再会
先輩と別れて何年経ったのだろう。
躁と鬱を繰り返してはいたが、かなりマシにはなっていた。
その代わり、今度は過呼吸症候群になってしまった。
感情が高ぶった時、過呼吸を起こしてしまうのだ。
1日に何度も起こる時もあった。
過呼吸が始まると、まるで酸素が無いような気がして、激しく呼吸する。
本当は酸素の吸いすぎなのに、それが無いように思えて、必死に息をしようとするのだ。
初めに指先から痺れてきて、足先が痺れてきて、話す事も出来なくなる。
そのまま失神してしまうこともあった。
救急車で運ばれるのも度々あった。
それも、何度も繰り返すうちに、過呼吸が起きそうになった時に、頓服を飲む。
私は術を覚えた。
過呼吸になっても、ゆっくり呼吸をし、過呼吸をコントロールが出来るようになった。
もちろん上手く行かない時もあった。
でも、ある程度自分で操れるようになったし、過呼吸になった時直ぐに頓服を飲めるようにもなってきた。
少しずつ体調は良くなって行った。
躁も鬱もでるけど、重症にはならなくなった。
勿論、毎回ではないが以前よりは格段に良くなっていた。
沢山の薬のおかげだろう。
そんな時、兄から○○って知ってる?って聞かれた。
その名前に覚えがあった。
私が高校生の時、一時思いを寄せていた人だ。
兄は釣りが趣味で、その人も釣りが趣味だった。
どうやら、兄のインスタで繋がっていた様子だった。
私の1つ上の先輩。
私はインスタで連絡を取ってみた。
他愛のない話をし、またイカ釣り行った時、イカ持ってきてー。なんて冗談言ったりしてた。
すると、その週先輩から連絡が入り、イカ持っていくわ。と
私は冗談で言ったつもりだった。
でも、先輩は実際に持ってきたのだ。
久々の再会に、話は弾んだ。
別れ際、また今度ご飯でも行こう!と私は社交辞令を言葉にした。
誰かと道で会った時も、いつも私はその言葉を言っていた。
でも、みんな社交辞令と思っている。
勿論、相手もご飯行こ行こって言うが、私も社交辞令だと分かっていた。
でも、その先輩は次の週末ご飯行きませんか?とインスタに連絡して来た。
え?まじか!
率直な感想だ。
本気にしたのか?分からなかったけど、私はOKした。
約束通り、私は先輩とデートした。
コロナ禍で、人が沢山集まる所へは行けない。
どこの店に行ったのか、覚えてはないが、多分人のあまり入っていない所だったと思う。
それが、始まりだった。
先輩は相変わらず、マイペースで優しかった。
高校の時、毎日のようにつるんで、遊んでいた1人だった。その頃と容姿は変わったが、中身はその頃と何ら変わりは無かった。
そして、私は告白を受けた。
高校の頃好きだったと。
そう、口には出さないだけで、私達は両思いだったのだ。
それから、先輩は毎週遊んでくれた。
そして、ひろちゃんの事が好きになりました。と真剣な顔で告白をされた。
先輩はいい人だけど、その時は私は恋人として見ることが出来なかった。
でも、この人と居たら幸せになるんだろうなと、漠然と考えていた。
それからも、毎週先輩は私を誘ってくれた。
私は、先輩に言った。
今、付き合って、だんだん好きになるのを待つか、ちゃんと好きになってから付き合った方がいいかと。
先輩は後者の方を選んだ。
それからも、アプローチは続く。
でも、私にとっての決め手が無かった。
そんな状態が何ヶ月か過ぎた頃、私は先輩と付き合ってみることにした。
この人なら好きになれる。
そう確信したからだ。
それからも、先輩は変わらず優しかった。
雪が見たい!積もってる雪が見たい!
そう言うと、何時間もかけて、雪が積もってるところに連れていってくれた。
私が鬼滅の刃にハマってると言えば、その舞台となった、大きな石が割れてる所に連れていってくれた。
寒い時期には、イルミネーションが見たい!と言えば、沢山の光に包まれたイルミネーションを見に連れていってくれた。
先輩は、私のワガママを聞いてくれた。
私は彼に対する気持ちが変わっていった。
もう、恋はしないと決めていたけど、彼に惹かれて行ったのは間違いなかった。
そして、そこまでの時間を要する事も無かった。
私は彼と付き合うことにした。
付き合ってからも、彼は毎週会いに来てくれた。
クリスマスの日、私はペアリングを貰った。
彼は仕事柄指輪は出来ないが、その日は指輪を付けてくれた。
でも、私達はよく喧嘩をする。
元カノの楽しい思い出話をされた時は、悲しくて泣いた。
私は1番になりたかった。
彼の1番になりたかった。
でも、なかなか1番にはなれずにいた。
彼は、元カノと7年も付き合っていたからだ。
私達はまだ日が浅い。かなうはずもなかった。
だから、私は元カノより好きになって欲しくて必死になっていた。
でも、好きになればなるほど、悲しいとこも出てきた。
そう、彼は釣り好きなのだ。
何より釣りを優先する。
遊んではくれるものの、私は釣りの次だった。釣りが優先される。
コロナ禍でも、緊急事態宣言が出てても、釣りには行った。
そして、私が腑に落ちないのは、私と付き合っていることを、親や友達に話さないことだ。
だから、釣りに出かけた時は、私からの電話は取らない。
LINEも既読スルー。未読の時も多かった。
彼女からLINEが来たと言えなかったのだろう。
私は不満をぶつけた。
何で隠すの?
