離婚
私も、主人も精神病だ。
主人は統合失調症だと診断された。
私は相変わらず、躁と鬱を繰り返していた。
主人の親が、主人を実家に連れ戻した。
私と離れ離れにしたかったのだろう。
私は寂しくて毎日泣いていた。
主人に会いたくて、声が聞きたくて、毎日主人の実家に行ったけど、合わせてもらう事は出来ず、父親から階段から落とされた。そんな転げ落ちた私を引きずり階段上まで連れていき、また階段から突き落とされた。そしてインターフォンを切られた。
私は、泣きながら家路についた。
破けたズボン。泣き腫らした目。
みすぼらしがった。
その頃に、離婚の話が出てきた。
何で?
何で別れないといけないの?
病気だけど、愛し合ってるよ?
なのに何で別れないとダメなの?
向こうの両親がそう仕向けたのだ。
そんな時、長女に、もうママ離婚して!
ママのそんな姿もう見たくない。ママを守ってくれないパパはいらない!
そう言われて、子供達に相当な心配をかけていたんだと、改めて感じた。
ただ、私にはまだ神様がついてたようだ。
私がまだ高校生だった時、憧れていた2個上の先輩に会った。
何度か会ううちに、私は全部話すことに決めた。
その先輩は、私のために泣いてくれた。
少しでも力になりたいと言ってくれた。
そして、離婚の話も出てることを話した。
先輩は、優しく聞いてくれた。
そして色んな所に遊びに連れていってくれた。
私はその頃から、病状が少しずつマシになって行った。
勿論完全ではない。
リストカットも自殺未遂も繰り返していた。
先輩に力と勇気をもらって、私は裁判所に行った。
離婚の事を相談しに行った。
調停が始まる。
私は1人で裁判所に向かった。
主人とは、顔を合わせるとニコって笑って手を振ってくれた。
私も手を振った。
でも、そこで話す事は出来なかった。
向こうからの要求があった。
離婚するにあたって、2女が欲しいと。
私は、慰謝料も養育費もいらないから、子供だけは取り上げないで欲しいと調停員に言った。
調停員の人は、大丈夫ですよ。
私達はあなたの味方です。
娘さんと離れ離れになんてしません!と強くおっしゃって頂いて、その通り、3人の娘は私が引き取り、離婚が成立した。
私は、不安を抱えながら、離婚したことを先輩に伝えた。
先輩は、これからは、俺がひろちゃんを守っていってもいいかな?ちょうどクリスマスの時、俺がひろちゃんのサンタになるよ。
って言ってくれた。
私は泣いた。先輩も泣いた。
捨てる神もあれば拾う神もいる。
私にとって救世主だった。
離婚したてだけど、私は先輩について行った。
とにかく1人になりたくなかったのだ。
私は生活保護を受け、ひっそりと暮らした。
先輩は時間の許す限り一緒に居てくれた。
とにかく私を寂しい思いをさせないように、何時でも飛んできてくれた。
沢山お話もした。
いっぱい泣いて、いっぱい笑った。
でも、一方で薬の量は増えて行った。
私が普通に過ごせるようになったのは、薬と先輩のおかげだった。
先輩は、私の両親に、絶対にひろちゃんの病気治します。ずっとそばにいます!
と言ってくれた。
本当に嬉しかった。
そして、その通りずっとそばに居てくれた。
週末は泊まりに来てくれ、子供達とも仲良くなって行った。
毎年年越しには、思い出の場所に連れていってくれた。
楽しかった。嬉しかった。
でも、何年くらい経ったのだろう?
あまり先輩と会えなくなった。
先輩は謝ってた。私は訳が分からなかった。
俺は、ひろちゃんから、逃げたと言った。
私何か悪い事した?
どうして?
ただ、先輩は謝ってた。
きっと、私の事抱えきれなかったんだね。
私と先輩とのままごとみたいなお付き合いは終止符を打った。
でも、何故だろう?泣いてない。
あんなに泣き虫の私が泣いてない。
それより、先輩が心配をだった。
凄く自分を追い詰めていた。
俺は幸せになる資格がないと、言っていた。
それは、何年も経った今でも思っているようだ。
それからは、私たち家族家族4人は幸せに暮らし始めた。
パパが居なくても全然大丈夫だね。
友達のように毎日楽しく話した。
躁鬱はまだ治ってない。
落ち込む時もある。
でも、4人の生活が慣れた。
家族って良いな。幸せだなって思ってた。
それから、何年経っただろう?
