二人きりの楽しいドライブはあっという間に終わり、車は居酒屋の駐車場に到着した。入り口の扉を開けると、店内の明るい照明と賑やかな会話たちが飛び込んできた。休日というのもあり、店内には多くの客がいて賑わっていた。女性店員が来て、私たちはフロアのほぼ中央にある二人用の席に案内された。席に着いて私たちは向かい合わせに腰を下ろした。
「さぁ~て、何飲もうかなぁ~。」
石家先生は赤いダウンジャケットを脱いで熱いおしぼりで両手を拭いた。彼はダウンジャケットの下にグレーのパーカートレーナーを着ていた。私も羽織っていたグレーのピーコートを脱いで熱いおしぼりで両手を拭いた。おしぼりの熱さが冷えた指先にジワリとしみて少しリラックスした感じになった。女性店員が注文を取りに来た。石家先生は生ビール中ジョッキ、私はウーロン茶、あとは鳥の唐揚げと芋餅、ツナサラダを頼んだ。注文して数分後に飲み物が運ばれた。
「では、お疲れ様~!」
「お疲れ様です!」
私たちはそれぞれのグラスを寄せて乾杯をした。石家先生はビールをジョッキの3分の2ほど一気に飲み干した。
「うわぁ~上手い!やっぱりビールは上手いねぇ~。」
石家先生ジョッキを右手に持ちながらは満面の笑みを浮かべていた。口元にはビールの泡が少し付いていた。
「先生はビールを美味しそうに呑みますね。」
「えっ?だって美味しいじゃん。丸ちゃんは普段からあんまり飲まない方だっけ?」
「はい。私、あんまりお酒は飲まない方なんです。」
「へぇ~そうなんだ~。」
「だって苦いでしょ?ビールは苦いから何が美味しいかわからないんです。だから先生が美味しそうに呑んでいるのを見てスゴイなぁと思って。」
「そんなスゴくないよ~。ビールは飲み続けていると美味しさがわかるんだよ~」
そう言って残りのビールをグッと飲み干した。
「そうですか……」
私はウーロン茶をズズズっと飲んだ。
テーブルに唐揚げや芋餅等次々とおつまみが運ばれてきた。石家先生は、また同じ生ビール中ジョッキを頼んだ。
「丸ちゃんは何で看護師になろうとしたの?」
石家先生は唐突に聞いてきた。
私は鳥の唐揚げを食べ始めていたところで口の中に唐揚げが入ったままの状態なので、ある程度咀嚼をして口の前に手を当てながら答えた。
「高校時代の同級生の影響なんです。その子の親が看護師をしていて、その子も看護師になって手に職をつけるから看護学校へ進学するという話を聞いて私もそうしようと思って。看護師になれば医療の知識や技術が身についてもし結婚して家庭を持ったときに家族の健康を守れるかなぁと思ったんです。」
「へぇ~そうなんだぁ~。偉いねぇ。」
「そうですかぁ~?」
「そうだよ。だって志があっていいじゃん。」
石家先生は赤くなった顔をクシャっと笑顔にしながらビールを飲んだ。
「煙草吸っても良いかな?」
「あ、どうぞどうぞ。」
石家先生はチノパンツの左ポケットから煙草の箱と赤色の100円ライターを取り出して箱から1本煙草を取り出して火を付けた。先生は美味しそうに煙草を吸い、。口からゆっくり煙を吐き出した。そのとたん石家先生の周囲は煙草の煙が充満した。
「はぁ……」
私は口の中にまだ入っている鳥の唐揚げを咀嚼して飲み込んだ。会話を重ねていくうちに私の心はかなりリラックスしてきた。会話もそうだけど石家先生の穏やかで優しい印象が話しやすい雰囲気を与え、私の緊張した心をホッとさせてくれた。石家先生と二人きりで会話を楽しんでいるこの時間が嬉しくそして楽しかった。大好きな人と過ごす時間がどんなに嬉しく、楽しいものかをこの時初めて心の底から感じた。
(このまま時が止まればいいのに……)
「先生は今の病棟には12月まででしたっけ?」
「うん、そうだよ。」
石家先生はビールを飲み干しながら返事をした。そして「すみませ~ん。」と右手を挙げて店員を呼び、焼酎のお湯割りを頼んだ。
「1月からは東京の本院へ戻るんでしょ?」
「そうだねぇ~。ホントはあんまり戻りたくないんだけどね。」
そう言って石家先生は煙草を吸い、吸殻を手元にある灰皿ですり潰した。
「戻りたくない?」
私はテーブルにあるツナサラダをトングで皿に取り分けていた手を止めた。
「うん。だって本院の看護師さんたち怖いんだもん。」
石家先生は焼酎を半分くらい飲み、グラスを眺めながら眉をひそめて応えた。
「そんなに怖いの?」
「あぁ。俺、1月から救命救急室で勤務をすることになっていて、そこの看護師さんたちがスッゲエ怖いんだよなぁ。研修医には厳しいというか冷たいんだよね~。だから行きたくないんだよ。それに比べてこっちの病院の看護師さんたちは温かくて優しいよねぇ~。」
