瑞歯別大王(みずはわけのおおきみ)の治世下は泰平の世と言われ、人々はとても豊かな生活を送る事となる。しかしそのような時代も、そう長くは続かなかった。

瑞歯別大王の即位から6年後、先の去来穂別大王(いざほわけのおおきみ)と同様に、瑞歯別大王自身も突然に崩御する事となる。
その際に彼は、皇太子を立ててはいなかった。

昨年には、彼唯一の妃である佐由良(さゆら)が風邪を悪化させて亡くなっている。
そんな彼女の後を追うようにして、彼もまた体調を崩してしまい、そのまま静かに息を引き取る形となった。

彼らの娘である皇女阿佐津姫(あさつひめ)は、その後母親の父方にあたる物部の元で暮らしていた。

そして、そんな彼女が15歳になった時のこと。姫の従兄弟にあたる市辺皇子(いちのへのおうじ)が、彼女の身の上を案じて、自分の妃にならないかと申し入れをする。

だが阿佐津姫は、そんな市辺皇子の申し入れをきっぱりと断り、その後は同じ物部の青年の元へと嫁いでいった。

市辺皇子のほうは、阿佐津姫に婚姻を断られたため、しばらくして彼の母方筋にあたる葛城の姫を娶る事にした。



そして次の大王については、瑞歯別大王が崩御したのち、直ぐさま弟皇子の雄朝津間皇子(おあさづまのおうじ)の元に話がいった。
だが彼はその誘いを3度にわたって断ってしまう。

そこで彼の当時妃であった忍坂姫(おしさかのひめ)は、自ら洗手水(おおみてみず)を持って参上し、皇子に再度即位を勧めた。

しかし、それでも彼はいっこうにその話を聞き入れようとはしない。

すると忍坂姫は、寒い冬の外にてそのままじっとしていた。しばらくすると洗手水の入ったお椀の水があふれ、彼女の腕が氷となっていた。
冬の寒さと氷の冷たさにはさすがに耐え切れず、しまいに彼女は死にそうな程になっていた。

そんな彼女の姿を見た雄朝津間皇子は、彼女の命懸けの行動に強く心を動かされ、ついに自身が即位する事を決意する。

そしてその事を聞いた忍坂姫や家臣達はとても喜び、大王の璽符(みしるし)を捧げて、それを拝んで献上した。



こうして雄朝津間皇子が、大和の新たな大王として即位する事となる。そしてその妃の忍坂姫を皇后に立后した。

またそんな大王夫婦の間には、5男4女の子供にも恵まれた。

そして、雄朝津間大王(おあさづまのおおきみ)の即位からさらに21年の年月が流れていった。