酷い鬱が私を襲った。
昔より沢山の薬や眠剤が出てる。
これなら死ねる。
1日30錠以上の薬を飲んでいた。
海外に行けないくらいのキツい薬も沢山出ていた。
私はその大量の薬をお酒で流し込んだ。
誰が救急車を呼んだのか分からない。
気がつくと、私は手足を縛られ、気道確保され、沢山の管に繋がれていた。
また死ねなかったんだ。
ただ、今回はダメかもしれないと医師に両親が言われたそうだ。
だから、あと少しだったのかもしれない。
救急車を呼ばなかったら、あっちの世界に行けてたのだ。
私は絶望した。
また、私を救ってくれる人と出会う事も知らずに…
私も、主人も精神病だ。
主人は統合失調症だと診断された。
私は相変わらず、躁と鬱を繰り返していた。
主人の親が、主人を実家に連れ戻した。
私と離れ離れにしたかったのだろう。
私は寂しくて毎日泣いていた。
主人に会いたくて、声が聞きたくて、毎日主人の実家に行ったけど、合わせてもらう事は出来ず、父親から階段から落とされた。そんな転げ落ちた私を引きずり階段上まで連れていき、また階段から突き落とされた。そしてインターフォンを切られた。
私は、泣きながら家路についた。
破けたズボン。泣き腫らした目。
みすぼらしがった。
その頃に、離婚の話が出てきた。
何で?
何で別れないといけないの?
病気だけど、愛し合ってるよ?
なのに何で別れないとダメなの?
向こうの両親がそう仕向けたのだ。
そんな時、長女に、もうママ離婚して!
ママのそんな姿もう見たくない。ママを守ってくれないパパはいらない!
そう言われて、子供達に相当な心配をかけていたんだと、改めて感じた。
ただ、私にはまだ神様がついてたようだ。
私がまだ高校生だった時、憧れていた2個上の先輩に会った。
何度か会ううちに、私は全部話すことに決めた。
その先輩は、私のために泣いてくれた。
少しでも力になりたいと言ってくれた。
そして、離婚の話も出てることを話した。
先輩は、優しく聞いてくれた。
そして色んな所に遊びに連れていってくれた。
私はその頃から、病状が少しずつマシになって行った。
勿論完全ではない。
リストカットも自殺未遂も繰り返していた。
先輩に力と勇気をもらって、私は裁判所に行った。
離婚の事を相談しに行った。
調停が始まる。
私は1人で裁判所に向かった。
主人とは、顔を合わせるとニコって笑って手を振ってくれた。
私も手を振った。
でも、そこで話す事は出来なかった。
向こうからの要求があった。
離婚するにあたって、2女が欲しいと。
私は、慰謝料も養育費もいらないから、子供だけは取り上げないで欲しいと調停員に言った。
調停員の人は、大丈夫ですよ。
私達はあなたの味方です。
娘さんと離れ離れになんてしません!と強くおっしゃって頂いて、その通り、3人の娘は私が引き取り、離婚が成立した。
私は、不安を抱えながら、離婚したことを先輩に伝えた。
先輩は、これからは、俺がひろちゃんを守っていってもいいかな?ちょうどクリスマスの時、俺がひろちゃんのサンタになるよ。
って言ってくれた。
私は泣いた。先輩も泣いた。
捨てる神もあれば拾う神もいる。
私にとって救世主だった。
離婚したてだけど、私は先輩について行った。
とにかく1人になりたくなかったのだ。
私は生活保護を受け、ひっそりと暮らした。
先輩は時間の許す限り一緒に居てくれた。
とにかく私を寂しい思いをさせないように、何時でも飛んできてくれた。
沢山お話もした。
いっぱい泣いて、いっぱい笑った。
でも、一方で薬の量は増えて行った。
私が普通に過ごせるようになったのは、薬と先輩のおかげだった。
先輩は、私の両親に、絶対にひろちゃんの病気治します。ずっとそばにいます!
と言ってくれた。
本当に嬉しかった。
そして、その通りずっとそばに居てくれた。
週末は泊まりに来てくれ、子供達とも仲良くなって行った。
毎年年越しには、思い出の場所に連れていってくれた。
楽しかった。嬉しかった。
でも、何年くらい経ったのだろう?
あまり先輩と会えなくなった。
先輩は謝ってた。私は訳が分からなかった。
俺は、ひろちゃんから、逃げたと言った。
私何か悪い事した?
どうして?
ただ、先輩は謝ってた。
きっと、私の事抱えきれなかったんだね。
私と先輩とのままごとみたいなお付き合いは終止符を打った。
でも、何故だろう?泣いてない。
あんなに泣き虫の私が泣いてない。
それより、先輩が心配をだった。
凄く自分を追い詰めていた。
俺は幸せになる資格がないと、言っていた。
それは、何年も経った今でも思っているようだ。
それからは、私たち家族家族4人は幸せに暮らし始めた。
パパが居なくても全然大丈夫だね。
友達のように毎日楽しく話した。
躁鬱はまだ治ってない。
落ち込む時もある。
でも、4人の生活が慣れた。
家族って良いな。幸せだなって思ってた。
それから、何年経っただろう?
酷い鬱が私を襲った。
昔より沢山の薬や眠剤が出てる。
これなら死ねる。
1日30錠以上の薬を飲んでいた。
海外に行けないくらいのキツい薬も沢山出ていた。
私はその大量の薬をお酒で流し込んだ。
誰が救急車を呼んだのか分からない。
気がつくと、私は手足を縛られ、気道確保され、沢山の管に繋がれていた。
また死ねなかったんだ。
ただ、今回はダメかもしれないと医師に両親が言われたそうだ。
だから、あと少しだったのかもしれない。
救急車を呼ばなかったら、あっちの世界に行けてたのだ。
私は絶望した。
また、私を救ってくれる人と出会う事も知らずに…