「わ、分からないよ…。海辺で撮影するとき邪魔だったから脱いで、そこから…」
もう本当に時間がない。本当に頭の中がパニックになる。急いで靴を買いに行ったとしても絶対遅れる。何も出来ずただ自分の足を見下ろしていると、また彼の声が聞こえた。
「彩響、こっち来て」
「え?」
また手を引っ張られ、ソファーに座らせる。何をするのかと思うと、彼が自分が履いていたスリッパを脱いで、彩響の足に履かせてくれた。その行動に佐藤くんの目が丸くなるのが見えた。
「え、ええ?な、なにしてるんですか?」
「…?だって、あんた今靴なくて困ってるんだろう?室内だから、スリッパでも誰も気にしないよ」
「そ、そういう問題じゃ…河原塚さんはどう帰るんですか?!」
「俺はバイクに乗れば問題無い。ほら、早く反対の足も出せよ」
恥ずかしさとぎこちなさで顔を上げられない。河原塚さんは彩響の足に付いているほこりを軽く取って、もう片方のスリッパも履かせてくれた。誰かに靴を履かせてもらうなんて、ベビーの頃以来だと思う。
(このシチュエーション、このポーズ…。なんかどこかで見たことあると思ったら…)
そうだ、これはあの有名なアニメーションの一場面ではないか!彩響はあの映画のポスターを思い出し、ふと呟いた。
「あなたは…シンデレラの王子様?」
「ーいや、俺はCinderella社から来た家政夫だ」
あまりにもさっぱりした返事に、思わず声を出して笑ってしまった。それを見て河原塚さんも一緒にほほ笑む。一回笑うと、緊張から少し解放された気分になれた。河原塚さんが彩響の足を戻して話した。
「彩響、なんであんたがこんなに大事なデータを忘れて、靴も落としてると思う?」
「それは、忙しいから…」
「違う、それはあんたの周りが汚いからだ。家も、この事務所も、なにもかもが汚れていて、それがこんな事故に繋がるんだ」
「あの、河原塚さん。あなたの理論は素晴らしいかもしれません。でも今はそんな余裕がないので、後にしてください」
また彼の「掃除説教」が始まった。確かに、彼の言う通りかもしれないが、今はそんなことをいちいち気にしている余裕はない。
「これは理論なんかじゃない、事実なんだ。掃除をすると、きっと良いことが起きる。物忘れも減るし、すべてに余裕ができる。だから騙されたつもりで、俺に付き合ってみなよ。それでも嫌だったら…そのときは俺を首にすればいいだけの話だから」
「いや、べつにそこまで言ってませんけど…」
彩響の焦りを知るのか知らないのか、河原塚さんの説教は続く。はじめての日とほぼ変わらない内容で、それを聞くと又イライラし始める。タイミングよく佐藤くんが助け船を出してくれた。
「あの、主任、いいところ邪魔して申し訳ないんすが…」
「違います」
「本当にもう時間なので、そろそろ行きましょう」
佐藤くんの言葉に彩響が立ち上がる。一応部屋中を歩いて見たけど、長いズボンのおかげで、大きいスリッパがそこまで目立たない。河原塚さんが彩響の肩を軽く叩いた。
「うん、いい感じ。問題無し」
「あ、あの…。とにかく、今日は本当にありがとうございました。二度も助けてもらって」
彩響が感謝の言葉を伝えると、彼がにっこり笑った。
「雇用主様が困っているのに放っておく訳ないだろう?頑張って来いよ。俺、家で待ってるから」
「あ、はい…」
「じゃあ、俺は先に帰るぞ!」
来たときと同じく、河原塚さんはヘルメットを持って風のように消えて行った。ライダースジャケットに赤毛、バイクのヘルメット、そこに裸足…アンバランスな格好だけど彼は確かに、間違いなく…ザ・イケメンだった。
「…主任の彼氏さん、やっぱかっけー」
「だから、違います!」