鬱の始まり
主人は、学院で働くことになった。
初めはイヤイヤ行っていたが、そのうち普通に通えるようになった。
主人から、1歳の子がトイレトレーニング終わったよ。
まだ1歳なってないのに、1人で歩ける子がいるよ。
正直私は、鬱陶しかった。
私は100パーセントの愛情で3人の子供を育ててる。
手を抜いたりなんてしていない。
でも、学院の子と比べられてるように感じて、嫌な気分になった。
その頃から私は、幸せと言うものから、苦痛へと変わっていった。
我が子とは遊ばないのに、学院の子とは遊ぶ主人。
新生児の時1度でも沐浴してくれた事ある?
幼稚園の送り迎え1度でもしてくれた事ある?
それでも、私の主婦業は変わらず、毎日晩酌する主人に何品もアテを作った。
仕事で疲れてる主人を労った。
ただ、もう学院での話はしないで欲しいとお願いした。
ある日、主人が出勤して、お昼頃に母親から電話がかかってきた。
みんなで、学院に遊びにおいで。
私は学院の中に入ったことがなかった。
子供達を連れて、学院へ遊びに行った。
学院の子供達と、娘たちは直ぐに打ち解けた。私にも、絵本読んで!積み木して!などと、子供達が懐いてくれた。
その時、母親から
ひろちゃんだけ帰って。
子供達はいいから、ひろちゃんだけ帰って。
またか…
いつもの事じゃない。
でも、いつもより腹正しかった。
何故なら、娘たちが帰りたがらなかったからだ。
一緒にママと帰ろ。と言っても、まだ遊ぶといい、1人で帰った。
ママの味方をしてくれなかった子供たちに腹が立ったのだ。
ママがこんな思いしてるのに、なんで分かってくれないの?
暫くして、子供達は満足そうに帰ってきた。
私は腑に落ちなかった。
悔しかった。お風呂の中で泣きじゃくった。
でも、子供の前では泣かなかった。
子供達の前で喧嘩をすることも無かった。
そもそも、私達夫婦は仲が良かった。
どこの夫婦よりも仲が良かった。
でも、それは消えていくことになる。
主人がおかしくなり始めたのを、私は見逃さなかった。
顔色が良くない。
お酒の量が増えた。
子供達に叱ることが増えた。
今まで何にも言わなかった主人が、まるで八つ当たりのように、子供達にぶつけた。
私は休職を進めた。
まだ、転職して数ヶ月だけど、休職を進めた。
主人は、私の言う通り休職をした。
ここから、明らかに主人はおかしくなった。
毎日同じ音楽をリピートしながら聴き、ベランダから見える空を何時間も見ていた。
目は座っていた。
お酒の量はどんどん増えて行った。
私は主人を支えるため、嫌がらせから来るストレスで、軽い安定剤を飲んでいた。
その薬を大量に主人が飲んだのだ。
軽い薬なので、死に至る事はないが、行動がヤバい。
私は直ぐに病院に連れていった。
そのついでに、私も診察してもらった。
私は完全なうつ病だと診断された。
主人は、今すぐに入院をしないといけないくらいの状態になっていて、早速次の日精神科へ入院した。
私は毎日電車に乗って主人の病院へ行った。
洗濯物をしたり、お話をしたり。
でも、長くは居れない。
私には家に帰ると家事が沢山ある。
ほんの数時間だけど、毎日通った。
ある日、父親から電話が来た。
今、お前らが住んでる家は、俺が買った家やから出ていけ!
次の水曜までに出ていけ!
私はわけも分からず、直ぐに入居出来る小さなアパートに引越しをした。
最低限必要な物だけを持って。
その頃には私の薬も増えて行ってた。
でも、負けたくない。
薬なんかに頼りたくない。
私は1度薬を辞めようと、全く飲まなかった。
すると、副反応で体がインフルエンザにかかったようになった。
動けない。どうしよう。
直ぐに病院に電話した。
その頃に飲んでいた薬の1つにパキシルと言う薬が入っていて、いきなり辞めたから、副反応が出たと。
薬を今すぐに飲んで下さい。と
薬は欠かさず飲んで下さい。と
引越しした先は、私の実家の傍で、私の家族が良く様子を見に来てくれた。
動けない私を見て、ご飯を作って持ってきてくれた。
感謝しかない。
数ヶ月後、主人は転院した。
主人が入っていた病院は、別名キチガイ病院と呼ばれていたからだ。
体裁が悪いからなのか、片道2時間もかかる病院に転院した。
私は週に3回ほどお見舞いに行った。
ほんの少し話すだけ。
私自身の体調も悪く、往復の時間もかかる。
何より家には娘が3人居る。
それをおろそかには出来ない。
そんなハードな毎日をこなしていた。
数ヶ月入院してた主人が、退院した。
すると、また父親から電話がかかってきて、今すぐに帰れ!と
主人が帰ってきたから、家に戻れと言うのだ。
もう、クタクタだった。
体も心もクタクタだった。
それでも、私は主人の待つ家に帰った。
私にとって、限界が近づいていた。
鬱が酷くなったのだ。
起き上がることが出来ない。
毎日泣いていた。
情けなくて泣いていた。
病院には私の兄が連れて行ってくれていた。
私の父親も一緒に。
私の鬱は、想像を超えるものになって行った。
この先、死んだように生きると言うことも知らずに…
主人は、学院で働くことになった。
初めはイヤイヤ行っていたが、そのうち普通に通えるようになった。
主人から、1歳の子がトイレトレーニング終わったよ。
まだ1歳なってないのに、1人で歩ける子がいるよ。
正直私は、鬱陶しかった。
私は100パーセントの愛情で3人の子供を育ててる。
手を抜いたりなんてしていない。
でも、学院の子と比べられてるように感じて、嫌な気分になった。
その頃から私は、幸せと言うものから、苦痛へと変わっていった。
我が子とは遊ばないのに、学院の子とは遊ぶ主人。
新生児の時1度でも沐浴してくれた事ある?