彼は聞かれてもないのに、自分から言う必要が無いと言った。
それは、今も変わっていない。
ただ、LINEはくれるようになった。
私が不安になったり、情緒不安定になったりして、よく喧嘩をする。
喧嘩と言うより、私が不満をぶつけるだけだ。
釣りばかり行くのが気に食わなかった。
彼は付き合う前に、釣りは暇やから行くんやで。用事があれば行かないよ。
そう言ってたからだ。
でも、いざ付き合ってみると、釣りが優先される。
俺は釣りは行くで!!
強く言われる。
私は、その言葉だけで寂しくなったし、苛立ちもあった。
私は1番にはなれない。
釣りの方が優先だからだ。
何度もその事で喧嘩になった。
そして、それは少しずつ変わっていった。
釣りには行くけど、平日仕事が終わったら会いに来てくれる時が増えた。
満足をしてる訳ではないが、以前よりはマシになった。
彼は私をいじめてくる。勿論冗談で。
でも、その冗談が私を傷つける。
デリカシーもない。
でも、私は彼に恋をしている。
彼にご飯を作るのが楽しい。
お泊まりが嬉しい。
一緒にいる時間が足りないとも思う。
もっと会いたい。
ずっと一緒に居たい。
そう思うようになった。
これから先、どうなるかは分からない。
躁鬱は治らない。
彼はその事をあまり理解出来ていない。
これから理解して行ってくれたらそれでいい。
今は、充実した生活を送っている。
病気は治らないが、それなりに楽しんでいる。
悲しくて泣く事も多いけど、彼と出会ってからは、リストカットも自殺未遂もしていない。
彼は、私の救世主になったのだ。
それは、この先も変わらないだろう。
これから先、このまま付き合っていくのか、結婚までたどり着くのか、まだ何も分からない。
ただ、私は彼を愛してることは、確かだ。
先輩と別れて何年経ったのだろう。
躁と鬱を繰り返してはいたが、かなりマシにはなっていた。
その代わり、今度は過呼吸症候群になってしまった。
感情が高ぶった時、過呼吸を起こしてしまうのだ。
1日に何度も起こる時もあった。
過呼吸が始まると、まるで酸素が無いような気がして、激しく呼吸する。
本当は酸素の吸いすぎなのに、それが無いように思えて、必死に息をしようとするのだ。
初めに指先から痺れてきて、足先が痺れてきて、話す事も出来なくなる。
そのまま失神してしまうこともあった。
救急車で運ばれるのも度々あった。
それも、何度も繰り返すうちに、過呼吸が起きそうになった時に、頓服を飲む。
私は術を覚えた。
過呼吸になっても、ゆっくり呼吸をし、過呼吸をコントロールが出来るようになった。
もちろん上手く行かない時もあった。
でも、ある程度自分で操れるようになったし、過呼吸になった時直ぐに頓服を飲めるようにもなってきた。
少しずつ体調は良くなって行った。
躁も鬱もでるけど、重症にはならなくなった。
勿論、毎回ではないが以前よりは格段に良くなっていた。
沢山の薬のおかげだろう。
そんな時、兄から○○って知ってる?って聞かれた。
その名前に覚えがあった。
私が高校生の時、一時思いを寄せていた人だ。
兄は釣りが趣味で、その人も釣りが趣味だった。
どうやら、兄のインスタで繋がっていた様子だった。
私の1つ上の先輩。
私はインスタで連絡を取ってみた。
他愛のない話をし、またイカ釣り行った時、イカ持ってきてー。なんて冗談言ったりしてた。
すると、その週先輩から連絡が入り、イカ持っていくわ。と
私は冗談で言ったつもりだった。
でも、先輩は実際に持ってきたのだ。
久々の再会に、話は弾んだ。
別れ際、また今度ご飯でも行こう!と私は社交辞令を言葉にした。
誰かと道で会った時も、いつも私はその言葉を言っていた。
でも、みんな社交辞令と思っている。
勿論、相手もご飯行こ行こって言うが、私も社交辞令だと分かっていた。
でも、その先輩は次の週末ご飯行きませんか?とインスタに連絡して来た。
え?まじか!
