返した。
「不思議に思って、パント―のあとをつけていったんだ。梅園でパント―が何をしているか、お前は知っているか」
「知らない。何かびっくりするようなことでもしているのですか」
ぼくは気が気でないふりをした。
「梅園に古い井戸があるのを知っているか」
「はい、知っています。パント―がそこで何をしているんですか。はやく言ってください」
ぼくは気が立っているふりをした。
「パント―は一日中、井戸の周りにいて、中をのぞきこんだり、外を走ったりしている」
老いらくさんが、心中、穏やかでない顔をしていた。
「いつもは能天気のパント―が真剣そのものの顔をしているので、何か大きな悩みを抱えていて、はやまったことをするんじゃないかと思って、気になって仕方がないんじゃ」
パントーの姿が老いらくさんには、そのように映っていたのかと思うと、おかしくなった。
「心配してくれてありがとうございます。でも大丈夫ですよ。パント―が真剣な顔をして井戸の中をのぞいているのは、水に映った自分の顔を見るためですよ。飛び込むためじゃありません」
ぼくは、そう答えて、がはがはと笑った。
「何、自分の顔を水に映して眺めているんだって」
老いらくさんが理解に苦しむような顔をしていた。
「あの太った顔を毎日見て、どこが面白いんだ。パント―はいつからナルシシストになったのだ」
老いらくさんが、あきれたような顔をしていた。
「パント―はナルシシストじゃありません。井戸の水を鏡にして、毎日、口の形を整えたり、耳を動かすトレーニングをしているんです」
ぼくが説明すると、老いらくさんが、あっけにとられていた。
「どうしてそんなことをしているんだ」
老いらくさんが目を丸くしていた。
「パント―は、ぼくのように笑える猫になりたいと思っているんです」
老いらくさんはまだ納得がいかないような顔をしていた。
「宇宙からきた子を地球人の子にしてあげたいというのが、パント―の願いだから、そのためには笑いを用いるのがいちばんだと考えているんです」
老いらくさんはまだ合点がいかないような顔をしていた。
「宇宙からきた子……、地球人の子…何だ、そりゃあ。わしには、さっぱり分からん」
いくら知恵が回る、老いらくさんでも、意味がよく分からなくて、開いた口が塞がらないでいた。
ぼくは老いらくさんに宇宙からきた子のことを話して聞かせた。
「その子にとって、ぼくの笑顔以外のものは、すべて空気と同じなんです。まったく興味を示さない。ぼくの笑顔だけがあの子を閉じこもった世界から外に連れ出すことができるのです。信じられますか」
「そうか。そういうことも、ないことはないだろう」
老いらくさんがあっさりそう言ったので、ぼくは意外に思った。
「お前は魅力あふれる素晴らしい猫だし、その魅力の九十九パーセントは笑えることにある。誰もがそう思っている。お前の笑いに心を惹かれないものは、人だって、動物だって、エイリアンだっていないだろう」
老いらくさんにほめられて、ぼくは何だか、きまりがわるくなった。
「でも笑い猫、お前の笑顔と、パント―が井戸のふちで口や耳を動かしたり、井戸の周りを走ることと、どう関係があるのだ。わしには、さっぱり分からん」
老いらくさんは理解に苦しんでいるようだった。
「ぼくの笑顔は心の中から自然とわいてきたものなんです。パント―にも、そのことは、はっきりと話しています。しかし笑っているような表情を作るためには、それなりにトレーニングもしなければならないのです。頬のぜい肉を減らしたり、口や耳を動かすトレーニングを行って初めて、生き生きとした笑顔が作れるようになるんです」
ぼくの説明に老いらくさんは、静かに聞き入っていた。
パント―は、とても不器用な子猫だが、真面目で、ひたむきなところがあるので、ここ数日、トレーニングの効果が目に見えて現れてきた。耳が少し動くようにもなってきた。口も左右に、わずかに広がるようになってきた。頬の筋肉も幾分、引き締まってきた。
昨日の夕方、パント―が梅園でのトレーニングを終えて帰ってきたとき、これまで見たことがないような、嬉しそうな顔をしていた。
「お父さん、お母さん、ぼく笑えるようになったよ」
「えっ、本当に」
妻猫がびっくりしていた。
「本当だよ」
パントーの声が、ゴムまりのように弾んでいた。
「じゃあ、さっそく、父さんと母さんに笑ってみせてよ」
妻猫は矢も楯もたまらないような顔をしていた。
パント―はぼくと妻猫を、前に座らせてから、感謝の念を深くこめたようなまなざしで、じっと見つめていた。するとそのとき、パント―の目が三日月のように細くなって、口元が両側に広がり、笑っているような表情が顔に本当に浮かんでいた。
