春。
 桜はもう既に散っていて、葉桜になってしまった夏に差しかかる季節。私は一人静かに席に座り、とあるプリントとにらめっこしていた。
 【区大会メンバー表】と書かれたそのプリントは、名のごとく表が書かれていて、そこに背番号と名前、ポジションが表記されていた。四時間目が終わったあと、すぐに副主将である佳苗から渡されたものだった。先生が渡せって、と言われて受け取ったプリント。主将である私は、すぐに席に座ってじっとプリントを見ていた。自分の名前はすぐに出てきた。主将という立場であるから、背番号とは一番。佳苗は二番。案外人数の多い部であるバレー部で、ユニフォームを貰えるのはありがたかった。けれど、私が固まっているのはそこではない。【一番 山下夏目】と書かれたその隣。【セッター】。私は愕然とした。確かにセッターの練習はしてきた。けれど、今の今までレフトのアタッカーとしてやってきた私にとって、セッターというポジションに今年最後の大会で移動なんて、衝撃以外何者でもなかった。私はチームのために、たくさんスパイクで点を取って、チームに貢献したかった。もともと、セッターは佳苗のポジションだ。三年間、ずっとそうだった。なのに今、よりにもよって今年、入れ替わりで私がセッター、佳苗がレフトスパイカーだなんて。いつもは騒がしい教室の声も、今の私に届いていなかった。何かの手違いかもしれない、いや、悪い夢なのかもしれない。痛くなるくらいに目を擦る。変わらない。頬をつねる。変わらない。なんで? どうして? そんな疑問ばかりが頭に浮かぶ。よし、セッターになるなら対応して、私なりに頑張ろう、そんな気にはならなかった。鼓動が早くなる。
 私は気付けば廊下にプリントを持って出ていた。そのまま一階に行き、職員室の前に立つ。三回ノックして、大きめの声で失礼しますと言った。顧問はすぐ目の前にいて、私は挨拶よりも大きい声で先生を呼び止めた。
「先生、区大会のプリント佐藤から貰ったんですけれど」
「ん? ああ、行き渡ったんだな、よかった。お前に頼もうとは思ってたんだが、生憎教室に居なくてな。通りかかった佐藤に渡したんだ。で、そのプリントがどうした? 行き渡ったからありがとうってやつか?」
 私はこの先生が苦手だ。人の話を聞こうとしない。全て自分勝手に決めて、話は長いし捲し立てるように早口で喋る。そのせいで下級生部員は怖がって反論したり、自分の意見を言ったりできない。この先生と普通に会話ができるのは、私と佳苗の二人だけだ。
「それも兼ねてですが、個人的な質問があって。何故今回私はセッターなんですか? 今までレフトでスパイクしてましたよね。急なポジション変更は、チームの雰囲気悪化に繋がりますし、コンビネーションも悪くなります。私たち部員全員が納得できるような説明をお願いしたいです」
 くだらない理由で話をよく終わりにするこの先生が、ちゃんと説明してくれるように私は強気で喋った。私たちにとって最後の大会。今回ばかりは引き下がりたくない。全員で笑って終わりたい。やっぱりセッターは佳苗さんが、レフトは夏目さんがやってくれてよかった、と。
 私は佳苗のトスを打ちたい。あの正確で優しいトスが好きだから。これがもし、新人大会とかならば、ああ、新しいことにチャレンジするんだな、と、それだけで終わった。でも今回ばかりは違う。
「ああ、なんだ、そんなことか。お前はどこでもできるだろう? この部で一番上手いんだからな。佐藤には最後の大会で思いっきり活躍して欲しいしな。それに今までお前は目立ってきただろう。お前にとっては苦かもしれんが、まぁなんだ、お前らはどっちがどっちやっても連携が取れるすごい選手なんだって見せてやれや」
 は? と言う言葉さえ出なかった。出てきたのは音にならない空気のみ。一番上手いから? 今まで目立ってきたから? なにそれ、意味がわからない。目立つ目立たないじゃない。勝つか負けるかなんだ。上手い下手じゃない。勝ちたいという気持ちなんだ。やっぱりこの先生は何も分かっていないんだ。バレーボールがなんなのかを、スポーツが何なのかを。そりゃあそうだ。この先生は理科の担当で、運動には興味のなさそうなふっくらした体型。それでいてスポーツをわかった気になっていて、根性がない、それだけで全て片付ける。体育教師が顧問をやって欲しかったが、この学校はバレー部よりも野球部、サッカー部が強い学校だ。野球部は甲子園にも出たことがあるし、サッカー部も全国大会にでている。体育教師は二人いて、どちらもその二つの部の顧問に当たっている。余ったのは座学の先生ばかりになった。そこでバレー部に当てられたのが理科担当の大杉だった。
 部のみんな、コイツが大嫌いだった。
「夏目? 何してるの?」
 ふと、背後から声をかけられた。顔を上げると、目の間にもう大杉は居なくなっていて、振り返ると佳苗が心配そうにこちらを見ていた。
 副主将の佳苗は、誰にだって優しくて、後輩から好かれる存在。おしとやかだけど怒ると怖くて、私が主将として間違ったことをしていたら教えてくれる。あんまり私が後輩のことを怒った時に、怒鳴ってきたのは佳苗だった。私はやってしまった、と後輩に土下座した。そんな私でも、佳苗のお陰で、彼女には及ばないが、後輩には好かれている。
「もしかして、ポジションのこと? 大杉に聞いていたの?」
 優しく静かに話す佳苗から、大杉と先生を呼び捨てにしているのは少し笑える。佳苗は優しくても嫌いな奴はとことん嫌うタイプだった。何だかんだ、部内一で恐ろしい人間だろう。
「うん······、今まで佳苗のトスが好きで打ってきたのに、急に変更なんて···それに最後の大会で」
「私も今言いに来たの。私にレフトは無理だって。私も夏目が私のトスを嬉しそうに打ってくれるのが好きだから、セッターに戻してくれって。でも、もう夏目がここにいるってことは、大杉から聞いたんでしょう? 教えてくれる?」
 私は言われるがままに大杉から聞いた質問の答えを、そのまま佳苗に伝えた。佳苗の表情はみるみるうちに変わっていった。
「要は、私が目立ってないからレフトにさせたのね。それで、普段から活躍している夏目をセッターに。ふぅん。······よし、分かった」
「え?」
 私は明るく分かったという佳苗に驚いて俯かせていた顔を上げた。佳苗は笑っていた。ただし目は笑っていない。
「多分、後輩ちゃんたちも疑問に思っているだろうから、今日の放課後聞きに行きましょ
。それで、このポジションでいいのか、多数決しましょう。もちろん、大杉はこの表通りの方に一票ね」
 少し楽しそうな佳苗に、背筋が伸びたのは内緒にしておこう。やっぱりこの子は敵にしちゃいけない。
 心の中で、私は大杉に合掌した。