ー違う、これは違う。

彩響は顔を上げた。目の前にいろんな映像が思い浮かぶ。Treasure Noteを粉々にした母の顔や、読者数が増えたときの喜び、そして…なにより、今朝まで笑顔で自分を見守ってくれた、あの家政夫さんのことも。

どれだけ頑張っても、叶わないことはある。それはこの30年の人生で何回も経験してきた。だけど…今は違う。こんな扱いをされるために、あれだけ必死に頑張ってきたわけじゃない。あんな必死な思いでこれを書いたわけじゃない…!


「私は…、私は…」


震える声で口を開ける。ショックが大き過ぎて全身が震えるけど、それを相手にバレたくない。彩響はそのままテーブルの上のコップを握り、相手の顔にぶっかけた。いきなりの騒ぎに周りが一瞬静かになる。みんながざわざわするなか、彩響は叫んだ。


「私は、体を売ったりしない。あんたのようなクソ野郎にも、他のやつにも!!」


コップを投げるように戻し、彩響はそのままそこから走り出した。店を出る直前、やつの声が聞こえた。


「お前の原稿が世に出ることは一生ない、永遠に!!!」

「…!!」


それに答える余裕もない。とにかくこの汚い場所から一瞬でも早く離れたかった。そのままホテルを抜け出して、大通りの方へ走る。周りを通る人も、車の音も、何も見えないし何も聞こえない。今にも爆発しそうな心臓を抑え、彩響はただただ夜の道を走り出した。