率直な感想だ。
本気にしたのか?分からなかったけど、私はOKした。
約束通り、私は先輩とデートした。
コロナ禍で、人が沢山集まる所へは行けない。
どこの店に行ったのか、覚えてはないが、多分人のあまり入っていない所だったと思う。
それが、始まりだった。
先輩は相変わらず、マイペースで優しかった。
高校の時、毎日のようにつるんで、遊んでいた1人だった。その頃と容姿は変わったが、中身はその頃と何ら変わりは無かった。
そして、私は告白を受けた。
高校の頃好きだったと。
そう、口には出さないだけで、私達は両思いだったのだ。
それから、先輩は毎週遊んでくれた。
そして、ひろちゃんの事が好きになりました。と真剣な顔で告白をされた。
先輩はいい人だけど、その時は私は恋人として見ることが出来なかった。
でも、この人と居たら幸せになるんだろうなと、漠然と考えていた。
それからも、毎週先輩は私を誘ってくれた。
私は、先輩に言った。
今、付き合って、だんだん好きになるのを待つか、ちゃんと好きになってから付き合った方がいいかと。
先輩は後者の方を選んだ。
それからも、アプローチは続く。
でも、私にとっての決め手が無かった。
そんな状態が何ヶ月か過ぎた頃、私は先輩と付き合ってみることにした。
この人なら好きになれる。
そう確信したからだ。
それからも、先輩は変わらず優しかった。
雪が見たい!積もってる雪が見たい!
そう言うと、何時間もかけて、雪が積もってるところに連れていってくれた。
私が鬼滅の刃にハマってると言えば、その舞台となった、大きな石が割れてる所に連れていってくれた。
寒い時期には、イルミネーションが見たい!と言えば、沢山の光に包まれたイルミネーションを見に連れていってくれた。
先輩は、私のワガママを聞いてくれた。
私は彼に対する気持ちが変わっていった。
もう、恋はしないと決めていたけど、彼に惹かれて行ったのは間違いなかった。
そして、そこまでの時間を要する事も無かった。
私は彼と付き合うことにした。
付き合ってからも、彼は毎週会いに来てくれた。
クリスマスの日、私はペアリングを貰った。
彼は仕事柄指輪は出来ないが、その日は指輪を付けてくれた。
でも、私達はよく喧嘩をする。
元カノの楽しい思い出話をされた時は、悲しくて泣いた。
私は1番になりたかった。
彼の1番になりたかった。
でも、なかなか1番にはなれずにいた。
彼は、元カノと7年も付き合っていたからだ。
私達はまだ日が浅い。かなうはずもなかった。
だから、私は元カノより好きになって欲しくて必死になっていた。
でも、好きになればなるほど、悲しいとこも出てきた。
そう、彼は釣り好きなのだ。
何より釣りを優先する。
遊んではくれるものの、私は釣りの次だった。釣りが優先される。
コロナ禍でも、緊急事態宣言が出てても、釣りには行った。
そして、私が腑に落ちないのは、私と付き合っていることを、親や友達に話さないことだ。
だから、釣りに出かけた時は、私からの電話は取らない。
LINEも既読スルー。未読の時も多かった。
彼女からLINEが来たと言えなかったのだろう。
私は不満をぶつけた。
何で隠すの?
彼は聞かれてもないのに、自分から言う必要が無いと言った。
それは、今も変わっていない。
ただ、LINEはくれるようになった。
私が不安になったり、情緒不安定になったりして、よく喧嘩をする。
喧嘩と言うより、私が不満をぶつけるだけだ。
釣りばかり行くのが気に食わなかった。
彼は付き合う前に、釣りは暇やから行くんやで。用事があれば行かないよ。
そう言ってたからだ。
でも、いざ付き合ってみると、釣りが優先される。
俺は釣りは行くで!!
強く言われる。
私は、その言葉だけで寂しくなったし、苛立ちもあった。
私は1番にはなれない。
釣りの方が優先だからだ。
何度もその事で喧嘩になった。
そして、それは少しずつ変わっていった。
釣りには行くけど、平日仕事が終わったら会いに来てくれる時が増えた。
満足をしてる訳ではないが、以前よりはマシになった。
彼は私をいじめてくる。勿論冗談で。
でも、その冗談が私を傷つける。
デリカシーもない。
でも、私は彼に恋をしている。
彼にご飯を作るのが楽しい。
お泊まりが嬉しい。
一緒にいる時間が足りないとも思う。
もっと会いたい。
ずっと一緒に居たい。
そう思うようになった。
これから先、どうなるかは分からない。
躁鬱は治らない。
彼はその事をあまり理解出来ていない。
これから理解して行ってくれたらそれでいい。
今は、充実した生活を送っている。
病気は治らないが、それなりに楽しんでいる。
悲しくて泣く事も多いけど、彼と出会ってからは、リストカットも自殺未遂もしていない。
彼は、私の救世主になったのだ。
それは、この先も変わらないだろう。
これから先、このまま付き合っていくのか、結婚までたどり着くのか、まだ何も分からない。
ただ、私は彼を愛してることは、確かだ。