幼稚園の送り迎え1度でもしてくれた事ある?
それでも、私の主婦業は変わらず、毎日晩酌する主人に何品もアテを作った。
仕事で疲れてる主人を労った。
ただ、もう学院での話はしないで欲しいとお願いした。
ある日、主人が出勤して、お昼頃に母親から電話がかかってきた。
みんなで、学院に遊びにおいで。
私は学院の中に入ったことがなかった。
子供達を連れて、学院へ遊びに行った。
学院の子供達と、娘たちは直ぐに打ち解けた。私にも、絵本読んで!積み木して!などと、子供達が懐いてくれた。
その時、母親から
ひろちゃんだけ帰って。
子供達はいいから、ひろちゃんだけ帰って。
またか…
いつもの事じゃない。
でも、いつもより腹正しかった。
何故なら、娘たちが帰りたがらなかったからだ。
一緒にママと帰ろ。と言っても、まだ遊ぶといい、1人で帰った。
ママの味方をしてくれなかった子供たちに腹が立ったのだ。
ママがこんな思いしてるのに、なんで分かってくれないの?
暫くして、子供達は満足そうに帰ってきた。
私は腑に落ちなかった。
悔しかった。お風呂の中で泣きじゃくった。
でも、子供の前では泣かなかった。
子供達の前で喧嘩をすることも無かった。
そもそも、私達夫婦は仲が良かった。
どこの夫婦よりも仲が良かった。
でも、それは消えていくことになる。
主人がおかしくなり始めたのを、私は見逃さなかった。
顔色が良くない。
お酒の量が増えた。
子供達に叱ることが増えた。
今まで何にも言わなかった主人が、まるで八つ当たりのように、子供達にぶつけた。
私は休職を進めた。
まだ、転職して数ヶ月だけど、休職を進めた。
主人は、私の言う通り休職をした。
ここから、明らかに主人はおかしくなった。
毎日同じ音楽をリピートしながら聴き、ベランダから見える空を何時間も見ていた。
目は座っていた。
お酒の量はどんどん増えて行った。
私は主人を支えるため、嫌がらせから来るストレスで、軽い安定剤を飲んでいた。
その薬を大量に主人が飲んだのだ。
軽い薬なので、死に至る事はないが、行動がヤバい。
私は直ぐに病院に連れていった。
そのついでに、私も診察してもらった。
私は完全なうつ病だと診断された。
主人は、今すぐに入院をしないといけないくらいの状態になっていて、早速次の日精神科へ入院した。
私は毎日電車に乗って主人の病院へ行った。
洗濯物をしたり、お話をしたり。
でも、長くは居れない。
私には家に帰ると家事が沢山ある。
ほんの数時間だけど、毎日通った。
ある日、父親から電話が来た。
今、お前らが住んでる家は、俺が買った家やから出ていけ!
次の水曜までに出ていけ!
私はわけも分からず、直ぐに入居出来る小さなアパートに引越しをした。
最低限必要な物だけを持って。
その頃には私の薬も増えて行ってた。
でも、負けたくない。
薬なんかに頼りたくない。
私は1度薬を辞めようと、全く飲まなかった。
すると、副反応で体がインフルエンザにかかったようになった。
動けない。どうしよう。
直ぐに病院に電話した。
その頃に飲んでいた薬の1つにパキシルと言う薬が入っていて、いきなり辞めたから、副反応が出たと。
薬を今すぐに飲んで下さい。と
薬は欠かさず飲んで下さい。と
引越しした先は、私の実家の傍で、私の家族が良く様子を見に来てくれた。
動けない私を見て、ご飯を作って持ってきてくれた。
感謝しかない。
数ヶ月後、主人は転院した。
主人が入っていた病院は、別名キチガイ病院と呼ばれていたからだ。
体裁が悪いからなのか、片道2時間もかかる病院に転院した。
私は週に3回ほどお見舞いに行った。
ほんの少し話すだけ。
私自身の体調も悪く、往復の時間もかかる。
何より家には娘が3人居る。
それをおろそかには出来ない。
そんなハードな毎日をこなしていた。
数ヶ月入院してた主人が、退院した。
すると、また父親から電話がかかってきて、今すぐに帰れ!と
主人が帰ってきたから、家に戻れと言うのだ。
もう、クタクタだった。
体も心もクタクタだった。
それでも、私は主人の待つ家に帰った。
私にとって、限界が近づいていた。
鬱が酷くなったのだ。
起き上がることが出来ない。
毎日泣いていた。
情けなくて泣いていた。
病院には私の兄が連れて行ってくれていた。
私の父親も一緒に。
私の鬱は、想像を超えるものになって行った。
この先、死んだように生きると言うことも知らずに…