「本当だ。確かに笑っている」
妻猫の声がうわずっていた。
「うちのパント―が笑えるようになったんだ」
妻猫は興奮のあまり、声が震えていた。
パント―は笑い方を本当に習得していた。無理に作りだしたような、不自然な笑い方ではなくて、心の底から自然とわきでてきたような生き生きとした笑顔を浮かべていた。
昨日まではパント―の頬の筋肉は硬いところがまだ残っていた。口の開け方も不十分だったから、上手に笑えないでいた。ところが今日は、昨日までとは全然違っていた。
(どうして急にこんなに、きらきらと輝くような美しい笑顔が作れるようになったのだろう)
ぼくは不思議に思っていた。パントーが、ぼくの心を察してくれた。
「今までは練習するときに、水に映った自分の顔に向かって笑っていたんだ。でも今日は水に映った顔をあの子だと思って笑ったんだ。そうしたら、急に自然な笑顔が出せるようになったんだ」
パント―が笑い方のコツを覚えたことを楽しそうに話した。
「その通りだよ、パント―。それこそ、自分の心の中から自然と、わき出てきた笑顔だよ」
ぼくは、そう答えた。
パント―は午後、イチョウ林に行くことにした。ぼくと妻猫もいっしょについていくことにした。ぼくと妻猫は、イチョウの木から少し離れたところに隠れて、パント―がパオパオの前で笑って見せたり、、その笑いがパオパオを惹きつけるかどうか、こっそり観察することにした。
午後の二時半、パオパオがいつもの通り、イチョウ林に入ってきた。いつも回っているイチョウの木の下まで、歩いてくると、両手を挙げて、くるくると回り始めた。一回、二回、三回……パオパオは自分の世界に閉じこもったまま、大きな目をきらきらさせながら回っていた。しかし視線はうつろで定まらず、焦点がぼやけていた。
パント―がパオパオの足元に走って行って、パオパオといっしょに回り始めた。
しかしパオパオにはパント―の姿がまるっきり見えないのか、まったく空気にしていた。
「パント―ったら、いっしょについて回らなくていいよ。はやくパオパオに笑顔を見せてあげなさいよ」
妻猫がパント―に、気をもんでいた。ぼくがパント―のところに走っていこうとすると
「行かないほうがいい。パント―に自分で徐々に気づかせるのよ」
と言って、妻猫に制止された。
情に、ほだされない妻猫の理性的な愛に、ぼくはいつも感心せざるを得ない。妻猫は子どものことを命のように愛しているが、常軌を逸した愛でもなければ、べたべたした愛でもなくて、いつも理性的に愛している。
ぼくと妻猫はパント―がすることに対しては、本当に辛抱強く待たなければならない。時間をかけてやっと気がつくことが多いからだ。アーヤーや、サンパオに比べたら、パント―は、確かにとても、とろい。性格だから仕方がない。
パントーはパオパオといっしょに何回、イチョウの木の周りを回ったか知らないが、しばらくしてからパント―はようやく回るのをやめた。パオパオから三、四メートル離れたところまで走っていくと、そこにきちんと行儀よく座って、パオパオに静かに微笑みかけた。
「パント―の笑顔は何て、きれいなんでしょう。まるで満開のボタンのようだわ」
妻猫が感動していた。ぼくもパントーの笑顔を見て、まるで天使の微笑みを見ているように思えた。
パオパオがそれからまもなく歩くのをやめて、パント―をじっと見ていた。パオパオの目は、もう、うつろではなかった。
パオパオは。パントーのほうに、ゆっくりと近づいてきた。パント―の前まで来ると、パオパオは地面に腰を下ろして、パント―の顔を間近で、まじまじと見つめていた。
パント―は目を三日月にした。口を品よく開けて、パオパオに、微笑みかけていた。それを見てパオパオも笑った。くっくっくっ……という笑い声も出ていた。
そのとき、パオパオのベビーシッターが少し離れたところから近づいてくるのが見えた。
「あら、パオパオ、どうしたの。地面に腰を下ろして、何をしているの」
ベビーシッターは、けげんそうな顔をして、パオパオに声をかけた。
ベビーシッターが近づいてくるのを見て、バントーは、そそくさと逃げるようにして、パオパオの近くから去っていった。
パント―がいなくなったのに気がつくと、パオパオの笑顔が消えた。パオパオは、ベビーシッターに抱かれると、顔の表情が一変して、わあわあと激しい声で泣き出した。パオパオは本当に不可解な子どもだ。
(宇宙人の子どもはみんな、こうなんだろうか)
ぼくはそう思った。
それからまもなく、ぼくと妻猫は体の向きを変えて、パント―のあとを追っていった。ぼくと妻猫がイチョウ林から出ても、胸を引き裂くようなパオパオの泣き声がまだ聞こえていた。