件のご令嬢、戒律の厳しい北の修道院へ送られたそうですわ。
ええ、あの辺境伯領のでしょう?
修道院、というのは神に仕える男女が共同生活を送っている施設をそう呼ぶ。
もちろん男女で生活する場所は分けられており、一生独身でその身を神にささげるのだ。
独身、というのはおかしいか。厳密には「神と婚姻して仕えている人々」だ。
この国の国教会は多神教で、一応最高神というのが存在するが唯一神は存在しない。
そのため、「神に」というより「神々に」仕えており、またその神々の「誰か」のものである、というのがこの国の一般的な宗教感である。
さて。
隣国ではどうやら悪役令嬢なる物語がどうとかいう話をもとに、王族を筆頭とした婚約破棄騒ぎがあったと聞いている。
耳の早い商人たちから聞いたのでおそらく間違いないだろうが、それに感化されたこの国の王家でも似たような問題があったようである。詳しいことはさすがに知らないけれども。
「戒律の厳しい北の修道院、ねえ……」
「北っていうと厳しいイメージなのかしらあ、ここより全然恵まれてるけどねえ」
「それは自国うちの話でしょ? お隣は北のが厳しいのかもよ」
「ええー、でもさでもさ、隣国ってたしかアシュテラ教だよねっ? だったら北が厳しいってことなくないっ?」
洗濯物をぎちぎちと絞り、広げ、紐にひっかけながら修道女たちは首をかしげている。
アシュテラ教と言うのは、雪の女神アシュテラを信仰する宗教で、山を隔て海沿いにある隣国は気候的にこちらの国よりも大雪になる割合が高い。
万年雪ではないにしろ、雪国と呼んで差し支えない場所で、果たして雪に深くかかわる北側がそんなに「厳しい」ものだろうか。
「ねえ、シュバルツ様はどう思う?」
「……体感では、南の修道院のほうが厳しそう、というか、厄介そうではあると思う」
「ほらあ、国防の最前線の殿方がおっしゃるのよ。やっぱり北ってただのイメージなのよ」
きゃあきゃあと姦しく、それでも手を休めない修道女たちの関心はもうこちらにはないらしかった。
この東の修道院は、この国で一番大きな施設だ。またすぐ近くに国境の砦があり、騎士と修道院の者は懇意にしていることも多い。
もちろん、神職なので恋愛に発展することはほとんどないのだが。(あったとして、還俗げんぞくしたのはこの五年で二組程度だった。)
今日、彼が修道院に来ていたのは週に一度の修道院長との面談であったため、大佐であるシュバルツがわざわざ足を運んでいるのだ。
なんせ、東ここの院長は従軍司祭であり、以下修道士も修道女も一様に従軍しているからだ。
戦時中こそ祈りが必要である。
救いを求めて修道士に乞い、彼らが従軍したのは先の大陸全土での大戦のときだという。ゆえ院長は自分のような名ばかり大佐の軍人とは違い戦争経験のある本当の意味での師でもあった。
またこの国の神々は戦にはなかなか好戦的なきらいがあるようで、教えの中に「略奪を許すな」「骨までしゃぶれ」「やられたら二倍やりかえせ」(意訳)とある。
なかなか聞くことのない教義だとは思うが生まれたときからそういうものだったので特に誰も疑問に思うことはないらしい。
「大体ねえ、聞いた話じゃ厳しいっていうのはなんでも清貧がどうとかってほうらしいじゃない」
「清貧ん? なんでそうなるの?」
「そんなんじゃ鍛えられないじゃないの!」
従軍、というとまるでそういう命令のようであるが便宜上そういう呼称であるだけでどちらかというとこの国の修道士たちは総じて血の気が多い。
日々の祈りと、生活のあれこれ、人々への奉仕……と、どうやって時間を捻出しているのかトレーニングの時間まできっちり確保している。
真面目な話、東の砦が国防の最前線と言われているのは俺たちがどうとかではないよなあ、とシュバルツは遠い目をした。
「この国で一番厳しいっていったらきっとここよね、なんせ毎日軍人さんたちと手合わせしてるもの! ぜんっぜん勝てる気配がないわ!」
「早々に勝たれたらこっちも立場がないんだが……」
