「……はい。さ、最新話まで全て読み込んでおります」

 作者です、と答えることはできなかった。
 皇妃と呼ばれて、自分の立場に気が付いてしまったのだ。政務もろくになく、部屋でひたすら物語を綴っているなんて知られたら……この楽しみを、取り上げられてしまうような気がして。

「そうか……では、三日だ。三日、私に時間をくれ」
「……え?」
「その間に、勧められた話を全て読み込んでくる。ジグムントが言うには、なかなか話も面白いらしいからな。教養としても、一つの物語としても、しっかりと物語を把握しておきたい」

 じっと見つめられたままそう言われて、作者としての気持ちが大きく弾みあがった。
『リリアン・ローズエルト』という名前で物語を綴っているせいで、感想が直接自分に向けられたことは今まで一度もなかった。
 もちろん、彼女――リリアンへの手紙や感想はどれも嬉しい。けれどなぜか、ヨハネス陛下が放った言葉に胸が張り裂けそうなくらいドキドキした。

「……お待ちしております。陛下が、この物語を読んでくださるのを」

 唇からこぼれ落ちた言葉に、わたしは思わずハッとした。
 これじゃまるで、わたしがこの話を書いていますと言っているようなものだ。

「あ、リ、リリアンもきっと、喜ぶと思いますので!」
「そうか。……この部屋にも、本はあるか?」
「えぇ、あの――こちらに。製本されたものが少し重かったので、出入りの商人の方が分冊したものを作ってくれたんです」

 そう言って、わたしは机の上にあった数冊の本を取り出した。
 薄く軽い紙を使って特別に製本したものを、出入りの商人が用意してくれたのだ。
 もちろん、その商人にもわたしがリリアンであることは告げていない。あくまで、流行の物語を読みやすい形でまとめてくれただけだ。

「よかったら、お読みになりますか? 確か、一巻の二章までお読みになったんですよね」
「……いいのか。部屋にも製本されたものがあるのだが――これはいいな。本自体が軽くて、持ち運びも便利だ」

 本を受け取ったヨハネス陛下が、まじまじと紙質や手触りを観察している。
 こうした技術にもよく気が付く人だから、この国の工業はどんどん発展していったのかもしれない。

「紙を薄くして、インクも特別に調合したものを使っているそうですよ」
「なるほど、だからインクの裏抜けがないのか……これはいい。用意した商人の名は覚えているか?」
「はい。確か、ハイランド商会の方だったかと。ルネに言えば、目録を用意してくれると思います」
「では、明日ルネに聞いておく。献上品として、質も申し分ないな――辞書や歴史書など、かさばる本にいいかもしれない」

 まじまじと本の装丁を眺めていたヨハネス様だったが、やがてハッとして頭を下げてきた。

「あ……すまない。つい普段の癖で」

 多分、この人はこういった技術の変化に聡い人なのだろう。
 深い藍色の瞳が興味と好奇心で輝いているのを見て、わたしはゆっくりと頭を横に振った。
 ――もっと頑なで怖い人だと思っていたが、話してみれば案外そうでもない。それどころか、彼はわたしと話す時、とても心を砕いてくれている気がした。

「本としては、とても貴重な技術だと思います。存分にご覧下さい」
「あぁ――少し、中を読んでみてもいいか? お前の話を聞くに、ビビアン女史は戦記物への造詣もあると見た。カルドラ戦役の話が出てくるとは思わなかったからな……」

 ほう、と溜息をついたヨハネス様は、それからペラペラとページをめくり始めた。