石家先生はもともとお酒好きもあるが、沼尻先生や米倉主任達に気を遣って試飲に付き合っていた。そのおかげで石家先生の顔は赤真っ赤で目が座っていた。私は桃の果実酒が少し入ったせいかちょっと気分が軽くなったところで、石家先生の隣に近づいて話しかけたてみた。
「先生、だいぶ試飲していますね。日本酒は好きなんですか?」
「あ~丸ちゃん。うん、好きだよ。ここの酒造は初めて来たけどいいね!やっぱり東北の酒処とあって、酒の種類が豊富で美味いよね~。この『月下美人』は特に美味いよ。丸ちゃんは飲んだの?」
「私あんまり日本酒が飲めなくて。でも、この『桃日和』は果実酒だけど甘くて飲みやすかったので、2杯ほど飲んでみました。美味しかったですよ!」
「そうかー。丸ちゃんは前にお酒飲めないって言っていたよね。『桃日和』か……桃味の酒は甘そうだね。丸ちゃんは甘い酒だったら飲めるんだ~。」
「はい。あのお酒は甘くて、桃ジュースのように桃の味が強かったので、私でも飲めました。他の人と比べて少ししか飲んでいませんが、もう顔が火照っちゃて。気分もハイになりますよね。先生は病院を出発してから、主任達にだいぶ勧められて飲んでましたよね。さっきも結構飲まれていたし。すごい顔が真っ赤ですよ。」
「う~ん、もう大分飲んだからね。もう主任と沼尻先生達がすごくてね。勧められたら断れないよ~。でも、酒飲むのは好きだし、それにここでしか飲めない酒がいっぱいあるからね。しっかり飲まなきゃ。やっぱ日本酒は最高だね!」
石家先生は真っ赤な顔をクシャっと緩めて笑顔を見せた。それは、病棟で見る知的でさわやかな笑顔とは違って、酔って目が座っているのもあって頬の筋肉が緩みクシャクシャで締まりのない感じの笑顔であった。だが、締まりのないクシャっとした感じがより一層親近感を与えた。そして、果実酒で少し酔って身体が火照り、若干気持ちも軽くなったせいもあって、私は今までよりも積極的に石家先生と会話を交わすことができた。多分今まで先生と会話をした中でいちばん長いのではないか。気分良く会話を交わしているところで、一木さんから
「みなさん!そろそろ出発時間ですのでバスに戻ってくださーい!」
と、多分彼なりに声を張った少し大きめの声で呼びかけがあった。
酒造での試飲を皆堪能した後、バスに乗り込み途中一回パーキングエリアでのトイレ休憩を挟んで、いよいよ目的地であるN県のT温泉へ向かった。バスの車内では、酔っ払い集団と化したメンバーたちがカラオケを歌いまくり、宴会場と化した。昭和生まれの中堅スタッフばかりなので、選曲は昭和時代にヒットした歌謡曲がほとんどだった。誰かが歌うと沼尻先生の下品な野次が飛んでいた。
「いいぞいいぞー!もっと歌えー!」
「主任ヘッタクソだなぁ!ちゃんと歌えよ!」
「黙れ沼尻!ぶっ飛ばすぞコラぁー!」
米倉主任は酔っぱらって見境が付かなくなってきているのか、または沼尻先生から出る下品なスケベ野次にムカついたのか遂に沼尻先生へ暴言を吐いた。周囲はその様子を夫婦漫才でも見ているような感じで大爆笑していた。石家先生は「いいぞいいぞー!」とクシャクシャの笑顔でピーピーと指笛を鳴らして笑っていた。
酔っ払いの赤鬼は私たちにも毒牙を向けてきた。
「おい!ババアたちが歌っているんだからお前ら若者も歌え!」
赤鬼米倉主任の強制指令により、私たち新人はそれぞれ一曲ずつ選曲して歌わざる終えなくなった。松田、広瀬はそれぞれ流行りのJ-POPを可愛らしい声で歌った。
「イエーイ!若者はやっぱいいねえ~!かわいいよ~!」
「沼尻先生~なんか私たちと扱いが違うじゃん!このスケベ医者!」
「なんだよ~だって今どきの若者って感じでかわいいじゃん。」
