翌朝、私はいつものように出勤する。

9時過ぎ、私はいつものように社長にお茶を出す。

「平野さん、今日の髪型、いいね。いつも以上に綺麗に見える」

えっ?

私が容姿を()められることなんて滅多にないから、戸惑ってしまう。

今日は、伸びてきた前髪が邪魔だったから、娘が使い終えたヘアアイロンで前髪を軽く巻いて横に流してみた。

ただそれだけなのに……

「えっと……、あ、ありがとうございます」

私はぺこりと頭を下げる。

私はもう43歳。

いい年したおばさんが、ちょっとお世辞を言われただけで舞い上がってどうするの!

私は、心の中で自分で自分にツッコミを入れる。

私は、なんとか動揺を悟られまいと、話題を変えた。

「あ、社長の本、読みました。難しそうだと思ったんですが、分かりやすくておもしろかったです」

社長は、最近、経営戦略についてのビジネス書を出版した。

それを先日、
「内緒だよ」
と言いつつ、私に一冊プレゼントしてくれたのだ。

社長はそれを聞くと、嬉しそうな笑みを浮かべた。

「それなら良かった。難しいところは、今度、ゆっくり教えてあげるよ」

「はい。ありがとうございます」

どうしよう。
結婚して15年。
ずっと忘れていた感情が胸の奥に芽生えている。

でも、これは気づいてはいけない感情。

私は、妻であり、母であるのだから。

百歩譲って、夫はいい。
どちらも大人なんだから。

でも、子供たちを傷つけるわけにはいかない。
私はお母さんなんだから。

私はそう思って、自分の感情に蓋をする。

そして、やはり平静を装って、社長室を後にする。