「なんだそれは。アリエス姉様だけってことは、僕には嘘をつくのか?」
――と、頭上から心外そうな声が聞こえてきたのはその時だった。
軍服を身にまとった、赤茶色の髪をした男性――ダグラスお兄様が、腕組みをして口をとがらせている。
「ダ、ダグラスお兄様!」
「どうしたの、ダグラス。いきなりやってきて……ドア、ノックした?」
「何度もしたし声もかけたけど、二人が勝手に盛り上がっていたんじゃないか……リリアに話があって来たんだ。軍部の諜報部からだよ」
王妃様の子でありながら、ダグラスお兄様は王位継承権を放棄した。
先に第二妃・メイデン様の子であるファウエルお兄様が王太子として宣言されたことで、臣に下って軍人になったのだ。
「諜報部?」
「あぁ。ヨハネス皇帝が先ほど、帝都アルクレオンに到着した」
「あら、一応リリアと結婚式を挙げるつもりはあったのね」
まだ腹の虫がおさまらないらしいアリエスお姉様の口調に棘が見え隠れする。
お姉様がこれほど怒ってくれるから、逆にわたしがヨハネス陛下に対して一切怒りを覚えていないのかもしれない。
「確かにリリアとの結婚式が理由だろうな。国境の小競り合いも片付いたと聞いたし、しばらくは新婚生活を送るつもりがあるのかも」
「新婚生活……かぁ」
なんだか現実味がなさすぎて、新婚生活という言葉もふわふわして聞こえる。
大体、新婚生活ってなにするんだろう。一緒にお散歩とかしたりするんだろうか。
……だめだ、どうしても想像できない。
「それにしても、僕たち兄妹の中でリリアが真っ先に結婚するなんて……帝国の皇妃様じゃ、なかなか会いに行くこともできないな」
「そうね――こうなったらダグラス、ファウエルから王位簒奪してきたらどうかしら? そうしたら外交と称して年に一回くらいは会えるかも」
「頼むから戦争の火種になりそうなこと言うのはやめてくれよ……ファウエル兄上に逆らうつもりは毛頭ないさ。あの人はアレで、王様としては父上より優秀だろうし」
両手を上げて降参のポーズを取りながら、ダグラスお兄様は肩をすくめた。
「それに、僕は軍人が性に合ってるんだ。王都で煩わしいこと考えなくてすむしね」
「じきに中央に戻されるわよ。お父様はあなたにもちゃんと身を固めて、ファウエルのことを助けてほしいみたいだから」
「げぇ、それは嫌だな……兄上と一緒に仕事すると嫌味言われるし」
お妃様同士の立ち位置が少し複雑なこともあって、ファウエルお兄様とダグラスお兄様の距離感は微妙なものがある。
ただ、性格があまり似ていないだけで仲が悪いわけではないんだろう。
だからダグラスお兄様も早めに王位継承を放棄したのだろうし、実際王太子として働くファウエルお兄様はとても優秀だと聞く。
「ま、とりあえず要件は伝えたから――頑張って、リリア。僕たちには応援することしかできないけど」
「えぇ……ありがとうございます、ダグラスお兄様」
少しだけ心配そうな表情を浮かべたダグラスお兄様が、そっと頭を撫でてくれた。
幼い頃と変わらないその優しい手のひらに、不安が少しだけ晴れていく。
そうして一週間後――わたしは、メルトワーズ王国の王都を出立した。