「やっぱ若者は流行りの曲を知っているからいいよね~。おばさんにはわかんないよ~。」
と、拍手とともに沼尻先生や山田さんたちから野次が飛んだ。石家先生はご機嫌なクシャクシャ笑顔でピーピーと指笛を鳴らしまくっていた。私は声質が低いので、可愛いJ-POPは上手く歌えなかった。それに流行りの歌をあまり知らないが、なぜか昭和の名曲なら何とかメロディーを知っていた。選曲表を見ながら考えた末、ウケを狙って1960年代にヒットした歌謡曲を選んだ。その曲は役者としても有名な女性歌手のヒットナンバーであり、鼻を摘まんだようなとがった感じの歌い方が特徴的だった。その歌のタイトルがモニターに映ったとき、車内では「何で22歳の若造がこの歌を知ってんの?」と言わんばかりに“?”な空気が流れた。
私は鼻を摘みながらその空気を断ち切るように思いっきり声を張って歌い出した。
車内にアーッハッハァ~と笑い声が響き渡った。まるでテレビのコント番組で芸人たちのコントの間に聞こえるおばちゃん達のけたたましい笑い声そのものだった。
「いいねぇ~丸ちゃん!最高!」
「アッハッハァ~ウケるぅ~!」
ウケを狙って選んだのがどうやら当たったようだ。鼻を摘まんで熱唱したかいがあり、おばさん看護師たちの心を掴むことができた。
「いいよぉ~丸ちゃん!」
沼尻先生もニヤニヤ笑顔で褒めてくれた。
「スゲぇな丸田!お前何でそんな古い歌知ってんだよ!」
「あ~。テレビで昭和懐メロ番組をよく見ていて、それで覚えたんですよ~。」
「まだ若いのに随分古い歌知ってんだなぁ~。面白かったわぁ~。」
「ありがとございま~す。」
産婦人科病棟に配属されて約半年、このとき私は初めて赤鬼米倉主任からお褒めの言葉をいただいたのだ。これをきっかけにやや硬くなっていた私の心はフワッと緩みだしてきたのを感じた。
(石家先生はどうだったかなぁ。)
チラリと石家先生を見た。私の受け狙いの歌いっぷりに彼はどんな反応をしたのか。果たして彼はシラケていたか、それともウケて喜んでくれたのか。
「先生、だいぶ試飲していますね。日本酒は好きなんですか?」
「あ~丸ちゃん。うん、好きだよ。ここの酒造は初めて来たけどいいね!やっぱり東北の酒処とあって、酒の種類が豊富で美味いよね~。この『月下美人』は特に美味いよ。丸ちゃんは飲んだの?」
「私あんまり日本酒が飲めなくて。でも、この『桃日和』は果実酒だけど甘くて飲みやすかったので、2杯ほど飲んでみました。美味しかったですよ!」
「そうかー。丸ちゃんは前にお酒飲めないって言っていたよね。『桃日和』か……桃味の酒は甘そうだね。丸ちゃんは甘い酒だったら飲めるんだ~。」
「はい。あのお酒は甘くて、桃ジュースのように桃の味が強かったので、私でも飲めました。他の人と比べて少ししか飲んでいませんが、もう顔が火照っちゃて。気分もハイになりますよね。先生は病院を出発してから、主任達にだいぶ勧められて飲んでましたよね。さっきも結構飲まれていたし。すごい顔が真っ赤ですよ。」
「う~ん、もう大分飲んだからね。もう主任と沼尻先生達がすごくてね。勧められたら断れないよ~。でも、酒飲むのは好きだし、それにここでしか飲めない酒がいっぱいあるからね。しっかり飲まなきゃ。やっぱ日本酒は最高だね!」
石家先生は真っ赤な顔をクシャっと緩めて笑顔を見せた。それは、病棟で見る知的でさわやかな笑顔とは違って、酔って目が座っているのもあって頬の筋肉が緩みクシャクシャで締まりのない感じの笑顔であった。だが、締まりのないクシャっとした感じがより一層親近感を与えた。そして、果実酒で少し酔って身体が火照り、若干気持ちも軽くなったせいもあって、私は今までよりも積極的に石家先生と会話を交わすことができた。多分今まで先生と会話をした中でいちばん長いのではないか。気分良く会話を交わしているところで、一木さんから
