大泊瀬皇子(おおはつせのおうじ)、何がそれ程おかしいのですか?」

韓媛(からひめ)は少しムッとして言った。

自分は全うな事を言っているはずだ。それをこんなふうに笑われるとは、彼は一体何を考えているのだろう。

「いや悪い。まさか、お前がそんな事を言ってくるとは思わなかった」

それから大泊瀬皇子は笑うのを止めて、真剣な表情をして韓媛に言った。

「あぁ、前回も話したが、俺が本当に好きな女性は他にいる。それはこの先もきっと変わる事はない」

韓媛はそんな皇子の話しを聞き、それまで高鳴っていた鼓動が、今度は酷く苦しくなってきた。

(彼から、他の女性の話しはもう聞きたくない……)

韓媛は思わず涙が出そうなのを必死で我慢した。こんな所で泣いてしまっては、彼を困らせるだけである。

「韓媛、お前は父親任せばかりにせず、もっと自分の意志で相手の男を見るべきだ」

「自分の意志で相手を見る?」

韓媛は今まで、そんなふうに考えた事がなかった。彼の言い方からすれば、自分の意志で相手を選ぶべきだと言っているように思える。

(私が自分から望んでいる相手なんて……)

ふと韓媛は大泊瀬皇子を見た。彼は相変わらず真剣な目で彼女の事を見ている。

韓媛はそんな彼から思わず目が離せなくなった。と言うより、彼にはこのまま自分を見ていてもらいたい。


(私が望んでいる相手は、この人だわ……)


その瞬間に、韓媛はやっと自分の気持ちに気が付いた。自分が好きなのは今目の前にいる大泊瀬皇子だ。

だがそれに気付いた途端、その気持ちは絶望に変わった。彼には他に想いを寄せる人がいる。

(でも、この人は私には振り向いてくれない。そんな人を好きになってもどうしようもない……)

それから、韓媛はまた無言になってしまった。そんな彼女を見て、大泊瀬皇子もこれ以上この話しをするのは止める事にした。

「とりあえずこの話しはもう終わりにしよう。服が乾いたらそれに着替えてお前は小屋の中で寝たら良い。小屋の中にまだ布が結構あったから、それにくるまれば寒くないだろう」

「皇子はどうされるのですか?」

「俺はこのまま焚き火の前で横になっている。お前と一緒に小屋で寝るわけにもいかないのでな」

韓媛もこのまま焚き火の前にいたら、うっかり泣いてしまうかもしれないと思い、彼の意見に素直に従う事にした。

「大泊瀬皇子、分かりました」

「あぁ、悪いがそうしてくれ。間違ってもお前と過ちをおかす訳にはいかない」

彼のその一言が、韓媛には少し冷たい感じに聞こえた。

それから韓媛は服を着ると、そのまま小屋に向かい、布にくるまって休む事にした。

小屋の中で彼女は、皇子に気付かれないようにしながら涙を流した。

(もうこの気持ちは、心の内にしまっておこう。今は辛くても、いつかきっと忘れられる日がくるわ)



その頃は大泊瀬皇子は、焚き火の前で1人頭を抱えていた。彼もまた、今までずっと己の理性と戦っていた。

(くそ、俺はいつまでこんな事をしないといけないんだ!! 本当は今すぐにでも、あいつを自分の腕に閉じ込めたいぐらいなのに……)

こうして2人は、それぞれの思いや葛藤を抱えながら、翌朝を待つ事にした。