そもそも自分たちのような一般より一回り大きな、小さな女の子に「熊が出た!」と泣かれた経験がないやつのほうが珍しいようなこの東の地で、しれっと毎日手合わせしている彼彼女がむしろどうかしているのだ。
ここにいる彼女たちは、ほとんどが身寄りのない子を院長が拾ったのだという。
今でこそこことは別で、もっと村や町に近い教会には孤児院が併設されているが(加えてそこのシスターたちはここの修道女たちとはちがって組手などしないごく普通の女性だが)たったの十数年前まではそれすらなかったこの辺境だ。
生きていくために体を鍛えた、という彼彼女の言い分はとても理に適っていたし、むしろ実用的な話であった。
「あ、軍人さんもいらあ。おうい、修道女さーん、新しい本を持ってきたよー!」
「まあ、ベルリッツじゃない」
本や新聞を週に一度、ここまで運んでくる商人のベルリッツはここに来る部外者の中では一番の情報通だ。最新の本なんかに目がないので情報屋としても食っていけるだろうという話をしたことがあるほど。
「今日は本以外にもとびっきりのネタがあるんだよ」
「なあに? ゴシップ?」
「隣国での婚約破棄騒動と、うちの王族の話はもう聞いたか?」
「ええ、道具屋のリィンが言ってたから。なに、続報?」
「おうよ。なんでも王太子が公爵令嬢に婚約破棄突き付けて廃嫡になったんだがな、王太子をそそのかしてた女ってのがその公爵令嬢の妹だったんだと」
「まあっ! 身内でもめたの! 大変ねえ」
「王太子が廃嫡ってのに公爵家のほうはおとがめなしってわけにもいかんだろ? だから、その妹ってのが身分剥奪で修道院送りになるらしい」
「聞いていた展開ね、うちの国だとどこになるの?」
「それがよお、驚いたぜ、東の修道院ここだっていうんだぜ!」
修道女たちがみな一斉に顔を見合わせた後、きょとん、という感じでこちらを見た。
一拍置いて首を振ると「きゃーっ! “戒律の厳しい修道院”よーっ!」と修道女たちは笑い転げる。
訳が分からないというふうなベルリッツに先ほどまでの話をすればややあって彼もまた腹を抱えて笑い出した。
ここは東の修道院。
どうやら「戒律の厳しい修道院」であるそうだ。
ええ、あの辺境伯領のでしょう?
修道院、というのは神に仕える男女が共同生活を送っている施設をそう呼ぶ。
もちろん男女で生活する場所は分けられており、一生独身でその身を神にささげるのだ。
独身、というのはおかしいか。厳密には「神と婚姻して仕えている人々」だ。
この国の国教会は多神教で、一応最高神というのが存在するが唯一神は存在しない。
そのため、「神に」というより「神々に」仕えており、またその神々の「誰か」のものである、というのがこの国の一般的な宗教感である。
さて。
隣国ではどうやら悪役令嬢なる物語がどうとかいう話をもとに、王族を筆頭とした婚約破棄騒ぎがあったと聞いている。
耳の早い商人たちから聞いたのでおそらく間違いないだろうが、それに感化されたこの国の王家でも似たような問題があったようである。詳しいことはさすがに知らないけれども。
「戒律の厳しい北の修道院、ねえ……」
「北っていうと厳しいイメージなのかしらあ、ここより全然恵まれてるけどねえ」
「それは自国うちの話でしょ? お隣は北のが厳しいのかもよ」
「ええー、でもさでもさ、隣国ってたしかアシュテラ教だよねっ? だったら北が厳しいってことなくないっ?」
洗濯物をぎちぎちと絞り、広げ、紐にひっかけながら修道女たちは首をかしげている。
アシュテラ教と言うのは、雪の女神アシュテラを信仰する宗教で、山を隔て海沿いにある隣国は気候的にこちらの国よりも大雪になる割合が高い。
万年雪ではないにしろ、雪国と呼んで差し支えない場所で、果たして雪に深くかかわる北側がそんなに「厳しい」ものだろうか。
「ねえ、シュバルツ様はどう思う?」
「……体感では、南の修道院のほうが厳しそう、というか、厄介そうではあると思う」
「ほらあ、国防の最前線の殿方がおっしゃるのよ。やっぱり北ってただのイメージなのよ」
きゃあきゃあと姦しく、それでも手を休めない修道女たちの関心はもうこちらにはないらしかった。
