「皇帝陛下が、遠征から帰らない? 結婚式まであと半月よ……?」
ヨハネス陛下とわたしの結婚が決まって一年。
壮絶ともいえる花嫁修業、もとい婚約期間を経たわたしのもとに、『皇帝陛下、未だ帰還せず』の知らせが届いたのはつい先日のことだった。
ちょうど、一年間でかなり病状が改善されてきたアリエスお姉様と一緒にお茶を飲んでいた時のこと。
侍女が申し訳なさそうに眉を下げる一方、お姉様が信じられないと頭を振った。
「いくら小国の姫だからって、ヨハネス陛下はリリアを自分の服とでも結婚させるつもり?」
「ア、アリエスお姉様! そんなに怒ってはお体に……」
「だって、そんなの悔しいじゃない……!」
優しいアリエスお姉様は、わたしが隣国に嫁ぐまでの時間をできるだけ一緒に過ごしてくれた。
皇妃となるための過酷な教育に耐えられたのは、お姉様が側にいてくれたからだ。
「今回の結婚は、帝国側からの申し出なのよ?」
「それは――でも、ヨハネス陛下の遠征は国境紛争の鎮圧が目的ですよね?」
この国で国王が自ら戦場に立つことはないが、ヴァイルデン帝国ではそれがあり得る。
というより、ヨハネス陛下は戦争大好きで有名な皇帝だ。
即位したその瞬間に領地拡大のための遠征を繰り返し、反戦を唱えた実の弟を修道院送りにしたほど好戦的だという。
ただ、自ら前線に立って戦う皇帝ということもあり、軍人たちからの支持は非常に高いらしい。
「えぇ……国境紛争というより、領地の奪取が目的ね」
一年間の間に、わたしも帝国について色々なことを学んだつもりだ。
ヨハネス皇帝の父――つまり、先代のヴァイルデン帝国皇帝は非常に温厚な人物だったが、外政にはあまり明るくなかったらしい。
結果、彼の治世で帝国の領土はいくつか奪われ、独立した国もあるという。
その領土を再び帝国に組み込むべく、ヨハネス陛下は自らが先頭を切って剣を握っているのだとか。
「ヨハネス陛下の気持ちは、わからないこともないですし……失った領地なら、取り戻そうとするのが普通ですよね」
「だからって、自分が望んだ花嫁をほったらかしていい理由にはならないわ。まったく……」
アリエスお姉様は、二年後に修道院へ向かうことが決まった。
王都にある女子修道院で数年奉仕を行い、そこの責任者になるのだという。
優しいお姉様は、このまま王宮にいるよりも修道院で穏やかな生活をした方がずっと性に合っているのかもしれない。
ただ、そのこともあってか、お姉様は非常にヨハネス陛下を毛嫌いしていた。
「戦争戦争って、そんなに戦争がしたいのなら今すぐ結婚なんてしなくてもいいでしょうに」
「それはそうですけど……」
ヨハネス陛下がどんな人なのかは、よくわからない。
帝国が富み、発展を続けているのは君主であるヨハネス陛下が有能だという証拠になるだろう。
けれど、戦争ばかりしていて国の情勢が安定しないのではという懸念もある。
さらに、結婚が決まってからの一年間でヨハネス陛下に会う機会は一度もなく、顔だって帝国の画家が描いた姿絵でしか見たことがない。
とても端正な顔立ちをなさっているのは、姿絵からも伝わってきた。
まばゆい金髪も、深く理知的な藍色の瞳も、どれもとても美しい。いや、美しすぎるくらいだ。
(絵に文句を言っても仕方がないけれど……なんだか作り物みたい)
往々にして、こういう絵というのは宮廷画家が多少脚色を加えているものだ。
とはいえ、決まってしまった結婚を容姿云々というつもりもない。
わたしはただ、決められた日程に、決められた手順で嫁ぐだけ。
「結婚まで残り半月。リリアがこの国を発つまで一週間! もうっ、本当に信じられない!」
アリエスお姉様はわたしのために怒ってくださるけれど、わたしはこの一年でなにかを諦めてしまった。
いや、王族に生まれた時点で恋愛結婚ができるとは思ってはいない。
自分の両親や、他の妃様の様子を見て、王侯貴族の結婚生活がある程度冷めたものだというのも知っている。
(でも、後ろ向きでばっかりいたって仕方がないわ。もうちょっとこう、なにか楽しみを見つけないと)
わたしは決意した。
ヴァイルデン帝国に嫁いだら、なにか趣味を持とう。できれば一人で没頭できるものがいい。
心のよりどころを戦争大好きな皇帝陛下にしてしまうと、もしも――もしも彼が戦死してしまった時に、きっととても悲しむことになるだろうから。
「リリア? どうしたの……お腹が痛いの?」
「え、あの――な、なんでもないです!」
「こら、隠し事なんてしないで正直におっしゃい」
むっとした表情のお姉様に、なんでもないと笑いかける。
そうじゃないと、優しいお姉様はずっとわたしのことで怒り続けてしまうだろう。
お体のことを考えても、それはよろしくない。
「隠し事なんてしてませんよ! わたし、お姉様にだけは隠し事をしないって決めてるんです」
「……リリア」
わたしにはお兄様とお姉様がそれぞれ二人ずついるが、特に王妃様の子であるダグラスお兄様とアリエスお兄様はとてもよくしてくださっている。
