「そんなに睨まなくても…」
参ったなと言いつつ全然参っているようには見えないこの人は、30歳にしてわたしが通っている大学病院の心臓外科のエース、武石慎也(たけいし しんや)先生。
電話してからたったの1分でわたしの家に来れたわけは簡単。先生はこのマンションの7階に住んでいるからだ。しかもわたしの部屋の真上に。
先生がうちに引っ越しの挨拶に来た時は互いに酷く驚いたものだ。
それからというものご近所さんとして個人的な付き合いもするようになり、本当はいけないんだろうけれど、こうして具合が悪いときには診てもらったりもしている。
他の患者さんに悪いからと最初こそ断ったりしていたけれど、「僕が好きで凛々ちゃんの世話をやいているだけだから」と押し切られてしまい、わたしもわたしで今ではすっかりその言葉に甘えてしまっていて…。
わたしにとって武石先生は、良きお兄ちゃん的存在だ。
「…確かに少し脈速いね。僕のせいで速くなったなら嬉しいんだけど?」
「?先生が来てくれて凄く安心出来ましたよ?」
「…良いんだか悪いんだか」
「え?」
「ううん、こっちの話し」
何だかブツブツと独り言を言い始めた先生。
先生は時々こうして自分の世界に入ってしまう。
「はい、せんせい」
先生がボケーっとしているうちに淹れたお茶が入ったマグカップを渡す。
「えっ?あ、ありがとう。…僕、また自分の世界に入ってた?」
「今に始まった事じゃないので気にしないでください」
「ははっ、参ったな」
今度は本当に参ったって感じの先生。