この東の修道院は、この国で一番大きな施設だ。またすぐ近くに国境の砦があり、騎士と修道院の者は懇意にしていることも多い。
もちろん、神職なので恋愛に発展することはほとんどないのだが。(あったとして、還俗げんぞくしたのはこの五年で二組程度だった。)
今日、彼が修道院に来ていたのは週に一度の修道院長との面談であったため、大佐であるシュバルツがわざわざ足を運んでいるのだ。
なんせ、東ここの院長は従軍司祭であり、以下修道士も修道女も一様に従軍しているからだ。
戦時中こそ祈りが必要である。
救いを求めて修道士に乞い、彼らが従軍したのは先の大陸全土での大戦のときだという。ゆえ院長は自分のような名ばかり大佐の軍人とは違い戦争経験のある本当の意味での師でもあった。
またこの国の神々は戦にはなかなか好戦的なきらいがあるようで、教えの中に「略奪を許すな」「骨までしゃぶれ」「やられたら二倍やりかえせ」(意訳)とある。
なかなか聞くことのない教義だとは思うが生まれたときからそういうものだったので特に誰も疑問に思うことはないらしい。
「大体ねえ、聞いた話じゃ厳しいっていうのはなんでも清貧がどうとかってほうらしいじゃない」
「清貧ん? なんでそうなるの?」
「そんなんじゃ鍛えられないじゃないの!」
従軍、というとまるでそういう命令のようであるが便宜上そういう呼称であるだけでどちらかというとこの国の修道士たちは総じて血の気が多い。
日々の祈りと、生活のあれこれ、人々への奉仕……と、どうやって時間を捻出しているのかトレーニングの時間まできっちり確保している。
真面目な話、東の砦が国防の最前線と言われているのは俺たちがどうとかではないよなあ、とシュバルツは遠い目をした。
「この国で一番厳しいっていったらきっとここよね、なんせ毎日軍人さんたちと手合わせしてるもの! ぜんっぜん勝てる気配がないわ!」
「早々に勝たれたらこっちも立場がないんだが……」
そもそも自分たちのような一般より一回り大きな、小さな女の子に「熊が出た!」と泣かれた経験がないやつのほうが珍しいようなこの東の地で、しれっと毎日手合わせしている彼彼女がむしろどうかしているのだ。
ここにいる彼女たちは、ほとんどが身寄りのない子を院長が拾ったのだという。
今でこそこことは別で、もっと村や町に近い教会には孤児院が併設されているが(加えてそこのシスターたちはここの修道女たちとはちがって組手などしないごく普通の女性だが)たったの十数年前まではそれすらなかったこの辺境だ。
生きていくために体を鍛えた、という彼彼女の言い分はとても理に適っていたし、むしろ実用的な話であった。
「あ、軍人さんもいらあ。おうい、修道女さーん、新しい本を持ってきたよー!」
「まあ、ベルリッツじゃない」
本や新聞を週に一度、ここまで運んでくる商人のベルリッツはここに来る部外者の中では一番の情報通だ。最新の本なんかに目がないので情報屋としても食っていけるだろうという話をしたことがあるほど。
「今日は本以外にもとびっきりのネタがあるんだよ」
「なあに? ゴシップ?」
「隣国での婚約破棄騒動と、うちの王族の話はもう聞いたか?」
「ええ、道具屋のリィンが言ってたから。なに、続報?」
「おうよ。なんでも王太子が公爵令嬢に婚約破棄突き付けて廃嫡になったんだがな、王太子をそそのかしてた女ってのがその公爵令嬢の妹だったんだと」
「まあっ! 身内でもめたの! 大変ねえ」
「王太子が廃嫡ってのに公爵家のほうはおとがめなしってわけにもいかんだろ? だから、その妹ってのが身分剥奪で修道院送りになるらしい」
「聞いていた展開ね、うちの国だとどこになるの?」
「それがよお、驚いたぜ、東の修道院ここだっていうんだぜ!」
修道女たちがみな一斉に顔を見合わせた後、きょとん、という感じでこちらを見た。
一拍置いて首を振ると「きゃーっ! “戒律の厳しい修道院”よーっ!」と修道女たちは笑い転げる。
訳が分からないというふうなベルリッツに先ほどまでの話をすればややあって彼もまた腹を抱えて笑い出した。
ここは東の修道院。
どうやら「戒律の厳しい修道院」であるそうだ。