だから、隠し事や嘘はしないと決めていた。
ヨハネス陛下とわたしの結婚が決まって一年。
壮絶ともいえる花嫁修業、もとい婚約期間を経たわたしのもとに、『皇帝陛下、未だ帰還せず』の知らせが届いたのはつい先日のことだった。
ちょうど、一年間でかなり病状が改善されてきたアリエスお姉様と一緒にお茶を飲んでいた時のこと。
侍女が申し訳なさそうに眉を下げる一方、お姉様が信じられないと頭を振った。
「いくら小国の姫だからって、ヨハネス陛下はリリアを自分の服とでも結婚させるつもり?」
「ア、アリエスお姉様! そんなに怒ってはお体に……」
「だって、そんなの悔しいじゃない……!」
優しいアリエスお姉様は、わたしが隣国に嫁ぐまでの時間をできるだけ一緒に過ごしてくれた。
皇妃となるための過酷な教育に耐えられたのは、お姉様が側にいてくれたからだ。
「今回の結婚は、帝国側からの申し出なのよ?」
「それは――でも、ヨハネス陛下の遠征は国境紛争の鎮圧が目的ですよね?」
この国で国王が自ら戦場に立つことはないが、ヴァイルデン帝国ではそれがあり得る。
というより、ヨハネス陛下は戦争大好きで有名な皇帝だ。
即位したその瞬間に領地拡大のための遠征を繰り返し、反戦を唱えた実の弟を修道院送りにしたほど好戦的だという。
ただ、自ら前線に立って戦う皇帝ということもあり、軍人たちからの支持は非常に高いらしい。
「えぇ……国境紛争というより、領地の奪取が目的ね」
一年間の間に、わたしも帝国について色々なことを学んだつもりだ。
ヨハネス皇帝の父――つまり、先代のヴァイルデン帝国皇帝は非常に温厚な人物だったが、外政にはあまり明るくなかったらしい。
結果、彼の治世で帝国の領土はいくつか奪われ、独立した国もあるという。
その領土を再び帝国に組み込むべく、ヨハネス陛下は自らが先頭を切って剣を握っているのだとか。
「ヨハネス陛下の気持ちは、わからないこともないですし……失った領地なら、取り戻そうとするのが普通ですよね」
「だからって、自分が望んだ花嫁をほったらかしていい理由にはならないわ。まったく……」
アリエスお姉様は、二年後に修道院へ向かうことが決まった。
王都にある女子修道院で数年奉仕を行い、そこの責任者になるのだという。
優しいお姉様は、このまま王宮にいるよりも修道院で穏やかな生活をした方がずっと性に合っているのかもしれない。
ただ、そのこともあってか、お姉様は非常にヨハネス陛下を毛嫌いしていた。
「戦争戦争って、そんなに戦争がしたいのなら今すぐ結婚なんてしなくてもいいでしょうに」
「それはそうですけど……」
ヨハネス陛下がどんな人なのかは、よくわからない。
帝国が富み、発展を続けているのは君主であるヨハネス陛下が有能だという証拠になるだろう。
けれど、戦争ばかりしていて国の情勢が安定しないのではという懸念もある。
さらに、結婚が決まってからの一年間でヨハネス陛下に会う機会は一度もなく、顔だって帝国の画家が描いた姿絵でしか見たことがない。
とても端正な顔立ちをなさっているのは、姿絵からも伝わってきた。
まばゆい金髪も、深く理知的な藍色の瞳も、どれもとても美しい。いや、美しすぎるくらいだ。
(絵に文句を言っても仕方がないけれど……なんだか作り物みたい)
往々にして、こういう絵というのは宮廷画家が多少脚色を加えているものだ。
とはいえ、決まってしまった結婚を容姿云々というつもりもない。
わたしはただ、決められた日程に、決められた手順で嫁ぐだけ。
「結婚まで残り半月。リリアがこの国を発つまで一週間! もうっ、本当に信じられない!」
アリエスお姉様はわたしのために怒ってくださるけれど、わたしはこの一年でなにかを諦めてしまった。
いや、王族に生まれた時点で恋愛結婚ができるとは思ってはいない。
自分の両親や、他の妃様の様子を見て、王侯貴族の結婚生活がある程度冷めたものだというのも知っている。
(でも、後ろ向きでばっかりいたって仕方がないわ。もうちょっとこう、なにか楽しみを見つけないと)
わたしは決意した。
ヴァイルデン帝国に嫁いだら、なにか趣味を持とう。できれば一人で没頭できるものがいい。
心のよりどころを戦争大好きな皇帝陛下にしてしまうと、もしも――もしも彼が戦死してしまった時に、きっととても悲しむことになるだろうから。
「リリア? どうしたの……お腹が痛いの?」
「え、あの――な、なんでもないです!」
「こら、隠し事なんてしないで正直におっしゃい」
むっとした表情のお姉様に、なんでもないと笑いかける。
そうじゃないと、優しいお姉様はずっとわたしのことで怒り続けてしまうだろう。
お体のことを考えても、それはよろしくない。
「隠し事なんてしてませんよ! わたし、お姉様にだけは隠し事をしないって決めてるんです」
「……リリア」
わたしにはお兄様とお姉様がそれぞれ二人ずついるが、特に王妃様の子であるダグラスお兄様とアリエスお兄様はとてもよくしてくださっている。
だから、隠し事や嘘はしないと決めていた。