「そうなんだ……」
私は取り分けたツナサラダの皿を石家先生の前に置いた。
「米倉主任や北島さん、高木さんとか仕事はできるし優しいし。前田師長も優しいよね。もちろん他の人たちもみんなイイ人たちだよ。俺、ここにきて分娩や手術とか何でも実践させてくれたり、あとみんなで旅行に行ったり飲み会に行ったりと、いろいろあってとても充実しているんだ。まぁストレスは多少あるけど、少なくとも本院で仕事していたときよりかストレスは少ないし、いろいろ学べてありがたいよ。できればもっと研修期間が延長すればなぁと思っている。」
石家先生は赤い顔をクシャっと笑顔にして言った。そしてメニュー表を手に取りながら店員さんを呼び、ウーロン杯を頼んだ。私もホットのウーロン茶を頼んだ。
「先生は病棟でスタッフも喜屋武先生たちもみんなとても頼りにしているから、もっといた方がいいんじゃないでしょうか……それは喜屋武先生から本院の方に頼むことはできないんでしょうか?」
私は石家先生の顔をジッと見つめながら、もし可能であれば石家先生の研修期間があと数か月でもいいから延長してほしいという願いを込めて言った。胸の鼓動はトクトクと鳴り出していた。
「う~ん、それは難しいよね~。もう研修スケジュールは決まっていてその通りに動かなきゃならないしね。喜屋武先生から本院の教授へ打診したとしてもそれは難しいと思うよ。」
石家先生は、クシャっとしていた笑顔を少し緩めた。そしてまた煙草を1本取り出して火を付けて吸い、口からフーっと煙を吐き出した。
「そうですか……私としてはもっとここにいてほしいなぁと思うんですけど……。」
私は残念さを感じながら口を窄めて少し上目遣いで石家先生を見つめながら言った。一口飲んだホットウーロン茶の温かい感触が喉を通り過ぎた。
「う~ん……ホントは俺もここにいたいんだけどねぇ。楽しいし、みんなイイ人たちだからね。」
石家先生は繭を少し下げた。そして美味しそうにウーロン杯を飲み干した。
会話を交わしながらテーブルにある飲み物とサラダ、唐揚げ、お好み焼き等のおかずを平らげ、腕時計を見るともう21:30を過ぎていた。店内はラストオーダーとなっていた。
「そろそろ出ましょうか?」
「あぁ、そうだね。」
私たちはそれぞれ上着を羽織ってカウンターの前まで行った。石家先生はチノパンツの右ポケットから黒皮のお財布を出した。
「先生、ここは割り勘にしましょ。」
「いや、ここは僕が支払うよ。」
「えっ、でも私、先生におごってもらうために誘ったわけでは……」
「いいからいいから!」
石家先生はポシェットから財布を取り出した私を左手で制して、自分の財布から1万円札を出してレジに出した。私は「ありがとうございました。」と小さくお礼を言った。おつりを受け取り、私たちは店の外に出た。真っ暗な空が冷気を放ち、私たちの身体を包み込んだ。
「うぅ~寒っつ!」
「寒いっ!早く車へ行きましょ!」
私たちはそれぞれ肩を窄め背を丸めながら小走りで駐車場に停めてある私の車まで行った。急いで車に乗り込み、エンジンを回した。車内は冷たい空気がキーンと漂っていた。
「先生、ごちそうさまでした。おごってくれてありがとうございました。」
「いえいえそんな。俺も楽しかったし。美味しいお酒が飲めたしね。」
石家先生は赤い顔をクシャっと笑顔にして言った。
「あのー先生、この後まだ時間大丈夫ですか?」
私はハンドルの前で両手を摩りながら言った。
「ああ。」
石家先生は背を丸めながら返事をした。
「S市内にある高層ビルからの夜景がとってもステキなのでぜひ一緒にどうかなぁと思って。行きませんか?あ、でも都内のビルと比べると低いし、夜景も比べ物にはならないとは思いますけど……」
私は両手をスリスリ摩りながら左隣の助手席に座っている石家先生の顔を覗き込むように見た。
S市中心部には一際高い商業用ビルがあり、そこの最上階は展望スペースになっていた。以前行ったときにS市内の夜景が一望できてとてもキレイだったので、是非石家先生と一緒に行ってみたかったのだ。
「うん、いいねぇ~。行こうよ。」
石家先生は私の方を見て即答してくれた。表情は若干寒そうだがほんのり笑顔の穏やかさが見られていた。その表情をみて、私の心もホッと安心したと同時に小さくガッツポーズをした。
「やった!行きましょ行きましょ!では出発しま~す!」
私は嬉しくなり、ニヤニヤ顔でややテンション高めの声を出しながら、車のギアをドライブにしてサイドブレーキを下ろし、ハンドルを回した。車内は少しずつ暖房が効いてきて暖かくなってきた。