「みなさん!そろそろ出発時間ですのでバスに戻ってくださーい!」
と、多分彼なりに声を張った少し大きめの声で呼びかけがあった。
酒造での試飲を皆堪能した後、バスに乗り込み途中一回パーキングエリアでのトイレ休憩を挟んで、いよいよ目的地であるN県のT温泉へ向かった。バスの車内では、酔っ払い集団と化したメンバーたちがカラオケを歌いまくり、宴会場と化した。昭和生まれの中堅スタッフばかりなので、選曲は昭和時代にヒットした歌謡曲がほとんどだった。誰かが歌うと沼尻先生の下品な野次が飛んでいた。
「いいぞいいぞー!もっと歌えー!」
「主任ヘッタクソだなぁ!ちゃんと歌えよ!」
「黙れ沼尻!ぶっ飛ばすぞコラぁー!」
米倉主任は酔っぱらって見境が付かなくなってきているのか、または沼尻先生から出る下品なスケベ野次にムカついたのか遂に沼尻先生へ暴言を吐いた。周囲はその様子を夫婦漫才でも見ているような感じで大爆笑していた。石家先生は「いいぞいいぞー!」とクシャクシャの笑顔でピーピーと指笛を鳴らして笑っていた。
酔っ払いの赤鬼は私たちにも毒牙を向けてきた。
「おい!ババアたちが歌っているんだからお前ら若者も歌え!」
赤鬼米倉主任の強制指令により、私たち新人はそれぞれ一曲ずつ選曲して歌わざる終えなくなった。松田、広瀬はそれぞれ流行りのJ-POPを可愛らしい声で歌った。
「イエーイ!若者はやっぱいいねえ~!かわいいよ~!」
「沼尻先生~なんか私たちと扱いが違うじゃん!このスケベ医者!」
「なんだよ~だって今どきの若者って感じでかわいいじゃん。」
「やっぱ若者は流行りの曲を知っているからいいよね~。おばさんにはわかんないよ~。」
と、拍手とともに沼尻先生や山田さんたちから野次が飛んだ。石家先生はご機嫌なクシャクシャ笑顔でピーピーと指笛を鳴らしまくっていた。私は声質が低いので、可愛いJ-POPは上手く歌えなかった。それに流行りの歌をあまり知らないが、なぜか昭和の名曲なら何とかメロディーを知っていた。選曲表を見ながら考えた末、ウケを狙って1960年代にヒットした歌謡曲を選んだ。その曲は役者としても有名な女性歌手のヒットナンバーであり、鼻を摘まんだようなとがった感じの歌い方が特徴的だった。その歌のタイトルがモニターに映ったとき、車内では「何で22歳の若造がこの歌を知ってんの?」と言わんばかりに“?”な空気が流れた。
私は鼻を摘みながらその空気を断ち切るように思いっきり声を張って歌い出した。
車内にアーッハッハァ~と笑い声が響き渡った。まるでテレビのコント番組で芸人たちのコントの間に聞こえるおばちゃん達のけたたましい笑い声そのものだった。
「いいねぇ~丸ちゃん!最高!」
「アッハッハァ~ウケるぅ~!」
ウケを狙って選んだのがどうやら当たったようだ。鼻を摘まんで熱唱したかいがあり、おばさん看護師たちの心を掴むことができた。
「いいよぉ~丸ちゃん!」
沼尻先生もニヤニヤ笑顔で褒めてくれた。
「スゲぇな丸田!お前何でそんな古い歌知ってんだよ!」
「あ~。テレビで昭和懐メロ番組をよく見ていて、それで覚えたんですよ~。」
「まだ若いのに随分古い歌知ってんだなぁ~。面白かったわぁ~。」
「ありがとございま~す。」
産婦人科病棟に配属されて約半年、このとき私は初めて赤鬼米倉主任からお褒めの言葉をいただいたのだ。これをきっかけにやや硬くなっていた私の心はフワッと緩みだしてきたのを感じた。
(石家先生はどうだったかなぁ。)
チラリと石家先生を見た。私の受け狙いの歌いっぷりに彼はどんな反応をしたのか。果たして彼はシラケていたか、それともウケて喜んでくれたのか。