えっ?

私の目に入ったのは、のんびりと広くなったソファーでタブレットを手にくつろぐ社長。

「お? 意外と早かったな」

そう言った社長は、持っていたタブレットを足下の鞄にしまった。

「社長、いつからここにいたんですか?」

驚いた私が尋ねると、

「ん? 5分くらい前かな?
 さ、行くぞ」

社長は、何事もなかったかのように立ちあがる。

スタスタと歩いて玄関へと向かうので、私も慌ててその後を追った。

社長は玄関を出ると、そのままエレベーターへと向かう。

鍵はオートロックなのかな?

私はパタパタと社長のあとを追いかけてついて行く。

エレベーターに乗ると、私はいつもの癖で操作パネルの前に立つ。

「社長、何階ですか?」

まるで仕事中のような会話。

「1階」

私が①のボタンを押し、扉が閉まると、社長は口を開いた。

「さっきの……」

さっきの?

「はい」

分からないながら、反射的に返事をする。

「仕事中以外は、社長は禁止」

「えっ?」

社長禁止って言われても……

「じゃあ、真田(さなだ)さん? 社長の方がしっくりくるんですけど……」

社長って呼ばれるの好きじゃないのかな?

「バカ。何で苗字なんだよ。家でくつろいでる時に、そんな他人行儀な呼び方されたくないんだよ。下の名前で呼べよ」

ああ!
だから、社長は昨日から私を下の名前で呼んでるのか。

でも……

「じゃあ、泰彦(やすひこ)さん? それもなんか、呼びにくいんですけど」

ひらがな四文字の名前にさん付けって、却ってかしこまった感じがしちゃう。

「うちでは、ヤスでいいよ。それなら、呼びやすいだろ?」

いやいや、それはいくらなんでも……

「無理ですよ! 元々お友達だった相田(あいだ)さんならともかく、年下で部下の私が、そんな気楽に呼べませんよ」

私は、慌てて振り返って手を横に振る。

相田さんは、社長の同級生で本来の社長秘書。
現在妊娠中で休みがちだから、不在の時だけ、私が秘書代理を務めている。

「ダメ。俺の言うこと、なんでも聞く約束だっただろ。これから、仕事中以外は、ヤスって呼ぶこと」

「えぇ!?」

さらに反論しようとしたところで、エレベーターが1階に到着して扉が開いた。

エントランスには、他の人の目もあり、それ以上は話せない。

私は、黙って社長の後をついて行く。

社長は、コンシェルジュがいるカウンターの前に立ち、

「真田です。昨日お願いした書類はもう準備できてますか?」

と尋ねる。

あんな深夜にお願いしたんだから、まだでしょ?

そう思いながら、後ろで黙って控えていると、

「はい、用意してございます。こちらに必要事項をご記入していただいて、ご提出ください」

とクリアファイルに入った書類を差し出すのが見えた。

仕事、はやっ!

社長はそれを「ありがとう」と受け取ると、そのまま左手にブリーフケース、右手にクリアファイルを持って歩き始める。

えっ?
それ、しまわないの?

そう思いながらも、私は後をついて行く。