父が帰ると、病室には一那と私だけ。
病室が特別室に変わったのは、病院に泊まると頑なに主張した一那に
父が苦笑いを浮かべながらそれならせめて身体に少しでも
負担が掛からない様にと手配してくれた。

ここならお風呂も部屋に設置されているからシャワーを浴びる為に
一那が家に寄る必要は無いし付き添い用のベッドは
普段、寝ているような高級ベッドには程遠いけれど、簡易ベッドよりもまし。
そこで、あれ?っと…どうして私は一那の寝ているベッドが想像出来たのだろうか?
でも、その先は思い出せない。
御曹司だから勝手な想像なのか?

神経科の診察でも斑に記憶があったり無かったりするのは珍しい事では無いと
言われたけれど、治療の一環で自分の中で夢か現実か、突然思い付いた事は
ノートに書くように指導され、その違和感は軽微なモノも残されていて、
翌日、見直すと忘れている事もあり、その度に自分の脳は大丈夫なのか心配に
なっているのは誰にも相談できないでいる。

そのノートの中で最大の疑問。
一那と自分の関係。
母は想い合って結婚したと言ってくれた。
その言葉に嘘は無いと解るが、違和感が拭えない。
どんなキッカケで私達は結婚に至ったのか・・・

「どうして、私達は結婚したの?」

さっきと同じ問。
でも、さっき中断されてしまったから・・・

「それは俺と柚菜が愛し合っていたからだよ」
「あ あ 愛し合っているって・・・」自分の耳が真っ赤になっていくのが
解るし、多分 顔だって真っ赤だ・・・
「だって、それ以上に明確な答えがないからね。」
「私が覚えている記憶って本当に高校生の時なんだよね・・」
「俺との何を覚えているの?」
「高校3年生の時に何年振りかで一緒に食べた夕食かな???」
「ククク  自信ないんだ・・・」

そう笑いながら口にしたカズ君だけれど、笑う前にゴクリと唾を呑み込む音が
聞こえたのは気がつかないフリをする。

「ない・・」
「大学が受かった時の事は?」
「覚えていると断言出来ないの・・・」
「・・・・そっか・・・」
「ごめん・・・」
「謝るな・・・」
「その時には付き合っていたの?」
「  い  や・・」
歯切れの悪い声に何かあるのかと様子を窺うが、正直良く解らない。
戸籍上は夫婦で一緒に居た筈なのに実際は遠い昔の一那しか知らない。

「そう言えば 私達はいつから付き合い始めたの?」
「柚菜が大学1年の9月22日だよ。」
「  もしかして 記念日とか大事にしていた???」
「普通だと思うけどどうして?」
「この間も結婚記念日に食事してホテルに泊まったと言っていたし、
今も付き合った日が即答だったから・・もしかして私、煩い女だったのかと」
「うるさくなかったよ・・どちらかと言うと俺が拘っていた。」
「‥意外・・」
「なんだよ~」
「だって・・・クールな感じがしたんだもん!」
「前もそれ言われた・・・柚菜の誕生日にレストランの予約したり、
プレゼントをサプライズで用意した時にも・・・・」

一那の顔は少し笑っていて、幸せそうに見えたのはそう都合よく
感じたいからなのかもと諫める。
でも、『本当! あの時は…』って一那と話せたら良かったのに・・
「ゴメンね。そんな大事な事も覚えていなくて・・」
「ハッ  良いんだよ。柚菜 生きていてさえしてくれれば、これから
幾らでも思い出は作れるから。取り合えず 付き合い始めの記念日を
祝って 翌日に 昨日は・・・って話をしよう。それだって
2人の思い出だ。」
ほんの少し苦しそうに息を吐く顔が切なげに見えるのは気のせい?

一那はとても優しい・・・でも、どうしてなんだろう心の何処かに
切なさがこみあげてくるのは・・・
覚えていないという罪悪感なんだろうか?

そんな罪悪感を失くしたい私は質問するしかなくて
「最初のデートは何処に行ったの?」
「遊園地・・・柚菜が絶叫マシーンが大好きで・・・俺は腰が砕けた。」
「そうそう、私絶叫系大丈夫なんだよね。」
うんうんと頷く。
こんな事は覚えてるのに一緒に行った記憶は無い。

本当はこんな事を聞きたいんじゃない・・・
口にしていいのだろうか?でも、聞かないと・・・

「・・・私達は幸せな結婚をしたの???」
「柚菜・・・柚菜が大学1年から付き合い始めて沢山デートして、幾つもの
記念日を祝って、小さな喧嘩もして仲直りして、沢山キスして、抱きしめて
沢山愛して、柚菜が司法試験に受かったタイミングでプロポーズした。」
「それって在学中だよね・・」
「そ、フッ 笑っちゃうけど あの時 柚菜のお父さんだけが大反対だった。
泣きそうな顔して・・絶対に反対だ! って 結婚式も出ないって・・・」
「おとうさんなら・・・言いそう・・・」

何故か、泣き笑いしている父の顔が浮かんだ・・・
それは私の空想なのか、記憶なのか今の私には区別がつかない。

微妙な私の変化に気がついたのか

「どうした?」
「う~~ん~ 一瞬なんだけれど 父の泣き笑いの顔が浮かんだの   」
「そっか  残念ながら俺はお義父さんの顔はハッキリ覚えてないよ。
緊張しててさ~
ただ、あの後 柚菜とお父さん泣きそうな顔していたよねと結婚記念日とかに
話題になるから覚えているんだ。人の記憶なんてそんなもんだよ。
誰かと共有するから記憶に残るんだ。それを共有するのはこれからも
柚菜で居て欲しいし、柚菜には俺であって欲しい。」
「うん。そうだね 人と共有する・・・」
「ククっ 柚菜、頑なに俺の名前を呼ばない様に言い回しに
気を付けているでしょ?」
笑いながら口にする一那。
「 う、まぁ・・なんと言うか・・本当に呼び捨てで良いのか
悩むところでして。」
「へんな日本語・・・」
「う~ん 急に夫婦って言われても実感湧かないし、私の中で
共通の思い出は私が高校生で止まっているし、その時期は喋る事も
無かったと思うんだけれど・・・」
「そんな 下らない事は覚えているんだ・・・」
「下らない???」
「そ、下らないって言うか腹立たしい事・・だって、柚菜と俺は
高校生の時なんて片手で数える位しか会ってないし、5分以上
会話して貰った記憶がないからな!」

少し拗ねたような口調で言っている様な気がするのは思い込み?

「会話して貰った記憶って・・・私の方が年下なんだから逆でしょう?」
「本当に柚菜は天然なのか小悪魔なのか、俺をナチュラルに翻弄させるよ」
「小悪魔なんて 私 言われた事なんて無いよ!」
「当たり前だ! そんな隙を他の男に見させてたまるか・・・・」

最後の言葉は尻すぼみになっているのは 一那らしくない そう思った
けれど、そこまで一那を知らないから、触れないでいたが、
何かを考えている様な顔をしていた。

本当はもう少し色々話をしたかったけれど、病室の移動や、体力が回復
していないからなのか、薬のせいなのかフイに眠気に誘われ、欠伸を
かみ殺したのを一那は見逃さないで
「続きは又明日にしよう」そう言ってベッドを倒す。
「おやすみ」って言われたのか言ったのか、考える暇もなく
夢に誘われた。

明日は自然に”一那”って口に出せたら良いな~~そんな明日を夢見て。